W.J. Baker, A History of the Marconi Company, London: Methuen, 1970.
マルコーニ社に関する古典的研究であり、無線史研究者にとっての必読書でもあります。
全部で48章から成るなかなか高く険しい山ですが、少しづつ登っていきます。
Chapter 1 The Stage is Set (pp.15–24)
- 本章では、マルコーニが最初の長距離無線通信に成功する1895年以前の「妊娠期」が検討される。中心的な問いは、ヘルツの実験に成功した1888年から、マルコーニの仕事に至るまでなぜ7年間も経っていたのか、というものである。
- 科学の前進は、個々人の歴史(individual history)と似ている。
:赤ちゃんが生まれるとそれを「奇跡」のように捉える。⇄胎児がお腹の中にいるときのもっと複雑な期間は、むしろ当然のことと考えてしまいがちである。
→無線通信の実用化も、マルコーニの名前を想起することはあっても、「妊娠」期間に関わっていた人物はあまり知られていない。
- 16C:ギルバートが電気や磁気に関心を持って実験を始めた滴(tricke)が、後続の3Cにわたって徐々に流れ(stream)を作っていった。
- 1822年にオームの法則が確立。1831年にはファラデーの電磁誘導の法則が確立。
:ファラデー「力線」⇄大陸の「遠隔作用」論
→ファラデーは数学的能力を欠いており、力線は数学的な支持を必要とした。
- 1865年にマックスウェルは電磁気学の理論を数学的に定式化。
⇄それは従来のあまりにも多くのアイデアを覆すものである上、数学的表現が不明確であったため、その種子は「石だらけの地面(stony ground)」の上に落ちたようなものだった。
- 1875年にトムソン(Elihu Thomson)は、事実上電磁波を実験的に検知した。⇄彼はそれ以上の実験を行うこともなく、それをマックスウェルの理論につなげることもしなかった。
- 1888年にヘルツ(ヘルムホルツの弟子)は、シンプルな実験器具を用いて、電磁波を実験的に検知することに成功した。
→なぜ電磁波(aether waves)の発見者=ヘルツ≠トムソンとされるのか?
∵ヘルツこそが、マックスウェルの理論を試験するために、意図して一連の実験を行っていたから。
→さらにヘルツは、電磁波が反射・屈折・干渉といった光学の法則に従い、光と同じ速度で進むということも示した。
- 1888年から1895年(マルコーニによる長距離無線通信の成功)まで、なぜ7年もかかったのか?
∵この時期には、さまざまな実験が「科学的な」見地から行われ、商業的な通信システムを作るという目的がなかったから。
⇄しかし、この時期は、さまざまな器具が進化するという意味で重要だった。
- コヒーラーの発展:Hughes(1879)→Turner→Lodge(1894)→ブランリー
ヘルツ波の検波器として”coherer”と命名したのは、ロッジ。←ヘルツ波が通過すると、粒が密着(cohered)する。
- 火花間隙、アンテナ、コヒーラーなど、一連の道具は揃っている。現在の見地からすると、これらの構成要素を組み立てて通信システムを作るのには十分過ぎるくらい自明なように思われる。
⇄当時は決してそうではなかった。
:①ヘルツ波に関する分野で行われた調査は、ほとんどが純粋科学のものとして行われていた。
②アンテナは静電気の実験には使われていたが、人工電磁波の放射器や集束器として考えられたことはなかった。あくまでもそれは「実験器具」に過ぎず、商業的な通信に使う実用的なツールではなかった。