yokoken001’s diary

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Gary L. Frost(2010), Conclusion

Conclusion (pp.135-142)

  終章では、社会構成主義/技術決定論の是非、イノベーションにおける自然法則の意味、アクターネットワーク理論に関する議論、FMラジオの将来など、(序章で設定された)技術史における主要なトピックと関連付ながら、やや俯瞰的な立場から検討が加えられる。

 本書の基本的なスタンスは、技術決定論と社会構成主義はどちらも正しい面があるとしつつも、技術は社会・経済・文化的コンテクストの中で捉えられるべきであり、従って、技術が社会に影響を及ぼすだけではなく、その逆にも注目すべきだというものである。Thomas Misaの論文を引いて、ミクロとマクロな視点による両者の違いに関する議論が参照されていたが、これは佐藤靖『科学技術の現代史』の最後の方で触れられていたトピック(ミクロには技術決定論は成立しないように見えるが、マクロには成立するといった議論)のソースかもしれない。

 本書についてのコメントを一言だけ。本研究は、約50年前に書かれたレッシングによるアームストロングの評伝における説を、アームストロングペーパーをはじめとする新しい公開資料に依拠しながら丹念に検証した上で新たな歴史を提示しており、無線技術史上の重要な仕事を成し遂げている。

 だが、本書で見落とされている点は、周波数の割り当ての背後に、真空管(あるいはマグネトロン)の改良によって利用できる周波数が拡張させていったというプロセスではないだろうか。ダニエル・ヘッドリクが『インヴィジブル・ウェポン』において指摘しているように、1920年代に起きた短波の普及は、「革命」と呼べるほどの大きな出来事だった。しかし本書では、短波が利用できるようになったことや、その後超短波の利用も始まるという事実に力点をおかず、あたかもそれらは元々利用できる状態にあったというような書き方をしているような印象を受けた。RCACの放送事業における目標を理解するためには、変調方式も重要だが、そもそも当時短波や超短波がどのような応用可能性を持つ技術として捉えられていたかといった説明が必要だったように思われる。

 

以下は要約。

 

 本書は、FMの技術史を、(1)FMラジオは社会的に構成されたものなのか(社会構成主義)、(2)それは自然法則によって決定されるのか(Was it determined by natural low?) という二つの問いの間に位置付けた。これらはともに正しいものの、技術の社会的な起源は、自然(nature)以上に大きな影響を行使するといえる。私たちが耳にするFMは唯一の可能性でもなければ、最も蓋然性の高い選択の結果でもなかった。FCCが決定した周波数の割り当てにおいて、技術的な理由は存在していない。私たちが今日耳にするFMが1939年にアームストロングやその他の先駆者らによって標準化されたものと一致しているのは、FCCが1940年に彼らの判断を承認したからという理由だけに基づいている。

 社会的要因といえば、アマチュアラジオ家らの存在が重要だった。第一次世界大戦以前に少年たちを教育したのはアマチュアラジオコミュニティーの存在があり、彼らがちょうど大人になった1930-40年代に、彼らはFM技術の形成に大きな役割を演じた。またラジオクラブは、公的な実践家・技術者らにとってスキルを磨く場を作っていた。さらに、ラジオクラブは、秘匿性を重視する企業とは異なり、情報を無償で交換することにも励んでいた。ラジオクラブのおかげで無線工学は社会共同的な職業(communal profession)になっていた。

 また、AMラジオにおける混信という問題がスペクトルパラダイムへの移行を促し、いかにして無線を制御すべきかについて議論するきっかけになった。そして混信の問題とスペクトルパラダイムは、なぜ技術者が1920年代初頭にFM技術を見直そうとしたのかを説明する。当初、狭帯域FMが混信を避けることができる技術だと考えられたが、それは決してうまくいかないということがわかった。そしてそのことは、WHやRCACの技術者らがFMの背後にあるより数学的な理論を発展させるよう鼓舞した。

 FM技術の展開にとって、商業的な文脈も重要だった。1920年代の前半は、各会社は独立してFMを調査していたが、1928年にサーノフが統合を図ったことで、各社の情報がRCACへ、さらにはアームストロングへと集められるようになった。それは、RCACにとっては、膨大な作業を免じることを意味していた。

 もしもアームストロング偉大な技術者だとすれば、それは天才(genius)だったからではない。平衡増幅回路についての誤った理解や、FMは空電の影響に関係ないという思い込みは、彼がハードウェアの設計においては、むしろ周辺的な存在であったことを表している。彼の技術的達成の独自性は、社会・経済・文化的なコンテクストの中に存在していた。これは彼の業績を過小評価するということではなく、彼の広帯域FMの発明は、直接・間接に様々な支援(特にRCAの支援)を受けていたということである。

 本研究はまた、過去50年間にわたって信じられていた説、つまり、アームストロングが広帯域FMに関するRCAの後援を獲得し損なったことの説明を覆すものである。RCAが広帯域FMの権利を獲得する機会を逃したのには様々な理由があるが、同社がAM技術への投資を保護するためだったというのは間違いである。なぜなら同社にとってAMへの投資はわずかな割合しか存在しなかったからだ。RCAはむしろ、最初はまだ理論的に難解だったFMを理解していなかった。そして同社が行った試験も、FMの利点を確かめるようにデザインされていなかった。その代わり、RCAが確かめようとしていたのは(アームストロングの特許に記されていたように)、短波通信の通信距離(service range)を拡張できるかどうかという点だった。

 アームストロングとRCA及び他の先駆者との関係は、「アクターネットワーク理論」の観点から理解することができる。1920年代から30年代までは、彼はRCA組織の”pre-existing network”に参与していた。そして彼がRCAの支援を得られなくなったとき(1937年-)彼は、広帯域FMを改良し販売する手助けを得る先駆者らを取り込む(enrolling)ことで、新しいネットワークを創造した。そうして彼は、「献身的なネットワークの構築者”dedicated network builder”」となった。さらに、シェパードもまだネットワークの構築者だった。彼の戦略のおかげで、FMはFCCから承認を与えられることになった。

 ここ20年ほど、技術はその内的論理に従って進化し、外的な要素を過小評価する技術決定論は衰微してきたが、技術と社会的な文脈を無視する書き手のために、それはいまだ死んではいない。Thomas Misaによれば、技術決定論に陥る書き手は、次の様な視点を採用しがちであるという。つまり、マクロな視点を採用する歴史家は、歴史的な変化における技術の因果的な役割を認める。だが、本書は、機械論的な因果律は存在しないし、不可能であるというミクロな視点を採用した。そして我々は、技術が社会に影響を与えるということだけではなく、社会が技術に影響を与えるということを心に留めなければならない。

 最後に本書は、イノベーションにおける自然(nature)の役割という、STSにおいて長らく議論されてきた問題にも貢献する。FM技術の歴史を扱った本書は、自然は技術ができることとできないこととの限界を課す(nature imposes limitation on what technology can and cannot do)ということの膨大な証拠を与えた。Walter Vincentiは、1877年-1882年におけるエジソンの電気システムにおいて、オームの法則とジュールの法則が、現実世界”real world”における制限を課していたことを主張した。彼は、これらの法則は人工物であり、修正されうるものであることを認めつつも、これらの法則より明らかに優れたものがない場合、電力技術者はこれらの式を現実の世界と同等のものとして捉える他なかったことを述べた。もちろん、「式」は「現実世界」そのものではない。しかし、そうすべきだという社会的・経済的・技術的インセンティブが存在していても、自然法則に反する記録を残さなかったという事実は、我々は自然法則に制約されることがあるという説得力のある証拠を構成している。(1)狭帯域FMの支持者は電波の過密を和らげることができると願っていたこと、(2)アームストロングは、平衡増幅回路は空電の雑音を軽減しうると信じていたこと、(3)彼は、FMは空電の雑音を抑制することはできず、広帯域FMはむしろ雑音を増やすということは確かであると思っていたがゆえに、1933年の特許においてそのような確信を書いていた、という3つの事実は、発明者らは自分自身が感じていた未知の法則に制約されていたということを示している。

 広帯域FMは初めての高い忠実度を備えたメディアであり、FCCは伝統的にその質を向上されることを促進してきた。だが戦後はアメリカよりもヨーロッパやソ連での普及率が高かった。欧州では政府が放送を管理していたので、聴取者は多くの番組を聴くことができなかったという事情が背景にある。1950年代にドイツで最も人気があったのは、American Armed Forces Radio Serviceが放送していたジャズやポップス、ロックだった。それに対して米国におけるFMは、教育番組やクラシック音楽などの高尚な文化を連想させるラジオになっていった。(ウッディアレンの『アニー・ホール』では、主人公が彼女の前で現代美術に関する衒学的なコメントを披露した後、「なんてこった、僕はまるでFMラジオのようだ(Christ, I sound like FM radio!」と自分に向かって言うシーンがある。)

 FMの将来を予測することはできるだろうか?アームストロングが述べたように、「将来を見る最善の方法は過去を見ることだ」というのは事実である。だが、FMラジオの歴史は、技術の未来を予測するのはまやかし(tricky)であることを示している。1940年10月に米国ラジオクラブの技師長であったJohn Poppeleは「薔薇色の現在から見て、FMラジオが輝かしい経歴を辿ることは必然である。進化の過程によって、10年前の既存のラジオシステムを凌駕するのは当然である」と述べたが、その後に起きた出来事は、彼の発言が間違いだったことを表している。21世紀の現在、デジタル変調は(アナログ)FMとAMを旧式の技術に追いやり、FCCが取り組んでいる低出力FMは、何千もの短距離・小電力の送信局を生み出し、地域放送を復活させるだろう。だが実際は、FM技術の将来を予測することができないということが、本書で示した原理である。つまり、技術を不断に形成する歴史的出来事が必然的でないのと同様に、技術もまた必然的ではないのだ( a technology is no more inevitable than the historical events that continually shape it.)。 

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