yokoken001’s diary

読書メモ・レジュメ・レポートなど

Baker(1970), Chapter 12.

Chapter 12 The Directional Antenna (pp.110–113)

 

第12章では、1904年から5年にかけて、アンテナ構造を変えることで志向性が得られるということを発見し、それに基づく”Bent Aerial”の特許を取得するまでのいきさつが説明される。志向性電波は長波ではなく短波で行うものというイメージがあったので、この話は初耳であった。重要なのは、WW1に無線による方向探知(航空機用なのか船舶用なのかは後の章を読まないとわからない)が重要になったが、Clifdenでの演示(1905年7月)はその最初の前兆を示していたという指摘である。

 

  • 1905年初頭、取締役のHallは、ロンドンに工場をおいた方が望ましいと判断し、工場設備をチェルムスフォードの4階建のビルに移転した。そこでは無線器具だけではなく、自動車用のイグニション・コイルなども生産された。
  • 1905年1月に新電信法が制定されるまでには、船舶において、乗客にとっても無線が非常に重要になるということは理解されるようになっていた。
  • 会社側では、このときフレミングの二極真空管および、大西洋横断通信のサービス化という問題に尽力されていた。1904年にはGlace湾の設備を5マイル離れた別の場所に移転し、同時に新設計のアンテナが設置された。これは、200本のワイヤーを傘のように広げた形状をしたものである。1905年5月より実験が行われたが、昼には1800マイルの通信を達成し、50%増だった。
  • だが、ポルデューでの試験中、一層重要な発見があった。地上に敷設されたアンテナ線は、その自由端(free end)が地上に向けられると、より強く受信することができるということ、すなわちアンテナが志向性をもつことを発見したのである。これは”Bent Aerial”と呼ばれ、1905年7月18日に特許を取得した。これは傘型のアンテナよりも建設が容易というメリットもあった。
  • マルコーニは志向性アンテナ発見により、欧州においてより強力な送信局が必要であるという主張を取締役会に説得することができるようになった。その結果、アイルランドに新たに送信局を建設することに決まった。1905年12月にClifdenにおいて、海軍のもとで演示実験が行われた。これは、10年後のWW1において、さらに改良した上で重要な役割を演じることになる無線方向探知(directional finding)の前兆であった。