yokoken001’s diary

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David Edgerton (2007) “The shock of the old” , Chapter 4 Maintenance

David Edgerton (2007) “The shock of the old- Technology and Global History Since 1900” Oxford University Press

Chapter 4  Maintenance

 

 メンテナンス(maintenance)は、人とモノとの関係において非常に重要な活動であるにも関わらず、技術史でもあまり正面から論じられることの少ないテーマである。

 技術が大規模化し、大きなシステムを形成するようになると、ある局所的な欠陥がシステム全体の崩落を導くリスクが高まる。そのため、メンテナンス管理を徹底することが大事になる。メンテナンスは、修理、場合によっては改造を意味する場合もある。メンテナンスを非創造的な、退屈な仕事だとみなすことは間違っている。

 

 

4-0

←変化のない秩序の世界で、維持されなければならない世界。

→社会的・技術的なメンテナンスへの多くの言及がある。(ex: 中央官庁の修理工、整形外科医、無法者の修理工)

  • 20世紀に継続していた技術に関する考えは、人間は人工物に引き継がれてしまうという示唆だった。現代の生活を可能にしている人工物の複雑な世界が崩壊してしまうという悪夢は、システムを持続させるための規律や秩序、安定性の必要性に深い関心を抱かせた。

(Ex: ある技術の哲学者の1970年代の言葉:「人工的合理的システムを作って、そのまま放っておくことができる例はほとんどない。人工的な複雑性の引き換えに、絶え間ない警戒心が求められる。」「技術が発達した時代には、だれが管理するのかではなく、何が管理するのかと問うべきである。政府は、機能の継続、大規模システムの洗練、要件(requirements)の合理的な実施にとって何が必要で効果的かを判断する事業になった。」)

→巨大な全能国家(all-powerful state)を必要としていた。これらの水力都市は、必ずしも民主的ではなかった。

→Lewis Mumfordは、1960年代初頭に、古代の「ピラミッド時代」を「民主的技術」に対置される「権威主義的技術」という言葉で特徴づけた。

⇔彼は、第二次大戦後、特にアメリカにおいてある種の「西欧的専制主義(occidental despotism)」というべき新しい権威主義的な技術が出現していると見た。

  • 20世紀の多くの分析では、この新しい権威主義の責任は技術の性質それ自体にあるとされた。20世紀の技術はますます大規模化し、相互に接続しあい、中央管理され、人間の生命の維持にとって重要になってきたといわれた。(ex 電力供給システム)

ある欠陥は、システム全体の崩壊につながるため、大きな危険性を導いた。その結果、技術への警戒心やメンテナンスのより大きな要件が求められるだけではなく、社会自体が崩壊をさけるべくますます訓練される(disciplined)ようになった。

  • メンテナンスの歴史は、現代の技術に関する規律や秩序についての疑問に、重要な洞察を与えてくれる。また、標準的な経済学のカテゴリーや、労働と生産、特に技術の歴史の重要な側面について再考を促してくれる。

メンテナンスや改修は、ものとの関係で中心的でありながら、私たちが考えたくない事柄でもある。それは平凡で、いらだたしく、不確実性にみちていて、物事をとりまく主要な迷惑の一つである。

(「メンテナンス工学」の地位はあまりにも低かったので、それを「terotechnology」という言葉に変えようとする試みが行われた。その語は1960年代に英国の政府委員会によって造語され、ギリシャ語の”tero”(見る、観察する、守るといった意味)に由来していた。)

  • 技術について考え、書く際に、メンテナンスを軽視するということは、我々の歴史が大事にしてきた正式な(formal)理解との間にある大きな溝を表す一例である。

 

4-1 How important are maintenance and repair?

  • メンテナンスの問題は、それが損なわれたときに目に見えるようになる。

Ex: 1960年代広範に、アメリカは発展途上国における好ましくないメンテナンスについて関心を持ち、メンテナンスの欠如はトラクターや産業機械といった高価な資産の寿命を縮め、資本不足の国において悪いことであると気づいた。(途上国では)必然的に、重要でありながら目に見えず、反復的で退屈なメンテナンスの仕事は無視されてきた。

→1960年代のインドに導入された手動式水ポンプ(hand water pump)は、メンテナンスの準備がなく、まもなく修復不可能に陥ってしまった。

  • メンテナンスは、社会が作成する公式(経済的・生産統計など)の説明の中でもほとんど見られない。標準的な経済学のイメージでは、投資や資本財の利用はあっても、一部の例外を除いて、メンテナンスや修理はない。それには、国の報告書ではメンテナンスと修理を区別することが難しいという技術的な理由がある。(家庭で行われる場合、別々のコストとして表れてこない。)

⇔カナダでは、メンテナンスに関する統計を取っている。それによれば1961年から63年にかけて、GDPの6%を占めていた。これは発明やイノベーションへの支出よりは大きいが、豊かな国ではGDPの10-30%を占める投資額よりは小さい。

しかしカナダの場合、設備へのメンテナンスが投資額の半分を占める。

メンテナンス費が巨額であることを示す例:

・スイスでは、1920年代から1950年代にかけて、道路の改良と維持にかけた費用は、新しい道路を建設した費用よりも高かった。

・1950年代のオーストラリアの非農村地帯の事業の投資額の60%はメンテナンスと改修にあった。

・1980年代後半のアメリカでは、建物のリノベーションやリハビリテーションにかけた費用は新築にかけた費用の1.5倍であり、GDPの5%を占めていた。 

メンテナンスにかかる費用と時間を節約することは、直接の費用だけではなく、資本や投資のコストにも劇的に影響を与える。

 

4-2 Maintenance

  • 物の発明は数か所に集中していたが、物の生産はそれよりも広く分布し、物の利用は生産よりもさらに広く分布する。そして、メンテナンスも、物の利用と同じくらい広がっている。

→メンテナンスや改修=最も広くに流布した技術的な専門知。それらは異なった形態をしており、巨大な技術システムの周辺にありながらもそれと相互依存していた。

(Ex: 自動車の生産は数か所に集中しているが、メンテナンスや改修は世界中にあり無数の作業場(workshop)で行われる。)

さらに、メンテナンスや改修は、正式な経済(formal rconomy)の外で行われる。

(Ex:衣服を修繕するための家庭で行われる裁縫は、かつて女性の普遍的なスキルに近かった。)

  • メンテナンスや修理に歴史における主要な潮流を概観する立場にはないが、ある領域(飛行機、電車、船など)では、メンテナンスは減少している。また、豊かな国の家庭用品に限れば、修理はもはや存在しない。(電気トースターや冷蔵庫に至るまで、修理はそれを行うに値しなくなっている。) さらに、小売り/修理人のネットワークもなくなった。
  • メンテナンス自体も高度に集中化し、管理されるようになっている。

車の中の複雑なエレクトロニクスは、適切な設備を備えた公認された修理場においてのみが故障を解決できる。

最初の購入費用に比べてメンテナンスや修理費が安い場所では、物は長持ちする。また、物は、低いメンテナンス体制(low-maintenance regime)から高いメンテナンス体制(high-maintenance regime)へと移動する。

→先進国で生産された製品が、途上国ではもはやメンテナンスできないことがあるかもしれない。

4-3 Mass production and the art car maintenance

  • 初期の自動車産業は、メンテナンスの重要性と、異なった時と状況においていかに異なるかということの例を与えてくれる。
  • 1908年から1920年代の終わりまで生産されたフォードのモデルTは、その時代のほかのすべての車の生産を凌駕し、特にメンテナンスの重要性を与える例である。

←モデルTのカギとなる特徴は、それが相互に交換可能な(interchangeable)部品から成り立っているということだった。このことは、組立工(fitters)なしで組み立てることを可能にした。また、モデルTはメンテナンスが簡単にできるように設計されており、改修や改善に特別なスキルは必要なかった。

→フォードはメンテナンスと修理に関心を持っていたので、修理手順を調査し標準化し、1925年に巨大なマニュアルを作成した。

また、販売店の標準的な料金も設定し、それらに修理のために必要な標準化された設備を購入させ、修理店の分業化を進めた。

⇔しかし、モデルTでさえ、メンテナンスと修理の「フォード化」はできなかった。

∵車修理事業の、多くの変遷や不確実性に対処することができなかったから。

  • 車のメンテナンスは、車があるそれぞれの場所に遍在していることが特徴だが、特定の場所や状況で重要で興味深いものになった。

  1970年代の初頭まで、ガーナには数多くの「組み立て工(fitters)」と呼ばれたモーターカーの修理人が数多くいた。彼らは”magazine”と呼ばれた特定の場所に集まり、小屋や野外で作業をした。中でもSumae Magazineが最大で、1971年に6000人が働いていた。1980年代中頃までには人口は40000人まで増加し、中心地となった。

  ←工具はハンマー、スパナ、やすり、スクリュードライバーなどの初歩的なもので、工作大も間に合わせだった。最も洗練された工具は電気溶接セットだった。

  →magazineは車やトラック、バスを維持することができなかった。

新品の車とそれを支える利用可能なインフラの間にミスマッチがあり、メンテナンス不足により劣化していった。

  • ガーナの修理工は、車とエンジンの知識を発展させ、地元の材料を用いて維持する方法を身に着けた。1990年代のガーナでは、Peugeot 504が長距離タクシーとして用いられていた。

→ドライバーのKwakuは、車を購入したときにメンテナンスと修理が頭のなかにあった。Kwakuの車両は何度も故障し、再建や再配線、キャブレター(燃料供給装置)の取得などを経験した。ガスケットは古いタイヤで、ヒューズは銅線で、ロックピンは釘で置き換えられた。

ガーナやほかのアフリカの国々における自動車の「熱帯化」は、エンジンの機能の知識だけではなく、限られたものの中で古い車を維持させるユニークなタイプの知識に依存していた。

 

4-4 Maintenance and large scale industry

  • 自動化された自動車生産工場は、作動を維持するための数多くのメンテナンスを必要とした。古典的な生産工場では、部品は手もしくはベルトコンベアで機械の間を移動した。

→一つの機械で一部の仕事がなされると次の機械へ移動し、そこで仕事がなされると、さらに次の機械へ、、、というtransfer machineの利用が、1950年代の自動車産業の自動化において、絶頂になる。

  • transfer machineは、1920年代に自動車のエンジンの産業で試みられたが、第二次大戦中のアメリカの航空エンジン産業で再び戻ってきた。戦後は、米国の車のエンジン産業で、transfer machineの設置がブームになった。
  • しかし、”Detroit automation”(大規模なtransfer machineの利用)は、システム全体の素早く効率的なメンテナンスを要求し、各々の機械のツールが容易に取り換えることができることが求めれた。

∵transfer machineによって相互に結びついた複雑な機械のどの一部分が故障しても、機械全体が止まなければならなかったから。

→工場やメンテナンスへの厳格な注意が要求され、しばしば新しく生じたメンテナンスの仕事の費用は、直接的な労働の節約を上回った。

transfer machineは、労働を奪うよりもむしろ、労働を退屈な仕事から熟練した多様な仕事へと変化させた。

メンテナンスはとても大きな問題だったので、機械はバラバラにされ、transfer machine以前の時代の柔軟性にある程度回帰した。

 

4-5 Aviation

  • 飛行機はしばしば自由を連想させるが、その操作は規律、ルーティーン、メンテナンスへの注意によって特徴づけられる。飛行機は故障すれば、空から落ちてしまうがゆえに、大部分のリソースをメンテナンスに費やす。

→安全な飛行のイメージを宣伝することが重要。戦間期に女性パイロット(aviatrix)が新聞紙の主要産物だったが、女性飛行士は、飛行機産業を支えた国家的なヒロインだった。∵彼女らは航空は安全であるということを示していた。

ほとんどの国で、’air stewards’が乗り込んだ。→戦後に支配的なパターンに

  • メンテナンスには多くの費用がかかった。1930年代から1960年代までの米国国内線では、乗務員2人に対して一人地上整備士がいた。1960年代の初頭の米国で、メンテナンス費は飛行機のオペレーションの全体の費用の20%を占めた。
  • 1920年代の航空の経済の主要な前進は、エンジンのメンテナンスの必要性の減少だった。

メンテナンスコストの指標=TBO(time between overhaul): 分解調査される前に、エンジンがどれくらいの時間安全に稼働するか。

エンジンのTBO

1920年代初頭は15時間、1920年代の末は150時間、1930年代は500時間。

 エンジンのメンテナンスコストが減少する理由;

  • より安全にすべく、エンジンの設計の改善(可動部品の減少、擦れにくい素材の使用)
  • メンテナンスに必要な知識の増大

→メンテナンスの計画、コストなどは、事前にプログラムすることはできない。非公式な暗黙知も非常に重要であり続ける。=learn by using , learn by doing

  • 学習曲線が下がる。(十分な知識を獲得するまでのかかる時間が減る)

100機目は、50機目よりも20%安くなる。

←マネージャーや労働者が、しばしば非公式な方法で、より簡単に飛行機を生産したりメンテナンスする方法を学習するから。

 

4-6 The battleships and bombers

  • 戦艦や爆撃機は、集約的なメンテナンスが要求される。平時の武力は、メンテナンスと訓練の組織と考えることができる。

第二次世界大戦後、巨大で複雑なシステムは、けた外れの量のメンテナンスを要求したが、集約的なメンテナンスは新しいものではない。

20世紀の最初の数十年間、英国海軍は世界中にマルタ、ジブラルタルシンガポール)に、船のメンテナンスと修理のためのグローバルな造船所(工廠)のシステムを持っていた。

1920年代中頃までは、戦艦は大室の造船所で、一年に二か月ほど改装されていた。

1920年代の末から、乗組員が二年半船を整備し(maintain)、その後造船所のアシスタントとともに二か月間船の修理(refit)に従事する。

自己修理・自己メンテナンスは、よりスキルをもった乗組員を要求した。

  • 船は安定した存在であるとは限らず、しばしば劇的に変化する。

最初の近代的な戦艦であるドレッドノートは、1905年に着水。

1914年までに、英国は20隻、ドイツ15隻、米国10隻、ロシア、フランス4隻、イタリア、オーストラリア=ハンガリー、スペイン3隻、日本、チリ、トルコ、アルゼンチン、ブラジル2隻

→1922年から1930年の間、多国間の軍縮条約のプロセスの一環で、建造は一時停止。

→第二次大戦で用いられた戦艦の多くは、1911年から1921年までに建造されたもの。→半分は30歳になっていた。

  • 南アメリカには戦艦をかなり長い間メンテナンスする習慣があった。

Ex: 第一次世界大戦前に、アメリカが建造したアルゼンチンの2隻のドレッドノート級の戦艦、英国製のブラジル海軍の2隻の戦艦、チリの1隻の戦艦は、1950年代まで使われた。

  • これらは、メンテナンスや修理が施されるだけではなく、改装や再構築もなされた。日本海軍は戦間期に建造された戦艦のほぼすべてを再構築し、その結果、形状やエンジンが劇的に変化した。

イギリスの5隻のクイーン・エリザベス級戦艦のうち、バーラム以外は二つの大戦を生き延びた。

→(クイーン・エリザベスは)1924年から19354年にかけて、対魚雷のバルジを設置するなどの改良がおこなわれ、1930年代にはバーラムとマレーヤを除いてエンジン、大砲、その他の主要な変更がなされ、再構築された。

→イギリスは戦後も1930年代に設計されたアイオワ級の戦艦4隻を保管しており、メンテナンスが施されて、1960年代、1980 年代、1990年代に再就役した。

  • B-52爆撃機は、1952年に初飛行し、1962年に最終製造された。→2040年まで活躍することが期待されている。初期のパイロットの孫が現在飛んでいるという話もある。

KC-135(空中給油タンカー)は、1956年から1966年まで製造されたが、1990年代中頃まで、732機のうち600機以上が現役で活躍している。20世紀末に、エンジンその他に改善が加えられ、現在でも米国空軍の主要な空中給油タンカーである。

  • 1926年にドイツで建造された商船用帆船(はんせん)Paduaは、第二次大戦後もソビエトエストニア練習船として存続。
  • QE2、シャンクンタラ急行(1923-1944)、ウルグアイ(1920年代の米国車が今も走る)、キューバ(1950年代の米国の電車が今も走る)、レッド・ルートマスター(1968年まで製造され、2005年まで定期運航)、マルタ(1950年代-60年代の電車が今も走る)、ロンドンの地下鉄、発電所
  • コンコルド(超音速旅客機):25年間運航していたが、2000年の墜落事故により、運航を停止。2001年のテロ、スペア部品の価格高騰などにより、2003年に飛行を終了する。英国新聞の特派員:「メンテナンスをすれば、その構造は無期限に動き続けるものだった」と示唆。

 

4-7 From maintenance to manufacture and innovation

  • 戦艦や爆撃機の例のように、メンテナンスはときには重要な改造(remodeling)を意味する場合がある。

Ex:アメリカには車を改造する極端な例がある。メキシコ系アメリカ人にとって、’ hot-rod’に改造することは情熱であり、車体を持ち上げたり下げたりするための油圧ポンプを用いた”low-rider”を作りこむことや、内装を工夫することは、1930年代、1940年代の車改装の文化の産物だった。メキシコ、アフガニスタン、フィリピンといった数多くの途上国でも、車、トラック、バスを改造するプロセスはありふれていた。

  • 日本の自転車産業;自転車生産は、もともとはイギリスからの輸入製品を修理することから始まった。最初は、取り換え部品は輸入品のために作られていたが、次第にこれらは(国内品の)より安い完全な自転車に組み込まれていった。自転車は、小規模な部品メーカーや、組立工場によって作られた。1920年代に入ると産業は輸出を開始し、1930年代には輸出品は全製品の半分を占めるようになった。南アジアは、半分英国製、半分日本製の自転車であふれかえった。模倣の才能と、数多くの零細企業の存在に起因する成功は最近にまで反響し、日本の企業はいまだに高品質の自転車部品の製造を支配している。
  • 戦後間もないころの日本のラジオ産業でも、ラジオセットの大部分は零細企業によって製造された。それらの企業は、まだラジオの修理や部品交換が一般的だった時代に、修理業を営んでいた会社である。

修理業と製造業の密接な関係は、作り手と使い手の密接なつながりを形成するうえで重要だった。

  • 一時的な輸入品の不足が、修理業を製造や設計への分岐を促す場合がある。

第二次世界大戦中は、武器製造のために帝国の権力による製造能力が発展させられ、多くの国では製品を購入することができなかったため、こうした現象が起きた。

→戦争は、しばしばメンテナンスや修理を超えて、国内生産を大きく拡張させた。

こうした事例は戦後も見られた。

Ex ブラジルのサンパウロの電力供給会社のメンテナンス部門では、1980-90年代年代の巨大な問題に直面した。

:経済危機が、既存の設備の維持や取り換えに必要な装備や部品の輸入を制限し、供給システムの一部を制御するための新しい方法や、メンテナンスの代替手段を考案することで、これに対応した。

 

4-8 Engineers and maintenance society

  • メンテナンスは、使用を超えた、ものとの親密な関係を課す。メンテナンスができるということは、しばしば操作することとは異なる技術を必要とする。

(はじめは)メンテナンスや修理ができる人はほとんどいなかったが、メンテナンスを行う者が十分に広がることで、技術専門家のありふれた形態の一つとして認識されるようになる。

→米国、英国の職業的な(professional)エンジニアは、TVの修理工といった低い職業を言い表すために”engineer”という言葉を用いることに憤慨した。職業的なエンジニアとは、イノベーション、設計、新しいものの創造といった別の役割を持った人間である。彼らは未来に関心があり、楽観的で前進的で、世界に何か新しいものを送り出す存在である。

  • こうした、職業的なエンジニアを創造者や改革者ととらえるイメージは、彼と低い修理工とを混同するのと同じくらいに誤っている。

学問的な訓練を受けたものの中でも、設計や開発に関わるエンジニアは少数である。

(ex: 1980年時点でスウェーデンのエンジニアのうち72%は、既存の製品のメンテナンスや監督に携わっている。)

仮に、大部分の医師や歯科医が人間の体を維持したり、修理しているのだとすれば、彼らも同様に、エンジニアとして物事が機能し続けるようにすることに関係している。

活動を維持しなければならないものが増えるにつれて、職業的なエンジニアの数も増えていく。今日の米国では、200万人以上のエンジニアが存在し、これは医者、弁護士の二倍の数である。

  • エンジニアの男性らしさは、彼らのすることに深く関係している。家の中であろうと、産業であろうと、野外であろうと、メンテナンスや修理は男性的な活動と思われてきた。

⇔例外は20世紀のソ連。:エンジニアの大部分は女性だった。

Ex :映画 Ninotchka

Greta Garboが演じるNinotchkaは、パリに派遣されたソビエトのエンジニアで、技術的な観点からのみエッフェル塔に興味を持っていた。階級の敵であるフランス貴族に愛と贅沢と女らしさに変えられ、むろん彼女は資本主義の下で技術者としての道に進まなかった。

  • エンジニアが創造や発明だけを第一とするわけではないということは、国家のエンジニア(state engineer)によっても示される。彼らは国家技術の管理に関わっている。

モデルケース=小さな中央集権的エリート団体をもつフランス

;エコール・ポリテクニクを卒業後、各部の専門学校(Ecole des Mine,Ecole des Ponts et Chaussees)に入り、国家貴族の侯爵や男爵になった。

第五フランス共和制の下で、彼らテクノクラート」は、政治や行政において重要な存在になった。彼らは国を維持することに関わっていた。

 

参考;米国で共感を呼ぶ「修理する権利」と歩み寄るメーカーの思惑

「企業は人々の修理する権利を妨害するために、さまざまな戦術を使うようになってきている。修理用の部品を売らない。売る場合も、かなり高価なものにする。マニュアルや図面といった修理に必要な情報は公開しないし、オープンソース化もしない。」

https://wired.jp/2019/07/16/right-to-repair-co-opt/

 

福島真人「科学のメンテ問題」『UP』2018年、12-17頁。

https://ssu-ast.weebly.com/uploads/5/5/6/4/55647405/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%86%E5%95%8F%E9%A1%8C.pdf