yokoken001’s diary

読書メモ・レジュメ・レポートなど

Gary L. Frost(2010),Introduction

Gary L. Frost, Early FM Radio- Incremental Technology in Twentieth- Century America, Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 2010.

以下、序章の覚書です。

 

Introduction (pp.1-11)

 本書は、周波数変調(FM)ラジオの従来の歴史との決別を示すものである。従来、ドキュメンタリー映画(Empire of the Air)や、Lawrence Lessingによる「決定版」の評伝(Edwin Howard Armstrong)で語られてきた物語は次のようなものであった。1933年、米国特許局はアームストロングに「広帯域wideband」FMラジオのシステムの特許を発行した。それよりも数年前、他の誰もがFMの実用性に気が付くことがなかった。だが、FMラジオはAMラジオに比べて安定した明瞭な音の再生を実現したことで、世界を驚かせた。RCAはFMラジオを試すとそれがAMラジオの「帝国」を脅かすという結論を得たため、FMの発展を拒否しただけではなく、それを抑圧しようとした。しかし、アームストロングは自ら連邦通信委員会(FCC)を発足させ、1940年に最初の商業的なFM放送を開始した。その後、RCAがFMを無力化する戦略により、RCAはアームストロングに特許使用料を払わなかった。彼は1948年にRCAを訴えるものの、係争は長引いた。その結果、6年後の1954年に、失望し疲れ果てたアームストロングは自ら命をたった。

 この物語は人の心を魅了する力を備えているが、より重要な問いを発している。これまで歴史家は、1933年以前に行われた失敗に終わったFM研究についてほとんど取り扱ってこなかった。そして、1930年代にRCAの経営者がFM放送を恐れていたにもかかわらず、同じく革命的な技術であったテレビ放送には多額の投資をしたという明らかに矛盾した態度について説明してこなかった。さらに、我々は彼がFMを発明したことを説明するために、単に彼が「天才」であったという安易な理由に翻弄されているため、どういったステップを経て彼がそれを発明したのかを理解することができないでいる。従来の「聖典的な」物語を読むことは、歴史を探索するというよりは、むしろ、個人対集団、独立した発明家対悪意ある企業、善対悪といった闘争を描いた技術神話を読むことであった。

 しかし、1990年にアームストロングを代表する法律事務所からコロンビア大学へと多くの資料が提供されたことで、従来の聖典的な物語に挑戦することができるようになった。、RCAを訴えたときアームストロングはFMラジオに関するRCAの文書を手にしていため、新たに寄贈された資料からは1940年以前のRCA組織内における研究を知ることができる。これらの文書は、1933年以前にRCAその他の会社が決してFMラジオを諦めてはいなかったことや、1930年にRCAはFMを恐れていたわけではなくFMに対する無知に基づく無関心を大きくしていたなどといった、従来の歴史と矛盾する事実を明らかにする。

 本書は、FMはある一人のマインドによって生み出されたわけではなく、むしろ数十年にわたる複数の人間を巻き込んだ漸進的で進化的な過程の中で生み出されたことを主張する。社会的な技術システム(social- technological system)というのは、自然法則を単純に適応した結果生じるというものではない。技術−それが潜在的に革命的なものであっても−の展開は、しばしばそれが勢いを得る前に長い懐胎の時間があるため、文化的、政治的、商業的利害の数だけ、新技術を形成する自然法則がフレーム化される方法がありうる。拮抗するものの中から「最善な方法」となるような基準を決定することは不可能である。

 20世紀において、FM変調とAM変調という二種類の変調がラジオ放送を支配した。両者はともに搬送波(均一な振幅と周波数を持った波)で始まった。今日の米国では、FCCが各局に正確な搬送波周波数を割り当てている。例えば、AM放送局であれば、搬送波のfは700キロサイクルであったり、FM放送局であれば、やや高い88.2~107.8メガサイクルであったりする。また両者は情報の送り方が異なっている。AMの場合、送信する信号の振幅は搬送波の振幅をあげたり下げたりするのに対して、FMの場合、送信する信号の振幅は搬送波の瞬間的な周波数を増減させる。最後に、FMはAMよりもより広いチャンネル幅を持っている。チャンネルとは、変調された信号が情報を伝達するために必要とする電磁波スペクトルの幅である。

 アームストロングの評伝の著者であるLessingは、FMの発明を、冷戦の寓話として描き出した。すなわち、それは個人主義的で反企業的な「偉人」伝であり、英雄的な発明家の物語である。Lessingによれば、アームストロングは、アメリカの美徳と前進の礎石としての個人主義を心に抱いた初期の歴史を表象していた。彼の敵は、Daivid Sarnoff率いるRCAだった。Lessingのモラルの中で、RACはアームストロングほど大きな位置しめなかった。彼にとって企業とは調達人に過ぎず、技術的な創造者ではなかったからである。また、Lessingは1933年以前の行われたFM研究についてほとんど何も明らかにしていないので、「大きな研究チーム」や「巨大な実験室」は、FMラジオの展開とは関係がなかったとする見方を強化しているように見える。Lessingは、RCAやサーノフがFM研究を阻害するようになった1933年以降にしか目を向けていないのである。

  アームストロングの死後2年後に出版されたLessingの評伝の質や射程に問題があるというよりも、1956年以降の研究の不在の方が問題である。Lessingは説得力のある文脈主義的テーマを取り入れた議論を展開しているが、参照している資料が断片的で、偏りがある。こうした欠点があるにもかかわらず、その本が後続の歴史に与えた影響は無視できない。彼の評伝のある部分に対して意義を唱えた研究が一つだけあるものの、Lessingの解釈はThomas HugesやSusan Daoglasらの著作にまで広く浸透している。

 本書は過去三十年の間に蓄積された研究から拝借したアプローチを採用している。技術史家らは、技術の物的側面をどれほど強調するかによって、分類されてきた。一つは、問題となっている技術を最大の関心事にする「インターナリスト」と呼ばれる学者集団である。 「インターナリスト」は技術の細部に異常なほどの注意を払う。それに対して反対の立場にあるのは「エクスターナリスト」である。彼らは、技術を取り巻く文化的なコンテクストに関心があり、技術的な設計にはほとんど注意を払わない人である。筆者は、そのどちらのアプローチにも価値を認めるため、本研究はその中間である「コンテクチュアリスト contexualist」というアプローチをとる。(Staudenmaierによれば)「コンテクチュアリスト」とは、「歴史的な環境と技術の設計の特徴とを統合しようとする」アプローチである。

 また本書は、適度な社会構成主義(moderate social constructivist)もしくは社会形成的視点(socially shaped perspective)を取る。社会構成主義者は、単純な技術決定論に基づく歴史解釈を放棄するため、技術は歴史を説明するだけではなく、技術は歴史的な力によって説明されるとも考える。言い換えれば、「技術が歴史を駆動する」といった一次元的な見方を放棄し、ある技術の展開を導く選択をするアクターに影響を与える社会的要素を探し求める。本書は、文化的、組織的、経済的、そしてその他偶然の「社会」的要素が、各段階においてFMラジオの設計に強く影響していたことを主張する。すなわち、本研究は、Hughesの言葉を借りれば、「シームレスウェブ seamless web」アプローチを採用する。それはハードウェアとしての技術が歴史の原因でもありまた結果でもあるとする見方である。

 ただしこのことは、FMラジオが完全に社会構成され、自然世界に対して何ら「発言権を持っていない」と言うことを意味しない。ここで意味するのは、例えばウェリアム・ハーシェル天王星を「発見した」のと同じ意味で、誰かがFM放送を「発見した」とは言わないということである。(「構成」という言葉から読者は、あらゆる技術の解釈に自然世界が何ら役割を演じないという意味を推測してしまうため、本研究は技術の「構成」の歴史というよりは、技術の「形成」の歴史であると言いたい。) 新しい技術システムを製作することは、科学的な発見というよりは、芸術家の集団的な創造に似ている。それぞれのメンバーは、地下に埋まっている像を明るみにするために、大理石(marble)を彫っている。彼らは、人間の想像力という偶然的で柔軟的な制約と、大理石の自然の性質という厳格な制約との間で作業を進めることになる。発明家は自然の法則に従うが、それを彼らが完全に理解しているとは限らず、自然法則が新技術の展開過程を制約するということは滅多にない。FMラジオの発明・発展過程は、物質的な世界の自然限界と、計画された研究と、偶発事態によって制約された軌跡に従う。

 本書はラジオの技術の細部をも掘り下げる。しかし、本書は読者が1世紀前のアマチュア無線少年らと同じレヴェルの専門知を持っていることは想定しておらず、20世紀初頭の特許、技術文書、個人の書簡などに記されるテクストを(わかりやすく)翻訳するつもりである。

 なお、従来1933年にアームストロングが発明し、1940年に設立された現代的なFMのことを、「アームストロングFM」ないし「広帯域FM」という言い方がされていた。そしてこの言葉は失敗した旧式のFMは狭い帯域のシステムであり、AMの標準的な10.000cps以下の帯域しか持っていなかったという見方を強化する。本書でも「広帯域FM」という用語を用いるが、10.000cps以下の狭いチャンネルを目指していたFM研究は全体のうちのごくわずかな割合しかなかったということを強調する。また、「アームストロングFM」という言葉は、それが不動の安定した技術であるかのような印象を与えるが、実際には1933年にアームストロングが発明した時点でのFMと、1940年にFCCを設立したときのFMとは大きく異なっている。本書では、(1)low-tube hiss FM、(2)low-static FM、(3)high-fidelity FMというように1930年代の展開を三段階に分けて記述する。また、周波数の単位はヘルツではなく、1960年以前に用いられていた単位であるサイクル(cps,kps,mc)を用いることとする。