yokoken001’s diary

読書メモ・レジュメ・レポートなど

Baker(1970), Chapter 11.

Chapter 11 The invention of the Diode Valve (pp.106–109)

 

 第11章は、1904年にフレミングが「オシレーション・バルヴ」を発明する過程が簡潔に述べられる。本書で描かれるストーリーは、既にHongのWirelessなどによって更新されているので、そちらを参照しなければならない。考えてみれば、フレミングが1904年に約20年前の「エジソン効果」のことを突然思い出し、直流用のプレート入り電球を高周波の検波器に応用したという本書のシナリオには不自然な感じが否めない。Hongは、当時フレミングは「マスカリン事件」などでマルコーニの信頼を失っており、信用を取り戻す必要に駆られていたといった背景事情なども考慮して、二極真空管の発明に至るまでの筋立てを、より説得力のある方法で示していたはずである。

 

  • レミングは、1899年にマルコーニ社に技術コンサルタントとして入社していた。彼は大西洋横断通信の実験の際にポルデュー局の建設で素晴らしい仕事をしていた。彼は優れた学者であると同時に、実践的なエンジニアとしての能力にも長けていた。
  • 1904年に、彼は関心を新しい種類の検波器に向けていた。第一の理由は個人的なものである。というのも、彼の難聴が悪化しており、イヤフォンに聞こえるはずのモールスコードのクリック音を判別するのが困難になってきており、視覚的に判別できるような検波器があれば便利だったからである。第二の理由は、当時の磁気検波器が抱えていた問題にあった。すなわち磁気検波器はコヒーラーよりも感度は高かったが、静電放電(static discharges)の影響を受けやすく、一時的に操作に狂いが生じるという問題があった。
  • 当初フレミングは、化学的な整流機を考えていたが、うまくいかなかった。そこで1904年10月に、20年前の出来事を思い出した。それは1882年に彼がエジソン電灯会社の電気アドバイザーを務めていた頃のことである。
  • メンローパークの研究所でエジソンらは、時間が経つと電球のガラスが変色し(黒化し)、そのことが電球の寿命を短くするという問題に悩まされていた。エジソンもフレミングも、この黒ずみは炭素フィラメントから放出される炭素の蓄積であると考えた。そこでこれを克服すべく、電球の内側の最も変色が起こる部分にスズ泊を挿入し、それを帯電させることでフィラメントからの炭素粒子を押し返させるといった試みが行われた。
  • エジソンが驚いたのは、このプレート入り電球を直流検流計に接続したときであった。検流計の極を逆にすると、全く電流が流れなくなるという現象が生じたからである(これはのちに「エジソン効果」と呼ばれるようになる)。が、彼の関心は電球の寿命にあったので、この問題を探究することはなかった。
  • レミングは1882年の実験を再現し、実験室の戸棚からその特別な電球を取り出し、受信回路に接続した。火花式送信機のスイッチを入れると、高周波振動がインダクションコイルの2次側に到達し、この特殊な電球によって整流が行われた。この電球と検流計の組み合わせによって、彼は視覚的に判別可能な検波器を見出した。
  • 1882年からフィラメント製造の技術は向上しており、フレミングの次の仕事はフィラメントが金属筒によって囲まれた現代的なランプを設計することであった。1904年11月16日、熱電子管(thermionic valve)が誕生した。彼はこの真空管を「オシレーション・ヴァルヴ」と命名した。バルブとは「弁」すなわち整流作用を示し、「オシレーション」はこの真空管の活動の側面を示すもの(indicative of its sphere of activity)であるが、文字通り「発振」を行うものではない。
  • レミングのオシレーション・バルヴはそれ自体マルコーニ社に利益をもたらすものではなかった。むしろ、後にデフォレストによる訴訟によってマルコーニをひどい目に遭わせることになる。また、感度も磁気検波器(Maggie)の方が良く、それにとって代わるものではなかった。しかし静電放電の影響はそれほど受けなかったので、磁気検波器の緊急時の代替物(standby)としてしばしば用いられた。
  • レミングは1945年4月18日に95歳で亡くなるまでマルコーニ社のコンサルタントであり続けた。「文明化」という観点からすると、彼のキャリアのハイライトは、この熱電子管の発明であったと考える人は多いだろう。しかし彼の工学的才能にとっては、ポルデュー局の建設も確かに高く位置付けられる。
  • レミングは人生の中に、(1)優れた理論家、(2)有能な実践的機器製作者、(3)第一級の講師、(4)教科書執筆者という4つの期待される人間を押し込んでいた。彼はこれらの活動の全てに時間を割き、それぞれには彼の完全で冴え渡った推論(reasoning)の証拠(hallmark)が示されている。