yokoken001’s diary

読書メモ・レジュメ・レポートなど

Baker(1970), Chapter 4.

Chapter 4 Success and Setbacks (pp.44–51)

 

  • 本章で紹介されるのは、世紀末におけるマルコーニ社における努力の様子である。この時期には英国海峡を隔てた長距離通信の成功や、アメリカでのヨットレースのレポートといったよく知られた偉業も達成しているが、軍に向けてのセールスもより一層行われるようになった。そして電波が地平線を超えて(地球の湾曲を沿って)伝わるといった新事実も、1899年に英国海軍の演習で行われた無線試験がきっかけで発見されたという。(これは、現在で言う「地表波」という電波である。)

 

  • Trinity Houseでの実験に自信をもち、エセックスチャルムスフォード(Chelmsford)のHall Street構内において、製造向上を設立することを決めた。
  • Chelmsfordが選ばれた理由は、平らで実験に適した地面があり、ロンドンから離れた郊外で地価も高くなく、それでいて港から近いので船舶無線の実験にも適していたからだった。1898年12月に、世界初の無線の工場が誕生した。
  • 1899年3月には、フランス政府から正式に海峡(ヴィルムWimeruex)に無線局を設置する許可がおりた。そして、フランス政府の代表者、陸海軍、タイムズ紙の特派員のもとで、海峡を隔てた通信試験が行われた。
  • 商業的な通信は確立しつつあったが、問題もあった。それは、2局間では問題なく通信できるものの、3つめの局が加わると混信が生じるという問題である。これには、送信時間を決める、電波の拡散を抑える研究するという解決策があり、マルコーニにとって現実的だったのは後者だった。4月11日までに、サウス・フォアランドとイーストグッドウィンとの間で、(ヴィルムに漏洩することなく)通信することに成功した。
  • さらに、フランスのIbisとVienneでも試験が行われた。そして1899年7月には、仏国政府に続いて英国海軍本部(The Admiralty)が2隻の戦艦(Juno, Alexandra)にマルコーニの会社の設備を設置する旨を申し出た。1899年7月14日には艦隊演習で無線装置が導入され、近代的な艦隊(fleet)において無線電信は不可欠であることを示した。従来、船舶間での通信は旗信号などに依拠していた。例えば、巡洋艦(cruiser)が敵を発見した場合、70マイル離れた主力艦まで戻って報告すれば、その移動中に敵は見えなくなってしまう、ということもあり得た。しかし無線電信を使えば、情報のやりとりはほとんど瞬間的に実現できた。
  • このように1899年の演習は、世界中の海軍にとって無線電信がいかに重要であるかを示したが、さらに重要なことは、電波が地平線を超えて伝わるという(当時の科学界の常識に反する)事実が発見されたことであった。エレクトリシャン誌は、このことを「不条理(absurdity)」と表現した。そして、一部の研究者を除いて、大勢は疑心暗鬼に目を背け、遠いところから狙撃を続けた(sniping)。
  • 1899年9月には、英国協会(British Association)が開かれ、ロンドン大学レミングが講演を行った。その講演を補完するかたりで、無線電信の演示を行うことが提案され、Dover Town Hallに器具が設置された。
  • 当初は、わずか4マイル離れたサウスフォアランド局との定期的な通信を行うことくらいしか考えていなかった。それでも、間には400フィートの崖=障害物があり、ただの4マイルではなかった。
  • 予備試験の最中、偶然にも、同じ週にはボローニュ(Boulogne)でのフランス科学学会が、そしてComo(ボルタの生地)でのイタリア電気学会が開かれていた。マルコーニは、この学会同士で、友愛(fraternal)の電報交換を行うという案を思いついた。1899年9月18日に、英国協会では、ヴィルムを通過してフランスとイタリアからの伝号が伝えられた。これは三カ国の科学者共同体を驚かせただけではなく、報道官によって大きく報じられることになり、幼稚な会社にとっては宣伝としての価値を持った
  • さらに、マルコーニはアメリカのニューヨーク・ヘラルドとイブニング・テレグラムを代表するヨットレースの速報をするためにニューヨークに赴いた。これも、宣伝を目的としたものである。運用はとてもうまくいった。また、根拠のないデマを揉み消すのにも一役を担った。
  • 1898年11月には、New York, Massachusettsという2隻の米国海軍の巡洋艦にマルコーニの設備が導入された。米国海軍は技術的な要件を提示したが、装置を購入するという特定の申し出はなかった。フランスとアメリカによって大きな関心を持たれたものの、契約まではいかなかった。
  • 1899 年11月、アメリカにマルコーニの会社(無線電信信号会社)に特許を支払うためのアメリカ会社(American Company)が設立された。そしてこれはのちにアメリカ・マルコーニ会社(Marconi Wireless Telegraph Company of America)へと統合され、さらにのちにRCAとなる運命にあった。
  • 1899年11月15日に、Needles局はSt Paulとの契約を確立し、これにより、大西洋横断船がその到着を無線によって報告した最初の機会を与えた。マルコーニは小さな出版社を借り、The Transatlantic Timesという新聞を一部一ドルで販売した。このようにして、最新の知見を掲載した最初の船舶新聞が始まった。そして85の定期購読者はボーア戦争の最新情報を知ることもできた。
  • 1899年10月11日に勃発したボーア戦争は無線が戦場に導入された最初の戦争である。しかし、戦争の遂行の概念を無線が変革した、というわけでは必ずしもない。
  • 1900年7 月4英国海軍から大きな注文を受け、10月までに試験を終え、受理された。受理の条件は厳しいもの(2隻間での満足いく通信の維持、丘を挟んだ62マイル隔てた通信など)だった。そして、新しい機器を用いる最初の船は、Diadem(軽巡洋艦)だった。