yokoken001’s diary

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Chapter10 (Jutta Schickore) ”Scientists’ Methods Accounts: S.Weir Mitchell’s Research on the Venom of Poisonous Snake”

 Chapter10 (Jutta Schickore) ”Scientists’ Methods Accounts: S.Weir Mitchell’s Research on the Venom of Poisonous Snake” Integrating History and Philosophy of science (2012),Boston Studies in the Philosophy of Science 263,pp.141-161.

 

 前回に引き続き、Schickoreの論文レビューを行う。前回では、HPSについての大きな枠組みといったやや概念的なテーマを扱った。それに対して今回は、そういったフレームについての議論を背景にしたケーススタディーが展開される。Schickoreのお手並み拝見といったところだ。(しかし、時期的には、本論文の方が先に発表されている。)

(なお、読解は危ういという自覚はある。その点は加味していただきたい。)

 

 

1 Introduction

・本稿は、科学の実験について扱う論文で必ずしも十分に着目されてこなかった「方法言説(もしくは「方法論議」)(methods accounts)」に注意を向ける。

「方法言説」:

(1)実験を遂行する際に適応すべきルール

(2)それを行うときに遭遇する問題

(3)どのくらい実験者がこれらのルールにしたがっていたかという程度

についての科学者の説明を意味する。

→一見すると、科学者らにとって良い実験の方法とは何かに関する観念や、それがいかに発展してきたかということが、科学史・科学哲学(HPS)の統合にとって重要な問いのように思える。

⇄しかし、従来のHPSの統合は、誤った哲学の分析をベースにしており、不適切であった。

:メタサイエンス(科学の分析)は、暫定的な歴史資料の解釈が、予備的な概念の枠組みを修正し、こうして出てきた成果が、さらに適切な解釈に調停したと思われるまで取り組まれなおすといったダイナミックなプロセスであるべき。

→メタサイエンスは、解釈学的である。

・本論文は、S.Weir Mitchellの蛇毒に関する一連の論文を対象に、その論文の構造、特に実験の方法にまつわる問題をいかにして扱っているかに関心を向ける。

→Peter Galisonのいうところの「論証の技術(Technologies of argumentation)」つまり、受け入れることのできる科学的な議論を構築すべく必要とされる、概念や知的道具立て、手続きなどに関心を向ける。

・Mitchellは、19世紀の生理学以前の従来の方法論を引き継ぎながらも、新しい方法にも着手しており、その意味で転換点にいたということができる。→ケースとして興味深い。

さらに、アメリカにおける実験的な方法をめぐる議論にも関わっている。

 

2 メタサイエンス的分析の多角的視角:科学者による「方法言説」

科学史と科学哲学を、前者がデータを提供するもの、後者がフレームワークを提供するものと捉え、両者を対決させる「対決モデル」は、メタサイエンス的分析に際してミスリーディンングなモデルである。

→解釈学:分析概念は暫定的なものであり、歴史的な反省(吟味、熟考 reflection)によって修正されていくべき。科学の概念や実践、ルールは、それらが歴史的に今日まで発展(変遷)し続けてきたものであるということを注意深く意識するときに初めて、包括的に理解することができる。

→そういった「歴史主義」は、2つのレベルで分析に寄与する。

(1)方法論的、認識論的レベル

(2)科学の概念や実践のレベル

・本論文で議論する「方法言説」

→先行研究でこれが対象になることは稀有。しかし、それらを分析する現存の概念は多様。それゆえ(and)(?)、科学者の見解は理解しづらい。

→方法論的な枠組み、方法の説明に影響する制度的な文脈といったデータ、実験についての伝統、専門分野間での議論なども考慮する必要がある。

まず、(1) Mitchellの仕事の輪郭を描く、次に(2)実験の方法論に関する近年の議論を再確認するという段階から始める。

 

3 出発点1: Mitchellの実験の報告書(report)

・研究対象:ガラガラヘビ→コブラマムシ

・『ガラガラヘビの毒についての研究』(1860年)

:17世紀以来の蛇の毒についての研究と連続的なものだと位置付けている。

←Felice Fontana ( Rediの弟子?)

Mitchellは、theriacという医薬品用に保存されている蛇を用いるのではなく、実験それ自体のために蛇を確保していたため、とらわれの身(in captivity)の蛇たちを仔細に観察することができた。

・分析:(1)毒の物理的・化学的性質について;構成成分の全てが有毒ではないことを明らかに。

(2)毒の特定の器官、生命システム、体液に与える影響;数分以内に呼吸困難に陥らせる急性的効果および、数時間後に血液の変化によって死に至らしめる慢性的な効果があることを明らかに。

1861年の短い論文:Bibron’s Antidoteという解毒剤の機能についての研究

・” Reserch Upon the  Venom of poisons Serpents”(『蛇(たち)の毒についての研究』)(1886)

:多種多様の毒を扱っており、広範囲で複雑な論文。

→二つの毒の成分(1)peptones、(2)三種のglobutin

→それぞれが特定の有毒効果を示すことを明らかに

→さらに、各々の蛇から抽出させる毒が異なった化学組成を示すこと(と人体への影響)も明らかに

→複層的な構造になる。

・Mitchellの父は化学者であり、Mitchell自身の幼い頃から化学に関心があった。

→パリのClaude Bernal(ベルナール)(1813-1878):化学の生理学への応用

→蛇の毒の組成(化学)と、その身体への影響(生理学)の分析は、新規的なものではない。

・Mitchellの実験は、17Cの動植物化学(?)と、テーマもアプローチも似ている。

:テーマ:1830sのアルカロイドの発見を背景に、アルカロイドの有無についての関心

アプローチ:PelletierとFrancoisによって確立されたactive principle(生理学的効果を示す植物性物質)の分離という手法

→その物理/化学的性質とその生理学的効果、さらに原型(抽出前)との効果の比較検討などが可能。

=active principleの分離とその化学的分析、動物への影響ということが、共通の土俵となる構造だった。

・Mitchellの方法

(1)毒の物理/化学的性質の調査

(2)化学組成の調査

(3)体液への効果の調査

→(2):12種類の化学物質と、それらが沈殿物を作るかどうかの視覚的な違いを表にまとめる。

→中心的関心は、それらが構成物なのかどうか?構成物だとしたら、生理学的に効果のある物質を抽出できるかどうかということ。

→抽出成分を、沸騰・フィルター・冷却の過程を通じてどのように得られたかを記述

→鳩の胸に注射→液体部分は致死、固体部分は無害

(さらに液体をアルコール処理すると有毒物質ができることも明らかに)

1886年の論文は、より広範で複雑だけれど、全体の構造は同じ。

→液体部分も構成的であることを明らかに

:peptone (液体部分)/globlin(固体部分=球体)→water-venom,copper-venom,dialysis-venomの三種類

(生理学的分析の部分も基本は同じ。)

 

4 出発点2 方法の説明のための分析概念

・H・Collins ”Changing Order”(1985)

:実験を確証的なものにする中心的な条件は「再現性」であるという従来の見解に批判的

→最も強い「再現性」は、最初の実験と(時間を除いて)全ての側面で同一を示す実験を再び遂行することと、最初の実験と内容だけを共有しているという再現との間の連続性の上に位置していると主張。

⇄もっとも強い「再現性」を引き出すアルゴリズムは存在しない、それはつまるところ社会的に達成されたものである。

←正式な科学哲学への批判、社会構成主義の擁護

・Allan Franklin の批判

“認識論的戦略”=実験を確かなものするための手続きのリストを列挙し、Collinsを批判

 ←これらのリストは、排他的でも徹底的なものでもない。

→再現性とは、実験的確証の必要条件である。(=再現性が担保されないと確証的ではないが、担保されても確証的でない場合がありうる)

→Franklinの眼目は、科学者が科学的な実践を合理的なものであることを実証しようとするときに限って、こうした実験結果を妥当なものにする戦略が用いられるのはなぜかという問いにあって、「個々の科学者がどの戦略を適応するのか」ということ問題にならなかった。

・James Bogen:個々人がどのように戦略を適応するかに注目。

 Collis同様、再現性を担保するフォーマルな基準が存在しないということは認める。

⇄しかしだからといって、再現性の概念を明らかにすることや、その他の方法論的な分析が表面的で無意味だということを意味するわけではない。

異なった形式や目的を持った「再現性」分析的に区別することこそが、科学の方法論に関する哲学的研究にとって重要なのだと主張。

→実験の再現性の三つの種類

(1)手続き上の再現性:目盛りを読み取ること(calibration)、システムエラーを特定すること、ランダムに発生するエラーの範囲を見積もることを目的に行われる。

→完全に同じ結果が出ることを期待していない。

(2)データの再現性:実験的な効果は単なる偶然ではないということを確認することを目的に行われる。

→こちらも完全に同じ結果がでなくても構わない。

(3)効果の再現性:異なった種類のデータから導かれる推論に関わる。そしてそれは、異なった種類の実験から得られる。

→近年では、これこそが認識論的にもっとも妥当性の高い再現性であり、最もつよい確証力を持っているとみなされている。

Bogenは、19世紀の神経科学者Jacksonについての事例研究を、一つの謎でしめくくった。

:テクストに現れている議論は、たった一つの実証的な証拠のみを参照として支持されてきたということができる。それでもない、19世紀の神経科学者にとって、2,3の例のほうが、たった一つの証拠よりかはましだというように思えていたのだ、と述べている。

→さしあたってBogenの議論は本稿に役立つし、重要だ。

∵(1)異なった形式に由来する再現性についての洞察、(2)少ない数の再現性が最も強い確証力を持つように思われるということに関する洞察、(3)再現性は重要だが確証にとってもっとも大事な条件ではないといった洞察があるから。

→さらにいえば、Jacksonは、神経科学者であり(Mitchellはときどき神経科学に首を突っ込んでいた)、Mitchellと同時代に生きた科学者である点も、重要である。

 

5 Mitchellの議論の方法

・Larry Holmesは、1700年前後のパリのアカデミーで出版された化学の論文を分析するさいに、実験報告書の2つの構成要素を区別することを提案

:(1)議論:知識を確実にするために証拠を配列している部分

(2)語り:どういった実験がなされたか、(手続き、事例、結果)についての説明の部分

→この分類に従えば、Mitchelの論文の様式は、語りの方に重心があるということができるかもしれない

⇄Mitchelの論文は、今日の学術論文のように、実験・方法・データ・議論という風に分類されてはいない。梗概が語られるようになっており、推論や結論部分はむしろ撒き散らされている。

→Mitchelの論文で明らかなこと

(1)方法に関する言及は、とても簡潔、手短であること

(2)方法に関連した問題を、異なったやりかたで扱っていること

→蛇の毒についての実験の詳細について言及していることもあれば、実験一般について言及しているところもある。

Ex 1860年の論文では、先入観や事実の偏向を排して、実験結果のみに依存するということを宣言。また、対象の複雑性から、エラーが起こることも予期しなければならないとも。

・こうした宣言は、17世紀の広範にはよく見られることだった。

Ex Redi:肉眼で見えなかったものや、実験の繰り返しによって確定できなければ、その現象を確信しないということを意識した。

=知識についての経験的なテストへのコミットメント(=実験をし尽くす)

・こうした経験主義者の信条は、19世紀中頃の医科学者らにはいわれのないもので、Mitchelの設けた基準は、経験主義のプログラムとの連続性を強調していると思うかもしれない。

→Mitchelは、1850年に医学の勉強を終えると、パリのベルナールのもとにいき、実験ベースの生理学への賛美を共有していた。

→彼は実験主義者であることを強調したかった。

  • ⇄1825年ごろまでのアメリカの医学会ろ、アメリカの生理学の状況を想起すると、別の解釈が可能。

:USでは実験室ベースの生理学は確立されていなかった。

→Mitchelは実験の長い伝統に自分の研究をリンクさせたかった。=医学界に新しい洞察をもたらしたかった。

・「実験的批判」という、良い実験の条件、ガイドラインを作成

(1)解毒剤を用いる際に生じる誤謬:毒の抽出の知識の欠如から生じる

(2)解毒剤についての誤謬:毒による病気の歴史の情報の欠如から

(3)解毒剤についての一般的な考え:誤謬を犯さないための研究の進め方

・→このガイドラインから、いくつかの方法論的基準を引き出す

:たとえ2匹の蛇の形質が似ていても、牙に含まれる毒の量が同じであっても、蛇の噛みつきが同じであることを意味しない。

・統計的な推測もしている。

・方法に関する言明間の違いを分析するために、言明を三種類に分類:

(1)方法論的規則

(2)方法論的反省

(3)方法の言明 (なにこれ、意味わからん!???)

・さらに、Collinsらの分析概念を援用

∵検索のアイテムを示唆してくれ、かつ近年とMitchelの時代の方法論のコントラストを浮き彫りにできる点で有益。

←近年の哲学的な文献においては、効果の再現性が実験から確証を引き出す上で重要だと考えられてきた。しかし、Mitchelは再現性ではなく、反復に重きをおいている。

・近年の議論を踏まえて、Mitchelの論文を捉えるときに大事な視点

(1)効果の再現性は、Mitchelが実験上考えている方法論的な観念の倉庫(repository)ではない。

(2) Mitchelは明らかに「反復」に言及している。

(※コメント:replicationとrepetitionの違いがここでは重要になっている。前者(再現性)は、あくまで他人による再現実験、後者(反復)は、個人で行う反復実験のこと。しかし、反復実験でも、全てのパラメーターが同じであるわけではなく、その程度は再現性と同様に、議論されるべきだろう。)

・17世紀後半:同じ実験から同じ結果がでることが理想的だとされていた。

→偶然性が実験に影響し、結果の不一致が生じても、その中から「正しい」結果を選ぶことが望まれていた。

⇄Mitchelは、結果の不一致に対して、異なったアプローチをする。

:Mitchelは、最初から不一致を予期しており、不一致は避けることのできないものであると考えていた。

→彼は不一致を、

(1)全てのパラメーターをコントロールすることができないことに由来する複雑性

(2)実験物の特性に由来する変動性

とに区別

→許容できる不一致と、できない不一致とを区別し、許容可能なものもののみに由来する結果を抽出した。

・蛇に噛まれると血液に変化がおき、死に至る

→Mitchelは、急性と慢性とを区別し、急性の方では血液の変換が起きず慢性の方はそれが起こるということを明らかにした。

→血液の変換が、急性/慢性の基準になる。

・Mitchelは

(1)凝結が起きるかどうか、(時間がたつと自然に固まってしまうことに注意)

(2)どの成分がどんな効果を持つかについて調査。

→ガラガラ蛇、(何種かの)カエル、(何種かの)小鳥、犬、人間の血液による7つの実験結果を表で示す。

→凝結は一応に起きていない。

・赤血球が変化するかどうかの実験

→赤血球ではなく、血漿(blood plasma)が影響しているのでは。

・繊維素(fibrin)が、血液から消えるのにどれだけの時間がかかるかも調べた。

1886年の論文:毒を与え、心拍数の変化をみる。

→心拍数は、非常に異なる。

→純粋な毒の影響は非常に複雑であることを示唆している。

→心拍数の変化を予測することは不可能であるが、蛇毒が心拍数をあげるという「傾向」は認められる。

→彼らは測定から傾向を少しずつ集めようと(glean)するが、統計的な計算の根拠はない。

・「傾向性」のようなものが推測できるとしても、他の攪乱要因が結果に影響している可能性はある。

Ex 熱

←Mitchelは最初、熱が毒の効果に影響すると推測したが、のちにそれは熱する時に試験管に付着し、量が少なくなったことが要因であり、十分な量の蛇毒を用いて反復実験を行ったところ、通常と同様に死を引き起こすということがわかった。

・こうしたエピソードは、「方法言説」と「妥当性を示す戦略」とを区別する重要性を示している。(Franklinは両者を明確に区別していなかった。)

←Franklinは、確証された理論に基づいた実験器具を用いることを、認知的戦略の一つとしてあげている。

⇄Mitchelの場合、実験器具はブラックボックス化されている。

⇄もちろん実験器具に問題があり、それゆえ、議論の一部となり、蛇毒の効果へ影響したということはありうる。

→このような文脈で、Mitchelは、一連の実験のセッティングの変数を組織化することの重要性を強調している。(=パラメーター・バリエーションを組織化する)

ベンチマークの重要性:例えば化学的に変化した蛇毒の効果を推定するときに、オリジナルの純粋な蛇毒の効果が、変化した蛇毒に対するベンチマークとして機能する。

・以上のように、実験結果の不一致は、最初から予期されるべきものだった。:

(1)偶然的な障害

(2)実験物に由来する変数

(3)実験的パラメータの複雑性

(2),(3)は避けようがないが、(1)は原理的には避けることができる。

・近年の科学哲学者らは再現性に注目し、反復は大部分無視されてきた。

→再現性が重要であるとすれば、それはいつから、なぜそうなったのか?

 

6.Conclusion

・方法言説の研究は、HPSの統合の良い例だろうか?

→方法言説の研究は、多数の分析視角を要求するということが明らかになった。

⇄対決モデは、HPSの性質を十分に捕らえられていない。

→歴史資料の解釈や概念は、あくまで本分析の「結果」である。

←出発点は暫定的であるという点で、この試みは解釈学的である。

・Mitchelは、彼の先人らと同様に、反復実験を重視していた。しかしその一方で彼らと異なり、結果の不一致を避けるべきものとてとらえるのではなく、むしろ最初から期待していた。さらに彼らと異なり、Mitchelは実験結果の多重実現(再現実験のときに示されるようなものか?)を重視していなかった。

 

コメント

・対決モデルではなく解釈学的なHPSは、哲学サイドから見れば確かに歴史的な趣があるだろう。しかし、歴史サイドから見ればこれは哲学的な研究だと思わざるをえない。確かに、本論文が投稿されたのが哲学系の雑誌であることを考慮すれば当然なのかもしれないが、少なくとも体裁上、これを歴史論文とみなすことは難しい。第一に、依拠している一次資料といえば、実質的にMitchelの三つの論文だけであり、伝記的記述については二次文献からの引用にとどめている。したがって、本稿は歴史的事実を多角的な資料に基づき正確に検証するといった配慮に欠けているところがある。第二に、先行研究レビューは、あくまでCollinsらの科学哲学・科学論の議論に触れることはあっても、Mitchelの歴史研究のレビューはなされていない。その点、歴史家は本稿をどのような研究潮流に位置づけることができるか、判断することが難しいと思われる。

・replication再現とrepetition反復は確かに別の概念である。そしてまた、従来の科学論では、前者のみに注意に払ってきたことも事実なのかもしれない。しかし、両者の関係は、別々の独立した概念であるというものではなく、「replication」に 「repetition」が含まれるといった関係なのではないかという気もした。反復をしたからといって、再現性が保証されることはないかもしれない。しかし、再現性の中にはある種の反復実験が含まれるのではないだろうか。

・著者は、対決モデルに対して本稿の方法を解釈学的として、HPSの新しいアプローチを提唱している。その意味するところは、歴史解釈でも科学概念でも、あくまで暫定的なものであり、両者が修正し合うダイナミックな過程こそが、HPSなのだということだろう。しかしよく考えると、果たして対決モデルは、初めから歴史解釈や概念が定まっていると考えているモデルだと断言できるのだろうか?歴史資料の解釈はたえず更新されるというのは歴史学にとっては当たり前のことだし、科学概念も一枚岩ではなく、歴史的に形成されたものだということは、常識的なことではないだろうか。それゆえ、対決モデル/解釈学という図式は、やや恣意的な気もする。

 

 

 

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参考

(1)Mitchellの論文は、コロンビア大学図書館のデジタルアーカイブで閲覧することができます。↓

https://www.biodiversitylibrary.org/item/98606#page/46/mode/1up

 

(2)Ngram Viewerで、"replication"と入力すると、「再現性」という言葉が、1960年代から盛んに用いられるようになっていることがわかります。

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