yokoken001’s diary

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論文レビュー (菊池論文 その3 )

菊池慶彦「タングステン電球の普及と東京電気の製品戦略」『経営史学』第48巻、第2号(2013年)、27-52頁。

 

以下よりDL可。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj/48/2/48_2_27/_pdf

 

 本論文は、同じ著者による論文「日露戦後の電球産業の成長」に続く内容で、GEと技術提携を結んだ東京電気のタングステン電球の販売が開始される1911年以降の電球産業の状況が詳述される。(博論『日本における電球産業の形成と発展』(東北大学、2013年) 第3章に相当。) 産業史研究において、技術進歩と産業発展の関係、そしてこれに関連する経済主体の行動を検討することは主要な課題の一つである。しかし、従来のGEと東京電気の連携関係とその変遷を扱ったいくつかある先行研究の中で、タングステン電球の普及過程における電力業と電球産業との関連は明らかにしたものはまだないと述べられた上で、本稿では、(1)タングステン電球の普及と電灯・電球市場の成長の関わり、(2)東京電気の製造・販売の方法が中心に論じられる。

 

 

1910年、GEの企業内研究所のWilliam Coolidgeが開発した引線タングステン電球は、それまでの炭素電球に比べて、能率が3倍、寿命が2倍に高められた高性能の新製品だった。ところで、電球の能率というのは、W/燭光、W/ルーメンで表現される単位である(日本では当初前者が用いられていた)。そして高能率な電球は、1燭光あたりの消費電力が小さい電球のことを指す。さらに、電球はその能率と寿命がトレードオフの関係にあるという性質を持つ。これを簡単に図示すると以下のようになるはずである。

 

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   東京電気はタングステン電球を「マツダランプ」という商標を与え、早くも1911年に引線タングステン電球を販売している。

 東京電気などの電球メーカーにとっての大口需要家は、主に電気事業者だった。電気事業者とは電球需要者との間にあり、需要者の電球の維持や管理を担う。そして電気事業者と需要家との間では主に定額燭光制という料金方式で契約されていた。これは、燭光ごとの定額料金で契約し、その電球を需要家に提供するという方式だった。東京電気がタングステン電球の普及を図る際、まず、電気事業者との取引関係を構築することが重要になる。なぜなら、電気事業者からは電球の高能率化によって料金の値下げ圧力が高まる可能性があるし、長寿命であっても無論、調達費の点で事業者側が不利になることもありうるからだ。

 日露戦争後、電力の需要の増加を受け、中小の電気事業者の数が増えた。タングステン電球の導入は、まずこうした中小事業者から始まった。その理由は、第一に新規参入である中小の電気事業者は炭素電球時代からの取引が継続している場合は少なく、料金値下げの圧力が大企業に比べて小さかったことが考えられる。第二に、比較的規模が小さいこれらの会社では、小さな電力で多数の需要家に答える必要があったため、高性能の電球の普及が早く進んだと考えられるのである。もっとも、これらの流通は漸進的に生じた。電球メーカーにとってなによりも重要なのは、販売戦略だった。

 

  • 東京電気の販売戦略

東京電気は1914年に、新型電気の有用性や電気事業者の導入状況や勧誘方法などの情報の普及を図るべく、『マツダ新報』という新たな機関紙の発行を開始する。主な戦略は、定額制から従量制への移行と、定額燭光制から定額ワット制への移行だった。

このあたりもややこしいので、図示すると以下のようになる。

 

 

定額

従量

燭光

燭光ごとの定額料金で契約。

電気の使用料に応じて料金が計算される。

ワット

消費電力で契約、電球は消費者が選ぶ。(高能率の電球を選ぶのが合理的。)

 

  上記の図のように、ワット制と従量制は、タングステン電球などの高能率の電球に仕向けることができる。なぜなら、同じ消費電力であれば、高能率な電球を使って高燭光の明かりをつけようと判断するのが、消費者としての合理的な判断であるからだ。しかし、これらの戦略はうまくいかなかった。その理由は、まず、従量制に関しては、この制度は事業者にとって需要者に電力の節約を促してしまうと懸念されたからである。従量制は定額制とは異なり、あらかじめ決められた燭光なり電力なりの範囲内で使用する必要はなく、使用に上限がない分、電力そのものの需要が低迷する可能性があった。一方定額制の方でワットはなく、燭光が普及し続けた理由としては、電球の選択権が、必ずしも技術的な知識を持たない消費者の手に譲られることで電球そのものの改良や進歩を阻害すると考えられたことや、電気事業者にとって低品質な電球を使用することはサービス改善の点で問題があったことなどが考えられる。第一次世界大戦期においては、電灯以外にも、電動機の方で電気の需要が高まっていたから、そもそも高性能の電球が望まれる市場条件が整っていたともいえる。全般的にみて、電力事業者は、定額ワット制にシフトするのではなく、むしろ定額燭光制を維持してその中でタングステン電球を導入することで、消費電力あたりの料金を下げ、電球の高能率化という革新効果の大部分を内部化したのであった。したがって、製品仕様についても、アメリカではある程度のところで寿命は固定され、能率重視の方向へ進んだのに対し、日本ではアメリカよりも低能率・長寿命の仕様が標準となっていた。

 1917年には全国金属線化率は94%に達し、炭素電球からの転換はほぼ完了した。