yokoken001’s diary

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Chapter 9(Theodore Arabatzis) “Hidden Entities and Experimrntal Practice: Renewing the Dialogue Between History and Philosophy of Science”,

Chapter 9(Theodore Arabatzis) “Hidden Entities and Experimrntal Practice: Renewing the Dialogue Between History and Philosophy of Science”, Integrating History and Philisolhy of Science, Boston Studies in the Philosophy of Science 263,pp.125-139.

 

第9章では、科学的実在論の議論を通じて、HPSの相互関係の有効性について検討されます。

だいたい、以下のようなことが書かれているはずです。

 

9.1 Introduction(pp.125-126)

  • 科学史・科学哲学の両者の関係における文献の多数は、後者のための前者の重要性を説くといった偏りのあるものだった。

:歴史志向の科学哲学は、歴史を哲学の理論をテストするための経験的材料の倉庫とみなす。

科学史家は、科学哲学の「実用的な価値(pragmatic value)」をしばしば疑ってきた。

:クーンのような哲学志向の歴史家でさえ、科学史における科学哲学の関連性を否定した。

→哲学者が歴史に介入することで、歴史的アクターのカテゴリーに対する鈍感さを引き起こし、実用的価値への疑いはますます深まった。

→哲学的な歴史記述を支持すること≠既存の哲学的立場を歴史記述に持ち込むこと

⇄ある哲学的問題・議論に関わることで、歴史的分析を深めること

→既存のどの哲学的立場においても、歴史資料の複雑性を正当化できない場合、歴史家は新しい哲学的洞察を提案するべき。

  • 著者がこれまで取り組んできた問題
  • 科学的発見に関する問題

:「XがYを発見した」という記述的言明

→「Xによって得られた証拠は、Yの存在を確証(establish)させるのに十分である」という認識的判断を含む。

→「あるものが発見されたときそれは確かに実在する」という実在論的趣がある。

→「発見」を歴史記述のカテゴリーとしても用いる際、歴史家は科学的実在論の問題に足を踏み入れることになる。それゆえ、発見されたものや発見者を同定するには、概念的な分析が要求される。(実在論/反実在論の両方に受け入れられる中立的な立場からなされるべき)

  • 概念の変化と、それを歴史の語りの対象として選択することに関する哲学的問題

:ある科学的概念が流動的であるということは、それらについて一貫した歴史の語りを枠づけることを妨げるように思われる。(cf Skinner)

←歴史記述にとっての哲学の議論の重要性

→本稿では、実験的な実践に関わる哲学的問題や科学的実在論が、「隠れた実在」の来歴の歴史的研究をどのようにして実りあるものにできるかを調べることで、HPSのさらなる統合の可能性を考える。

9.2 Why Use the Term “Hidden Entities”? (pp.127-128)

  • 「観察不可能な実在」や「理論的実在」といったよく知られた語ではなく、「隠れた実在」という語を用いる理由

∵(1)観察可能/観察不可能なものの区別にまつわる問題を回避するため。

マックスウェル:観察可能なものと観察不可能なものとの間にはっきりとした境界線を引くことはできず、それゆえにその区別は、認識論的・存在論的な重要性を持たない。

⇄ファン・フラーセン:その区別を復帰させ、構成的な認識論の中心に据えた。

→この論争を未解決のままにしておく。

  • (2)「理論的実在」という言葉の使用を避ける

∵①それが埋め込まれている理論的枠組みを超越することがないという誤った印象を与えるから

⇄「隠れた実在」=異なった理論(あるいは分野でさえも)の間を行き来するもの

Cf カートライト、ハッキング:隠れた実在の超理論的特性の共時的な次元を強調してきた。

シェーファー、パトナム:超理論的特性の通時的な次元を指摘。(隠れた実在は、たいてい連続した科学理論の対象だった。)

②「理論的実在」:そうした実在の多くは、実験室において調査される実験的な対象であるという事実を軽視する。

実験室=実在の特性についての体系的な理論から導かれる手引きがしばしば存在しない。

  • (3)(本稿が対象とする時期である)19世紀から20世紀において、「隠れた実在」や「目に見えない実在」という言葉は、原子論者/反原子論者といった歴史的アクターのカテゴリーを示すといった利点がある。

原子論者

・ヘルツ:『機械論原理』(1894年);原子の形状、繋がり、動きは、完全に我々から隠されている。

・ジャン・ペラン:技術的発展によって、目に見える/目に見えないの間の境界線は変化する。

反原子論者

デュエム:現象の背後にある隠れた領域には、認識的にはアクセスできない。

ポアンカレ:科学理論≒heap of ruins piled upon ruins”

科学理論の目的≠物理的現象を引き起こす隠された事物を明らかにすること

→自然は永遠に我々の目から隠れているのであり、それゆえ科学理論の目的は、現実の事物の間の真の関係性を発見することである。

←このように、「隠れた」という語がよく用いられているにも関わらず、その言葉は発見されることを待っている前から存在する(pre-existing)現実を示唆するため、構成主義の時代においては反対にあいそうな口調の言葉である。

⇄”hidden”:形而上学的な論争において中立的な立場を維持しつつ、隠された領域と明らかな領域との間の区別を設けることができる。

 

9.3 A Glance at the Role of Hidden Entities in the History of the Physical Sciences:The Historical Roots of a Philosophical Problem (pp.129-130)

  • 17世紀以来、隠れた実在を仮定することによる現象の説明は、科学の重要な側面であり続けてきた。

Ex 機械論哲学:自然界の構成物は、目に見えないほど微細な粒子による絶え間ない運動である。

デカルト:ネジの形をした粒子を仮定し、磁力を説明

  • 18世紀に入ると、機械論的説明を容易には認めないような現象を機械論的枠組みの中に順応させようとしたことで、隠れた実在は増大した。

Ex 電気力や磁気力を説明するために、遠隔作用する流体(不可秤量流体=imponderable)が仮定された。

→18世紀の終わりまでに、その豊かさが証明され、電気力、磁気力、光、熱、燃焼を調べるための数量的な統一された枠組みを提供することを約束した。

→光を機械論の枠組みに取り込むべく、“発光性”のエーテルが仮定

場の理論:電磁気の過程に光を統合し、光学、電磁気エーテルを特定

  • 19世紀の最後の四半世紀:
  • 機械論の伝統は、もう一つの隠れた実在である原子を過程することで強化された。

原子:気象学や化学の問いに答えるべくドルトンによって提唱

→定比例の法則や倍数比例の法則といった経験的規則を単純化、体系化、説明することを主な目的にした

→熱現象をうまく説明するために、物理学者らによっても支持された

⇄19世紀の間、多くの科学者は原子を必ずしも必要ではない虚構と考えており、その存在論的な地位に関する問いは、留保されていた

→20世紀の初め、ペリンによるブラウン運動の実験により、原子の実在の証拠が示された

→電子、クオークなどの素粒子物理学

  • 隠れた実在はしばしば(いつも?)説明的な目的のために導入されてきた。

→隠れた実在の周辺に、理論的・実験的な実践の全体領域が構築されてきた。

⇄実験的に成功してきたにも関わらず、のちに誤りであることが分かったものがいくつかある。(フロギストン、カロリック、エーテルなど) (悲観的帰納法)

→隠れた実在に関する哲学的文献の多くが、科学的実在論に焦点を当ててきた。

←この問題の起源の中には決定不全性がある。(=観察データによっては対立する理論の中から一つの理論を選ぶことはできない)

→隠れた実在を導入し確証させるとなると、さらに混みいった議論になる。

帰納からの一般化→水平方向の決定不全性に直面

現象の下に(underneath)実在を仮定する仮説→垂直方向の決定不全性に直面

 

9.4 Bypassing Underdetermination: Cartwright and Hacking on Entity Realism (pp.130-131)

  • 決定不全性を回避する議論

ハッキング→カートライト :実験的な実践に焦点を当て、その実践において遂行される因果的推論のモードを特定することで、この問いを回避しようとした。

→機器の操作や実験が、ある状況下で、理論の影響を受けない(theory-free)隠れた実在へのアクセスを与えることができる。

Ex ハッキング:隠れた実在は、操作することに成功したとき、仮説的な実在であることをやめる。

”電子を照射することができれば、それは実在する。”

カートライト :そのようによくテストされることで正当化されてきた理論的実在は、科学史においてもめったに棄却されていない。

 

9.5 Problem of Entity Realism: A Role for History of Science (pp.131-133)

→”manipulation of what? problem”「何が操作されているのか」問題

:実証的(?)な原理として、操作可能性を持ち出す前に、操作する対象を特定しなければならない。

⇄対象がどんな類のものか分からない状態で、何かを操作するということはありうる。

Ex 19世紀の最後の四半世紀の陰極線の実験

:19世紀末になって、最初に操作していたものが陰極線ではなく電子であるということがわかった。

→操作可能性それ自体によっては、(例えば)(陰極線ではなくて)電子の存在を確証させることはできない。

=実験の対象(material)を理解することは、実験でなされていることの記述(理論的解釈)の多元性と両立する。

→実験の対象を理解することが理論的解釈を決定することに足りないのだから、「実験において何が操作されているのか」という問いには、実験者によって遂行される実験操作をベースにすることだけでは、答えられない。

→「明白な」実在を操作することと、隠れた実在の存在との間の認識的ギャップは、隠れた世界(hidden world)の表現によってつなぐことができる。

  • 決定不全性の問題に再び帰着

:理論的説明も、実在をベースにした現象の説明も同様に決定不全性に直面する。

⇄カートライト :2つの説明は非対称である。実在をベースにした説明だけは、決定不全性を免れると主張。

=(厳密に制御された実験における)因果的関係が電子の存在を根拠づける。

→同様に満足いく方法で現象を説明できるような代替物が存在しないときにのみ、説明が真であることを推測できる。

ここでの問題=現時点での代替物が存在しないことは代替期間が存在しないということを含意していると思い込んでいる点。

⇄全くことなった実在の存在に基づく、同じ現象の2つ以上の因果的説明を想像することができる。

Ex フロギストン説と酸素をベースにした燃焼の説明

→科学の発展のある段階において、ある現象の因果的説明を一つ以上持たない場合であってさえ、知識の将来の発展は、「思いもよらない代替案」に光を当てるかもしれないのだ。

ハッキング:私の対象実在論のための実験的な議論は、対象の実在を支持する十分条件であるかもしれないが、必要条件ではない。

  • さらなる困難:科学的実践において、操作可能性はときどき(しばしば?)実在を支持する「最善の証拠」でも、「最も有力な証拠」であるとも考えられていない。

→ハッキングは、科学者共同体による決定という側面を見落としている。ハッキングの基準は、実在の存在への支持を明確に決定しない場合でさえも、存在論的なコミットメントを推奨してしまっている。

  • カートライトの因果的推論へを強調も同じ問題に直面する。

:「ラジオメーター内部の気体分子の存在も、接線方向の力も、マックスウェルの羽の回転についての因果的説明を受け入れるからこそ、信じることができる。」

⇄科学者共同体の判断を事前に読んで対処(anticipate)している。

  →実際には、20世紀初頭まで、分子は議論の分かれる存在であり、多くの科学者はマックスウェルによる因果的説明によって、分子を信じるようにはならなかった。

    →問題を過度に単純化することによって、科学者共同体の判断を先取りしてはならない。むしろ、科学哲学者らは多数の理論的・実践的実践へと注意を向けるべきである。←科学史の役割

 

9.6 Towards a Historiographically Adequate Philosophical Attitude (pp.133-134)

  • 科学者が後で誤りであるとわかった実在を熱烈に信じ込んでいた歴史的事実に正当な取り扱いをすることが必要。(ex トムソンのエーテルケルビンの発光性エーテル)

→過去の科学者の理論的、器械的、実験的実践の中に、そしてその仮想的存在の中にどっぷり浸かる(immersing)ことで、彼らの信念の説得性、一貫性、成功を理解することができる。

⇄それらの中に棄却されたものがあるという事実は、我々をその歴史的アクターの存在論的コミットメントから退くきっかけになる。

→世界観(一連の実践)の中への没入と、それに関連した隠れた実在への信念との間を分ける態度を推奨する。=「存在論的に括弧でくくる態度」(attitude of ontological bracketing)

 

9.7 Sidestepping the Problem of Realism (pp.134-136)

実在論は現代の科学に対する認識的態度に関わるのに対し、ここでの態度は過去の科学に向ける態度であるから。

実在論の規範的側面を避け、記述的・解釈的性格が支配的な問題に焦点を当てることを目的。

  • (1)規範的な哲学の問題に記述的な問題に相当するものがある。

科学者はいかにして隠れた実在が本物であると確信するようになるのか?

:①理論に関する要素=経験的十全さ、説明力、理論の豊かさ

②実験に関わる要素=異なった実験設備において、隠れた実在の特性が決定される。

  • (2)彼らの表現を構築することにおける実験の役割に関わる問題

デュエムとハンソンの議論

デュエム:隠れた実在は、「効果の配置(constellation of effects)」に関係している.

:異なった複数の効果(電気ならば、化学、熱、光といった様々な効果をもつ

)が、いかにして一つの効果の明示としてまとめられるか。

→さらに、特定の特徴が、いかにしてその実在に帰属させられるのかということを理解することである。

→実験的に生じた現象を隠れた実在に帰属させるとき、科学者にとって関心のある現象の特徴は、問題となっている実在の推定上の特徴や振る舞いに結びつけなければならない。

Ex 19世紀の終わり、実験室で観察された分光学の現象は、頻度、強度、スペクトル線の分裂という3つの顕著な特徴を有していた。

→一度スペクトル線が隠れた実在(=電子)に帰属させられると、それらの特徴は、その実在の特徴や振る舞いとリンクさせられなければならなくなる。

=頻度、強度、線の分裂は、周波数、振幅、電子の振動の方向と相関づけられる。

→電子の表現の表明を導く

Cf 測定の問題

  • 理論は隠れた実在の実験的な調査において決定的なものであるが、実験対象としての実在は、理論的な表現から独立するのかどうかを問う必要がある。

→知識の重要な部分は実験から引き出され、理論から独立する。

∵①自然に関する理論的説明がない状態で、隠れた実在の実験に従事するということがありうるから。(ex 陰極線の実験)

②実験的に決定された隠れた実在の特性は、しばしばとても異なるそれらの理論的表現の中へと統合されるから。(ex トムソン、カウフマン、VIllaarは、各々陰極線の究極的な性質について異なった見解を抱いていたが、質量電荷比の価値については最終的に合意した。)

③隠れた実在の理論的表現が衝突しているからといって、実験的な文脈におけるその同一性に疑問を投げかけるというわけではないから。(ex  20世紀の初め、電子の形状や構造について、いくつかの相反する説明が議論の俎上に上がっていたが、カウフマンのB線の実験は電子の理論的表現の共通の指示物と捉えられ、この問題を決着に導いた。)

 

9.8 Concluding Remarks (pp.136-137)

  • 対象実在論の問題についての哲学的省察は、隠れた実在がいかにして導入され、調査されたのかという歴史的な調査によって多くのものを得た。
  • 隠れた実在の来歴についての歴史的分析は、その存在や、科学的実践における役割についての哲学的省察から利益を得た。

 

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