yokoken001’s diary

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Constant Ⅱ, A model for Technological Change

Edward W. Constant Ⅱ, ”A model for Technological Change Applied to the Turbojet Revolution” Technology and Culture, Vol.14, No.4 (1973), pp.553-572.

 

 クーンのパラダイム論を技術史へ応用した初期の試みとして、しばしば言及される論文である。(本稿の議論は、より洗練された形で、後に単著にまとめられることになる。)

  本稿は3つの部分から構成されている。第一節では、まず技術変化についてのモデルが提示される。第二節では、そのモデルを、ピストンエンジンからターボジェットエンジンへの技術変化という具体例に当て嵌められる。そして最後の節で、本稿のまとめが行われる。以下では、本論文の理論的骨子が示された第一節の内容をまとめていきたい。

 

 技術的パラダイム(technological paradigm)は、「受け入れられた技術的操作、技術的仕事を達成するための通常の方法」と定義される。それは技術の実践者のコミュニティーに受け入れられ、明確にされた慣習的なシステムである。しかし、技術的パラダイムは単に装置やプロセスを意味するだけではない。それは、実践、手続き、方法、器具使用、そして一連の技術を知覚する特定の共有された認知方法をも意味する。

 通常技術(normal technology)とは、静的なものではなく、多くの場合「発展(development)」と記述されるもの、つまり、「慣習的なシステムを新しい条件に適用する」「パズル解き」の活動が含まれる。しかし、技術革命(technological revolution)が起きた場合、コミュニティのパラダイムが変更される。その革命は、関連するエンジニアのコミュニティの言葉によって定義される。

 しかし、科学と技術は根本的な点で異なっている。科学は、観察と理論の間の完全な一致が保持し得る。それに対して技術は、本質的に不完全な存在である。なぜなら、全ての技術的プロセスは、より良く、より早く、より安全に、より効率的になりうるからである。このように技術が常に欠陥のある状態(malaise)に置かれているということが、通常技術を通じた技術の前進を駆動している。と同時に、技術の不完全性は、従来のパラダイムを新しい条件に適用することは機能的に不適切であるという発見、つまり不変項(anomaly)の発見にもつながるため、技術パラダイムの変化をも導くものだとも言える。

 テクノロジーの不変項は、そうした機能的欠陥(あるいは、個人の直感)だけに由来するのではない。それは「推定上の不変項(presumptive anomaly)」によっても引き起こされる。推定上の不変項とは、新たな科学的知見が、将来のある段階で従来のシステムがうまくいかなくなることを予測したり、根本的に新しいパラダイムの方が良く動作し、新規な仕事をするだろうということを指し示すものである。機能不全的不変項と推定上の不変項との違いは、後者は、新パラダイムが形成される前に何らかの科学的知見に基づいている点にある。したがって、推定上の不変項には、機能的な欠陥は存在しない。推定上の不変項とは、機能的には上手く作動しているが、新しい科学的知見に基づけば、現在のパラダイムに欠陥が内在することが推定されるといったものである。この種の不変項が、推定上(presumptive)の不変項と命名される由縁である。

 科学的知見から推定上の不変項が導かれる際には、それが数量的な形式で表現されている必要がある。もし数量的な根拠が示されていなければ、新パラダイムが採用される可能性は低い。科学は、観察と理論が完全に一致しているため、代替パラダイムが存在するかしないかにかかわらず、不変項は論理的に危機へ直結する。それに対して技術の場合、機能不全や個人的な直感に基づく不変項が、直接に危機をもたらすとは限らない(不変項と危機が直結していない)。それゆえ、技術パラダイムのシフトにおいては、代替パラダイムが提示されていることが求められる。なぜなら、代替パラダイムが提示されていなければ、その不変項は、通常技術の限定的な条件でのみ存在するものであるか、個人の奇抜な推論に過ぎないということがあり得るからである。

 技術革命は、科学革命と同様に、関連するコミュニティの大部分が新パラダイムへ移行し、通常技術を開始したときに生じる。しかし、革命は新しいシステムが操作可能となり、普遍的に受け入れられ、最初に動作したときに起こるのではなく、そのやや手前の段階、つまり、関連するコミュニティの少数派によって通常技術の基盤として採用されたときに起きると考えられる。そしてある閾値を超えると、新パラダイムは自律的にコミュニティ大部分へと浸透し始めるようになる。

 技術的変化(technological change)には、このような革命だけではなく、通常技術における発展も含まれる。それは非革命的な、直線的・累積的な(straightforward)実践である。しかし、パラダイムの展開にとって最も重要な方法は、新しいサブシステム(サブパラダイム)を採用することである。パラダイム変化は、新しいサブシステムの創造と採用と同一のものではないにせよ、それと類似している。

 技術的変化においては、それに寄与した挑戦者(provocateurs)が特定できないという曖昧な一面もある。しかし本稿の議論は、彼らがいかにしてパラダイムを超えた結論に至るのかを示唆している。まず、挑戦者は関連する科学的進歩の最前線にいる必要がある。また、彼らは従来の技術にあまりコミットしていないという条件も求められる。もちろん、これらは必要条件であって十分条件ではない。挑戦者であるためには、これらの条件を満たすことが必要だが、この条件を満たしている人が全て挑戦者であるわけではない。

だが、技術革命を引き起こすのは力(forces)ではなく人間(men)である。それは必ずしも個人ではないが、他の人には代替パラダイムとして認知されない発展を押し通し、新パラダイムを形成する存在は人間である。

 技術的変化には、経済的な要因も絡んでいる。仮説的には、以下の4つの次元で関係していると考えられる。第一は、個人の動機につながっているという点、第二は、利用可能な資金に関わるという点、第三は転換者への固執(?)(the adherence of the first few critical convert)、四つ目はコミュニティレベルでの新パラダイムの採用に関わっているという点である。

 経済的要因が支配的に機能するのは、代替パラダイムが創造者個人の中ではっきりと形成され、創造者が関連するコミュニティを変えることに着手し始めた後である。開発のための資源を配分する決定は経済に依拠している。しかし、旧パラダイムにおけるコスト構造は、そのまま新パラダイムに適用することはできない。それゆえ、コストの見積もりはある程度信頼に基づく。そしてそれは美的アピールや説得力によって左右されるものである。つまり、パラダイムシフトが自律的に進行する前の段階では、見積もられたコストは主観的なものである。

 技術革命の最後の段階で、経済的要素はコミュニティ全体が新パラダイムを採用するべきかどうかを決める際に機能するだけではなく、関連するセクターの変化のタイミングまでをも決定する。そして、従来のパラダイムが反証されるか、新パラダイムが確証されるかを最終的に決定する基準も、経済的な要素である。しかし、技術の展開は、関連するコミュニティーが決定を下す前に進む。したがって、経済的要因に限定したパラダイムシフトの概念は、技術革命の複雑さを完全に把握することはできない。

 

 

議論

・非革命的な変化と革命的な変化の違いが、判然としないように思う。というのは、クーンの議論では、革命前と後では、共約不可能(通約不可能)、つまり、共通の語彙が存在せず、それゆえその優劣を図る共通の尺度が存在しないことを論じていたはずである。その場合の断絶的な「革命」と、本稿における「革命」の意味はやはり異なっている。技術革命の前後に、共約不可能性は生じ得るのか。

・サブパラダイムの採用について論じていた箇所があったが、正直、今回提示された論理に十分に取り込まれていないような印象を受けた。ここは、テクノロジーが複数のコンポーネントアセンブリから構成されているという性質に基づく興味深い議論であるので、のちの議論では洗練されていることを期待したい。