yokoken001’s diary

書評を中心に記しています。

北条裕子『美しい顔』を読みました。

 

 本作品は、主人公である高校生のサナエの震災体験をテーマにした物語であり、2018年に第61回群像新人文学賞を受賞した。

 

 著者は震災を体験していなので、参考文献等に基づいた、あくまで実体験をベースにしないフィクションだということになる。(参考文献未記載問題については、記事の末尾に萩上氏による興味深い分析を見つけたので、リンクを掲載させていただきます。)

 

  実体験がないにも関わらず、文学的な想像/創造力によって、被災者に寄り添い、震災の問題を探求しようとしたところに、僕はまず作家として、あるいはそもそも人間として、著者に敬意を表したいと思った。

 

 自分の経験を超えたところに、言葉によって新しい世界を創ることができるというのが、文学の大きな力であると思っているが、本作品は、そうした文学の力を最大限に生かした力作だと思うからだ。

 

  それでは早速、一読者として、本書を読んだ感想を記したいと思う。

 

 

 タイトルの「美しい顔」という言葉には、2つの意味が込められていると思う。

 

 一つは、主人公のサナエが、高校の準ミスグランプリを獲得したことを「利用」して、メディアの前で「お金になる」、「お涙頂戴」的な、「ザ・震災地」的な、つまりメディア向けに脚色された被災地の様子を伝えるときの彼女の顔。

 

 そしてもう一つが、母親の死顔である。

 

 共に「美しい顔」という言葉で表されても、この二つの顔は対照的でもある。

 

 では、最初のサナエの「美しい顔」とは何だろうか??

「鏡の中には久しぶりに完成された顔があった。(p.48)」とか、「私は今、おそらく美しい顔をしているだろうと思った。(p.48)」と言うときの顔とは、どんな顔なのだろうか??

 

 本作の大きなテーマの一つが、震災とメディア報道の問題だ。

 

 被災地の現場を伝えること。

 そのとき、情報の取捨選択が行われる。 

 報道できるものと報道できないものの線引きが行われるのだ。

 

 捨象されるものの一つは、屍体だ。

そして取り上げられるものは、被災者の頑張りぶりとか、悲劇に打ち勝とうとする勇気とか、その類の「物語」だ。

 サナエと母親の二つの美しい顔。

 それは、一方では報道される顔であり、他方では報道されない顔である。

 

 被災者の内部から、告白体で語られるサナエの内面は、被災地の現状と、それが物語かされた報道とのギャップに生じる違和感を、余すところなく吐露していく。

 しかし、彼女はその「ひねくれた」見方を通り越して、あるときからその報道する側の物語に自らを合わせて仕立て上げた語りをするようになる。

 「私は私を売らなければならなかった。」という文章もある。

そんな自らの語りを売り物化したときの彼女の顔が美しかったと、著者は書くのだ。

 この点を少し考えたい。

 

 まずこのとき、文字通り、サナエの顔は震災直後に比べて美しくなっていたはずだ。

なぜなら、このとき彼女は支援物資として化粧などを手に入れることができ、身なりを整え、被災地の現状を伝えているという威信を持ち、精神的にも何か充足しうつあったからだ。

 しかし、物語の後半で、その美しい顔の正体に自ら気がつくようになるのだ。

 

「勇気がないから受け入れられないんじゃない。あなたに、意思がないからよ。受け入れるには怒ったり悲しんだり嘆いたりしなければならない。でもそれをするには意思がいるの、思う存分泣いて、大いに苦しんでとことん暴れて転げ回るには、それができるだけの場所を自分に用意してやらなければならないの。」(p.114)

 

 彼女がメディアの前で「物語」を語るのは母親の死を受け入れる意思がなかったからだという事実を、奥さんに突きつけられる。

 なぜ彼女はメディアに迎合するようになっていたのか?

 それは、死を受け入れる意思を持つことから逃げていたからだ。

 彼女の美しい顔は、そうした不安が反転したところの表現だった。

 この時以来、「美しい顔」の内実について、彼女自身も気付き始める。

 

 ところで、この小説で巧みだと思ったのは、この奥さんとサナエの関係に加えて、弟というもう一人サナエの下に登場人物を設定していることだ。

 奥さんの前では、子どもだったサナエは、弟の前では今度は大人になる。

 奥さんの叱咤で新しい気づきを得たサナエは、弟にそれまで隠していた母親の死顔を見せにいくことになる。その描写は直接描かれてはいない。弟がどのような反応をしたのか、それは読者の想像に委ねられている。

 

 しかし、その代わりに姉から弟への印象的なセリフが語られる。

 

「あんたはまだ小さいからよくわかんないかもしれないけど、あんたがいずれ、あらゆることを自分で決めるんだよ。海の近くにいたひとだってちゃんと避難して助かったのにどうしてあの病院にいた母さんは駄目だったのか、どうして友達のお母さんは生き残ってうちの母さんは死んだのか、そうして母さんは自分を置いて逝ったのか。いずれ、なにもかもあんたが一人で決めるんだよ。一人で決めて生きていくんだよ。」(p.134)

 

 物語のラストで姉弟は二人で沼津の海岸でかけっこをする。

サナエの本当の美しい顔は、フライングをした弟の後ろ姿を見ている、最後の顔だったと思った。

 

文献:北条裕子『美しい顔』(講談社、2019年)

 

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美しい顔

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