yokoken001’s diary

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すばらしき新世界

 Aldous Huxley著のBRAVE  NEW WORLD(1932年)の全訳。訳者は大森望で、「めっぽう面白いSFを訳すつもりで日本語化」することを目指したという。ちなみに祖父のトマス・ヘンリー・ハックスリーはチャールズ・ダーウィンの犬として知られる、進化論を支持した生物学者

 あまりにも滑稽で思わず笑ってしまうという意味で、カフカの『変身』に通じるような、面白い小説だった。訳のせいなのか分からないが、テーマの深刻さとは対照的に、描写そのものはとても明るく感じた。文学的な仕掛けもある。

 描かれる世界は、2540年らしい。確かに、「T型フォードの登場した年が」、「新たな紀元の始まりに選ばれた(p.73)」とあり、フォードのモデルTが発売された年=1908年が「AF」元年とされている。この世界では、人間そのものが人工授精によって「大量生産」されるようになっている。そして、各人はアルファ、ベータ、ガンマ、、と厳密に社会階級が割り振られており、人工授精が始まった瞬間から、それぞれの階級に適した条件付けが行われる。各人はそれぞれの階級の中で幸福を感じるように設計されているため、完全な「ユートピア」が実現しているように見える。父親や母親といった言葉は卑猥な言葉である認識するように条件づけされているのがとても滑稽で、物語の中間で野人ジョンがリンダのことを自分の母親だというシーンでは、周りの文明人らが爆笑する様子が描かれており、おかしくて笑ってしまった。

 作中人物に登場するヘルムホルツマルクスらは、あのヘルムホルツや、あのマルクスを連想させる部分も興味深い。マルクスが嫌われ者だというのもなんとも示唆的。(1932年頃にイギリスで思想統制が始まっていたのか知らないが。)

 このような世界が作られるきっかけとなったのは「9年戦争」であるという設定である。これは著者が第二次世界大戦を予見していたかのようだ。世界統制官のモンドが語るところによれば、「九年戦争を境に、空気が一変した。まわりじゅうで炭疽菌爆弾が爆発しているとき、真実や美や知識になんの意味がある?九年戦争後、科学研究は初めて制限されるようになった(317頁)」らしい。だが、第二次世界大戦で実際に使われたのは炭疽菌爆弾というよりは原子爆弾であり、科学研究は制限されるどころか、むしろバネヴァー・ブッシュの演説に見られるように戦後も国家による基礎科学の振興が訴えられた。

 著者の解説には伊藤計劃の『ハーモニー』からの引用がエピグラフに記されている。それは、幸福を選ぶか真理を選ぶか?という選択で、人類は幸福を選んだため、後戻りできなくなったという趣旨の文章である。これは、この作品のテーマを一言で言い表しているかのように思える。

 面白い作品だったので、また別の訳も読んでみたい。