yokoken001’s diary

読書メモ・レジュメ・レポートなど

Hugh G.J.Aitken , Syntony and Spark: The origin of radio (6)

Hugh G.J. Aitken, Syntony and Spark: The origin of radio (New York: Wiley, 1976),(Princeton Univertsity Press,Princeton Ligacy Library,2014), pp.298-340.

 

 最終章では、序章で設定されていた問題、すなわち、科学と技術と経済という3つの社会的活動領域はどのように関わっているのかという大きな問題について、今まで議論されてきた無線通信技術の歴史という事例を通じて考察される。この考察に際して、著者は3つのモデルを作る。

まず第一のモデルは、科学=知識生産活動とみなし、その知識が技術、経済へと一方的に変換されていくという、常識に照らしても妥当なモデルである(図1)。

f:id:yokoken001:20200506193728p:plain

図1. モデル1


 しかし著者は、このモデルは何が科学で何が科学ではないか(18世紀以前と19世紀-20世紀にかけての「科学」は同じものなのか)という点が曖昧であることと、知識が「供給」される面のみを考察対象とし、需要サイドを十分に見ていないという問題があると指摘する。

 実際には、科学の知識だけが特定の技術体系を決定する訳ではない。科学的発見が、いつ、どのように技術的前進をもたらすのかという点には、他の要因が関わっているはずである。あるいは、技術自体は本質的にそれが経済的にどの市場で用いられるものであるかということを、自ずと示すことはない。技術は、しかるべき方法で、それは用いられる市場が発見される必要がある。したがって、著者が示す第二のモデルは、それぞれの間の相互作用をくみつくしたモデルである(図2)。

f:id:yokoken001:20200506193812p:plain

図2. モデル2

 これまで考察してきたように、マルコーニがイギリスに渡った1896年という時期は、ちょうど有線、視覚に基づく通信方法の限界を超える新たな長距離通信方法が求められていた。あるいは、恐慌後の経済が徐々に復興に向かいつつある時期でもあった。(1896年からWWⅠまでの間に、ラジオのほか自動車・飛行機・コンクリートといった新しい技術が芽生えていることは、このことと無関係ではない。) さらに、19世紀末から20世紀にかけてはナショナリズムが勃興する時代でもあり、それゆえ、英国、ドイツ、アメリカ、イタリアの軍部(特に海軍)は、無線技術の軍事的重要性に機敏に反応した。このように、技術と経済の間には、経済側からの様々な需要があった。それは、技術の側からの出力の中で、何が意味を持つのかということを教えてくれる情報であり、それに基づき特定の技術がふるいにかけられ、選択されるのである。

 次に、科学と技術の間の関係を考える。技術は科学の側に何を求め、何をふるいにかけ、何を選択するのか。

 ここで、科学と技術との間にある「市場」と、技術と経済の間にある「市場」とは、性格が異なる点に注意しなければならないという。というのも、技術はすでに高度に組織化されており、経済サイドからの需要のシグナルに即座に対応することができる。それに対し、科学は、いつどのような発見が生じるのかが不明であり、技術サイドからの需要のシグナルに即座に対応することは難しい。むしろ、科学は自律性が高く、科学内部のシグナルによく反応しがちである。したがって、三者を俯瞰すると、技術は、経済サイドから科学に対して発せられる需要を、一旦緩衝させるクッションのような役割を果たしているとみなすこともできる。(技術は、すでに利用可能な情報のストックに基づいて、それらを組み合わせることで、経済側からのニーズに即座に対応することができるからである。)

 ところで、技術から科学へもたらされるフィードバックは、(1)情報、(2)技術、(3)人材に分類できるという。情報の中でもっとも重要なのは、「不変項」である。これは、マルコーニの垂直設置アンテナ(長波)の発明の事例がよく説明している。マルコーニは正式な科学の教育を受けてはいなく、科学の人としては、アマチュアであった点に注意すべきである。もし、マルコーニが「通常科学」の体系的な性格に順応していたら、当時の科学によってガイドされ得ないような領域(=長波)へと足を踏み入れることはなかっただろう。彼がアンテナを垂直に立て、長波を利用することで長距離通信が可能になることを発見したのは、科学的知識に基づいていたわけでなかった。このマルコーニの事例から分かるように、技術から科学へもたらされる情報の中には、当時の通常科学の枠内では理解できない「不変項」が含まれることがある。第二には、測定器(ガルバノメーター、干渉計)、純粋な材料などが含まれる。そして第三には、訓練されたマンパワー(人的資本)、例えば、器具製作者、実験助手などが含まれる。このように、科学と技術の間においては、科学の側から技術の側に一方向に知識が流通するわけではない。技術から科学の側にも、フィードバックのループが存在しているはずである。

 

 しかし、このモデルでも説明されていないことがあるという。それは、それぞれの活動が持つ一種の文化(subculture)である。つまり、それぞれの領域で活動する人間の生活、望み、恐れ、不満、失望といった側面である。科学、技術、経済で活動する人間は、それぞれ違った文化を生きている。ある文化から別の文化へ、アイデアはどのように変換されるのか。この点を表現したモデルが、図3である。

f:id:yokoken001:20200506193910p:plain

図3. モデル3

 これまでの議論で明らかになったことは、それぞれの文化を仲介する個人(もしくは制度)が存在し、彼らがそのアイデアの翻訳を行うということである。ヘルツは、一連の数学的方程式を実験装置に翻訳し、それにより測定や仮説の検証が可能になった。またロッジは、それらの装置を実現可能性のある無線通信技術に翻訳した。さらに、マルコーニは、当時の経済システムに適合することができる場所=市場を、他の誰よりもはっきりと見据えていた。つまり、彼らは科学・技術・経済の間にいて、両方の「言語」を話すことができたので、アイデアを一方から他方へと翻訳することができたのだった。情報が翻訳されることで、その領域においても「意味のある形」に変換され、その領域にある既存のアイデアを混ぜ合わされ、新しいものが生まれるのである。今日では、このような翻訳の活動は、制度的に整備されていることがあるが、当時はまだそのような制度はなかった。それゆえ、本書で見てきたように、その翻訳者は個人だった。

 

感想

 1901年のマルコーニの無線による太平洋横断通信の試みは、ある意味で巨大な「実験」だったのではないだろうか。この実験は、それまでの「ヘルツ波」について理解されていた枠内では説明できない「不変項」を電磁気学にフィードバックし、その結果、科学知識そのものの成長を促した。例えば、マルコーニの実験後、ヘヴィサイドは、直進するはずの「ヘルツ波」が、地球の湾曲にそって伝播するはずはないと考え、電離層の存在を予言した。このアイデアは、長距離無線通信技術から科学界へもたらされた不変項がきっかけとなって生まれたものである。電磁波の概念が「ヘルツ波」が、長波や短波、さらには超短波へと更新されていく過程は、「科学革命」が繰り返されていると考えることもできるのかもしれない。その場合、何が連続し、何が断絶したのかという問題は興味深いテーマだと思う。

 マルコーニ以後の歴史は、The Continuous Waveという本書の続編で扱われる。次は、この本に取り組もうと思います。

 

https://www.jstor.org/stable/j.ctt7zv7w0

Syntony and Spark: The Origins of Radio (Princeton Legacy Library)

Syntony and Spark: The Origins of Radio (Princeton Legacy Library)