yokoken001’s diary

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平野啓一郎『ある男』を読みました。

 

 

 とてもいい物語だった。この小説を読んでいたここ一週間、本を開いている間は、この物語世界にどっぷりと浸ることができた。

 本書では、臓器移植、在日朝鮮人へのヘイトスピーチ、デモへ参加することの是非、死刑の是非、死刑囚の子どもなど、数多くの社会的な問題が織り込まれている。各々の問題にぶつかるごとに、ページをめくる手を止めなければならなかった。

 特に、主人公の城戸とその妻香織との対立は、根深いと感じた。3.11後、何より自分たちの家庭の維持を最優先しようという香織は、自分の家庭さえままならない状況の中ボランティアや寄付に尽力する城戸を「偽善者」として批判する。恣意的に物事を一般化することは避けなければならないが、母親というのは、概して、その母性ゆえなのか、家庭(あるいは子ども)を「守る」ということに最大の重きをおくのかもしれない。そのためには、場合によっては、社会の他の家庭と「戦う」ことも辞さないのかもしれない。対して、男である父親は、家庭を超えた社会全体にとっての幸福を望もうとする傾向があるような気がする。その意味で、父親は母親からはある種の理想主義者・夢想家とみなされ、子育て対して「無責任」な態度だと罵られることもあるのかもしれない。 

 在日へのヘイトをめぐるやりとりでもそうだ。香織は、城戸という在日三世の弁護士を夫に持つにも関わらず、ヘイトに対するカウンターデモに参加することを良しとせず、むしろ逆に彼らから子どもを「守らなければならない」と発想する。彼らを「敵」とみなす態度も、城戸と態度と微妙にすれ違っているような気がした。

 

 だが、やはり何よりも最大のテーマは、「愛にとって過去とは何か」という問いだと思う。

愛する人の過去は、その愛にどのように関わるだろうか。卒業アルバムに写る優しい顔。その人が部活で優勝したときにもらったトロフィー。昔の成績。よく聴いた音楽。家族との思い出。昔の恋愛話。そうしたものから窺い知れるその人の過去は、仮にそれが客観的には「良い」ことでなくたとしても、現在のその人への愛をいっそう強めるのではないだろうか。

 だが、もしも決定的な過ちを犯していたり、修復不可能な深い傷を負っていたらどうだろうか。あるいはそのことをずっと隠していたとしてそれを今知ってしまったら、、、–––そして究極的には、愛する人が実は全く違う過去を持つ別人であることがわかったとしたら。

 僕は、城戸も著者も、それでも愛は成立することを肯定しようとしているのだと思う。物語の最後で、城戸は、修復不可能な過去を背負って、別人として人生を歩み始めた”X”=「ある男」は、事故で亡くなるまでの約3年半は、確かに里枝と幸福に過ごしていたということを、彼女に伝えようとした。城戸の「ある男」へのいわく言いがたい興味や共感は、彼の別人として歩み直した生を肯定しようとする思いに由来しているのではないだろうか。

 

 ゆっくりと静謐な時間を過ごしたいという読者に、特におすすめの一冊。

 

 

ある男

ある男