yokoken001’s diary

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Paul White(Chapter 11) ”The Man of Science” A Companion to the History of Science,Bernard Lightman ed.,John Wiley&Sons, 2016.

Paul White(Chapter 11) ”The Man of Science” A Companion to the History of Science,Bernard Lightman ed.,John Wiley&Sons, 2016.

 

  ”A Companion to the History of Science”という最近(2016年)出た教科書からの一章。

  周知の通り、1834年にヒューエルは"scinetist"という言葉を作ったが、当時の英国で科学者集団を表す語として定着していたのは、むしろ”The Man of Science” という語であった。なぜ当時の科学の専門家らは"scinetist"ではなく、”The Man of Science” という語に、彼らのアイデンティティを見出していったのか。本章では、”The Man of Science” という語が生じた19世紀イギリスの特有の時代背景を分析することを通じて、その意味が考察される。

 

 

A Companion to the History of Science (Wiley Blackwell Companions to World History) (English Edition)

A Companion to the History of Science (Wiley Blackwell Companions to World History) (English Edition)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: Wiley-Blackwell
  • 発売日: 2016/02/01
  • メディア: Kindle
 

 

 

  • 「知(科学)の人”man of science”」:19世紀の半ばから1920年代の間に、イギリスや北アメリカにおける科学の専門家たちを表す一般的な言葉になっていった。

←「第二次科学革命」(=学会、ジャーナル、専門分野、官産学の新しい制度の形成の時期であり、多くの関心を集めてきた)と結び付けられる専門的な知識の形成、社会構造の顕著な変革の時期に普及。

→このことが新しい科学のアイデンティティを生み、そしてそれがこれらの変化を手助けした。しかし、アイデンティティやペルソナ(外的性格)について問われるようになったのは、科学史の記述において比較的最近。

←新しく生じた専門家は、実験室で白衣を纏ったイメージを連想する「科学者」だと一般的には思われている。また、W・ヒューエルが1834年に「科学者」という語をつくったという事実も知られている。

⇄様々な理由で、約100年後まで、その語は取り上げられてこなかった。

→なぜそれに代わって「知の人」という語が使われていたのか。19世紀の専門家にとって、その語の重要性は何だったのか。その目的は何か。また、他の言語文化においてどのように科学的アンデンティティと比較できるか?

 

  • 19世紀の初頭、重要な科学的仕事に携わっていた多くの人々は、博物学者、自然哲学者(naturalist,natural philosophers)と呼ばれていた。

→医学や生物学において実験的なアプローチが権威を帯びてくると、博物学者は専門知識の欠如を含意するようになった。また、伝統的な哲学と乖離するにつれ、自然哲学者の語は、矛盾を含むようになった。

1830年代にはこのことが問題になっており、ヒューエルが「科学者」という語をつくったことは、細分化に関する関心を示唆している。

⇄「芸術家(atheist)」、「無神論者(sciolist)」「タバコ屋(tobacconist)」などと同類の言葉として、軽蔑的に「科学者」という語を導入することで、冗談混じりにこの問題を扱った。

→別の書物の中で、彼の憂慮は、科学の細分化というよりは、科学の傲慢さにあることも示唆している。

→ヒューエルにとって、科学者という語は、特定の領域の外側での権威を欠いた、熱心に得た事実を理論家に受け渡す狭隘な専門家としての意味を表していた。

「科学の専門家>科学的な観察や事実の収集家」というヒエラルキー(←BAASの発足)

→19世紀の前半に科学の専門家集団が不均一になっていく。

→”man of science”という表現は、幅広い関心を持ちつつ、技術的な専門知識も持った人という、両者が複合した集団を指せるという理由で流布し始めた。

 

Babbage の見解↓

(哲学)

指揮官

Elite

都市部

(科学)

兵士

Scientist

植民地

→両者が混交する、異質な集団としての”man of science”

 

  • 当時“man of science”は俸給のない職業だった。

→仏国・独国ではごく限られた人。英国や米国では19世紀の最後の四半世紀まで、体系的な訓練のコースやキャリアの道は存在しなかった。

⇄有給の職業は、機器の製造や標本の販売、整理(curation)、絵描き、翻訳、文章の執筆などの低い地位の仕事だった。

→科学は不動産といった他の収入や独立した手段を持った人によって引き受けられた。

→科学は一種の天職であり、あらゆる物質的・財政的な収入から隔たって、科学それ自体に固有な目的のために追求された。

→科学の専門的な知識が政府や産業、軍に果たす役割は19世紀を通じて拡大する。

工学がどのように科学と関係するかも曖昧だった。

Ex イギリスでは産業の技術の養成のために、王立鉱山学校を設立するが、卒業生は少なく、企業側は採用することをためらった。

“man of science”のもう一つの重要な特徴=政治の外側に立ち、私的な利益を超越した人であるから、全ての社会に役立つ知識を与えることができる。

→王立研究所(Royal Institution):無私性と公共サービスのイメージを維持

 

  • “man of science”の美徳は、伝記の中の英雄的な姿を仮定し得た。

Ex チンダルの描いたファラデー:真理への犠牲、純潔さ、特別な精神力を讃える

19世紀において天才は勤勉さの美徳と結びつけられ、真理のために戦う、たたき上げ人物という性格を帯びるようになった。

Ex ダーウィンの科学的活動を、彼の本を書くために費やした時間と結びつけられた。

 

  • 科学の制度における知識の再組織化と、19世紀前半の政治改革(貴族政治と王権のパトロンや伝統的な権力への異議)との間に並行関係がある。

:“man of science”らは、前進の旗振り役としてお互いに連携しあった。

→評論家、教育者、改革の担い手として自らを位置付け、政府のエリートだけでなく、新しく解放された階級の自信を得ることを探し求めた。

→“men of science”は、もはや聖職者のパトロンに遊説しなくなり、公の場での講義、公開講座、普及活動などを通じて、多くの聴衆の支持を得た。

←新しい科学の職業vs英国教会の聖職者(≒中流階級vs 土地を持ったエリート)という闘争の図式として解釈されてきた。

⇄“men of science”の社会的な地位や宗教的な確信を細かく見ると、この図式を維持することは難しくなる。

Ex フッカー( Joseph Dalton Hooker):拡大する科学のネットワークの中心にいた。

→①キュー王立植物園での農業改革、②ロンドン大学での調査員、③植民地行政に携わる。

→改革者でありつつもキューガーデンで仕事をし、王立協会に忠誠を維持し続けた。

 

  • (聖職者vs “man of science”に典型的な)科学vs 宗教の対立モデルへの疑問

→19世紀半ば以降は、「自然神学」の図式は衰えたが、聖職者のコメンテーターとしての役割は衰えていなかった。英国学術協会(British Association Meeting)は地元の教会における説教を依然として伴っていた。

→公私ともに、キリスト教文化は残り、宗教への敬意は社会・政治生活への参画にとって重要だった。

⇄“man of science”と聖職者の間で最も長く続いた論争=教育制度とカリキュラム

:科学的な科目は、自由教育、精神・道徳の規律、伝統的な古典、宗教の学びを補うものとしての訴えを通じて学校や大学に導入された。=どちらかの勝利ではなく、分業

→科学的な科目が教育において支配的になるにつれ、“man of science”はエリートの地位を獲得していった。

 

  • “man of science”は、19世紀の半ばまでに現れるようになった専門家集団(博物館のキュレーター、測量士、職人、植物学者、家で顕微鏡を使ったり解剖したりする人、講演者、定期刊行物の著者)を全て含めた表現だった。

→科学とその他の仕事や文化の形態との区別が宣言されることが求められ、より広い集団の利益が保護されつつあった状況において、集団的なペルソナとして機能した。

 

  • 科学の大衆性とエリート性

:専門書と同様に一般向けの書物は、全ての人に開かれた知識の総体としての科学の見方を促進した。

⇄ゴルトン(Galton)は英国には300 人の“man of science”しかいないと主張。彼が用いた基準は自己確認的なもので、エリート議会の選挙を必要とし、私的な紳士の集まりとしての性格を与えた。

 

:19世紀に男性による知識の独占があったわけではないが、“man of science”は、ジェンダー化された性格や美徳を構成する文化的な型だった。

女性→柔らかくか弱い、繊細で上品≠鋭敏で厳しい

→女性が科学の仕事に専念すると、女性の性質を失い、「適切」な社交範囲(sphere)を放棄していると批判された。

女性は、実験や観察、アシスタントなど様々なレベルで科学に参加していたが、大学には入れず、主導的な学会には所属できなかった。また英国教会には聴衆としてのみ参加できた。→“scientist”によって“man of science”が使われなくなり、開かれたキャリアが認められるように。

  • “man of science”は英米の構成物であり、他の言語文化の中にこれに対応する概念はない。19世紀における科学の専門分野の拡大は一般的な傾向である一方、各国で同様の科学のアイデンティティに関する問題が生じたわけではなかった。

フランス:”savant”:20世紀の初頭まで、科学の実践家を示す言葉として用いられていた。フランス革命後の科学の確固たる地位を反している。

ドイツ:Wissenschaftの語で、全ての知の形態が包括される。

研究教授(research professor)のキャリアや官立の研究機関はドイツの発明品

ドイツ文化では、新しい科学のアイデンティティがだいたい“man of science”と同じ時期に”Naturforscher”という語で生じた。

←大学の外の私的な社会において科学の協会を拡張しようとする動き

(Exドイツ科学者・医学者協会)

博物学者が遠征に随伴することは長い伝統がある。

→外来の自然=地図が作成され、カタログ化され、科学的な正確さで測定される必要があった。

“man of science”、”savant”、“Naturforscher”がそのまま植民地に輸出されたか?

←西欧の知や人々が一方的に伝播するという考えは19世紀の帝国主義やそのイデオロギーの一部。

帝国に科学が果たした役割は明白

Ex 人種の優勢の理論、オリエンタリズム:西欧の言葉で現地の人や伝統を異国なものとし、再分類する。物質的な移転→プランテーション

⇄科学は、単に帝国の道具であるわけではない。

一方向の「改良」の過程ではなく、現地のローカル・ノレッジや現地の人々の労働を伴う異文化交差的(trans cultural)な過程。=植民地科学のハイブリットな性格

  • 1920年以降に、異なる国家的世界的変動あるにも関わらず、scientistという語が同時に用いられるようになる。

Man of scienceとの連続性=偉大な発見者・理論家の英雄的な記述、純潔性、私的職業意識→19世紀の後半にこれらのエートスは個人の「人格」から乖離し、形式化された没個性的な訓練の体系とみなされるように。

現代の科学者はより狭量な集団になった。(閉鎖的な会合、ピアレビュー、高度な専門用語、市民的な感覚や公的な使命感の欠如、キリスト教や伝統的な文化との分断、、、)

→ヒューエルの含意が妥当。

 

コメント

・ヒューエルが"scientist"の語を作った意図の解釈には、曖昧さ残る。1834年にサマーヴィルの書評の中で初出したこの語は、本稿の記述によれば、一種のジョークを伴って軽蔑的な意味合いを込めて導入したとされる。だが1840年の『帰納的諸科学の哲学』の中における言及の文脈は、より真面目な態度であったとされる。(さらに遡って、1831年の"Modern Science"の中で、ヒューエルは科学/哲学の鋭い対立の図式を提示している。)

つまり、哲学/科学の図式を念頭に置いた場合の、ある特定の領域の外では権威を欠いた狭量な専門家という意味と、babbageの図式を念頭に置いた場合の、高尚な理論家に従属する事実収集者としての意味の二つが"scientist"には込められている。が、ヒューエル自身の導入の意図は、1834年1840年のどちらを参照するかによって、(皮肉交じりに言ったのか、細分化された狭量化していく「科学」に対する憂慮を切実に抱いていたのか)若干異なったイメージがもたれる。

 

参考

 

 

 

 

論文レビュー (菊池論文 その1)

 

 

 真空ポンプを利用する電球、真空管X線などは類似した技術であり、似通った発展の過程をたどると考えられる。本稿では、日本における電球産業の形成について詳述される。

 

菊池慶彦「日本における電球産業の形成」『経営史学』第42巻第1号(2007年)、27-57頁。↓ (以下よりDL可)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj1966/42/1/42_1_27/_pdf/-char/ja

 

  •    市場の形成

 日本で中央発電所からの電気供給が開始したのは、1887年。東京電灯(1883年設立)による事業の開始であった。電灯と競合するのは石油ランプであり、当初、コストにおいて石油ランプの方が有利にあることは明らかだった。だが、電灯は、安全性や利便性(特に白熱電球)などの点で石油ランプより優れており、1918年に両者の価格が逆転するまでの電灯価格の下落とともに、その普及が進んでいった。

 電球メーカや輸入業社にとって重要な販売先は、電灯会社だった。当時、電灯会社の料金制度は電球、器具などを全て売り渡す「売渡方式」、装飾品を除く電球、器具を貸与し、月極めで料金を徴収する「損料方式」、および両者を併用した方式があった。電灯需要家に電球を供給し管理していたのは、この電灯会社だった。

 

  • 電球メーカの出現と競争の展開

 電球の国産化への一歩は、東京電灯の試みの中から現れた。1881年に工部大学校電信科を卒業した藤岡市助は、1886年に同社の技師長に就任し、翌年からイギリスへ視察に向かった。イギリスではガラス細工を学んだことに加え、均質なフィラメント製造を可能にする製造機械を購入できたことが大きな成果だった。1890年には、同社の電球試作所を継承して、白熱舎が資本金2000円で設立された。だが、当初の製品はまだ低品質高価格だった。白熱舎にとっての大口需要家は、いうまでもなく東京電灯であった。

 1896年に白熱舎の事業が移管され、東京白熱電灯製造株式会社が設立された。1899年には藤岡が社長に就き、東京電気株式会社に社名変更された。また、1907年までには他にも30舎程度の電球メーカーが創業・参入し、関連産業も形成され始めた。それにより技術者の移動が活発化し、技術的知識が普及した。さらに『電気之友」などの雑誌類も、重要な情報源になっていた。

 だが、1900年代初頭では、欧米の電球メーカーの競合も激しくなり、価格は下落し、日本市場ではこの低価格の輸入製品との競争が存在した。

 

  • 東京電気の成長と限界

  東京電気にとってとりわけ重要だったのは、均質な電球の量産技術の開発だった。特に均質なフィラメントの量産は困難だった。ガラス球の量産についても、1902年に品川硝子製造所の一部を借りて試作を開始し、1905年には深川ガラス工場でガラス製造に本格的に乗り出した。また1899年からは排気方の改善にも注力され、独自の薬品調合によって化学作用を生み出し、高い真空度を実現できるようになった。また1900年にはイギリス製の真空ポンプも輸入された。

 こうした生産能力の拡大は、販路開拓の要請をも強化した。1900年に東京電気は電球販売部を設置した。ここでは製品カタログも作られ、小規模だが輸出も行われていた。販売に際して問題だったのは、電球の能率と寿命のトレードオフ関係だった。電灯会社は、需要家に損料方式で電球を供給することが多かった。電灯会社にとって、電球調達価格より損料が上回ることが利益を生み出す条件である。したがって、長寿命の電球の需要が高まることは、自然な成り行きだった。よって、電球メーカーは能率を抑えても超寿命の電球を製造するように方向付けられた。さらに、電灯会社の操業電圧は多種多様であり、個々の会社に適した仕様の電球を供給しなければならなかった。それには、窓口となる人物との直接の交流を通じての情報収集が重要になり、東京電気はこうした努力によって、電灯会社の志向を把握することに成功した。

 しかし、当時の事業報告書の分析から、この時期の東京電気は生産能力に見合う販路開拓に成功していなかったことも指摘される。低価格の輸入製品が流通する当時の市場条件では、品質改善やコスト削減が達成されても、直ちに経営改善には繋がらなかったのである。

 

  • 市場構造と産業の構成

 電球メーカーにとっての需要家が大口の電灯会社であったことは、均質な製品の量産を強いた。というのも、大口取引では、知識がない一般消費者とのそれに比べて、粗悪品が排除されやすいからである。だが、1900年代では、小規模メーカーが参入する余地もあった。例えば粗悪品を供給する業者が結託して、独自の検査規格をもった海軍との取引において、同品を種々の名義で持ち込むようなこともあった。当時の電球産業は、東京電気などの有力メーカーが成長していた一方で、小規模メーカーも増加し始めるという、重層的な構造をなして形成され始めていた。

Peter Krose, Maarten Franssen and Luis Bucciarelli “ Rationality in Design” Handbook of the Philosophy of Science. Volume 9: Philosophy of Technology and Engineering Sciences, 2009.

Peter Krose, Maarten Franssen and Luis Bucciarelli “ Rationality in Design”

Handbook of the Philosophy of Science. Volume 9: Philosophy of Technology and Engineering Sciences, 2009, pp.565-600.

 

『Philosophy of Technology and Engineering Sciences』に収録された論文です。

設計における合理性とは何かということについて、主に科学哲学(加えて一部経済学の議論)に基づいて、哲学的に考察しています。大体、以下のような議論であると思われます。

 

  • Introduction
  • 工学の設計が多様である(機械・エレクトロニクスといった機能志向のものから建築などの美的志向のものまである)のと同様に、設計における合理性もまた多様である(経済的、技術的、科学的合理性といったある特定分野における合理性から、もっと一般的な理論的・実践上の合理性など)。
  • 本稿の目的は、工学設計の実践に関わる多種多様な合理性についての体系的な見取り図を示すことである。主要な問い=ある設計過程は、「いかなる意味で」「どの程度」合理的であるとみなされうるのか?
  • 合理性の根底にある考えは、ある決定が何らかの理由(reasons)に基づいて正当化されるいうもの。

→そしてその理由は、所与の設計過程や行動指針の中で、特定の行動指針が他に比べて目的を効果的に達成できるためにより好まれたということを示している。

→その行動方針こそが最も「合理的」な方法で、そして「合理的」な工学とは、そうした行為を選択することだと、一般的には考えられている。

⇄工学の実践はもっと複雑である。

  • Engineering Design
  • ABET(技術者教育認定会議)による「工学設計」の定義
  • 工学の設計過程においては、以下のような複数の活動がある。
  • 使用者(customer)の要求を機能的な条件に変換し、さらにこれらを物理的パラメータで記述される仕様書に変換する。
  • 広範囲な選択可能な選択肢をつくる。
  • その中から一つの選択肢を選ぶ。
  • 最終的な設計要求を評価する。                                                                                                                                    

※これらは線型的に進行するとは限らず、反復やフィードバックのループを含む。

  • 変換(翻訳)(translation)

:使用者の要求から機能的な条件へ←ニーズを適切に反映させる必要がある。

:機能的記述(入力-出力関係)から、構造的記述へ(物理的な特性)

  • 意思決定(decision making)

:設計の目的を定める、目的を修正する、利用可能な資源をどのくらい費やすか、いくつの選択肢が追求されるべきか、どの選択肢を棄却するか、どの選択肢をさらに発展させるか、評価基準は何か、など。

←設計過程の予期せぬ状況の変化にともなって決定も変わるという点で、これらは曖昧である。

  • Applying Standards of Rationality to Engineering Design
  • 設計における「合理性」の大雑把な観念:工学設計の問題を解いたり、意思決定することには、良い方法と悪い方法があり、「合理性」は設計の実践を良い方向へと改良することができる。
  • 合理的な方法はどのようになされるのか?

科学哲学における議論を援用する。

:科学の合理的な再構成(rational reconstruction)と、実際の科学の実践とを分ける。

カルナップ:概念の形成=想像上の手続きの公式化された記述→本質的には同様の心理的過程を導く。→科学理論の形成の合理的再構成は、合理的に規定されたステップを経て、「論理的」には同じ結果に至るものと考える。

←科学者らの実際の行動や推論が合理的かどうかは別の問題。最終的な理論へ至る一連のステップとしての実際の科学プロセスの合理性は、このように合理的に再構成されたステップと比較されることで評価される。

  • 設計過程における合理性の分析も同様である。

実際の設計におけるステップや決定は、合理的な再構成によって規定されるものとは異なっているが、それはその設計が「非合理」であることを意味しない。

∵設計の目標への明確な答えがない場合でも、しばしば中間的なステップや決定を評価しなければならない。それゆえ、最終的には間違っていたことがわかったステップや決定も、(その時々の状況の中では)「合理的」であったかもしれない。

→設計過程の合理的再構成=できるだけ重要でない要素を濾過して取り除き、最終目標を達成する過程を再構成していく過程

  • 合理的な再構成の根底にある考え=ある方法は他の方法よりも良かったり悪かったりし、設計にまつわる問題を解く上での「最善」の方法がある。

→工学設計の合理的な再構成は意味があるかどうか?またそれは、実際の設計と関係があるのかどうか?

  • 合理的な再構成を支持する→規範的な立場:設計がいかに行われるべきかという規範的な体系を示す。
  • 支持しない→記述的な立場:その設計の実践に関わった人たちは、どのような種類の振る舞いが合理的であるとみなしていたのかを分析し記述する。
  • 設計の合理性に関する議論→成功を評価する基準

設計の成果の成功を評価する基準はあるか。

直感的な見解:目的(目標)の効果的な実現にどれだけ役立ったか?

←目的をはっきりと定めることができるという前提。そうでなければ、その設計行為が目的に寄与したかどうかを証明することはできない。

→設計の解決(design solution)が、市場において成功し、革新的で、美しくあるべきだということと、それらの客観的な(間主観的な)点数を示すことは別のこと。

  • 設計過程における目標は、複数にレベルにわたって存在する。

企業レベルの目標:商品の商業的成功

技術者の目標:企業の目標に同意するが、実際の日々の営みではむしろ、仕様書に示された機能的条件を満たすことを目標にしている。

仕様書→詳細な構成要素についての指示=サブ・ゴール

サブ・ゴール同士はしばしば矛盾し、トレードオフの関係を作る。→設計が成功したかどうかを判断する困難さ。

  • 完全な機能的要求のリストがあったとしても、その設計が成功したかを評価する明確な基準を与えるとは限らない。

∵(1)様々な設計の慣例間の差異:電子工学の機能は技術的な機能によって(客観的に)表現されるが、建築の機能は心理的・社会的・美的特徴が重要になるため、明確で客観的な記述が困難。

(2)条件のリストは最初の地点で与えられたものにすぎない:知識や状況が変化することに合わせて、設計過程の中でそれらは再調整されていく。

4 Aspects of Rationality

工学設計の合理性の詳細な議論に入る前に、合理性の本性について外観する。

4.1 Broad and Narrow Notions of Rationality

  • 広義の合理性:アリストテレスの「人間は合理(理性)的な動物である」という言葉でいうところの合理性

=人間は因果法則にしたがう物理的な組成に言及するだけでは説明できず、目標や欲求をみたすべく自発的、意図的に振る舞う。

Rationality≒intentionality(故意性、意図性)

人間が理性的であるというのは、彼らが一連の信念や目標を持っているという意味で一貫しており、かつまた、彼らの行為は信念や目標によって正当化可能という意味で大部分一貫しているということを言う。逆に、信念、欲求、目的が人間に帰属させることができるとき、その人間は理性的であるとみなさなければならない。(D.Davidson)

→この意味での合理性は記述的であるが、同時にその合理性からどの程度逸脱しているかによって人々を評価するため、規範的な側面もある。

  • 狭義の合理性:

(1)知識の形成に関わる合理性=何を信じるべきか=理論的合理性

(2)行動選択に関わる合理性=何をすべきか=実践的合理性

→合理性はこの二種類ですべて覆われるか? 2つの側面は区別するに値するか?(4.2)

  • 何を望むべきかといった問いに関わる理性もあるのでは?

→重要ではない。∵不可能なものを望むべきではないから

  • 工学では、(行為や信念、欲求ではない)人工物や設計について、「合理性」という語で特徴付けることがある。その場合、合理的に遂行された過程から生じた人工物を合理的とみなすことができる可能性がある。

⇄しかし、特定の行為が合理的であると言われるとき、それはその行為がなされたある特定の状況においてのみそういえる。(例えば、左に曲がることが合理的であるといえるのは、信号機がそう指示している状況においてのみいえる。)

日常生活では状況を超えて行為をするということは滅多にないが、工学ではそれが製造されたり発展した状況を超えた場所に置かれることはいつものことである。

 

4.2 Theoretical and Practical Rationality

  • 工学の実践では、理論的合理性と実践的合理性の両方が重要になる。

:実践的合理性←物理的な環境を変えるという意味で、工学は行為に関わる。

理論的合理性←変えるべき(環境の)実際の状態についての知識や、手段-目的関係に関する知識がない工学を想像することは困難である。=信頼できる知識が必要。

  • 実践的合理性と理論的合理性は区別できるか?

信じるということは、一種の行為とみなすべきではないのか?であれば、すべての合理性はつまるところ、実践的合理性なのではないか?

→その場合、信念の採用を直接導く欲求や目標を導入することになる。

→しかし、我々は複数の目標をもつことが普通であるし、目標が誤った信念を持たせることもある。→この見解には問題がある。

⇄両者は独立しているというわけではない。

:実践的理性の一部は、(1)その人がいる状況についての、(2)その人に開かれている選択肢についての、(3)選択肢がもたらす結果についての知識を形成する。

≒科学と技術の関係

:科学において、研究は知識の形成に直接関係する。(その信念が支持される行為の状況に関わらず)

⇄研究は、技術においても重要な役割を演じるが、その場合設計における決定をする上で必要な知識に関わる。

  • 逆に、理論的理性の中に実践的理性があると考えることもできないか?

→???

4.3 Theories of Rational Reasoning VS Rational Behavior

  • 理論的/実践的理性という区別の他にも、2種類の合理性の理論が唱えられてきた。
    • 合理的推論の理論:メンタルプロセスに関する理論

⑵ 合理的振る舞いの理論:人間の行為についての理論。選択肢の中で、どの行為が目的を実現したり欲求を満たし行為であるか?そしてその意味において合理的であるかどうかに関する理論。

両者を分けることが重要

∵行為は合理未満であったとしても、たまたま効用を最大化したり、目標に到達することがあるから。

  →合理的推論の観点からは「非合理」であり、合理的振る舞いの観点からは「合理的」である。

逆の場合もある。

Ex 工学設計において、あるエンジニアは利用できる選択肢についての何らかの知識に基づいて設計の問題に対して特定の解決策を選んだとする。

→彼女の知っていた選択肢の中では合理的であった。

→しかし、彼女は誤った信念に基づいて効用を最大化する選択肢を選んだため、それが合理的な解決ではないかもしれない。

→合理的推論の観点からは合理的であるが、合理的振る舞いの観点からは非合理である。

合理的推論の理論=内的な観点を採用する方法

合理的振る舞いの理論=外的な観点を採用する方法

4.4 Fixation of Means VS Fixation of Ends

  • 合理性の規範は、手段のfixationにのみ適用されるのか、目的のfixationにも適用されるのか?

→最も有力な考えは、目的や欲求を実現する効率や効果に理性の範囲が限定されるというもの=instrumental rationality (役に立つ道具としての合理性)

:ある人の合理性は、ある人の欲求や目的の実現に役立つ道具として奉仕するものとみなされる。

→手段にのみ関係する。

⇄目的に関しても、何らかの合理的な批判の可能性を認めている。(ex 月面に最初に着陸する、永久機関を作る、、といった目的は非合理であるとみなす)

→ある人の信念に基づいて不可能だとされる目的を持つことは非合理であると考える。

  • Epistemic rationalityとorectic rationality

4.5 Procedural and substantive Rationality

  • 合理性の問題と目的/手段のfixationは、「手続き上の合理性procedural rationality」と「本質的な合理性(substantive rationality)」との間の区別に深く関わっている。

手続き主義者:目的の固定化は、実践的な理性の範疇を超える根本的な目的と、合理的な批判に身をさらす道具的な目的の両方に属していると考える。

本質主義者:すべての目的は理性による精査にかけられている。

 

  • The Instrumental Conception of Rationality
  • 道具的合理性=所与の選択肢の中で、効用を最大化する案を確かなものにする(establishing)手続きにおける選択の合理性
  • Rationality in Engineering-Design Practice

6.1 Creating and Rationality in Engineering Design

  • 創造的活動としての工学設計と、合理的活動としての工学設計は、どのように関係しているか。両者は矛盾しないか。
  • 突然のアイデアのひらめきの中に位置付ける通俗的な「創造性」のイメージは、実際の実践を正当に取り扱っていない。

→単なるアイデアではなく、実行可能なアイデアが重要。

→アイデアをハードウェアに変換するためには、そこに至るまでの創造的・建設的な思考の試行錯誤が必要。

  • 同時に、様々な提案が議論の俎上にあげられれば、部分的には合理性に基づいて意思決定される。=工学設計には、創造性と合理性の両方が必要。
  • ポパーの見解

:合理的な方法という意味で、科学の発見において「論理」は存在しない。

  科学における合理性は、新しいアイデアを反駁することの中に属する。

  →科学的なアイデアが生み出される方法は合理的な分析には従わず、それらの正当化のみが合理的な分析に従う。

  →創造性と合理性は分離している。

  :両者に緊張関係があっても、科学を創造的でありかつ合理性であると考えることは問題ない。∵両者は異なった文脈で各々の役割を演じるから。

→創造性:発見の文脈/合理性:正当化の文脈

→設計において、発明に関わるのが創造性で、アイデアの選択に関わるのが合理性。両者はべつの文脈で機能し、それゆえ、設計が合理的でありかつ創造的だということは問題ない。

  • 両者は本当に区別可能なのだろうか?

合理性を、「道具的な合理性」(=所与の選択肢の中で、効用を最大化する案を確かなものにする(establishing)手続きにおける選択の合理性)だけに限定しても良いのか?

→両者は設計において、お互い手を携えているのではないか。

  • The Engineering Picture of the design process
  • 工学設計の合理的なプロセスのダイアグラムを検討する。

 :いくつかのサブタスクに分け、それを順番に並べる。

 ←この段階を実装することで、設計のパフォーマンスが改善されるという精神が背後にある。

  • 設計の仕事を扱うための言語と語彙を提供する。

⇄設計者は、設計が「固定化」したときに、プロセスはほぼ完成したと考え、レイアウトや文書を作成する。

しかし、四角いダイアグラムは、反復の可能性が示されているものの、実際の設計に比べてより機械的で直線的な表現になっている。

 →設計の過度に理想化された姿であり、完全ではないにせよ、設計の完成に求められる参加者間の交渉や意見交換といった側面を見落としている。

  • ダイアグラムが示しているのは、「プロセス合理性」

:道具的合理性の一種で、様々なステップの最良の手順や連続を表しており、より「良い」設計を志向している。

⇄設計過程の抽象化された姿に基づいており、その結果、プロセス合理性も抽象的になっている。

→設計過程の構造に影響する合理的な決定と、設計物に影響を与える合理的な決定との間の関係はどういうものか。

→この関係が曖昧なままでは、ダイアグラムの価値は全く明らかではない。

  • Rationality and Design Decisions(決定に合理性はどう関わるのか)
    • Design as a rational decision process of selecting the best choice

(合理的な決定の過程としての設計)

  • 設計の過程=合理的な意思決定の一部→設計者は最善の設計を一つ選ぶ。

→(道具的な)合理性は、所与の選択肢の中からの選択に関わるだけではなく、選択肢を生み出す過程にも関わると考えることもできる。

→最善のものから最悪のものまで、あらゆるすべての設計のコンセプトの序列を作ることが、設計における主要な課題になる。

  • Rational decision making design teams
  • 複数の設計者が共同で設計を選択するとき、合理的意思決定の理論を用いるためには、共同選好尺度が求めらる。

←集団的な選択肢の優先順位を、それが社会的集団的とみなされる単一の優先順位へいかに最適に変換するかが、中心的な問題になる。

→アローの不可能性定理:個人の尺度のみが与えられている場合、集団的選好尺度の概念に意味を持たせることはできない。

→複数の設計者が働いている場合には、合理的な優先順位を構築できない。

→メンバー間で意見が異なる場合、話し合いをする必要がある。

→7節で決定の交渉についての社会的次元について分析する。

  • Multi-criteria Rational Decision Making
  • アローの定理は、所与の一連の設計解決を一つの優先順位に到達する過程が合理的な精査にかけられる場合にも、役割を果たす。

:設計過程は、最初の段階での機能的な条件に起因する多数の基準に従う。そのような機能的な条件は、例えば、「2000Paの圧力に耐えることができる」といった、満たされるか満たされないかの制約を持つ特性に変換される必要はない。

⇄「可能な限り軽量で」、「可能な限り堅牢で」といった様々な設計概念が比較、評価されなければならない基準に変換される。

Ex 重量を高い優先順位に置けば、堅牢さは低い優先順位に置かれる。

設計者は、このような様々な個々の優先順位のセットを、「最良」に表す単一の順序に集約する問題に直面する。

=個々人の優先順位を集団的・社会的優先順位に集約させる問題と同型。

→アローの定理により、この問題の合理的な解決策は存在しない。

 

  • Design as a Social Process

7.1 Social versus Societal Aspect of  Design

  • 工学の設計の問題の解決は、個人に生じる活動ではなく、企業の中の設計チームの中で生じるもの。→工学の設計は社会的文脈の中に埋め込まれている。

→特に合理性の問題について工学設計の社会的要素の役割を分析するのに際して、「社会」という語の使われ方を区別しなければならない。

社会=社会-技術体系(socio-technical system)の中の、その機能に必要不可欠な、設計物以外の、非技術的な、その他すべての要素。Ex 法律、制度など

  • 設計仕様が変更されなければならないとき、道具的な合理性とは異なった合理的な行動の別の形態として、「社会」がどのように理解されるのか。
    • Object World
  • 設計に携わる各々の専門家は、職業的な実践の固有の世界の中にいる。

←専門的な視点からの仕事の方法の標準的なモデルの世界

→固有の時間スケール(秒単位なのか日単位なのか)、固有のインフラ(特別な機器、テクスト、ハードウェア…)を含む。そして、固有の“方言”を話す。

object world (Buccuarelli,1996)

  • Object worldの中で、それぞれの工学者らは人工物の振る舞いの抽象化を行う。

→事物の機能の仕方の原理を明らかにするために、(まるでそのように振る舞うかのように)ある見方で外見を変形する。

Ex 構造の専門家は飛行機を翼の構造に焦点を当てた見方をする。エンジンの専門家は重さ、サイズ、発電機など飛行機全体を見る。航空力学の専門家は飛行機の周りの流れの場(flow field)を見る。(図4)

  • それぞれのobject worldの中では、道具的なモデルや方法が適用可能である。

=問題は、良く定義され(wee-defined)、良く構造化されて(well-structured)いる。

  • ⇄様々なObject worldが交錯すると、そうはいかない。

→“one object, different object worlds”

Object worldの言葉の中で結論に至る、包括的な方法は存在しない。

→工学者らは、彼らの固有の見方についての意味を、他の世界に住む専門家らが確立できるように、結果を強調しなければならない。

  • The limit of Reasoning
  • DreyfusとDreyfusは、calculative rationality(計算の合理性)と、deliberative rationality(熟慮の合理性)の間の区別を設けた。

計算の合理性:道具的合理性と大体同じ

熟慮の合理性:専門の直感的な能力に根ざしているもの

⇄専門家の集団の行動を考える際には、役に立たない。計算の合理性と同様に熟慮の合理性にも依存してるかもしれないが、交渉が要求された際に、ある個人が他の専門家よりも抜きん出ていて、職業的な役割を果たすということはない。

:個人の認知的な振る舞いから、理性の社会的行使の次元へ

ハーバーマスの社会的合理性は大きいが、我々の関心はローカルでミクロなもの。

しかし、彼の合理的なやりとりの像は、会社内での工学者の設計の観察に役立つ

:提案的真理、規範的正当性(主観性)、誠実な表現などの全てが、意思決定の混合の中に入る。(Ex xのパーツはy度以上になると破損するだろうという一環的な主張があり、使用者の手に渡る製品の安全性を確かめるテストに時間を費やせという主張があり、ラッチ機構の設計の単純性の主張がある。)

  • コミュニケーション的理性にとって、信頼が本質的であるのは明らかである。

→信頼は、事前理解(pre-understanding)の次元の一つである。

→コミュニケーション的理性≒熟慮の合理性

∵参加者が設計について合意に至ったのは、単に専門家であるということだけで、彼らが様々な理由を与えたということに気づくから。

→社会的合理性の根拠にはゆるさが存在する。

→参加者は異なった主張や提案が交差することを理解しているが、それらを妥協させる全体を包み込むような合理的方法は存在しないということも理解している。

⇄全員が喜ぶような結果になることもある。

→そのプロセスはいかにして合理的なものとして構築されるのか。どのような方法を行うのか。あるいは行うべきなのか。

  • 一つのアプローチは、参加者が「満足する」設計に落ち着くことを想定すること。

Cf パレート最適

  • 合理的理性が限界に突き当たったことと同様に、合理性の社会的形態も限界に突き当たった。

工学の設計は、より広い状況で生じており、その状況は他の選択肢に比べてある選択肢が好まれるべき理由を与えるかもしれない。

→決定は、設計物に直接関係しない理由や熟考に基づいてなされる。

Ex 企業間の序列、権力、個々人間の信頼性

→厳密には工学設計の関係を超えた視点から、よりよい選択肢が選ばれるかもしれない。

 

 

Philosophy of Technology and Engineering Sciences (Handbook of the Philosophy of Science 9) (English Edition)

Philosophy of Technology and Engineering Sciences (Handbook of the Philosophy of Science 9) (English Edition)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: North Holland
  • 発売日: 2009/11/27
  • メディア: Kindle
 

 

 

 

Chapter 9(Theodore Arabatzis) “Hidden Entities and Experimrntal Practice: Renewing the Dialogue Between History and Philosophy of Science”,

Chapter 9(Theodore Arabatzis) “Hidden Entities and Experimrntal Practice: Renewing the Dialogue Between History and Philosophy of Science”, Integrating History and Philisolhy of Science, Boston Studies in the Philosophy of Science 263,pp.125-139.

 

第9章では、科学的実在論の議論を通じて、HPSの相互関係の有効性について検討されます。

だいたい、以下のようなことが書かれているはずです。

 

9.1 Introduction(pp.125-126)

  • 科学史・科学哲学の両者の関係における文献の多数は、後者のための前者の重要性を説くといった偏りのあるものだった。

:歴史志向の科学哲学は、歴史を哲学の理論をテストするための経験的材料の倉庫とみなす。

科学史家は、科学哲学の「実用的な価値(pragmatic value)」をしばしば疑ってきた。

:クーンのような哲学志向の歴史家でさえ、科学史における科学哲学の関連性を否定した。

→哲学者が歴史に介入することで、歴史的アクターのカテゴリーに対する鈍感さを引き起こし、実用的価値への疑いはますます深まった。

→哲学的な歴史記述を支持すること≠既存の哲学的立場を歴史記述に持ち込むこと

⇄ある哲学的問題・議論に関わることで、歴史的分析を深めること

→既存のどの哲学的立場においても、歴史資料の複雑性を正当化できない場合、歴史家は新しい哲学的洞察を提案するべき。

  • 著者がこれまで取り組んできた問題
  • 科学的発見に関する問題

:「XがYを発見した」という記述的言明

→「Xによって得られた証拠は、Yの存在を確証(establish)させるのに十分である」という認識的判断を含む。

→「あるものが発見されたときそれは確かに実在する」という実在論的趣がある。

→「発見」を歴史記述のカテゴリーとしても用いる際、歴史家は科学的実在論の問題に足を踏み入れることになる。それゆえ、発見されたものや発見者を同定するには、概念的な分析が要求される。(実在論/反実在論の両方に受け入れられる中立的な立場からなされるべき)

  • 概念の変化と、それを歴史の語りの対象として選択することに関する哲学的問題

:ある科学的概念が流動的であるということは、それらについて一貫した歴史の語りを枠づけることを妨げるように思われる。(cf Skinner)

←歴史記述にとっての哲学の議論の重要性

→本稿では、実験的な実践に関わる哲学的問題や科学的実在論が、「隠れた実在」の来歴の歴史的研究をどのようにして実りあるものにできるかを調べることで、HPSのさらなる統合の可能性を考える。

9.2 Why Use the Term “Hidden Entities”? (pp.127-128)

  • 「観察不可能な実在」や「理論的実在」といったよく知られた語ではなく、「隠れた実在」という語を用いる理由

∵(1)観察可能/観察不可能なものの区別にまつわる問題を回避するため。

マックスウェル:観察可能なものと観察不可能なものとの間にはっきりとした境界線を引くことはできず、それゆえにその区別は、認識論的・存在論的な重要性を持たない。

⇄ファン・フラーセン:その区別を復帰させ、構成的な認識論の中心に据えた。

→この論争を未解決のままにしておく。

  • (2)「理論的実在」という言葉の使用を避ける

∵①それが埋め込まれている理論的枠組みを超越することがないという誤った印象を与えるから

⇄「隠れた実在」=異なった理論(あるいは分野でさえも)の間を行き来するもの

Cf カートライト、ハッキング:隠れた実在の超理論的特性の共時的な次元を強調してきた。

シェーファー、パトナム:超理論的特性の通時的な次元を指摘。(隠れた実在は、たいてい連続した科学理論の対象だった。)

②「理論的実在」:そうした実在の多くは、実験室において調査される実験的な対象であるという事実を軽視する。

実験室=実在の特性についての体系的な理論から導かれる手引きがしばしば存在しない。

  • (3)(本稿が対象とする時期である)19世紀から20世紀において、「隠れた実在」や「目に見えない実在」という言葉は、原子論者/反原子論者といった歴史的アクターのカテゴリーを示すといった利点がある。

原子論者

・ヘルツ:『機械論原理』(1894年);原子の形状、繋がり、動きは、完全に我々から隠されている。

・ジャン・ペラン:技術的発展によって、目に見える/目に見えないの間の境界線は変化する。

反原子論者

デュエム:現象の背後にある隠れた領域には、認識的にはアクセスできない。

ポアンカレ:科学理論≒heap of ruins piled upon ruins”

科学理論の目的≠物理的現象を引き起こす隠された事物を明らかにすること

→自然は永遠に我々の目から隠れているのであり、それゆえ科学理論の目的は、現実の事物の間の真の関係性を発見することである。

←このように、「隠れた」という語がよく用いられているにも関わらず、その言葉は発見されることを待っている前から存在する(pre-existing)現実を示唆するため、構成主義の時代においては反対にあいそうな口調の言葉である。

⇄”hidden”:形而上学的な論争において中立的な立場を維持しつつ、隠された領域と明らかな領域との間の区別を設けることができる。

 

9.3 A Glance at the Role of Hidden Entities in the History of the Physical Sciences:The Historical Roots of a Philosophical Problem (pp.129-130)

  • 17世紀以来、隠れた実在を仮定することによる現象の説明は、科学の重要な側面であり続けてきた。

Ex 機械論哲学:自然界の構成物は、目に見えないほど微細な粒子による絶え間ない運動である。

デカルト:ネジの形をした粒子を仮定し、磁力を説明

  • 18世紀に入ると、機械論的説明を容易には認めないような現象を機械論的枠組みの中に順応させようとしたことで、隠れた実在は増大した。

Ex 電気力や磁気力を説明するために、遠隔作用する流体(不可秤量流体=imponderable)が仮定された。

→18世紀の終わりまでに、その豊かさが証明され、電気力、磁気力、光、熱、燃焼を調べるための数量的な統一された枠組みを提供することを約束した。

→光を機械論の枠組みに取り込むべく、“発光性”のエーテルが仮定

場の理論:電磁気の過程に光を統合し、光学、電磁気エーテルを特定

  • 19世紀の最後の四半世紀:
  • 機械論の伝統は、もう一つの隠れた実在である原子を過程することで強化された。

原子:気象学や化学の問いに答えるべくドルトンによって提唱

→定比例の法則や倍数比例の法則といった経験的規則を単純化、体系化、説明することを主な目的にした

→熱現象をうまく説明するために、物理学者らによっても支持された

⇄19世紀の間、多くの科学者は原子を必ずしも必要ではない虚構と考えており、その存在論的な地位に関する問いは、留保されていた

→20世紀の初め、ペリンによるブラウン運動の実験により、原子の実在の証拠が示された

→電子、クオークなどの素粒子物理学

  • 隠れた実在はしばしば(いつも?)説明的な目的のために導入されてきた。

→隠れた実在の周辺に、理論的・実験的な実践の全体領域が構築されてきた。

⇄実験的に成功してきたにも関わらず、のちに誤りであることが分かったものがいくつかある。(フロギストン、カロリック、エーテルなど) (悲観的帰納法)

→隠れた実在に関する哲学的文献の多くが、科学的実在論に焦点を当ててきた。

←この問題の起源の中には決定不全性がある。(=観察データによっては対立する理論の中から一つの理論を選ぶことはできない)

→隠れた実在を導入し確証させるとなると、さらに混みいった議論になる。

帰納からの一般化→水平方向の決定不全性に直面

現象の下に(underneath)実在を仮定する仮説→垂直方向の決定不全性に直面

 

9.4 Bypassing Underdetermination: Cartwright and Hacking on Entity Realism (pp.130-131)

  • 決定不全性を回避する議論

ハッキング→カートライト :実験的な実践に焦点を当て、その実践において遂行される因果的推論のモードを特定することで、この問いを回避しようとした。

→機器の操作や実験が、ある状況下で、理論の影響を受けない(theory-free)隠れた実在へのアクセスを与えることができる。

Ex ハッキング:隠れた実在は、操作することに成功したとき、仮説的な実在であることをやめる。

”電子を照射することができれば、それは実在する。”

カートライト :そのようによくテストされることで正当化されてきた理論的実在は、科学史においてもめったに棄却されていない。

 

9.5 Problem of Entity Realism: A Role for History of Science (pp.131-133)

→”manipulation of what? problem”「何が操作されているのか」問題

:実証的(?)な原理として、操作可能性を持ち出す前に、操作する対象を特定しなければならない。

⇄対象がどんな類のものか分からない状態で、何かを操作するということはありうる。

Ex 19世紀の最後の四半世紀の陰極線の実験

:19世紀末になって、最初に操作していたものが陰極線ではなく電子であるということがわかった。

→操作可能性それ自体によっては、(例えば)(陰極線ではなくて)電子の存在を確証させることはできない。

=実験の対象(material)を理解することは、実験でなされていることの記述(理論的解釈)の多元性と両立する。

→実験の対象を理解することが理論的解釈を決定することに足りないのだから、「実験において何が操作されているのか」という問いには、実験者によって遂行される実験操作をベースにすることだけでは、答えられない。

→「明白な」実在を操作することと、隠れた実在の存在との間の認識的ギャップは、隠れた世界(hidden world)の表現によってつなぐことができる。

  • 決定不全性の問題に再び帰着

:理論的説明も、実在をベースにした現象の説明も同様に決定不全性に直面する。

⇄カートライト :2つの説明は非対称である。実在をベースにした説明だけは、決定不全性を免れると主張。

=(厳密に制御された実験における)因果的関係が電子の存在を根拠づける。

→同様に満足いく方法で現象を説明できるような代替物が存在しないときにのみ、説明が真であることを推測できる。

ここでの問題=現時点での代替物が存在しないことは代替期間が存在しないということを含意していると思い込んでいる点。

⇄全くことなった実在の存在に基づく、同じ現象の2つ以上の因果的説明を想像することができる。

Ex フロギストン説と酸素をベースにした燃焼の説明

→科学の発展のある段階において、ある現象の因果的説明を一つ以上持たない場合であってさえ、知識の将来の発展は、「思いもよらない代替案」に光を当てるかもしれないのだ。

ハッキング:私の対象実在論のための実験的な議論は、対象の実在を支持する十分条件であるかもしれないが、必要条件ではない。

  • さらなる困難:科学的実践において、操作可能性はときどき(しばしば?)実在を支持する「最善の証拠」でも、「最も有力な証拠」であるとも考えられていない。

→ハッキングは、科学者共同体による決定という側面を見落としている。ハッキングの基準は、実在の存在への支持を明確に決定しない場合でさえも、存在論的なコミットメントを推奨してしまっている。

  • カートライトの因果的推論へを強調も同じ問題に直面する。

:「ラジオメーター内部の気体分子の存在も、接線方向の力も、マックスウェルの羽の回転についての因果的説明を受け入れるからこそ、信じることができる。」

⇄科学者共同体の判断を事前に読んで対処(anticipate)している。

  →実際には、20世紀初頭まで、分子は議論の分かれる存在であり、多くの科学者はマックスウェルによる因果的説明によって、分子を信じるようにはならなかった。

    →問題を過度に単純化することによって、科学者共同体の判断を先取りしてはならない。むしろ、科学哲学者らは多数の理論的・実践的実践へと注意を向けるべきである。←科学史の役割

 

9.6 Towards a Historiographically Adequate Philosophical Attitude (pp.133-134)

  • 科学者が後で誤りであるとわかった実在を熱烈に信じ込んでいた歴史的事実に正当な取り扱いをすることが必要。(ex トムソンのエーテルケルビンの発光性エーテル)

→過去の科学者の理論的、器械的、実験的実践の中に、そしてその仮想的存在の中にどっぷり浸かる(immersing)ことで、彼らの信念の説得性、一貫性、成功を理解することができる。

⇄それらの中に棄却されたものがあるという事実は、我々をその歴史的アクターの存在論的コミットメントから退くきっかけになる。

→世界観(一連の実践)の中への没入と、それに関連した隠れた実在への信念との間を分ける態度を推奨する。=「存在論的に括弧でくくる態度」(attitude of ontological bracketing)

 

9.7 Sidestepping the Problem of Realism (pp.134-136)

実在論は現代の科学に対する認識的態度に関わるのに対し、ここでの態度は過去の科学に向ける態度であるから。

実在論の規範的側面を避け、記述的・解釈的性格が支配的な問題に焦点を当てることを目的。

  • (1)規範的な哲学の問題に記述的な問題に相当するものがある。

科学者はいかにして隠れた実在が本物であると確信するようになるのか?

:①理論に関する要素=経験的十全さ、説明力、理論の豊かさ

②実験に関わる要素=異なった実験設備において、隠れた実在の特性が決定される。

  • (2)彼らの表現を構築することにおける実験の役割に関わる問題

デュエムとハンソンの議論

デュエム:隠れた実在は、「効果の配置(constellation of effects)」に関係している.

:異なった複数の効果(電気ならば、化学、熱、光といった様々な効果をもつ

)が、いかにして一つの効果の明示としてまとめられるか。

→さらに、特定の特徴が、いかにしてその実在に帰属させられるのかということを理解することである。

→実験的に生じた現象を隠れた実在に帰属させるとき、科学者にとって関心のある現象の特徴は、問題となっている実在の推定上の特徴や振る舞いに結びつけなければならない。

Ex 19世紀の終わり、実験室で観察された分光学の現象は、頻度、強度、スペクトル線の分裂という3つの顕著な特徴を有していた。

→一度スペクトル線が隠れた実在(=電子)に帰属させられると、それらの特徴は、その実在の特徴や振る舞いとリンクさせられなければならなくなる。

=頻度、強度、線の分裂は、周波数、振幅、電子の振動の方向と相関づけられる。

→電子の表現の表明を導く

Cf 測定の問題

  • 理論は隠れた実在の実験的な調査において決定的なものであるが、実験対象としての実在は、理論的な表現から独立するのかどうかを問う必要がある。

→知識の重要な部分は実験から引き出され、理論から独立する。

∵①自然に関する理論的説明がない状態で、隠れた実在の実験に従事するということがありうるから。(ex 陰極線の実験)

②実験的に決定された隠れた実在の特性は、しばしばとても異なるそれらの理論的表現の中へと統合されるから。(ex トムソン、カウフマン、VIllaarは、各々陰極線の究極的な性質について異なった見解を抱いていたが、質量電荷比の価値については最終的に合意した。)

③隠れた実在の理論的表現が衝突しているからといって、実験的な文脈におけるその同一性に疑問を投げかけるというわけではないから。(ex  20世紀の初め、電子の形状や構造について、いくつかの相反する説明が議論の俎上に上がっていたが、カウフマンのB線の実験は電子の理論的表現の共通の指示物と捉えられ、この問題を決着に導いた。)

 

9.8 Concluding Remarks (pp.136-137)

  • 対象実在論の問題についての哲学的省察は、隠れた実在がいかにして導入され、調査されたのかという歴史的な調査によって多くのものを得た。
  • 隠れた実在の来歴についての歴史的分析は、その存在や、科学的実践における役割についての哲学的省察から利益を得た。

 

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Chapter 8 (Hasok Chang) “Beyond Case-Studies: History as Philosophy”

Chapter 8 (Hasok Chang) “Beyond Case-Studies: History as Philosophy” Intergrating History and Philosophy of Science,Boston Studies in the Philosophy of Science 263, pp109-124.

 

今年の3月に開いた読書会で扱った論文が、秋学期の授業で偶然にも取り上げられた。

このような形で読書会が役に立つとは、思いもしなかった。

この機会に、内容をざっとまとめて、改めてコメントを絞ってみようと思う。

(※英語の読解には不正確な点がある可能性がある。また、要約に網羅性はない。十分に組み尽くせなかった箇所は、省略している箇所もある。)

 

 

8.1事例研究にまつわる問題と、歴史における能動的な哲学の機能

単なるひと握りのケーススタディー(個別研究)から、我々はどういった結論を導くことができるのか? 科学史科学哲学の領域では、便宜的に選択された少数の個別事例に基づいて、性急に哲学的な一般化を行うということがよく行われてきた。しかし、それは、哲学と科学の両方にとって、有害なものであり続けてきた。

哲学サイド;ケーススタディーは、哲学者の中にあらかじめ存在している科学の性質や方法についての偏向を、確かなものにすべく証拠を列挙するという空虚な身振りに結局は終止することになる

歴史サイド;哲学者がケーススタディーのアプローチを通じて、複雑な歴史的事例を過度に単純化してしまうことに失望していた。

ケーススタディーにおける歴史-哲学の関係の性質を明らかにすることを放棄することは、科学史・科学哲学全体の企てにとって、広範な幻滅を導くことになるだろう。

Kuhn:「哲学の理論をテストする土台としての歴史」というLakatos見解に疑義

ラカトシュのいう歴史は、哲学的に捏造された事例だ。

⇄Kuhn:歴史と哲学は別々のゴールを持っており、同時に行うことは不可能。

(歴史は史実のsoftな声を聞くべく、沈黙しなければならないが、哲学はそうではない。)

⇄しかし、哲学と歴史のあいだを自由に往来するような仕事をしたのは、Kuhn自身だったのでは??

→しかし、Kuhnは歴史と哲学の相互作用の方法を明確に示さなかった。

⇄我々はそれなしでは、一方では歴史の事例から不注意な一般化を行うことと、他方で、科学的な過程を理解することなしに完全に「ローカル」な歴史を書くことの間のジレンマを言い渡される。

・この間のジレンマを乗り越えるべく、歴史/哲学の間の「帰納的な」関係といった見方を変える必要がある。

:歴史=個別/哲学=一般

→歴史=具体/哲学=抽象 という見方に変える。

歴史は事例の一般化ではなく、エピソードの表現(articulation)である。

エピソード:一般的なアイデアの例でも個別事例でもなく、それは一般的な概念の具体的な例示(instantiation)である。個々のエピソードは、一般的な概念を強調することに寄与する。

・歴史を語る際に抽象的な概念が必要であるということを聞いて、多くの哲学者は驚かないだろう。

⇄ここでいう新規性は、それとは逆の、「歴史をすることは、哲学をすることを手助けする」という逆の依存関係。

歴史的なエピソードが適切に理解されうるような既存の哲学的概念を持ち合わせていないとき、歴史家は新しい哲学概念を作り出さなければならない。そして、こうした必要性は避けられるべきではなく、むしろ積極的に知的機会に抱擁されるべきである。

 

 

 

8.2 温度測定と、認識的反復Epistemic Iteration

8.2.1 測定の循環性Circularityと信頼性Reliability

・最初に取り上げられるエピソードは、温度測定である。著者は、観察の理論負荷性について考えており、循環論に陥ることなしに、いかにして観察が正当化されるかという問いについて取り組んでいた。

:水銀温度計は、「水銀は、温度上昇に従って斉一にuniformly(あるいは直線的にlinearly)膨張する」ということが推定された理論に依存している。

(ex:水銀満たされたガラス管を氷水に入れ、水銀が達した地点を0とし、続いて沸騰したお湯に入れ、水銀が達した地点を100とする。そして0と100の間の地点を50とする尺度を作る。このとき、温度が正確に50度であるとき、水銀はこの真ん中の50の地点に達するという推定がある。)

⇄それは本当だろうか?

←良識のある物理学者であれば、温度計の中の液体の振る舞いについて、実験によって確かめようとするかもしれない。

:データをとって温度によって水銀の体積の変化をプロットしていき、それが直線になるかどうかを確かめればよいと。

⇄我々はまだ信頼できる温度計を手にしていないのに、どうして温度の正確な値を手にすることができるのか?

この問題は、以下のように定式化される。

(1)Xという量が知りたい。

(2)そのXが直接観察できない場合、もう一つの直接観察可能なYという量から推論する。

(3)この推論のためには、XはYの関数として表現されるという法則を必要とする。

(4)しかし、この関数の形は、経験的には観察されないし、確かめることもできない。なぜなら、それはYとXの両方の価値について知ることに関わるが、Xはまさに我々が測定しようとしている未知の変数だからである。

→著者は、これはthe problem of nomic measurementと呼ぶ(Chang 2004)。

(1)測定という方法を正当化する試みのほぼ全てに関わる問題であり、

(2)明らかな解決策が見当たらない

という問題がある。

⇄にも関わらず、今日の科学者らは、水銀が温度変化にしたがって膨張すること(しかもそれは直線的ではない)を知っている。

→誰かが、いつか、この問題をとかなければならなかった。

→それがどのようになされたかを観察することが歴史である。

←既存の哲学的見解を確かなものにすべく、歴史研究に取り組むのではなく、むしろ未解決の哲学的問いの答えを探すべく、歴史を辿った。

 

 

8.2.2 認識的反復と前進的整合説Progressive Coherentism

・著者は、この袋小路から「認識的反復epistemic iteration」というアイデアによって出ることを試みる。認識的反復という概念によって、問いの中の循環は螺旋のようなものであり、科学者はその中で、まだテストされていない測定方法の妥当性を仮定することで始め、探求のプロセスを始めるのであるが、結局は、最初の仮定自体を、精製し正したところへ再び戻るのである。確かな事実や修正不可能な公理から始めるのではなく、それ自身の改良のために用いられる、不完全な(間違ってすらいるような)知識体系から始める。

 

・認識的反復の概念を発明したことで、温度の歴史をよりsensiblyに捉えられるようになる。最初、人々は、熱い/冷たいという感覚は、高い/低い温度に対応しているという感覚から始まる。そして、物がより熱く/冷たくなるのにつれて膨張したり縮小したりする物質を発見することで、温度計を作った。温度計は、観察可能な温度の範囲を拡張し、ついには人間の感覚よりも精密になる。温度計がより洗練されると、人間の温度に対する認識の権威を温度計に譲ることで、「適切」な感覚を伴うようになる。この種の改良は、数値化された温度計を作ったときに再び起こる。

 

・数値の温度計を作ることで、さらなる反復の改良が導かれる。温度計に使われるあらゆる物質は斉一に膨張するということを信じる疑いのない理由はないが、斉一性を想定した上で、様々な数値温度計が作成され、結局は筋の通った温度計は拒否された。

 

前進的な整合説progressive coherentismについて、著者はそれを図の8.1で比喩的に示される。そこでは基礎づけ主義への幻滅が言及されている。硬い地盤の上に知識を積み重ねていくという伝統的な基礎付け主義者の図像は機能しない。

∵その硬い地盤に相当する物は、経験的な科学には存在しないからである。

我々が記憶にとどめておかなければならないことは、地球は平らではないということだけだ。現実の建築では、我々は平らな地球の上方に建てるのではなく、丸い地球の外側に建てるのである。宇宙には、固定された場所や起伏のある場所などは存在しない。我々が地球の上に建てるのは、それがどこよりも強固であるからではなく、それが広く、他のものを惹きつける密度の高いものであるからであり、我々はたまたまそこに住んでいるのである。

 

8.3 化学革命-多元性Pluralismと実践の体系Systems of Practice

8.3.1 パズルとしての化学革命

・二つ目に取り上げるエピソードは、化学革命である。これは、著者が、講義のため、化学革命についてより詳しく調べるほど、ラヴォワジェの燃焼理論に大多数の化学者らが移行したことの十分な理由は存在しないことを確信するようになったことがきっかけだったという。かつての人々が同意したのは、以下の反応の観察であった。

「活性化した空気+可燃性の空気=水」

一方、ラヴォワジェは、

「酸素+水素=水」

という水の組成の証拠として、これを解釈した。

しかし、これは、水を単一の元素とみなすフロギストン説を反駁するだけの十分なものだろうか?それは違う。

∵(キャベンディッシュやプリーストリーによって進められた)フロギストンに基づいた一貫した別の解釈が存在していたからである。

=「脱フロギストン化された水+フロギストン化された水=水」というもの。

そしてその他にも、2つの理論の間には、経験的に類似した事例がたくさんあった。

→18世紀の後半に化学者らがラヴォワジェへの教義に移行したことをどのように説明すれば良いのか?

著者は、イデオロギーやファッションといった観点から説明することを避ける。なぜなら、当時のcontexual pictureはとても複雑だったからである。哲学者として、維持しなければならない問いは、過去の科学者がした決定は科学的に正当化されたかどうかというものである。

 

・Changは、フロギストン説が、酸素理論に明らかに劣っていることを示す哲学的な基準はないことを詳しく論じた。

:ラヴォワジェ理論がなかった間、フロギストン説が経験的な証拠によって反駁されることはなかった。そして、フロギストン説の支持者がフロギストンに消極的な重きをおかなければならなかったということも真実ではない。また、ラヴォワジェ理論はフロギストン説よりシンプルであったというのも間違いだ。

Ex Andrew Pyle(2000)の研究では、フロギストン説は観察できない余分な物質=フロギストンを想定していたことで、物事を無駄に複雑化していたと主張する。しかし、これは、ラヴォワジェの方も「熱素」という物質を想定していたという事実を見逃している。

 

・Hasok が、HPSでこのテーマについて最良の研究を行ったとみなすAlan Musgrave(1976)

:彼のラカトシュ派の答えは、ふたつの競合するリサーチプログラムの相対的な前進性が決定的であった。化学者が、フロギストン説があたらしい予測に失敗し始めたり、その場しのぎの仮説に依存するようになってきたために、その説を放棄することは合理的である。彼は、1770-1785年の間に、酸素理論は整合的に展開し、それらのあたらしいバージョンは理論的にも経験的にも前進した。一方、1779年以降、フロギストン説はそうはいかなかった。しかし、Musgrave自身が述べているように、ラヴォワジェは失敗したが、プリーストリーは1766年のフロギストン説のバージョンで、偉大な成功を収め、すべての中で最も印象的な実験が1783年の初期に現れた。それは、可燃性の空気の中で熱すると、金属灰は減少するというフロギストン説の支持者の予測を確信させるものだった。

ラカトシュ派の議論を擁護するためには、ラヴォワジェが1783年かそれ以降に真新しい予測に成功したことを見出す必要があるが、Musgraveはそれについて論じていない。ラヴォワジェは、可燃性の空気(水素)が酸化して酸が生じると考えたのだろうか?あるいは、塩化水素が酸素と”muriatic radical”に分解しと予測したのだろうか?

8.3.2 認識的多元性Epistemic Pluralism

・これらの哲学的な失敗に直面したので、私は化学革命を理解するために異なった枠組み、すなわち、認識論的価値観epistemic valuesに基づく理論選択を考えた。

競合する化学者集団は、異なった認識論的価値観を支持していたというものである。

(ex:プリーストリーは、実験室で起こる各々の小さな出来事を説明し、記録する際の完全性を理想ししたのに対し、ラヴォワジェは、cleanでelegantな理論的斉一性を追求した。)クーンが言うように、2つの価値観の間には明らかにトレードオフの関係がある。

→斉一性を追求する際には多くの人がラヴォワジェを支持する一方で、現象のすべての特性や、特異性により強い敬意を払う場合にはプリーストリーに帰する人々がいるということは、理にかなっているのである。そしてどちらの価値観が重要かを決める客観的な基準はない。

 

・ここで止まっていたら、クーンの見解への擁護で終わっていた。しかし、著者の中にはまだ仕事が終わってないという強い感覚が残っていた。Hasokは、プリーストリーのような反対者が、彼らが異なっているがしかしきちんとした価値観を持っていたために反対されたならば、その反対者は許容されるべきだったし、もっといえば、育てられるべきだったと感じるようになったという。もしフロギストン説が固有のメリットを持っていたならば、それが保持されるべきであった。ラヴォワジェの理論が、発展され、採用されるべきだったということではなく、それらはともに生き残るべきであったと主張する。

=化学革命のケーススタディが最終的に導いた多元主義だった。

:それは、複数の理論が保持されるべきだったことを主張し、どんな理論でも良いところと悪いところがあることを主張するだけの相対主義ではない。

 

・そうして、化学革命におけるクーン支持者の結論の含意が、クーンの科学哲学の中心的な想定=単一主義に反していることを見出した。実際、クーンは「通常科学」の状態では、あらゆる所与の学問領域に支配的な一つのパラダイムが存在すると主張した。そして、通常科学が危機の段階に入ると、その支配は変わり、支配的なパラダイムは新パラダイムにとってかわる革命が起こる。そして、新パラダイムは新しい独占支配の時代を享受することになる。ここでは、たとえ勝者が勝つべき疑いの余地がないほどちゃんとした理由が存在しなくても、革命的な闘争においてはあるパラダイム(あるいは他のパラダイム)は、勝たなければならない。

 

8.3.3実践の体系 System of Practice

・もう一つの主要な哲学的なイノベーション=「実践の体系」を採用すること。

「実践の体系」=認められる規則に調和する形で、ある特定の仕方で知識の生産や改善に寄与することを意図された、一貫した一連の身体的・精神的な活動である。

ここでは、科学者が各々の状況で達成しようとしている目標を、我々の視点にとどめておくことが重要である。

自己確認できる目標の存在や操作は、たとえアクター自身に明確に強調されていなくとも、単なる身体的な出来事から区別される行動や活動である。こうした認識的活動のよくある種類は、測定、検知detection、予測、仮説設定などである。

→科学的活動を、こうした活動の集積と考え始めるとき、科学者らが関わっている認識的活動は、本当に多様であることが明らかになる。

・認識的活動は、通常、独立して起こるものではないし、起こるべきでもない。

各々はシステム全体を構築するように、お互いに関係しあいながら実践される傾向にある。科学的な「実践の体系」は、ある目的を達成するための見解に関して示される、一貫した統合された一連の認識的な活動によって形成される。システムが一貫しているということを決めるのは、システムの実践の全体の目的である。

 

 

・ 認識的活動と、実践の体系との間に明確な線引きをすることは困難であり、それは恣意的である。記述の高いレベルと低いレベルとを区別しても、それは単に相対的で、文脈依存型になってしまう。

ex 燃焼による化学物質の組成分析は、バーナーで燃やすことや、他の化学物質を用いた燃焼物質の吸収や、重さを測ることや、パーセンテージの計算といった、より単純な実践を構成している。

→これらの構成している実践自体が、さらに他の実践を構成している。各々の状況の中に、研究しようとする科学の実践の総体があるのだが、私はその物全体を「体系」と呼ぶことを提案する。その体系のより細かいことなった側面について研究することが望まれるときには、その体系を異なった「下位の実践」に分けて分析することができる。

 

・少なくとのアングロフォンの伝統では、科学の哲学的分析は、科学を命題の集積体として捉えるという共通の習慣によって、過度に限定されてきた。そしてそこでは、命題がどれだけ真であるかということや、論理的な整合性などに焦点が置かれる。これは、哲学の分析において、科学の実験や、非言語的、非命題的な側面を見逃してきた。多くの歴史家や社会学者や哲学者がこうした問題を指摘したが、しかし未だに、それにかわる、科学の実践を分析するためのより完全な言語を与えるような明確な枠組みは合意されていない。こうした状況を変えることを試みるべく、まず最初の段階は、科学の理論的次元を無視することなく、科学の理論や理論選択について語ることを超えることである。

 

8.4 結論

・哲学と歴史の相互作用のある特定のモードは以下のように要約される。

既存の哲学的な枠組み

→歴史記述の難題:理解しがたいエピソード

→新しい哲学的枠組みを探す

→その新しい哲学的枠組みの中で、そのエピソードをより理解できるようになる

→その新しい哲学的枠組みが、さらに発展する。

→新しい枠組みをほかのエピソードに適用する。

(そして、これらの仕事において、歴史家と哲学家が同時にそれらを成すような同一人物である場合、このプロセスは最もうまくいく。)

 

・哲学が歴史を手助けするプロセス。

既存の歴史記述historiography

→哲学的難題:推定上の行動putative actionsや、意味をなさない過去の科学者の決定の連続。

→よりより歴史記述を探す。

→哲学的難題が改善される。

→新しい歴史の説明を完全にするための経験的な仕事Empirical work(?)

→その他の関連した歴史に反映される。

 

哲学と歴史との緊張関係があるとき、とがめられるべきは哲学の方だとは限らないということは、気にとめておく必要がある。むしろ歴史と哲学の相互関係が化学革命を理解する上で必要になる。

 

コメント

相対主義は、”anything gose”すなわち「なんでもあり」とする立場に対し、多元主義は、”many things do”つまり「ありなものがたくさん」とする立場である。別の言い方をすれば、相対主義は何が良いのかの判断を留保するのに対し、多元論は何かを良いと認めた上で、その良いとするものが複数あるとする立場である。しかし、Hasokは本稿で、その良いと認める基準を明確には示していないように思われる。少し踏み込んだ読解をすると、Hasokが示した概念である「実践の体系」を用いることで、その基準を設定することができるかもしれない。つまり、科学者がある目標に向かって整合的に認識的活動を営んでいれば、それは良い理論だったと認めることができ、逆に、ある目標に向かって認識的活動が瓦解するような形で、首尾一貫していない場合、それは良い科学理論だったとはいえないと認めるといった具合に、その基準を設けるのである。

・こうした多元主義プラグマティズムはどこが似ていて、どこが違うのだろうか。あるいは、多元主義プラグマティズムの一部なのだろうか。

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Chapter10 (Jutta Schickore) ”Scientists’ Methods Accounts: S.Weir Mitchell’s Research on the Venom of Poisonous Snake”

 Chapter10 (Jutta Schickore) ”Scientists’ Methods Accounts: S.Weir Mitchell’s Research on the Venom of Poisonous Snake” Integrating History and Philosophy of science (2012),Boston Studies in the Philosophy of Science 263,pp.141-161.

 

 前回に引き続き、Schickoreの論文レビューを行う。前回では、HPSについての大きな枠組みといったやや概念的なテーマを扱った。それに対して今回は、そういったフレームについての議論を背景にしたケーススタディーが展開される。Schickoreのお手並み拝見といったところだ。(しかし、時期的には、本論文の方が先に発表されている。)

(なお、読解は危ういという自覚はある。その点は加味していただきたい。)

 

 

1 Introduction

・本稿は、科学の実験について扱う論文で必ずしも十分に着目されてこなかった「方法言説(もしくは「方法論議」)(methods accounts)」に注意を向ける。

「方法言説」:

(1)実験を遂行する際に適応すべきルール

(2)それを行うときに遭遇する問題

(3)どのくらい実験者がこれらのルールにしたがっていたかという程度

についての科学者の説明を意味する。

→一見すると、科学者らにとって良い実験の方法とは何かに関する観念や、それがいかに発展してきたかということが、科学史・科学哲学(HPS)の統合にとって重要な問いのように思える。

⇄しかし、従来のHPSの統合は、誤った哲学の分析をベースにしており、不適切であった。

:メタサイエンス(科学の分析)は、暫定的な歴史資料の解釈が、予備的な概念の枠組みを修正し、こうして出てきた成果が、さらに適切な解釈に調停したと思われるまで取り組まれなおすといったダイナミックなプロセスであるべき。

→メタサイエンスは、解釈学的である。

・本論文は、S.Weir Mitchellの蛇毒に関する一連の論文を対象に、その論文の構造、特に実験の方法にまつわる問題をいかにして扱っているかに関心を向ける。

→Peter Galisonのいうところの「論証の技術(Technologies of argumentation)」つまり、受け入れることのできる科学的な議論を構築すべく必要とされる、概念や知的道具立て、手続きなどに関心を向ける。

・Mitchellは、19世紀の生理学以前の従来の方法論を引き継ぎながらも、新しい方法にも着手しており、その意味で転換点にいたということができる。→ケースとして興味深い。

さらに、アメリカにおける実験的な方法をめぐる議論にも関わっている。

 

2 メタサイエンス的分析の多角的視角:科学者による「方法言説」

科学史と科学哲学を、前者がデータを提供するもの、後者がフレームワークを提供するものと捉え、両者を対決させる「対決モデル」は、メタサイエンス的分析に際してミスリーディンングなモデルである。

→解釈学:分析概念は暫定的なものであり、歴史的な反省(吟味、熟考 reflection)によって修正されていくべき。科学の概念や実践、ルールは、それらが歴史的に今日まで発展(変遷)し続けてきたものであるということを注意深く意識するときに初めて、包括的に理解することができる。

→そういった「歴史主義」は、2つのレベルで分析に寄与する。

(1)方法論的、認識論的レベル

(2)科学の概念や実践のレベル

・本論文で議論する「方法言説」

→先行研究でこれが対象になることは稀有。しかし、それらを分析する現存の概念は多様。それゆえ(and)(?)、科学者の見解は理解しづらい。

→方法論的な枠組み、方法の説明に影響する制度的な文脈といったデータ、実験についての伝統、専門分野間での議論なども考慮する必要がある。

まず、(1) Mitchellの仕事の輪郭を描く、次に(2)実験の方法論に関する近年の議論を再確認するという段階から始める。

 

3 出発点1: Mitchellの実験の報告書(report)

・研究対象:ガラガラヘビ→コブラマムシ

・『ガラガラヘビの毒についての研究』(1860年)

:17世紀以来の蛇の毒についての研究と連続的なものだと位置付けている。

←Felice Fontana ( Rediの弟子?)

Mitchellは、theriacという医薬品用に保存されている蛇を用いるのではなく、実験それ自体のために蛇を確保していたため、とらわれの身(in captivity)の蛇たちを仔細に観察することができた。

・分析:(1)毒の物理的・化学的性質について;構成成分の全てが有毒ではないことを明らかに。

(2)毒の特定の器官、生命システム、体液に与える影響;数分以内に呼吸困難に陥らせる急性的効果および、数時間後に血液の変化によって死に至らしめる慢性的な効果があることを明らかに。

1861年の短い論文:Bibron’s Antidoteという解毒剤の機能についての研究

・” Reserch Upon the  Venom of poisons Serpents”(『蛇(たち)の毒についての研究』)(1886)

:多種多様の毒を扱っており、広範囲で複雑な論文。

→二つの毒の成分(1)peptones、(2)三種のglobutin

→それぞれが特定の有毒効果を示すことを明らかに

→さらに、各々の蛇から抽出させる毒が異なった化学組成を示すこと(と人体への影響)も明らかに

→複層的な構造になる。

・Mitchellの父は化学者であり、Mitchell自身の幼い頃から化学に関心があった。

→パリのClaude Bernal(ベルナール)(1813-1878):化学の生理学への応用

→蛇の毒の組成(化学)と、その身体への影響(生理学)の分析は、新規的なものではない。

・Mitchellの実験は、17Cの動植物化学(?)と、テーマもアプローチも似ている。

:テーマ:1830sのアルカロイドの発見を背景に、アルカロイドの有無についての関心

アプローチ:PelletierとFrancoisによって確立されたactive principle(生理学的効果を示す植物性物質)の分離という手法

→その物理/化学的性質とその生理学的効果、さらに原型(抽出前)との効果の比較検討などが可能。

=active principleの分離とその化学的分析、動物への影響ということが、共通の土俵となる構造だった。

・Mitchellの方法

(1)毒の物理/化学的性質の調査

(2)化学組成の調査

(3)体液への効果の調査

→(2):12種類の化学物質と、それらが沈殿物を作るかどうかの視覚的な違いを表にまとめる。

→中心的関心は、それらが構成物なのかどうか?構成物だとしたら、生理学的に効果のある物質を抽出できるかどうかということ。

→抽出成分を、沸騰・フィルター・冷却の過程を通じてどのように得られたかを記述

→鳩の胸に注射→液体部分は致死、固体部分は無害

(さらに液体をアルコール処理すると有毒物質ができることも明らかに)

1886年の論文は、より広範で複雑だけれど、全体の構造は同じ。

→液体部分も構成的であることを明らかに

:peptone (液体部分)/globlin(固体部分=球体)→water-venom,copper-venom,dialysis-venomの三種類

(生理学的分析の部分も基本は同じ。)

 

4 出発点2 方法の説明のための分析概念

・H・Collins ”Changing Order”(1985)

:実験を確証的なものにする中心的な条件は「再現性」であるという従来の見解に批判的

→最も強い「再現性」は、最初の実験と(時間を除いて)全ての側面で同一を示す実験を再び遂行することと、最初の実験と内容だけを共有しているという再現との間の連続性の上に位置していると主張。

⇄もっとも強い「再現性」を引き出すアルゴリズムは存在しない、それはつまるところ社会的に達成されたものである。

←正式な科学哲学への批判、社会構成主義の擁護

・Allan Franklin の批判

“認識論的戦略”=実験を確かなものするための手続きのリストを列挙し、Collinsを批判

 ←これらのリストは、排他的でも徹底的なものでもない。

→再現性とは、実験的確証の必要条件である。(=再現性が担保されないと確証的ではないが、担保されても確証的でない場合がありうる)

→Franklinの眼目は、科学者が科学的な実践を合理的なものであることを実証しようとするときに限って、こうした実験結果を妥当なものにする戦略が用いられるのはなぜかという問いにあって、「個々の科学者がどの戦略を適応するのか」ということ問題にならなかった。

・James Bogen:個々人がどのように戦略を適応するかに注目。

 Collis同様、再現性を担保するフォーマルな基準が存在しないということは認める。

⇄しかしだからといって、再現性の概念を明らかにすることや、その他の方法論的な分析が表面的で無意味だということを意味するわけではない。

異なった形式や目的を持った「再現性」分析的に区別することこそが、科学の方法論に関する哲学的研究にとって重要なのだと主張。

→実験の再現性の三つの種類

(1)手続き上の再現性:目盛りを読み取ること(calibration)、システムエラーを特定すること、ランダムに発生するエラーの範囲を見積もることを目的に行われる。

→完全に同じ結果が出ることを期待していない。

(2)データの再現性:実験的な効果は単なる偶然ではないということを確認することを目的に行われる。

→こちらも完全に同じ結果がでなくても構わない。

(3)効果の再現性:異なった種類のデータから導かれる推論に関わる。そしてそれは、異なった種類の実験から得られる。

→近年では、これこそが認識論的にもっとも妥当性の高い再現性であり、最もつよい確証力を持っているとみなされている。

Bogenは、19世紀の神経科学者Jacksonについての事例研究を、一つの謎でしめくくった。

:テクストに現れている議論は、たった一つの実証的な証拠のみを参照として支持されてきたということができる。それでもない、19世紀の神経科学者にとって、2,3の例のほうが、たった一つの証拠よりかはましだというように思えていたのだ、と述べている。

→さしあたってBogenの議論は本稿に役立つし、重要だ。

∵(1)異なった形式に由来する再現性についての洞察、(2)少ない数の再現性が最も強い確証力を持つように思われるということに関する洞察、(3)再現性は重要だが確証にとってもっとも大事な条件ではないといった洞察があるから。

→さらにいえば、Jacksonは、神経科学者であり(Mitchellはときどき神経科学に首を突っ込んでいた)、Mitchellと同時代に生きた科学者である点も、重要である。

 

5 Mitchellの議論の方法

・Larry Holmesは、1700年前後のパリのアカデミーで出版された化学の論文を分析するさいに、実験報告書の2つの構成要素を区別することを提案

:(1)議論:知識を確実にするために証拠を配列している部分

(2)語り:どういった実験がなされたか、(手続き、事例、結果)についての説明の部分

→この分類に従えば、Mitchelの論文の様式は、語りの方に重心があるということができるかもしれない

⇄Mitchelの論文は、今日の学術論文のように、実験・方法・データ・議論という風に分類されてはいない。梗概が語られるようになっており、推論や結論部分はむしろ撒き散らされている。

→Mitchelの論文で明らかなこと

(1)方法に関する言及は、とても簡潔、手短であること

(2)方法に関連した問題を、異なったやりかたで扱っていること

→蛇の毒についての実験の詳細について言及していることもあれば、実験一般について言及しているところもある。

Ex 1860年の論文では、先入観や事実の偏向を排して、実験結果のみに依存するということを宣言。また、対象の複雑性から、エラーが起こることも予期しなければならないとも。

・こうした宣言は、17世紀の広範にはよく見られることだった。

Ex Redi:肉眼で見えなかったものや、実験の繰り返しによって確定できなければ、その現象を確信しないということを意識した。

=知識についての経験的なテストへのコミットメント(=実験をし尽くす)

・こうした経験主義者の信条は、19世紀中頃の医科学者らにはいわれのないもので、Mitchelの設けた基準は、経験主義のプログラムとの連続性を強調していると思うかもしれない。

→Mitchelは、1850年に医学の勉強を終えると、パリのベルナールのもとにいき、実験ベースの生理学への賛美を共有していた。

→彼は実験主義者であることを強調したかった。

  • ⇄1825年ごろまでのアメリカの医学会ろ、アメリカの生理学の状況を想起すると、別の解釈が可能。

:USでは実験室ベースの生理学は確立されていなかった。

→Mitchelは実験の長い伝統に自分の研究をリンクさせたかった。=医学界に新しい洞察をもたらしたかった。

・「実験的批判」という、良い実験の条件、ガイドラインを作成

(1)解毒剤を用いる際に生じる誤謬:毒の抽出の知識の欠如から生じる

(2)解毒剤についての誤謬:毒による病気の歴史の情報の欠如から

(3)解毒剤についての一般的な考え:誤謬を犯さないための研究の進め方

・→このガイドラインから、いくつかの方法論的基準を引き出す

:たとえ2匹の蛇の形質が似ていても、牙に含まれる毒の量が同じであっても、蛇の噛みつきが同じであることを意味しない。

・統計的な推測もしている。

・方法に関する言明間の違いを分析するために、言明を三種類に分類:

(1)方法論的規則

(2)方法論的反省

(3)方法の言明 (なにこれ、意味わからん!???)

・さらに、Collinsらの分析概念を援用

∵検索のアイテムを示唆してくれ、かつ近年とMitchelの時代の方法論のコントラストを浮き彫りにできる点で有益。

←近年の哲学的な文献においては、効果の再現性が実験から確証を引き出す上で重要だと考えられてきた。しかし、Mitchelは再現性ではなく、反復に重きをおいている。

・近年の議論を踏まえて、Mitchelの論文を捉えるときに大事な視点

(1)効果の再現性は、Mitchelが実験上考えている方法論的な観念の倉庫(repository)ではない。

(2) Mitchelは明らかに「反復」に言及している。

(※コメント:replicationとrepetitionの違いがここでは重要になっている。前者(再現性)は、あくまで他人による再現実験、後者(反復)は、個人で行う反復実験のこと。しかし、反復実験でも、全てのパラメーターが同じであるわけではなく、その程度は再現性と同様に、議論されるべきだろう。)

・17世紀後半:同じ実験から同じ結果がでることが理想的だとされていた。

→偶然性が実験に影響し、結果の不一致が生じても、その中から「正しい」結果を選ぶことが望まれていた。

⇄Mitchelは、結果の不一致に対して、異なったアプローチをする。

:Mitchelは、最初から不一致を予期しており、不一致は避けることのできないものであると考えていた。

→彼は不一致を、

(1)全てのパラメーターをコントロールすることができないことに由来する複雑性

(2)実験物の特性に由来する変動性

とに区別

→許容できる不一致と、できない不一致とを区別し、許容可能なものもののみに由来する結果を抽出した。

・蛇に噛まれると血液に変化がおき、死に至る

→Mitchelは、急性と慢性とを区別し、急性の方では血液の変換が起きず慢性の方はそれが起こるということを明らかにした。

→血液の変換が、急性/慢性の基準になる。

・Mitchelは

(1)凝結が起きるかどうか、(時間がたつと自然に固まってしまうことに注意)

(2)どの成分がどんな効果を持つかについて調査。

→ガラガラ蛇、(何種かの)カエル、(何種かの)小鳥、犬、人間の血液による7つの実験結果を表で示す。

→凝結は一応に起きていない。

・赤血球が変化するかどうかの実験

→赤血球ではなく、血漿(blood plasma)が影響しているのでは。

・繊維素(fibrin)が、血液から消えるのにどれだけの時間がかかるかも調べた。

1886年の論文:毒を与え、心拍数の変化をみる。

→心拍数は、非常に異なる。

→純粋な毒の影響は非常に複雑であることを示唆している。

→心拍数の変化を予測することは不可能であるが、蛇毒が心拍数をあげるという「傾向」は認められる。

→彼らは測定から傾向を少しずつ集めようと(glean)するが、統計的な計算の根拠はない。

・「傾向性」のようなものが推測できるとしても、他の攪乱要因が結果に影響している可能性はある。

Ex 熱

←Mitchelは最初、熱が毒の効果に影響すると推測したが、のちにそれは熱する時に試験管に付着し、量が少なくなったことが要因であり、十分な量の蛇毒を用いて反復実験を行ったところ、通常と同様に死を引き起こすということがわかった。

・こうしたエピソードは、「方法言説」と「妥当性を示す戦略」とを区別する重要性を示している。(Franklinは両者を明確に区別していなかった。)

←Franklinは、確証された理論に基づいた実験器具を用いることを、認知的戦略の一つとしてあげている。

⇄Mitchelの場合、実験器具はブラックボックス化されている。

⇄もちろん実験器具に問題があり、それゆえ、議論の一部となり、蛇毒の効果へ影響したということはありうる。

→このような文脈で、Mitchelは、一連の実験のセッティングの変数を組織化することの重要性を強調している。(=パラメーター・バリエーションを組織化する)

ベンチマークの重要性:例えば化学的に変化した蛇毒の効果を推定するときに、オリジナルの純粋な蛇毒の効果が、変化した蛇毒に対するベンチマークとして機能する。

・以上のように、実験結果の不一致は、最初から予期されるべきものだった。:

(1)偶然的な障害

(2)実験物に由来する変数

(3)実験的パラメータの複雑性

(2),(3)は避けようがないが、(1)は原理的には避けることができる。

・近年の科学哲学者らは再現性に注目し、反復は大部分無視されてきた。

→再現性が重要であるとすれば、それはいつから、なぜそうなったのか?

 

6.Conclusion

・方法言説の研究は、HPSの統合の良い例だろうか?

→方法言説の研究は、多数の分析視角を要求するということが明らかになった。

⇄対決モデは、HPSの性質を十分に捕らえられていない。

→歴史資料の解釈や概念は、あくまで本分析の「結果」である。

←出発点は暫定的であるという点で、この試みは解釈学的である。

・Mitchelは、彼の先人らと同様に、反復実験を重視していた。しかしその一方で彼らと異なり、結果の不一致を避けるべきものとてとらえるのではなく、むしろ最初から期待していた。さらに彼らと異なり、Mitchelは実験結果の多重実現(再現実験のときに示されるようなものか?)を重視していなかった。

 

コメント

・対決モデルではなく解釈学的なHPSは、哲学サイドから見れば確かに歴史的な趣があるだろう。しかし、歴史サイドから見ればこれは哲学的な研究だと思わざるをえない。確かに、本論文が投稿されたのが哲学系の雑誌であることを考慮すれば当然なのかもしれないが、少なくとも体裁上、これを歴史論文とみなすことは難しい。第一に、依拠している一次資料といえば、実質的にMitchelの三つの論文だけであり、伝記的記述については二次文献からの引用にとどめている。したがって、本稿は歴史的事実を多角的な資料に基づき正確に検証するといった配慮に欠けているところがある。第二に、先行研究レビューは、あくまでCollinsらの科学哲学・科学論の議論に触れることはあっても、Mitchelの歴史研究のレビューはなされていない。その点、歴史家は本稿をどのような研究潮流に位置づけることができるか、判断することが難しいと思われる。

・replication再現とrepetition反復は確かに別の概念である。そしてまた、従来の科学論では、前者のみに注意に払ってきたことも事実なのかもしれない。しかし、両者の関係は、別々の独立した概念であるというものではなく、「replication」に 「repetition」が含まれるといった関係なのではないかという気もした。反復をしたからといって、再現性が保証されることはないかもしれない。しかし、再現性の中にはある種の反復実験が含まれるのではないだろうか。

・著者は、対決モデルに対して本稿の方法を解釈学的として、HPSの新しいアプローチを提唱している。その意味するところは、歴史解釈でも科学概念でも、あくまで暫定的なものであり、両者が修正し合うダイナミックな過程こそが、HPSなのだということだろう。しかしよく考えると、果たして対決モデルは、初めから歴史解釈や概念が定まっていると考えているモデルだと断言できるのだろうか?歴史資料の解釈はたえず更新されるというのは歴史学にとっては当たり前のことだし、科学概念も一枚岩ではなく、歴史的に形成されたものだということは、常識的なことではないだろうか。それゆえ、対決モデル/解釈学という図式は、やや恣意的な気もする。

 

 

 

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https://www.amazon.co.jp/Integrating-History-Philosophy-Science-Prospects/dp/9400738072/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=Integrating+History+and+Philosophy+of+science&qid=1571398166&sr=8-1

 

参考

(1)Mitchellの論文は、コロンビア大学図書館のデジタルアーカイブで閲覧することができます。↓

https://www.biodiversitylibrary.org/item/98606#page/46/mode/1up

 

(2)Ngram Viewerで、"replication"と入力すると、「再現性」という言葉が、1960年代から盛んに用いられるようになっていることがわかります。

books.google.com

 

Jutta Schickore “More Thoughts on HPS: Another 20 Years Later”

Jutta Schickore “More Thoughts on HPS: Another 20 Years Later”Perspective on Science (2011),vol.19,no.4,pp.453-482

 

私の乏しい英語で読んだ限り、以下のことが書かれていると思われます。

(解釈学に関する背景知識を持ち合わせていなかったこともあり、あまり理解することができなかった。残念だ。)

 

 本論文は、 科学史・科学哲学(HPS)の間の議論の歴史を振りかえり、知的探求の上でのその利点や見込みについて議論する。

 

Introduction

・近年HPSの議論が活性化している二つの背景

:(1)1990年代に始まる好ましくない経済状況のため、大学の人文学系の研究予算がカットされ、その存在意義を正当化する必要に迫られるなか、科学史と科学哲学が同盟を組んだという背景

(2)文化史の強調傾向

・1960s-1970sにおけるHPSの状況:規範的な哲学の分析に際して、歴史的な情報が持つ地位について議論

→哲学的分析≒解釈学≠科学理論の構築

・Thoughts on HPS:20 Years Later (1989)

:共通の一貫したアイデア=Confrontation model;HPSを進めるということは、歴史的なデータを哲学的な枠組みと対決させることである。

 

Marriage Counselling (結婚相談)

・20C初頭の論理実証主義は、HPSの統合よりかは、むしろ別離を生み出した。

→1970sに再びHPSが統合したと(普通)理解される。

→しかし事態はより複雑である。

→この時期の議論の的は、科学哲学における「科学の公理的な概念は何か」、というもので、HPSが議論の場の一つになっていた。(CF.科学の線引き問題に近いものか?)

しかし、HPSを具体的にどのようにからみ合わせるべきかということについては、意見がバラバラだった。

・1969年のイリノイ大学におけるシンポジウム

:I.B.Cohen:「歴史の原則(Cannon of History)」を忘却した哲学者を嘆く

⇄Peter Achinsteinの応答

:HPSの統合には、Cohenが主張していること以上のものが含まれている。

→哲学的な分析を遂行するには、哲学者は歴史的調査に訴えなければならない。

∵哲学の概念分析の価値は、その科学の概念が実際に用いられている場所で実証されなければならない。

=過去の概念の理解は、単に歴史の記録を読みとることではない。

→哲学の分析は、解釈学的な探求である。

・同年のミネソタ大学におけるシンポジウム

:Ronald Giereは、多くの論文は、単純化された歴史/素朴な哲学といった調子だと見て、HPSの統合に悲観的であった。

→哲学的思考における歴史の情報の重要性:

(1)理論構築

(2)研究戦略

(3)知識の妥当性

→歴史はこの3つの役割があるが、役割を果たすべきというわけではない。

=”is –ought question”→規範は事実に帰することができない。

→HPSの統合は、便宜的な関係(=政略結婚)にならざるをえない。

⇄Mcmulin:理論の査定に際して、哲学者は歴史的な調査に訴えざるを得ない。

∵論理主義者や非歴史的な哲学者は、哲学的に誤った意識からのみ生じるのであり、よって哲学分析を実践的な文脈で、(歴史的に)反省することは、哲学の自己理解を改善するから

→哲学の役割≠理論構築→解釈学:一時的な(仮の)歴史資料の読み取りと、仮の哲学的概念を徐々に和解させていく。

・Richard Burian :

科学哲学には、すでに歴史的な状況が埋め込まれている。

→科学理論の哲学的な説明は、実際の理論や、哲学の調査の目的のために設計されたものに由来する。

=解釈学的側面の強調

・Dudley Shapere

:科学哲学者の役割は、十分な科学的問いや良き解法のための基準をどのように発展させるべきかを調べること。

・Lorenz Kruger

:(1)哲学は司法権を持たない、哲学はむしろ、現在の科学の批判的な同僚である。

(2)現在の合理性の基準は、歴史的に時間をかけて生成させたものであるから、科学哲学はそういった基準がどういった形で過去に根ざしているかを把握すべく、歴史分析に関与しなければならない。

→これまでの議論で重要な点

1970s年代には、いくつかの問いが危機に瀕した。

:哲学分析の性質=本性、歴史の最善の方法、is-ouhgt problem

→1970sの科学の公理的な基準の未来についての議論の文脈で、際立ったことは、科学哲学はしばしば解釈学の立場を計画したということ。

ラカトシュ:HPSの関係は、科学研究のリサーチ・プログラムという言葉に明確に表れているように、解釈学とは非常に異なっていた。

→1970sの議論では、(HPSの統合というよりは)哲学分析の本性に焦点が当たっていた。

つまり、哲学者は、過去と現在の実際の科学の調査を通じて進められざるを得ないという主張である。

→(1)解釈学、(2)歴史主義版に分類可能

(1)Achinstein、 McMullin 、Burianら

:科学哲学は、他の人文学と似ていて、科学の科学ではない、つまり、科学的な営みではない。

(2)Shaper, Kruger,(再び)Burianら

:何かを理解するということは、それがどのように存在するようになったかを理解するということである。知識を完全に理解するためには、それを歴史化しなければならない。

→HPSの間の関係という言葉で言い表される枠組みを与えられた科学における哲学的反省ん概念は、ミスリードである。

→Confrontation modelへ

 

Laudan’s 1989 Article

・ Thoughts on HPS: 20 Years Later(1989)

VPIの”scientific change”計画の一環

:科学哲学のゴールは、科学進歩の理論の基礎を作ること

⇄解釈学

→検証可能な形で科学の変革をモデル化する

→中立的な語彙、-すべき/—するを区別

LandanにとってのHPS

:科学理論の変革の胴体についての一般的な主張を検証すべく、それらを歴史的データに対決(confront)させる。=照らし合わせる。

科学史の役割は、科学哲学にデータを提供すること。→よくテストさせた理論をつくる

≒科学における理論/実験とよく似た分業

→HPSの分裂

 

The trouble with the Confrontation Model oh HPS

・Laudan論文以降、いくつかの場面で議論の設定がなされるも、単一の議論の継続はなされていない。

→本節では、「データを生産する歴史と、理論を生産する哲学」という「対決モデル」の考えから生じる様々な問題を扱う。

(1)科学史は哲学理論を精査するための正しい種類のデータを提供するものではないのではないか?

:科学史研究は1970s-80s以降、認識的問題よりも、社会史的問題に焦点を当てるようになってきている。=観念の歴史から遠ざかっている。

→こうした傾向は、哲学者にとって有意義なテスト事例を提供するのかは怪しい。

(2)方法論的にも、1980s以降の科学史研究は、個別具体的な事例を深掘りするような作業に没頭するようになってきている。

→哲学と科学史を接合することは難しい。

→「正しい」種類のデータを求めるためには、哲学者自身も、必要なケーススタディーを生み出すべく歴史的な探求に従事すべき。

(3)歴史的データの「理論負荷性

:歴史的なデータは歴史家により再考されるものであるゆえ、知識の純粋な記述は不可能であり、したがって哲学的な主張は歴史的な記録によってテストされ得ない。

∵歴史の記録は、(哲学)理論から独立して存在しないから。

・その後、理論負荷の問題は決着しなかったが、科学の哲学的省察における歴史の事例研究の機能についての議論が交わされた。

:対決モデルでは、歴史は「事例の倉庫」とみなされる

→しかし、事例研究から何を学ぶことができるのか?歴史的事例は、哲学的洞察を示唆はするが、哲学的研究そのものをなすことはできない。

←is-ought problemにも関わる。

:事実から規範を導き出すことはできない。

・Burianは、歴史と哲学の結合は、「トップダウン」か「ボトムアップ」として解釈されると主張。=経験的なデータからの一般化/経験的なデータに対する一般的な主張のテスト

⇄Pitの反論:科学の実践と同様にして、一つの事例から(一つではなく、科学全体についての二、三のエピソードであっても)一般化することは正当化されないのでは?

⇄(1)個別研究は、「特別な科学」の多様性を強調するものである。

(2)ケーススタディーの群は、科学的実践のための探求的な実験法について重要な本性を明らかにすることに役立つ。

HPAからメタサイエンス的分析へ

・科学哲学者は、科学哲学を科学に関する理論であると考えている。

⇄しかしそのモデル自体が間違っている。

∵理論負荷、歴史的データの特権性(認知科学、心理学のデータのほうがよほど役立つのでは)

メタサイエンスが実際の科学を扱うのであれば、解釈学にならざるを得ない。

→事例判断と、分析概念は各々初めは暫定的なものであり、それらをダイナミックに行ったり来たりすることで、両者は調和され、平衡に達する。

トップダウン/ボトムアップモデルも適切ではない

→解釈学は、最初の観念・観点・事例判断がともに扱われ修正されていく手続きである。

 

歴史的視角におけるメタサイエンス的分析

・歴史主義的反省は、二つのレベルで入ることになる

(1)方法論的、認知論的、科学概念・実践の歴史において

(2)メタサイエンス的分析に使用する概念の歴史への反省において

:科学概念、実践、ルールは、それらが歴史的にどのように現在の形に至ったのかに注意を払うことによって初めて包括的に理解することができる。

ex 多重独立検証

:なぜ、いつ、どのような文脈で成功的な実験の必要条件とみなされるようになってきたのかを調査することは、この概念の意味や重要性を理解することを前進させるだろう。

→さらに、科学哲学それ自体に歴史主義的反省を行えば、そこでなぜ歴史が特権的な地位を占めてきたのかもわかる。

 

 

 

コメント

・対決モデルと解釈学を対置して論じているが、そのように綺麗に二分できるものなのか。

対決モデルでは、解釈の余地は全くないのだろうか。

・哲学者が歴史的データを扱う場合の理論負荷性の問題が議論されていたが、歴史にはそうした理論負荷の問題の他に、歴史資料の取捨選択といったバイアスの問題が存在する。それは、(科学哲学者ではない)歴史プロパーにも内在する「理論負荷的」問題なのではないだろうか?

 

https://www.mitpressjournals.org/doi/10.1162/POSC_a_00049