yokoken001’s diary

書評を中心に記しています。

ダーウィンルーム 読書会を終えて

 

 昨日(9月4日)に開いた読書会には、様々な方面でご活躍をされている11人の方に参加していただき、活発で刺激的な議論をすることができました。

 

 参加者の方々にはもちろん、宣伝等に協力していただき、慣れないキュレーターをサポートしてくださった方々に感謝するのみです。本当にありがとうございました。

 

 読書会を通じて、僕自身、様々な気づきや発見がありました。

 

 議論全体を通じて出てきた問題の一つは、やはり、「科学の資本主義化」と、その弊害ということだったように思います。そのことは、特にエンジニアとして仕事をしていらっしゃる方からも、直接の実感として発言がありました。

 そして、科学それ自体はさることながら、研究システムも含めて、これまでの冷戦型科学技術(国威発揚につながる原子力や宇宙開発、そしてコンピューター(※1))に象徴されるような中央集権型から、自律分散型へとそのあり方が変わっているという認識のもと、従来のように国家(政府)が科学技術を統制することは厳しくなってきているという著者の主張も、おおよそ会場でコンセンサスが得られたように思いました。(そのことは科学の不確実性が増しているという診断ともシンクロしています。)

  

 ところで、僕は、こうした歴史像に賛同しつつも、やはり依然として、政府の科学技術に対する役割は、当面はなくなることはないだろうと思います。しかし、それは今のままでは良いということではなくて、著者が結論部で書いているように、その際新たな体制の変化が求められると思います。

 

 そもそも、「科学の資本主義化」という現象は、20世紀の初頭のアメリカなどでもすでに見られていたものだと考えます。GEやデュポン社といった電気・化学工業系の企業は自社の研究所をつくり、その中で研究に従事する科学者のメンタリティーも、単に好奇心に基づく真理探究型から、企業の儲けにどれだけつながるかというミッション達成型のものへと変化しつつあったということが言われたりするからです。このときすでに、企業というセクターにおいては、もともと「科学の資本主義化」という現象は起きていたはずです。 

 それに対して、今日問題になるのは、政府や学セクターまでのは、資本の論理で研究への投資や、研究テーマの選択、研究成果のアウトプットをするようになっているという事態だと思います。

 

 資本の論理に支配された科学技術の研究開発は、必ずしも社会全体の利益ばかりを生むとは限らない。市場にとってよいものであることは、市民にとってよいものであることとは別のことだからです。また、そこには大きな情報の非対称性が存在します。ある科学技術に関して万が一事故が起きた場合でも、一般市民にはその中身がわからないことが多いのです。さらには、倫理の問題もあります。特に生命科学の領域では、遺伝子組み換えやゲノム編集など、技術的に可能なことがますます増えていきますが、生命倫理の問題を置き去りにしてはいけません。(軍事の領域においても、同じく倫理的な問いは重要になると思います。)

 

 だとしたら、政府の科学技術政策は、資本主義の論理とは別の基準でなされる必要があります。しかし、問題は、今の所、どうしても成果の見込みがない研究に対して政府が資金を出すというインセンティブが見えづらいという点です。

 「体制の変革」というのは、この辺りに関わるものだと思いました。

 「科学技術」という言葉は、あまり知られていませんが、戦時中に生まれた言葉です。初めて公の場で用いられたのは、1940年の全日本科学技術連合会及び、第二次近衛内閣のもとで閣議決定された科学技術新体制確立要綱というものでした。この背景には、技術官僚(自然科学の専門的な知識を有しながら、国の政策立案に参画する官僚)らの地位向上運動があったと言われています。彼らは、ポスト御雇外国人教師のポジションとして、つまり、法科系の官僚に準じる、あくまでも二次的な(縁の下の力持ち的な)地位にとどまっていた状態から、科学が重要になった20世紀の戦争を通じて、自らの行政領域を文部省らの科学や基礎科学という概念から差別化し可視化すべく「科学技術」という政策的な概念を切り取ったのです。そうした意味では、科学技術という語は、当初から政策と結びついていた伝統的な言葉とも言えると思います。

 今後も、科学技術政策の重要性は依然として残ると思いますが、そのあり方には、変革が求められると考えます。

 

 一方で、興味深いこととして、最近では、企業内の研究で失敗した(つまり儲けにつながらなかった)研究成果をオープンにして、他の企業と共有するよいう動きが出始めているということがありました。それは、将来的には、巡り巡って企業の利益につながるだろうという判断があることは事実だと思いますが、自立分散型社会を予感させるような、新しい発想だと感じました。

 

 最後になりますが、個人的にこの本が出て一番嬉しかったのは、これだけのスケールの大きさを持った議論が出てきたということでした。現代史全体を俯瞰する歴史像を提出してくださったというところにあったのです。しかし、「人類史全体」を思考の単位にしていらしゃる所長にとってはむしろ、この80年は逆に「短く」感じられるという話を伺い、とてもおもしろかったです。

 

※1 コンピュータが冷戦型科学技術に含まれるかどうかは議論の余地があるという意見もあった。