yokoken001’s diary

読書メモ・レジュメ・レポートなど

夏目漱石『それから』

 小説に浮気してしまったが、今このタイミングで、『それから』を読めてよかったとも思った。

 主人公の代助と僕自身の境遇はかなり似ている。30歳に近づき、同僚はほぼ全員フルタイムのサラリーマンとして毎日忙しなく働いているのに、中には結婚をして子どももいる人もいるのに、自分はいつまで経っても研究だとか何だかよくわからないことをしている。(実際、「よくわからない」というわけでもないのだが、なかなか相手には伝えづらいし、伝わらない。)

 ただ、代助は僕と違って相当頭がよく、かつ自分の仕事に対する認識は何倍も上手だった。もちろん、恋愛に関して言えば、代助は単純に馬鹿だ。彼がやってしまったことは、阿保のやることだった。しかしそれを除けば、彼の考えに学ぶことは多くあった。

 時代は(多分)1909年。日露戦争に勝ち、日本がようやく先進国の仲間入りを果たしたという意識が広まりつつあったときだといっていいかもしれない。「日論戦争後の商業膨張の反動を受け(p.298)」るような時期である。

 代助と彼の学生時代の同僚の平岡は、ある意味真逆の人生を送っている。代助は研究をし、平岡は実業界で働いている。平岡に「世の中へでなくちゃなるまい」と言われた代助は、「世の中へは昔から出ているさ。殊に君と分かれてから、大変世の中が広くなった様な気がする。ただ君の出ている世の中とは種類が違うだけだ(p.25)」と言い放つ。こんなセリフを僕も同級生に言ってみたい。

 代助の同時代の「日本」への批評性は一流である。「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本ほど借金を拵えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。(…) 日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。(…) こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。(pp.102-103)」

 西洋から借金ばかりを背負って、表層的に一等国を装っても、肝心な中身が伴っていなければ、(やや強引に言い換えれば、模倣ではなく独自の創造がなければ、)いつまでたっても碌な仕事はできない。代助曰く、「神聖な労力は、みんな麵麭を離れている(p.106)」、「食うための職業は、誠実にゃ出来悪い(同上)」。

 この言葉の持つ意味は底知れない。「金のため」の仕事とそうではない仕事との距離は、無限にある気がする。

 もちろん、代助も父からの仕送りで生活しており、お金があるわけではない。「それ程偉い貴方でも、御金がないと、私みた様なものに頭を下げなけりゃならなくなる(P.120)」。これは嫂である梅子と代助の対話である。

 

 金は大事だ。食べていかなくてはならない。定職に就いていないと世間体も悪いし、不条理な世界でせっせと働くサラリーマンは偉い(と僕は感じる)。しかし、金のためではない場所でこそ真の仕事ができるというもの真理な気がする。幸いにして、来年までは、僕自身、「麵麭を離れている」仕事ができる状況にある。そのことの意味や可能性を、よく考えさせられた。