yokoken001’s diary

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Baker(1970), Chapter 5.

Chapter 5 Tuning: A Great Step Forward (pp.52–60)

 

 本章のポイントは、マルコーニが「同調」性能を持った送受信機を開発する過程である。同調というのは、LC回路における共振という現象を利用して、特定の周波数の電波だけに選択的に反応するようにする仕組みである。もちろん、共振というアイデア自体は、マルコーニのオリジナルな発想ではない。よく知られているように、ロッジがシントニー(syntony)という名前で同調に関する演示を既に行なっていた。しかし、マルコーニがロッジのアイデアをそのまま自身の無線機に応用したと考えるのは誤りのようである。マルコーニはロッジのsyntony実験の詳細が発表される前から発振トランスを用いた同調に関する試みを開始しており、1900年3月頃になってロッジの実験を参照した。マルコーニは、閉回路であったロッジのsyntonic jarsを、インダクタンスとキャパシタンスを刻んで変化させることができるように変えた。マルコーニのオリジナリティはこの点に見出すことができる。

 

 

  • 1900年2月23日に、無線電信信号会社は、マルコーニ無線電信会社(Marconi’s Wireless Telegraph Cp. Ltd)へと変更になった。社名にマルコーニの名前が入ることを本人は望まなかったが、取締役会でこのように決まった。
  • このとき、4年前の装置と基本的には同じものを使っていた。だが、徐々にデータも蓄積され、評価が経験的な試行錯誤に依存する度合いも小さくなっていた。
  • それでもなお、英国海軍を除いて船舶無線の注文数は少なかった。これは当時の顧客が保守的だったからではなく、技術的な問題が原因であるということをマルコーニは理解していた。というのも、通信の範囲が限られ、送受信の過程で機密が漏洩しやすく、何よりも同調技術がなかったので、望まぬ伝言を取捨選択することができなかったからである。
  • 1897年のSaliuburyでの演示実験の際、Slabyは、コヒーラーがアンテナと接地の間に挿入されており十分に利点をいかせていないことを指摘していた。これに刺激されたのか定かではないが、マルコーニはコヒーラーに入力信号を電流ではなく電圧として印加するように(applying the incoming signal to it as a voltage rather than as a current)、高周波トランス(r.f. transformer)を回路に挿入することを決めた。これにより、アンテナとアースの間にトランスの一次側が接続され、コヒーラーはトランス二次側に接続された。これが、ジガー(jigger)と呼ばれる高周波変圧器である[i]
  • 繰り返し実験が行われた末、最も有望な3つの特許を出願した。さらに、1898年7月1日に出願された英国特許:第12326号では、この変圧器はコンデンサーと接続されることで共振器(resonator)となり、所与のアンテナから出される最良の電波に反応するように同調(tune)できることが明記されていた。
  • 尤も、同調というアイデアはマルコーニ自信によるものではない、1899年、ロッジはsyntony(同調)に関する演示を行なっており、1897年5月には英国特許:第11575号も出願していた。
  • マルコーニがロッジのアイデアを借用・応用したと考えたくなるが、それは誤りである。ロッジによる”syntonic jars”の実験は、大きな距離を隔てて電磁波の放射を可能にするものではなかったし、技術的な詳細が公になる1897年以前からマルコーニは発振トランスの実験を開始していたからである。
  • そして、1899年12月19日に、第25186号特許明細の中で、マルコーニは2次コイルの長さを垂直アンテナと同じにしたときに、最良の結果が得られるということを記した。だが、送信所から等距離にある受信局で2つの信号を明確に区別するほどの性能は得られていなかった。
  • 1900年3月に、第5387特許の中で、放射器のそばにアンテナを置くというアイデアを示した。このとき、マルコーニと助手らが、1889年のロッジによる”syntonic jars”の実験に戻ってきた。このロッジのシステムは、閉回路(closed circuit)(=スイッチ(刻み)がなくLとCの大きさ調整することができないもの)だったので、放射特性(properties of radiation)はほとんどなかった。それに対して、マルコーニの新規性は、アンテナのインダクタンスを刻む(tap)することで振動周期を調整でき、さらにライデン瓶(固定コンデンサー)も、静電容量の値を変えることができるものに置き換えたところにあった。受信機でも同じ構造を採用した。そして、1900年4月26日、同調原理に関する有名なFour sevens 特許(英国特許:第7777号)が認められた。
  • 同調の送受信の実験は予想以上にうまくいった。さらに、モールスキーの速度を上げるような改善も加わり、英国やドイツからの注文数が増加した。1900年にはドイツのBorkum Riff lightshipとBorkum Islandとの間(有線の敷設に失敗し、かつ視覚信号のやりとりも難しい場所だった)での通信が行われ、設備が導入された。
  • 1900年2月の時点では、数ヶ月前にデイビスが退社していたので、Floog Pageが取締役(managing director)に就任していた。彼は会社がペイしなければならないという事実に敏感であり、最も収益が見込める船舶無線分野に焦点を当て、1900年4月25日にMarconi International Marine Communication Co. Ltdという子会社を発足させた。名前の通り、オフィスはロンドン、ブリュッセル、パリ、ローマに構えられた。
  • この子会社が設立されたもう一つの背景には、1868年と1869年に電信法が整備されたという事情があった。この法律の制限条項を避けるべく、通信設備は売り切りすることができなくなった。設備を「売り切る(outright sale)」とう形式にしてしまうと、設置者は所有者とみなされ、独自の無線局を維持する必要が出てきてしまうからである(電信法の2つ目のポイント)。よって、マルコーニ社は、海岸線の無線局は同社が維持しながら、無線器具を貸与するサービス(hire service)という形式で展開しようとしたのである。
  • また、1900年11月には、英国で無線設備のライセンス制度も認められた。かつ、英国国内では3マイル以内の通信に限定されていたが、領海の外では反対がなかった。その結果、レンタル制が全ての国へと拡大することになった。1900年には、North Foreland, Holyhead, Caister, Withernsea, Rosslare, Crookhaven, Port Stewartといった場所に海岸局の設立ラッシュが起こった。

 

 

[i] https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co8357570/experimental-transmitting-jigger-used-by-the-marconi-company-1899-transformer