yokoken001’s diary

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辻哲夫『日本の科学思想』第一章

辻哲夫『日本の科学思想』(こぶし文庫、2013年)

 

読書会の予習です。

非常にthought-provoking。議論が丁寧で面白い。

序章で説かれているのは、ある種の多元主義(pluralism )と言って良いのではないだろうか。科学が「普遍である」とよく言うが、時間的にも(例えば17Cの科学と19Cの科学)空間的にも(例えば18Cのフランス科学とイギリス科学)、共通点を探す方が難しいとも言えるのかもしれない。そうだとすれば、明治維新以降日本に導入された科学(それは専ら概念体系の翻訳によって移植された)も、日本の言葉・思考法にそって再構成されたものであるはずである。ハイゼンベルクが看破していたように、変革期の科学(量子論)の分野で優れた適応力を示したのも、そうした何らかの日本「文化」に根ざしているか、あるいは少なくとも、西欧の唯物論的な頑強な思考パターンとは違う何かが効いていたと考えることもできるかもしれない。

 

序章

  1. 科学・技術 – 言葉と概念
  • 言葉の有無だけを問題にすれば(つまり、言葉がなければそれによって表現される観念も、あからさまな形では存在しないので)、明治維新の頃まで遡れば、科学・技術といった言葉は存在しない。

→表向き無から有への変動をみせているなりゆきで、何が起きていたか?

(1)科学・技術というはっきりとした言葉が存在しない場合にも、それらをとりめぐる類似概念がまったく欠如しているわけではない。

→潜在する未成熟で意味のはっきりしない観念が、どのように明確な言葉へと成長・分化していくか?

(2)科学・技術という言葉があっても、その意味内容が一義的でない場合がある。

→誰が、どのような状況で、どんな目的を持ってその言葉を使っているのか?

  • 言葉とそれを表す観念の交錯関係の複雑さ

日本人なりの理解の方法、外国語で表現された科学・技術との照応の仕方。

 

  1. 概念の翻訳
  • 科学・技術は翻訳文化として日本に成立した。→概念の翻訳

=それらを支えている理論の枠組みまでを考える。日本語だけで体系的な理論を説明できるようにする。

→この概念の翻訳過程で、どのような困難を克服しなければならなかったか。

Ex: 科学の強い方法、理論構造、概念構成、推論の手続きなどを、日本語でいかにして文意を構成するか?

  • 未知の科学的な抽象概念を日本語で表していくには、日本の学術用語の転用、転釈が必要になる。→科学の翻訳=日本語の思考法に従った学問的知識の再構成

→日本語によって科学を理解可能なものに再構成しうるのであれば、日本の伝統文化が潜在的にその可能性を秘めていた。

  • 移植される前の西洋科学と、移植後の科学は同じものか?=異質性

科学が伝達することによって、その内容が変質することはないか?科学も変容しうるのではないか?

  1. 日本の科学とその文化的異質性 – バナールの場合
  • バナールによる日本の科学についての観察:「凝りすぎており、衒学的で、想像力にとぼしい」=文化的特質

→普遍性の典型とみなされている科学でさえ、伝統文化から影響をうけて変容せずにはすまない。

  1. ハイゼンベルクの場合

「素朴な唯物論的思考法を通ってこなかった人たちの方が、量子論的なリアリティの概念に適応することがかえって容易であるかもしれない」『現代物理学の思想』

→極東における哲学思想と量子論の哲学的実態との間に関係があるのではないか?

=伝統的な科学の素地を持たない日本の方が、むしろ容易に現代物理学を理解し得た。

  • 科学は異質の文化圏に伝播可能であるのみならず、伝播することでその発展が促進されることもある。特に理論の変革期には、異質の伝統文化の方が早く適応することもありうる。(1)古い理論に固執するか、(2)新理論を受け入れるか

のどちらの論拠を取るかによって、何を科学の普遍性とみなすかも変わってくる。

→変革されたものを理解しうるような思考法がとれるかどうか?

ハイゼンベルクは、西欧科学の背後にある頑固な伝統文化と、変革期に適応性を示した日本の科学を支える伝統文化との、その異質性を思いやった。

 

  1. 科学・技術と西欧文化
  • 科学・技術が伝播可能であるとはどういうことか?

→科学は伝播可能な形をとってはじめて、異質文化圏にも伝えうるようになった。

=西洋の伝統文化(キリスト教ギリシャ的思弁など)に根差す思弁的性格を拭い去り、合理的な実用知としての形式的整備を経た、18C以降の科学。

  • 17,18Cに自然哲学と言われたものと、19Cにサイエンスと呼ばれたものでは、一言で近代科学といっても大きな違いがある。あるいは同時代の科学でも、国によってあり方が違う。

→こうした多様性=ある制約された形態をとりながら、どのように普遍化をめざしてすすんでいるのかを克明に確認する必要がある。それぞれの伝統文化に照応しながら、いかなる普遍化の道をたどっているか?

  • 日本の言葉で表現し、日本の思考法にそって再構成される科学・技術は、いったい何をめざし、どのような理想を掲げて進んできたか?
  • 陰陽の理を捨て、わずか百年たらずの間に西欧の2000年あまりの歴史的蓄積を導入しなければならなかった特異な事情。