yokoken001’s diary

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池内了『科学者はなぜ軍事研究に手を染めてはいけないか』を読みました。

 

 本書は、軍事研究の反対論を唱えてきた著者が、若い研究者へ向けて「軍事研究に手を染めてはいけない」という倫理的な規範を示した指南の書である。

 池内了『科学者と戦争』(岩波新書、2016年)は、益川敏英『科学者は戦争で何をしたか』(集英社新書、2015年)に並んで、僕に科学史の研究に取り組もうとするきっかけを与えたくれた本である。少々個人的な事情を申し上げると、僕が大学に入学した年、つまり2015年は、政治的にかなり動乱した年で、そのことは僕の大学生活とも無関係ではなかった。新ガイドラインの制定と、それを法的に体現した安全保障関連法案が成立することで、集団的自衛権の行使が容認され、日本が「戦争が出来る国」になると多くの人が危惧を抱いた。国会前にはSEALDsらをはじめとする多くの人たちがデモに参列した(主催者発表では10万人という日もあったように記憶している)。そして、僕もその中の一人だった。もちろん、人々が主張していた内容はよく見ると各々異なるものだったが、僕は民主主義が踏みにじられているということよりも、日本が「戦争」へ着実に近づいていることに漠とした危機感を覚え、一連の法律の成立そのものに反対したつもりだった。(無論、過去や現在の戦争とは何であり、なぜ反対なのか、きちんと説明することはできなかった。) そうした動きの中で、同年、防衛省は新たな競争的資金制度を創設した。安全保障技術研究推進制度(以下、推進制度と表記)と呼ばれるその制度には、大学の研究者からの応募もあり、「軍事研究」の解禁としてメディアでも取り上げられることがあった(益川先生が出演したクローズアップ現代の衝撃は、特に大きかった)。防衛省側も、研究費に応募した研究者も、科学・技術が民生用途にも軍事用途にも用いられる、つまり軍民両用性を備えていることを「デュアルユース」という言葉で説明した。そのことで、僕は軍事研究と民生研究との線引きがいかに難しいことであるかを実感させられた。池内氏の著作は、このような情勢を背景としつつ、大学の研究者が軍事研究に公然と着手する状況に対して警鐘を鳴らすべく書かれたものである。同氏はその後も、『科学者と軍事研究』(岩波新書、2016年)、『兵器と大学』(岩波ブックレット、2016年)などを上梓し、推進制度の近況を注視しつづけると同時に、日本学術会議の議論にも加わり、軍事研究について力強い反対論を展開してきた。そして僕はこうした本を読むなどして、議論を追いかける中で、戦争と科学・技術の関係という遠大な問題に対してまずは歴史的な観点からアプローチすることが、今日の問題を考える上で重要だと思うようになった。

 現代の戦争にとって、科学・技術は不可欠であることは言うまでもないが、そもそも国家にとっても、科学・技術は本質的な役割を担っている。軍事や国家と科学・技術はどのように関係してきたのか、国家による科学振興のルーツを探るというその作業は、現在自明のこととなっている「科学と国家の関係」について再考することにもつながる。科学者はポケットマネーによって研究することはできず、やはり国や企業をスポンサーとして研究する他はないのだから、場合によってはその間に緊張関係が生じることがある。その関係をどのように考えたらよいのか、その関係の歴史を辿ることで見えてくることがあるかもしれない。これが第一の理由だ。

さらに、科学は、戦争のために破壊や殺傷を目的とした手段であるのではなく、人々の幸福に資するものであってほしいと、池内氏も僕もそう思う。だが、それはおそらく、軍事研究に従事する人々や政策の立案者も同じ願いを持っているはずである。(例えば、まともな人間であれば、大量破壊兵器を好んで開発することなどはないだろう。) だとすれば、この問題について考えるとき、防衛省=悪/大学のリベラルな科学者=善とする図式によって、後者の立場から一方的に反対するだけでは不十分であり、政策する側(ないし軍事研究に取り組む側)の立場に立って、なぜこうした制度や軍事研究が必要とされているのかを考える必要があるだろう。その際、歴史学のアプローチは有効かもしれない。歴史学の基本は歴史主体に寄り添うことで、複雑な過去という時代を理解することであると理解している。もちろん、戦前・戦中という時期は、軍事研究が当たり前であった時代であり、現代とは違う。だとすれば、その時代において、陸海軍の軍人や技術官僚、文部官僚さらには技術者・科学者の立場に立って、なにを目指していたのかを理解することで、彼らにとっての科学・技術、軍事研究の内実を考えることにつながるだろう。その作業は、現代の問題を考える上でも決して無駄なことではないはずだろう。

 前置きが長くなってしまったが、以上の問題意識を持っている僕にとって、本書を含めた一連の著作は不十分であると言わざるを得ない。その意味で、池内氏の著書は僕にとっての原点であると同時に超克すべき壁でもある。もちろん本書は、科学・技術と軍事の歴史的な関わりを概観すること(第一章)、その中で科学者はどのような「口実」に基づき、軍事研究に取り組んだかという科学者サイドに立った分析(第二章)、その一方で人類が平和な世界を創るための数多くの努力もなされてきたという、非戦・軍縮の思想の歴史の紹介(第三章)、そして2015年に創設された推進制度の概要と問題点(第四章)、それに対する研究者側の反応(第五章)、そしてやはりプロとしての科学者が軍事研究に従事してはならないことへの訴え(第六章)と、非常に行き届いた内容を備えていることは事実である。だが、いくつかの点で、さらに進んだ議論が必要であると感じた。したがって、全体の要約を示すのではなく、以下ではこの主要な論点について記しておこうと思う。

 まず、本書の基本的な主張の一つは、防衛省からの資金による研究を軍事研究と見做すことでそれに反対し、代わりに、文科省からの科研費で研究すべきだとことである。しかし、文部省の科学政策の歴史を勉強している人間にとって、この主張には違和感を抱かざると得ない。というもの、確かに創設当初から科学研究費交付金は基礎研究を広範に振興する制度であったが、戦中に文部省の学術研究会議が科学動員の中枢組織と姿を変えるにつれて、その動員政策の一つである「研究班」の資金源となっていったという歴史があるからだ。個々の研究プログラムにとって、それらの成果が戦争に直接寄与したかどうかはまだ不明な点が多いが、少なくとも科学研究費交付金は科学動員の手段になったという歴史を持っている。防衛省の資金との対比で科研費が全く問題にされないのは、これらの歴史を併せて考えると不適切である。むしろ考慮すべきことは、防衛省にせよ文部省にせよ、国家による資金源をもとに科学研究をするということはどういうことだったのか、そして現在ではどういうことなのか考え、かりに国家と科学研究との間に緊張関係が生じた場合、どうすべきかを考えることだと思う。

 次に、本書が前提にしているのは、大学の研究者である。もちろん、大学の研究者が軍事研究に手を染めないようにすることは大事なことかもしれない。しかし、仮に彼らが反対したところで軍事研究は依然として進行する。なぜなら、科学者・技術者というのは大学内にいるのみならず、企業にも所蔵しているからだ。これはいわゆる「大学の神聖化」という問題である。大学こそは軍事研究に反対し、人々の平和のために科学の研究に取り組む「神聖な」場所であるとするこの主張が、軍事研究そのものに反対するものにとっていかに視野の狭いものであるか、深刻な問題である。

 さらに、本書では日本の安全保障体制についての議論がほとんど扱われていない。おそらく著者は非武装中立のスタンスであり、自衛隊にも反対しているのだろう。だが、現在、自衛隊は実質は「軍」として、あるいはそれに準じる組織として、軍事演習を行い、日本の防衛に寄与しているだろう。つまり、現在すでに自衛隊による安全保障体制の枠組みの中に置かれているのである。その事実を捨象して、自衛隊の存在にも反対することはなかなか難しい。軍事研究の是非をめぐる問題を考えるのに際して、そもそも日本の安全保障をどのようにするのかという議論は避けることはできないだろう。(個別的自衛権だけでいくのか、だとしたらそれに資する軍事研究は許容されるのかどうかなど。)

 最後に、これだけの内容をもち、軍事研究に警鐘を鳴らしているにも関わらず、突き詰めるとなぜ軍事研究に手を染めてはいけないのか、その根拠は曖昧なままなのであるという点が指摘できる。軍事研究は、自主性・公開性を奪い、健全な科学研究を阻害するという特有の問題があるということは本書でも触れられるし、日本学術会議の声明文でも指摘されていたことでもある。だが、それは軍事研究そのものを真正面から否定するものではない。自主性や公開性が担保されていれば、その主張は崩れるからである。では軍事研究は、破壊や殺傷を目的とするため、その非人道性が問題であるということが、それ自体に内在する問題なのだろうか。だとしたら、近年進行しているAIやドローン技術の軍事利用や、ソフト面への攻撃技術やサイバーテロ防止の技術などは問題化されないことになる。人に危害を加えることなく、対象物を局所的に破壊し、兵士の心理的・物理的な苦痛を軽減するこれらの技術や、そもそも破壊や殺傷を目的としない軍事技術は、国家の安全保障にとって必要であり、反対すべきではないのだろうか。

科学者は人々の平和と世界の平和のために尽くす人間であるということ、軍拡ではなく、話し合いと交渉によって平和を保つ世界の実現という著者の描く理想や未来に、僕は全面的に賛成である。だが、そのためにはさらに議論を詰める必要がある。

 

 

科学者は、なぜ軍事研究に手を染めてはいけないか

科学者は、なぜ軍事研究に手を染めてはいけないか

  • 作者:池内 了
  • 発売日: 2019/05/25
  • メディア: 単行本