yokoken001’s diary

読書メモ・レジュメ・レポートなど

宮崎駿監督作品『君たちはどう生きるか』を観て—新しい「戦前」を生きる僕たちへ

 

 宮崎駿監督の新作『君たちはどう生きるか』の二回目を観終えたところで,感想を記しておきたい.

 

 

 本作品で,吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が登場するのは,主人公が弓矢を製作する最中に偶然落とした本の中から本書を見つけ出す場面である.そこでは,母親から眞人に宛てられた手書きのメッセージが書かれている.「昭和12年秋,大人になった眞人へ」といった内容だったかと思う.日本が長い戦争に突入していく,その最初の時期のことだ.

 そして,この映画は,宮崎監督から新しい戦前を生きる我々に送られた物語=「現代版」の『君たちはどう生きるか』ということになるのだろう.

 

 大叔父がこれまで作り上げてきた世界の平和と秩序はまもなく崩壊し,世界は「火の海」に包み込まれる.宮崎監督が生きてきた「戦後」日本は,かろうじて「平和」を維持していたかのように見えた.しかし,もう時間がない.

 最後のシーンで,眞人は大叔父に頭の傷は自分でつけたものであることを正直に告白し,この世界の人間の悪から目を背けることなく生きていかなければならないことを自覚する.ここには,徹底的なリアリズムと絶望があると思った.宮崎駿は,美しい平和な世界を単に希求するだけの,楽観的な平和主義者ではなかった.そして,この憎しみと悪に満ちた世界を,青サギやキリコ,ヒミといった素晴らしい仲間とともに生きていかなければならない.ラストの場面では,かなり明確なメッセージが示されていたと思う.

 

 それでもなお,僕は宮崎監督の絶望を,そのまま受け取ることはできなかった.僕らは,この世界が「火の海」になるのを,今が新しい「戦前」になることを,ただ何もせずに指を咥えて見ているだけで良いのだろうか?

 僕はそうではないと思う.「火の海」にならないように,そして,もし仮にそうなってしまったときの,preparationをしなければならない.そしてそのために,僕は今考えるべきことがあるように思う.

 

 本作品は,『千と千尋の神隠し』で見られるような,横溢する勢いや,流れるような物語の推進力はなかった.その代わり,構想から膨大な時間と労力をかけて,長く熟成・洗練された,密度の濃い重みと味わいがあった.

 奇しくも,『千と千尋の神隠し』が公開された2001年は,日本はまだまだ横溢するエネルギーに満ちていて,物語自体も,久石譲の音楽も,木村弓の主題歌も,「日本の奇跡」であるかのような凄みがあった.アカデミー賞の受賞は,それを象徴していたかもしれない.

 あれから20年以上経って,時代はすっかり変わってしまった.でも,『君たちはどう生きるか』は(例えば)『千と千尋の神隠し』よりも劣っているとは全く思わないし,ま「地球儀」も「いつも何度でも」に負けているとは全く思わない.米津玄師のインタビューによれば,完成までに4–5年かかり,もともとは6分くらいの長い曲を削ぎ落として今の形になったという.

 さらに『君たちはどう生きるか』は,ちゃんと2023年の現代性を帯びている.特に,前半部分の眞人の鬱っぽい感じ,「死の匂い」がする感じというのは,これまでの宮崎作品にはなく,極めて現代的で新しい要素だと思った.

 

 僕は,今回の作品を通じて,これからの日本で何か創造をしていく上での,一つの方向と可能性を見出すことができた.横溢するエネルギー,流れるような勢い,勇敢さ,といった方向性ではない,別の可能性があると思った.

そして,それは希望でもあると思う.