読書会の予習というよりも復習。
(これまでの梗概)
西欧科学・技術を一つのプロトタイプとして、日本はそれにキャッチアップしようとしてきたという歴史観を採用するのならば、明治維新以前の日本に科学はなかったか、少なくとも限定的な形でしか存在しなかったということになる。しかし、著者はそうした歴史記述を採らない。むしろ辻は、日本は日本独自の科学の歩みをたどってきたと考える立場から、明治維新にも「科学」に近い知的活動があったのではないかと考える。そこで、著者は17C後半の古学と古医方の成立に注目し、そこに後に科学(実証的な学)と言われる知的活動へ近づく大きな変革があったことを論じてきた。
本章ではそのうち特に古医方と、「物理之学」を検討する。そして、「実学」のみならず、(日本独自の)「学術」の観念が誕生する契機を見出そうとしている。
第三章 ……之学 – デカルト・貝原益軒・吉益東洞 (pp.52-67)
- 科学とキリスト教
- 生活上の必要に応じて経験的に自然と交渉するだけで済ませていた世界から、自然認識をしだいに学問化させるような知性の働きが育ち始める様子に注目する。
- 近代科学はキリスト教的な世界から生まれた。
:自然現象の中に普遍的な法則が存在するという確信は、キリスト教の理念に支配される長い時代をすごしてきた、西欧文化特有のもの。
⇄日本においては、儒教・仏教などを背景にして自然観・学問観からの制約を受けたため、自然の中に普遍法則を想定する発想法がついに育ちえなかった。
- 古医方の学問理念
- 17-18C日本の学問(医之学、物理之学)=法則認識の志向が全く含まれておらず、体系的な理論を築きあげようとする意図からは隔たっていた。
Ex: 吉益東洞「医之学は方のみ」←学の理念を、実用技術の視覚から誘導することは、日本的特質をなす。
- 儒学(=人間の実践倫理の理想型を追求する学)の学問観→自然認識の志向に特別高い学問的価値を与えようとしない。
→医之学にも、このような学の理念に制約される。
Ex :名古屋玄医「仁の究明といったような実践倫理的な探究を、そのまま医の学問的根拠として再把握すべき。」←人を生かすというのは医の根本課題
- 古医方:聖賢の教えを深く学び、機に応じて適切な治療を行えるようになるべき。
→古きよき時代の医のあり方を再建する。
- 物理之学
『大和本草』=日本人が日常生活で役立てている有用な物に関する経験的知識を、すべて残さず点検し、正確にまた秩序立てて記述するという大事業を手がける。
- 彼の意図は、「集める」ことを学問的な方法として確立すること。
←人の役に立つこと、儒学。
- 医之学の方法的自立
- 18Cにもなれば、医之学や物理之学は、儒学との直接の関連が薄れていく。
- 吉益東洞:「医の学は方のみ」という学問的確信は、どのような認識方法に支えられていたのか?
- 彼の医説=万病一毒論=「すべての病気は、ただ一つの毒によって起こるものである」
→病毒の所在を見定め、適切な薬方をほどこし、病毒を取り去ることが根本指針。
- ⇄陰陽医:書物から得た知識、臆見によって理屈をこねるだけ。病気は治せない。
→病名・病因を論じることが無用。
→医における理論的な自然認識への道がまったく断たれることになる。←儒学
- 実際に施してみて、確証を得た経験的知識のみが、学の根底におかれねばならないとする、明晰な学問観が姿を見せている。
←学は術によって裏付けられ、日本特有の「学術」の観念が実を結び始めている。