yokoken001’s diary

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Chapter 8 (Hasok Chang) “Beyond Case-Studies: History as Philosophy”

Chapter 8 (Hasok Chang) “Beyond Case-Studies: History as Philosophy” Intergrating History and Philosophy of Science,Boston Studies in the Philosophy of Science 263, pp109-124.

 

今年の3月に開いた読書会で扱った論文が、秋学期の授業で偶然にも取り上げられた。

このような形で読書会が役に立つとは、思いもしなかった。

この機会に、内容をざっとまとめて、改めてコメントを絞ってみようと思う。

(※英語の読解には不正確な点がある可能性がある。また、要約に網羅性はない。十分に組み尽くせなかった箇所は、省略している箇所もある。)

 

 

8.1事例研究にまつわる問題と、歴史における能動的な哲学の機能

単なるひと握りのケーススタディー(個別研究)から、我々はどういった結論を導くことができるのか? 科学史科学哲学の領域では、便宜的に選択された少数の個別事例に基づいて、性急に哲学的な一般化を行うということがよく行われてきた。しかし、それは、哲学と科学の両方にとって、有害なものであり続けてきた。

哲学サイド;ケーススタディーは、哲学者の中にあらかじめ存在している科学の性質や方法についての偏向を、確かなものにすべく証拠を列挙するという空虚な身振りに結局は終止することになる

歴史サイド;哲学者がケーススタディーのアプローチを通じて、複雑な歴史的事例を過度に単純化してしまうことに失望していた。

ケーススタディーにおける歴史-哲学の関係の性質を明らかにすることを放棄することは、科学史・科学哲学全体の企てにとって、広範な幻滅を導くことになるだろう。

Kuhn:「哲学の理論をテストする土台としての歴史」というLakatos見解に疑義

ラカトシュのいう歴史は、哲学的に捏造された事例だ。

⇄Kuhn:歴史と哲学は別々のゴールを持っており、同時に行うことは不可能。

(歴史は史実のsoftな声を聞くべく、沈黙しなければならないが、哲学はそうではない。)

⇄しかし、哲学と歴史のあいだを自由に往来するような仕事をしたのは、Kuhn自身だったのでは??

→しかし、Kuhnは歴史と哲学の相互作用の方法を明確に示さなかった。

⇄我々はそれなしでは、一方では歴史の事例から不注意な一般化を行うことと、他方で、科学的な過程を理解することなしに完全に「ローカル」な歴史を書くことの間のジレンマを言い渡される。

・この間のジレンマを乗り越えるべく、歴史/哲学の間の「帰納的な」関係といった見方を変える必要がある。

:歴史=個別/哲学=一般

→歴史=具体/哲学=抽象 という見方に変える。

歴史は事例の一般化ではなく、エピソードの表現(articulation)である。

エピソード:一般的なアイデアの例でも個別事例でもなく、それは一般的な概念の具体的な例示(instantiation)である。個々のエピソードは、一般的な概念を強調することに寄与する。

・歴史を語る際に抽象的な概念が必要であるということを聞いて、多くの哲学者は驚かないだろう。

⇄ここでいう新規性は、それとは逆の、「歴史をすることは、哲学をすることを手助けする」という逆の依存関係。

歴史的なエピソードが適切に理解されうるような既存の哲学的概念を持ち合わせていないとき、歴史家は新しい哲学概念を作り出さなければならない。そして、こうした必要性は避けられるべきではなく、むしろ積極的に知的機会に抱擁されるべきである。

 

 

 

8.2 温度測定と、認識的反復Epistemic Iteration

8.2.1 測定の循環性Circularityと信頼性Reliability

・最初に取り上げられるエピソードは、温度測定である。著者は、観察の理論負荷性について考えており、循環論に陥ることなしに、いかにして観察が正当化されるかという問いについて取り組んでいた。

:水銀温度計は、「水銀は、温度上昇に従って斉一にuniformly(あるいは直線的にlinearly)膨張する」ということが推定された理論に依存している。

(ex:水銀満たされたガラス管を氷水に入れ、水銀が達した地点を0とし、続いて沸騰したお湯に入れ、水銀が達した地点を100とする。そして0と100の間の地点を50とする尺度を作る。このとき、温度が正確に50度であるとき、水銀はこの真ん中の50の地点に達するという推定がある。)

⇄それは本当だろうか?

←良識のある物理学者であれば、温度計の中の液体の振る舞いについて、実験によって確かめようとするかもしれない。

:データをとって温度によって水銀の体積の変化をプロットしていき、それが直線になるかどうかを確かめればよいと。

⇄我々はまだ信頼できる温度計を手にしていないのに、どうして温度の正確な値を手にすることができるのか?

この問題は、以下のように定式化される。

(1)Xという量が知りたい。

(2)そのXが直接観察できない場合、もう一つの直接観察可能なYという量から推論する。

(3)この推論のためには、XはYの関数として表現されるという法則を必要とする。

(4)しかし、この関数の形は、経験的には観察されないし、確かめることもできない。なぜなら、それはYとXの両方の価値について知ることに関わるが、Xはまさに我々が測定しようとしている未知の変数だからである。

→著者は、これはthe problem of nomic measurementと呼ぶ(Chang 2004)。

(1)測定という方法を正当化する試みのほぼ全てに関わる問題であり、

(2)明らかな解決策が見当たらない

という問題がある。

⇄にも関わらず、今日の科学者らは、水銀が温度変化にしたがって膨張すること(しかもそれは直線的ではない)を知っている。

→誰かが、いつか、この問題をとかなければならなかった。

→それがどのようになされたかを観察することが歴史である。

←既存の哲学的見解を確かなものにすべく、歴史研究に取り組むのではなく、むしろ未解決の哲学的問いの答えを探すべく、歴史を辿った。

 

 

8.2.2 認識的反復と前進的整合説Progressive Coherentism

・著者は、この袋小路から「認識的反復epistemic iteration」というアイデアによって出ることを試みる。認識的反復という概念によって、問いの中の循環は螺旋のようなものであり、科学者はその中で、まだテストされていない測定方法の妥当性を仮定することで始め、探求のプロセスを始めるのであるが、結局は、最初の仮定自体を、精製し正したところへ再び戻るのである。確かな事実や修正不可能な公理から始めるのではなく、それ自身の改良のために用いられる、不完全な(間違ってすらいるような)知識体系から始める。

 

・認識的反復の概念を発明したことで、温度の歴史をよりsensiblyに捉えられるようになる。最初、人々は、熱い/冷たいという感覚は、高い/低い温度に対応しているという感覚から始まる。そして、物がより熱く/冷たくなるのにつれて膨張したり縮小したりする物質を発見することで、温度計を作った。温度計は、観察可能な温度の範囲を拡張し、ついには人間の感覚よりも精密になる。温度計がより洗練されると、人間の温度に対する認識の権威を温度計に譲ることで、「適切」な感覚を伴うようになる。この種の改良は、数値化された温度計を作ったときに再び起こる。

 

・数値の温度計を作ることで、さらなる反復の改良が導かれる。温度計に使われるあらゆる物質は斉一に膨張するということを信じる疑いのない理由はないが、斉一性を想定した上で、様々な数値温度計が作成され、結局は筋の通った温度計は拒否された。

 

前進的な整合説progressive coherentismについて、著者はそれを図の8.1で比喩的に示される。そこでは基礎づけ主義への幻滅が言及されている。硬い地盤の上に知識を積み重ねていくという伝統的な基礎付け主義者の図像は機能しない。

∵その硬い地盤に相当する物は、経験的な科学には存在しないからである。

我々が記憶にとどめておかなければならないことは、地球は平らではないということだけだ。現実の建築では、我々は平らな地球の上方に建てるのではなく、丸い地球の外側に建てるのである。宇宙には、固定された場所や起伏のある場所などは存在しない。我々が地球の上に建てるのは、それがどこよりも強固であるからではなく、それが広く、他のものを惹きつける密度の高いものであるからであり、我々はたまたまそこに住んでいるのである。

 

8.3 化学革命-多元性Pluralismと実践の体系Systems of Practice

8.3.1 パズルとしての化学革命

・二つ目に取り上げるエピソードは、化学革命である。これは、著者が、講義のため、化学革命についてより詳しく調べるほど、ラヴォワジェの燃焼理論に大多数の化学者らが移行したことの十分な理由は存在しないことを確信するようになったことがきっかけだったという。かつての人々が同意したのは、以下の反応の観察であった。

「活性化した空気+可燃性の空気=水」

一方、ラヴォワジェは、

「酸素+水素=水」

という水の組成の証拠として、これを解釈した。

しかし、これは、水を単一の元素とみなすフロギストン説を反駁するだけの十分なものだろうか?それは違う。

∵(キャベンディッシュやプリーストリーによって進められた)フロギストンに基づいた一貫した別の解釈が存在していたからである。

=「脱フロギストン化された水+フロギストン化された水=水」というもの。

そしてその他にも、2つの理論の間には、経験的に類似した事例がたくさんあった。

→18世紀の後半に化学者らがラヴォワジェへの教義に移行したことをどのように説明すれば良いのか?

著者は、イデオロギーやファッションといった観点から説明することを避ける。なぜなら、当時のcontexual pictureはとても複雑だったからである。哲学者として、維持しなければならない問いは、過去の科学者がした決定は科学的に正当化されたかどうかというものである。

 

・Changは、フロギストン説が、酸素理論に明らかに劣っていることを示す哲学的な基準はないことを詳しく論じた。

:ラヴォワジェ理論がなかった間、フロギストン説が経験的な証拠によって反駁されることはなかった。そして、フロギストン説の支持者がフロギストンに消極的な重きをおかなければならなかったということも真実ではない。また、ラヴォワジェ理論はフロギストン説よりシンプルであったというのも間違いだ。

Ex Andrew Pyle(2000)の研究では、フロギストン説は観察できない余分な物質=フロギストンを想定していたことで、物事を無駄に複雑化していたと主張する。しかし、これは、ラヴォワジェの方も「熱素」という物質を想定していたという事実を見逃している。

 

・Hasok が、HPSでこのテーマについて最良の研究を行ったとみなすAlan Musgrave(1976)

:彼のラカトシュ派の答えは、ふたつの競合するリサーチプログラムの相対的な前進性が決定的であった。化学者が、フロギストン説があたらしい予測に失敗し始めたり、その場しのぎの仮説に依存するようになってきたために、その説を放棄することは合理的である。彼は、1770-1785年の間に、酸素理論は整合的に展開し、それらのあたらしいバージョンは理論的にも経験的にも前進した。一方、1779年以降、フロギストン説はそうはいかなかった。しかし、Musgrave自身が述べているように、ラヴォワジェは失敗したが、プリーストリーは1766年のフロギストン説のバージョンで、偉大な成功を収め、すべての中で最も印象的な実験が1783年の初期に現れた。それは、可燃性の空気の中で熱すると、金属灰は減少するというフロギストン説の支持者の予測を確信させるものだった。

ラカトシュ派の議論を擁護するためには、ラヴォワジェが1783年かそれ以降に真新しい予測に成功したことを見出す必要があるが、Musgraveはそれについて論じていない。ラヴォワジェは、可燃性の空気(水素)が酸化して酸が生じると考えたのだろうか?あるいは、塩化水素が酸素と”muriatic radical”に分解しと予測したのだろうか?

8.3.2 認識的多元性Epistemic Pluralism

・これらの哲学的な失敗に直面したので、私は化学革命を理解するために異なった枠組み、すなわち、認識論的価値観epistemic valuesに基づく理論選択を考えた。

競合する化学者集団は、異なった認識論的価値観を支持していたというものである。

(ex:プリーストリーは、実験室で起こる各々の小さな出来事を説明し、記録する際の完全性を理想ししたのに対し、ラヴォワジェは、cleanでelegantな理論的斉一性を追求した。)クーンが言うように、2つの価値観の間には明らかにトレードオフの関係がある。

→斉一性を追求する際には多くの人がラヴォワジェを支持する一方で、現象のすべての特性や、特異性により強い敬意を払う場合にはプリーストリーに帰する人々がいるということは、理にかなっているのである。そしてどちらの価値観が重要かを決める客観的な基準はない。

 

・ここで止まっていたら、クーンの見解への擁護で終わっていた。しかし、著者の中にはまだ仕事が終わってないという強い感覚が残っていた。Hasokは、プリーストリーのような反対者が、彼らが異なっているがしかしきちんとした価値観を持っていたために反対されたならば、その反対者は許容されるべきだったし、もっといえば、育てられるべきだったと感じるようになったという。もしフロギストン説が固有のメリットを持っていたならば、それが保持されるべきであった。ラヴォワジェの理論が、発展され、採用されるべきだったということではなく、それらはともに生き残るべきであったと主張する。

=化学革命のケーススタディが最終的に導いた多元主義だった。

:それは、複数の理論が保持されるべきだったことを主張し、どんな理論でも良いところと悪いところがあることを主張するだけの相対主義ではない。

 

・そうして、化学革命におけるクーン支持者の結論の含意が、クーンの科学哲学の中心的な想定=単一主義に反していることを見出した。実際、クーンは「通常科学」の状態では、あらゆる所与の学問領域に支配的な一つのパラダイムが存在すると主張した。そして、通常科学が危機の段階に入ると、その支配は変わり、支配的なパラダイムは新パラダイムにとってかわる革命が起こる。そして、新パラダイムは新しい独占支配の時代を享受することになる。ここでは、たとえ勝者が勝つべき疑いの余地がないほどちゃんとした理由が存在しなくても、革命的な闘争においてはあるパラダイム(あるいは他のパラダイム)は、勝たなければならない。

 

8.3.3実践の体系 System of Practice

・もう一つの主要な哲学的なイノベーション=「実践の体系」を採用すること。

「実践の体系」=認められる規則に調和する形で、ある特定の仕方で知識の生産や改善に寄与することを意図された、一貫した一連の身体的・精神的な活動である。

ここでは、科学者が各々の状況で達成しようとしている目標を、我々の視点にとどめておくことが重要である。

自己確認できる目標の存在や操作は、たとえアクター自身に明確に強調されていなくとも、単なる身体的な出来事から区別される行動や活動である。こうした認識的活動のよくある種類は、測定、検知detection、予測、仮説設定などである。

→科学的活動を、こうした活動の集積と考え始めるとき、科学者らが関わっている認識的活動は、本当に多様であることが明らかになる。

・認識的活動は、通常、独立して起こるものではないし、起こるべきでもない。

各々はシステム全体を構築するように、お互いに関係しあいながら実践される傾向にある。科学的な「実践の体系」は、ある目的を達成するための見解に関して示される、一貫した統合された一連の認識的な活動によって形成される。システムが一貫しているということを決めるのは、システムの実践の全体の目的である。

 

 

・ 認識的活動と、実践の体系との間に明確な線引きをすることは困難であり、それは恣意的である。記述の高いレベルと低いレベルとを区別しても、それは単に相対的で、文脈依存型になってしまう。

ex 燃焼による化学物質の組成分析は、バーナーで燃やすことや、他の化学物質を用いた燃焼物質の吸収や、重さを測ることや、パーセンテージの計算といった、より単純な実践を構成している。

→これらの構成している実践自体が、さらに他の実践を構成している。各々の状況の中に、研究しようとする科学の実践の総体があるのだが、私はその物全体を「体系」と呼ぶことを提案する。その体系のより細かいことなった側面について研究することが望まれるときには、その体系を異なった「下位の実践」に分けて分析することができる。

 

・少なくとのアングロフォンの伝統では、科学の哲学的分析は、科学を命題の集積体として捉えるという共通の習慣によって、過度に限定されてきた。そしてそこでは、命題がどれだけ真であるかということや、論理的な整合性などに焦点が置かれる。これは、哲学の分析において、科学の実験や、非言語的、非命題的な側面を見逃してきた。多くの歴史家や社会学者や哲学者がこうした問題を指摘したが、しかし未だに、それにかわる、科学の実践を分析するためのより完全な言語を与えるような明確な枠組みは合意されていない。こうした状況を変えることを試みるべく、まず最初の段階は、科学の理論的次元を無視することなく、科学の理論や理論選択について語ることを超えることである。

 

8.4 結論

・哲学と歴史の相互作用のある特定のモードは以下のように要約される。

既存の哲学的な枠組み

→歴史記述の難題:理解しがたいエピソード

→新しい哲学的枠組みを探す

→その新しい哲学的枠組みの中で、そのエピソードをより理解できるようになる

→その新しい哲学的枠組みが、さらに発展する。

→新しい枠組みをほかのエピソードに適用する。

(そして、これらの仕事において、歴史家と哲学家が同時にそれらを成すような同一人物である場合、このプロセスは最もうまくいく。)

 

・哲学が歴史を手助けするプロセス。

既存の歴史記述historiography

→哲学的難題:推定上の行動putative actionsや、意味をなさない過去の科学者の決定の連続。

→よりより歴史記述を探す。

→哲学的難題が改善される。

→新しい歴史の説明を完全にするための経験的な仕事Empirical work(?)

→その他の関連した歴史に反映される。

 

哲学と歴史との緊張関係があるとき、とがめられるべきは哲学の方だとは限らないということは、気にとめておく必要がある。むしろ歴史と哲学の相互関係が化学革命を理解する上で必要になる。

 

コメント

相対主義は、”anything gose”すなわち「なんでもあり」とする立場に対し、多元主義は、”many things do”つまり「ありなものがたくさん」とする立場である。別の言い方をすれば、相対主義は何が良いのかの判断を留保するのに対し、多元論は何かを良いと認めた上で、その良いとするものが複数あるとする立場である。しかし、Hasokは本稿で、その良いと認める基準を明確には示していないように思われる。少し踏み込んだ読解をすると、Hasokが示した概念である「実践の体系」を用いることで、その基準を設定することができるかもしれない。つまり、科学者がある目標に向かって整合的に認識的活動を営んでいれば、それは良い理論だったと認めることができ、逆に、ある目標に向かって認識的活動が瓦解するような形で、首尾一貫していない場合、それは良い科学理論だったとはいえないと認めるといった具合に、その基準を設けるのである。

・こうした多元主義プラグマティズムはどこが似ていて、どこが違うのだろうか。あるいは、多元主義プラグマティズムの一部なのだろうか。

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