yokoken001’s diary

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Hugh G.J.Aitken , Syntony and Spark: The origin of radio (1)

Hugh G.J.Aitken , Syntony and Spark: The origin of radio, Wiley, New York,1976. (Princeton Univertsity Press,Princeton Ligacy Library,2014)

 

 

 技術史家Aitkenによる無線通信史の古典を、少しずつ読んでいきます。

 

 

第一章

 新しい物事はいかにして生じるか?この問いに答えを与えてくれる一般論は存在しない。だが、創造性というのは、まずアイデアの並び方を構成し直すプロセスとして分析されることが重要である。そして、ジョージ・サートンが述べているように、その創造的飛躍が想像し難くいかに馴染みないものであっても、細かく調べればその無数の小さな中間段階を経ていることがわかり、その驚きは消滅するものだということを念頭におくことが重要である。

 科学は、新たな情報が付加されることで既存の知識を並び替え、一般化された概念的枠組みを作り出すことに特化した社会の一機能である。著者はマートンとともに、科学を社会的機能へと統合する見解を共有する。だが、科学的思考や科学的行動は、社会における他のセクター(宗教や国防、個々人が持つ価値の体系など)と異なった特徴がある。マートンが述べた科学者に要求されるエートスに「CUDOS(共有性、普遍性、無私性、組織化された懐疑)」というものがあるが、これは明らかに他のセクターには当てはまらない急務である。そして、科学の知識体系は、科学者自身によってしか評価され得ないという意味で、自律的である。一般市民にとっては、科学的知識を体現した技術的体系に社会的な支持が集まることで、初めてそれを評価することができる。

 新しい物事はいかにして生じるか?この問いの答えにとって、あるひとかけらの情報が新規的な形態へと組み合わされたり配置し直されたりするプロセスを理解することが重要だった。この観点からすると、新しい情報が、科学から技術へさらには経済的生活へと伝送されていく(そしてまたその逆に伝送される)過程を理解することが大切になるだろう。このとき、既存の情報要素の配置替えにとって、新しい情報の入力は、ある種の触媒として機能するだろうというのが著者の仮説である。つまり、それは、起爆剤であり、巨大な雪崩を引き起こす雪だるまのようなものである。そして、これに「火花 spark」という比喩を与える。

 科学と技術は似通った価値観を備えており、社会の部分において、鏡像関係のようである。例えば、合理性、功利性、普遍性、前進性といった価値は、両者に共通するものであろう。しかし、鏡像はよく似ているが全く同じというわけではない。両者には、いくつかの差異もある。例えば、ある規則に従って行動する程度は、純粋科学においては大きいものの、応用科学、そして技術へとシフトするにつれ、その程度は薄まっていく。また、その態度における伝統性の度合いも異なる。伝統性に則るという側面は技術の方が強いだろう。つまり、技術における新規参入者は、その独創性が認められるより以前に、それに習熟していることが要求されるものだ。さらには、特許権の問題も両者で大きく異なる。科学においては、誰が最初にそれを発見したのかというプライオリティーが重視される。そして、一旦それが発見されれば、あとは科学者全員の共有物となる。一方技術においては特許体系によってその独創性は保証されており、発見とはすなわち商品なのである。以上のように、科学はやはり自律性によって保護されているのものの、技術の方は社会的ニーズの圧力にさらされており、経済システムに通じているのである。より単純化して言えば、技術というのはいつも雇われているのであり、純粋科学は決してそのようなことはない。このことは、科学の歴史的展開に適合するゲームのルールと、技術のそれとは一致しないということを意味している。

 以上、科学-技術-経済間で相互に影響し合う要素について検討した。要するに、ある情報が、あるシステムから別のシステムへ伝わるとき、それぞれの異なった価値観の世界にとって意味をなす形態へと変換され、異なったコードへと翻訳されるのである。(そして、歴史学はこの事例に広範なポートフォリオを提供する。) だが、現代社会においては、この接点におけるプロセスは、高度に制度化されているということにも注意する必要がある。社会的なニーズによって、応用科学が純粋科学と技術の間に位置付けられ、技術と経済の間にR &Dが介在させられ、有効に機能する。

 本書では、電気技術と、無線コミュニケーションの起源という単一の事例に集中する。ここで取り上げられる主な人物は、ヘルツ、ロッジ、マルコーニであるが、著者が記すのはいわゆる「英雄的な」伝記ではない。彼らを取り上げるのは、マックスウェルの理論という純粋科学上の概念的な前進を超えて、新しいコミュニケーション手段と(電磁波という)経済的資源を作り出したプロセスにおいて、大きな役割を果たしたからである。すなわち、この三者は、科学-技術-社会という三つの体系における情報の相互伝達を支配したからである。彼らは三つの体系間の「翻訳者」だった。

 ヘルツは、マックスウェル方程式を実験的に証明し、光も電磁波の一部であることを証明した。(つまり、電磁波の速度は光の速度であることを示した。)だが、電磁波をどのようにして生み出すのか?それはどのように検知されるのか?そしてその電磁波の検知が放射された電磁波そのものであって、他の電磁波ではないということをどのように保障するのかといった問いを残した。インダクタンスとキャパシタンスによる共振resonateという現象は、マックスウェルの時代には知られていたが、これを同調syntonyという形で、チューニング可能な技術の形にしようと試みたのがロッジである。だが、ロッジの装置は知的好奇心の産物であり、公演での興味を引きつけるデバイスにすぎなかった。つまり、ここでは技術から経済への翻訳は行われていなかった。それを経済に接続したのが、ほかならぬマルコーニだった。彼は科学者ではなく、工学者であり、実業家であり、商業家であった。マルコーニ社の発足は、経済史におけるエピソードなのである。

 本書では、対象とする時期をマックスウェルの方程式が示された1865年を起点とし、1914年を終点とする。なぜなら、この年に火花放電からアーク放電や三極真空管による連続波の生成という新しい技術へと進展する(真空管の場合は、進展しつつあった)からである。

 マックスウェルは電磁波理論という概念的枠組みを提示し、ヘルツはそれを検証し妥当なものであることを示す技術を考案し、ロッジはそれを洗練させ情報伝達に応用可能な形にし、マルコーニはそれを経済的な場へと持ち込み成長させたのである。そして、「火花」放電は、彼らに電磁波スペクトルへのアクセスを可能ならしめ、「同調」はそれを利用可能にさせ、経済的資源へと変換させたのであった。

 

 

Syntony and Spark: The Origins of Radio (Princeton Legacy Library)

Syntony and Spark: The Origins of Radio (Princeton Legacy Library)