yokoken001’s diary

読書メモ・レジュメ・レポートなど

Mizuno (2009), Chapter 1

Chapter 1 Toward Technocracy (pp.19–42)

  • 世界的にみても,1910sには技術官僚(テクノクラート)が高い地位を求め,政治権力へ接近し始めるが,日本もその例外ではない.←重化学工業化,研究開発の推進
  • 技術官僚の運動では土木工学者≒非軍事技術者(Civil engineers)が中心的な存在であるものの,彼らの政策決定権へのアクセスは非常に限定的.←「文官任用令
  • 技術官僚/法科官僚との対立=日本の官僚運動の核であり,その中心にいたのが工人倶楽部の設立者である宮本武之輔
  • 工人倶楽部の軌跡は,科学や合理性の信念が,いかにして階級形成やナショナリズムと密接に関係していたかを示している.

:労働者(プロレタリア)運動の言説・政治により技術官僚の階級意識を統合しようと試みるが失敗→「科学的な専門知」により彼らのアイデンティティを確認するという形に変化していく.

=「階級ではなく国家」が彼らの文化資本を政治権力へと変革するのに必要な言語・イデオロギーを与えた.

テクノクラシーは,「科学的」な専門知をもつ技術者による国家管理を要求した.≠マルクス主義 (←「科学」の定義が異なる.)

 

  • Defining Engineers as Creators (pp.20-28)
  • 宮本武之輔:1892年生まれ.第一高等学校卒業後,1917年に東京帝国大学工科大学を主席で卒業し,内務省の土木工学課に入省.利根川,荒川の建設計画に従事.
  • また宮本は多作な文筆家でもある.かつては作家志望で,高校時代には文学者に惹かれていた(※夏目漱石『心』(1914年)).しかし,義理の兄の説得の末,工学専攻へ進む.
  • 中学生の頃から,労働問題へ関心を持っており,『平民新聞』などを読み労働者の貧困な状況を知る.→工学者は,技術を通じて工場所有者と労働者の間の対立を緩和することができるので,労働問題を解決するという特別な義務があると確信するように.⇄自身は男らしい「経世家」であるとみなすエリート主義.
  • 宮本の理想にとっての大きなハードル=社会・政府内での工学者の地位の低さ.

∵文官任用令:高等官吏試験を通過した者だけがトップの地位につくことができるが,工学系官僚(engineer-bureaucrats)は試験から排除されていた.(彼らは官僚として別枠で採用された.) =政府部門へのキャリアパスからは,工学系官僚は制度的に排除されていた.

  • また,工学系官僚は,(法科系に比べて)その専門家としてのキャリアのゆえに一つの部署に止まる傾向にあり,昇進するにも時間がかかった.給料も違った.政治のコネを巧みに使う個人も非常に少なかった.
  • WW1中に,技術官僚らが不満を声に出し始める.ex 工政会,農政会(1918)が,文官任用令の改正を訴える.

→工政会,農政会,林政会が,制度改正を訴える嘆願書を総理大臣に提出したものの,軽微な修正しか認められず,技術者への差別は依然残った.(cf 技術官僚を昇進させれば,「官僚秩序」が破壊される.)

  • 技術者が嘆願書作成だけではなく,組織を作り立ち上がる必要がある.「技術者はなぜ自身で統合しようとしないのか?」
  • 工人倶楽部の設立=宮本武之輔のそうした要求への対応.

工人倶楽部の2つの目標:(1)技術者の地位向上,(2)社会の変革.

  • 設立宣言に見られる(1)技術(者),(2)階級アイデンティティ・社会における位置,(3)合理/非合理についての定義:
  • 技術者とは,創造者である.技術とは,(手段ではなく)それ自体が目的である創造である.→1-1
  • 技術者は資本家と労働者の間に位置し,労働問題を解決する責任・能力を持つ.→1-2
  • 技術者は,「合理的な手段」を用いて社会を改善する責任を持つ.「ラディカルな直接行動」は合理的ではない.→1-3

 

  • 技術者を創造者とする定義=既存の官僚制度への野心的な反抗

∵技術官僚は,法科官僚が割り振った計画を実行する専門家という位置付けだった→技術者は単に技術を生み出すだけでなく技術的文化を創造者するという宣言.

  • 創造としての技術≠明治時代のスローガンに見られる技術

:明治の理解→科学は西欧から学習・導入されるもので,東洋の倫理と共存する.

⇄創造としての技術→西欧とのつながりを拒否し,西欧の科学・技術の消費者ではなく,新しい科学・技術を創造する者として日本の技術者の能力・行為を明示.

(≒WW1中,後における「科学・技術の普遍性」)

  • 「技術」という言葉を定義する試み自体も新しかった.明治期においては,工,芸,術,技といった言葉がよく用いられており,アートとテクノロジーの境界は曖昧だった.(英国でも同じ.) 日本においても現代的な意味での「技術」が出現するのは,1910s末から20sにかけて.
  • この時期に現代的な「技術」の意味が確立した背景

:(鉄道,遠隔通信,電力網,工場などの)大規模技術システムの構築(Loe Marx).従来の「機械(machine)」,「機械技術(mechanical art)」では,こうした機械,装置,知識の集積によって張り巡らされた巨大なネットワークを十分に説明できなくなる.=「機械の時代」から「技術ネットワーク」の時代へ.

←技術を新しい方法で定義しようとする試みが,巨大な国家インフラのネットワークの建設に従事する宮本武之輔やその同胞からもたらされたことは偶然ではない.またそれが1920年であったということも偶然ではない.

  • 創造としての技術≠大正時代に馴染みのあった技術のイメージ

:技術を楽しむ女性消費者(feminized consumer)&労働組合で闘争する男性(masculinized proletarian).

⇄技術を実際に設計・維持・開発する技術者が描かれていない.

→新しい社会秩序を創造し,資本家-労働者の対立に対処する技術者.

  • そうした一見すると人間主義的な理想の背後には,(傲慢とも言える)技術者のエリート意識がある.マルクス主義では,技術を生産手段として捉えるが,工人倶楽部が技術をそれ自体が目的であると捉える.そのポテンシャルを引き出すのは技術者.それを達成する手段が労働者・資本家.

 

  • The Proletarianization of Engineers (pp.28-36)
  • 工人倶楽部の規模が大きくなるにつれて,メンバーの政治的見解や社会経済的背景が多様化.

→技術者は階級として統合できるかどうか? 技術者の連合は,政治スペクトラムのどこに位置付けられるべきか? といった問題についての議論が生じた.

→工人倶楽部のメンバーは,自身の目的に「大正デモクラシー」運動にどのように反応し,それを流用したのか?

→工人倶楽部のメンバーは,「技術者のための平民運動」を展開し,技術者を(被差別部落のような)システムの犠牲者として訴える.

  • 関東大震災(1923年)の復興:後藤新平や工人倶楽部,工政会は東京の復興計画,都市インフラの再建についての詳細な提案を行うが,ほとんどの政治家は(ゆっくりとしたシステマティックな再建ではなく)素早い復興を求めており,却下される.

→東京の復興計画は,エリート技術者に大きな葛藤と無力感を残した.

  • (2)普通選挙法の制定(1925年)と労働者政党の発展

→工人倶楽部のメンバーの増加と影響力の拡大

:所得に関係なく25歳以上の男子(21%)全員に選挙権が与えられたことで,選挙権を持つ人数が4倍になる.1928年の選挙に向けて,労働者政党(proletarian parties)(≒コミンテルン主導で非合法の共産党)が活動

  • 宮本武之輔は,留学中に(学位取得の研究の他に主に英国の労働組合の状況を見学していた.

→工人倶楽部のマニュフェストは,労働者から技術者を分離することを明記していたが,小池や小山らは技術者運動と労働者運動を統合する議論を展開.

  • (3)WW1後の不況と雇用機会の制限

→若者の就職難,帝国大学で学位をとってもエリートのキャリアパスを歩めない.

→工人倶楽部の成長が意味していたのは,メンバーはエリート技術者を代表しているのではなく,労働者のそれに近いライフスタイル・収入を含むようになっていたということ.

  • 1925年までに工人倶楽部の政治的・イデオロギー的方向性の変化は明らかになっていた.(ex 『解放』に似たデザイン,「協調会」への接近〔≒左傾化〕)

労働者運動の言語・シンボル・組織能力は,1920s日本の政治闘争において強力なツールであることがわかったため,工人倶楽部はそれらを自分たちの強化のために流用した

=「資本家/労働者を媒介する存在」→「労働者と連帯し抑圧された階級として技術者」として特徴づけるようになった.

⇄階級政治によって技術者を統合することは非常に難しかった.

(1)「技術的階級 technological class」が意味することが明白ではない.(一方では労働者だが,他方では社会のエリートでもあるという不安定な位置にいる.)

=技術者と階級の関係の問題.

→中間階級vs 無産階級で分裂する

:無産階級→技術者を労働者として捉える.Ex 頭脳労働者,労働者知識人.

→無産階級の概念・社会経済的リアリティは,1920sにおいて決定される過程にあった.

  • 最終的には,工人倶楽部は,「頭脳能動者」という言葉を採用することで,技術者を労働者化することに決定した.→細則に盛り込まれる.

=衣食と引き換えに「技術」という商品を売る労働者,経済によって搾取される技術者.

  • (2)社会民主党(SMP)との連帯:技術者連合が公式に労働者政党を支持するのは前代未聞のことで,社会民主党の方は全体として工人倶楽部を歓迎していたわけではなかった.

→労働者政党のあからさまな支持については,工人倶楽部の中でも議論が紛糾した(1926年には55000人のメンバーがいた).⇄宮本武之輔は違和感を抱かなかった.「職業と階級は分離できず,従って労組運動は我々にとって社会を合理的に主導する最も効率で良い方法である.」

社会民主党との結託は,大阪,札幌支部からの批判に加え,政党に関わり続ける十分な資金もないために,長くは続かなかった.→分離.

  • 1928年に小池,小山は執行部から締め出され,細則から「頭脳労働者」,「労働組合」といった言葉も削除される.特定の政党を支持しないと宣言.

工人倶楽部の階級意識を通じての技術者動員の試みは失敗に終わった

←技術者のアイデンティティとは何か?彼らはいかにして統合され得るのか?

  • 1920s後半を通じて,工人倶楽部の政治スタンスは右と左の間で揺れたが,そのような政治スペクトルの中間を見出すことは容易ではなかった.
  • ただし,こうした問題は工人倶楽部に特有なものではなく,フランスの産業技術者(French cadre)の連合運動でも見られた.French cadreも,右と左の中間を維持しようと努めていた.

 

  • From Class to the Nation (pp.36-42)
  • 宮本の分析では,階級政治によって技術者を組織できなかったのは,彼らが社会経済的な階級を構成していなかったことに原因があった.

⇄筆者の分析では,メンバーの異なった社会経済的地位は原因の一つに過ぎない.もう一つの重要な要素:工人倶楽部が,社会経済的背景の違いに関わらず,技術者らは統合でき,また統合すべきであると確認させる言説を作り出す事に失敗したこと

ブルデュー:社会集団は,他との違いを生み出す言語やイデオロギーを持つことを必要とし,それは,個々人の現実の捉え方に根ざしていなければならない.

労働政治のイデオロギーや言語は,工人クラブのメンバーが捉える現実に根差していなかった

→1920s末までに,政党政治が機能せず,技術者が彼らの利益を示す効果的な手段を提供できないように思われた.=政治はもはや「合理的」には思えない.

→工人倶楽部のメンバーが階級に代わって見出したのが「国家」だった.

ナショナリズムパトロンにする.

  • 宮本は,階級闘争からは撤退し,新しい戦いに参入することを宣言.この移行は2つの理解に基づいている:
  • 伝統的に定義された労組と同様に,我々のような組織が発展することを望むことは不可能である.組織は異なったメンバーを含んでいるからである.
  • 民族間の対立が強まっている今日のような時代においては,「民族」を優先しなければならない.

→工人倶楽部の目的=技術的な見地から国家的な意見(national opinion)を導くこと.

=階級政治からナショナリズムへという一般的な意味での「転向」

  • 元来,宮本は職業と階級は不可分であると考えていたが,1934年までに労組と階級は少なくとも理論上は分ける必要があると考えるようになった.彼にとって今やもっと重要な関心事項は,階級ではなく日本民族の生存にあった.
  • 尤もナショナリズムの喚起は,1925年時点でも既に見られていており,労働政党と国家主義が相互排他的であるといった固有の理由は存在しない.

⇄だが,1929年前後で変わったことは,技術者のアイデンティティを確立する努力,技術者を統合する試み,政治権力へ接近する戦いにおいて,国家(民族)が階級に完全に取って代わったということ.

  • その転向を完成させたもの=濱口内閣によって推進された「産業合理化運動」.(←経済恐慌と禁輸措置に対処する)→臨時産業合理局が設置され,技術の標準化などが進められる.

:この産業合理化運動は,単に日本の経済の問題を解決するだけではなく,将来の日本の産業構造全体を変革することを意味していた.

  • 工人倶楽部はこの運動を支持し,1930年に『工人』でこの問題を扱った.

:労働政党は,この運動が資本家によって主導されているという理由だけによって反対していることを嘆く.宮本は,この運動は一階級だけではなく,国家を救うことを目的としていると述べる.労働政党は日本の「本当の」問題に対して何もしていない.日本の将来を導くことができ・導くべきなのは,労働政党ではなく技術者の専門知である.

  • 工人の技術者らの反抗的なエネルギーの矛先:経済的な搾取→法科系官僚(=意思決定権を共有することを拒み技術者の専門知を無駄遣いしている存在)

彼らは,国家の主要産業の変革が求められているときに,技術・産業に関わる政治が,工学・科学について何も知らない法科系官僚によって実行されていることは嘆かわしいことだった.

⇄工人倶楽部の主導的なメンバーは,自身も法科官僚と並んで仕事をする官僚であったために,これはトリッキーな問題だった.細則に明記されるまではいかない.

  • 国家を統制する能力があるという技術官僚の信念は,「科学的」であることを意味しているという主張からきていた.

←科学的な訓練は,社会問題を科学的に理解できる能力を必然的に彼らに与える.

マルクス主義の「科学」

宮本武之輔はマルクス主義について,数学や科学を知らない思いやりのある(good-hearted)社会主義者のドグマに過ぎない.

→日本の病理を治療できる科学的な方法を提供できるのは,マルクス主義ではなく技術者である.

∵技術者こそが数学とは何であるか,科学とは何であるかを本当に知っている.

:科学的教育は,「非合理」で「非科学的な」マルクス主義共産主義の広がりを防ぐ「精密で」「実験的」な態度の訓練を意味していた.

=技術官僚にとっての自然・社会の科学的理解とは,階級分析やプロレタリア科学などによるものではなく,(技術によって与えられた合理的手段を通じた)自然と,(産業合理化に通じた)社会の科学的な管理を意味していた.また,右翼政党との連合も否定していた.