yokoken001’s diary

書評を中心に記しています。

吉松隆『作曲は鳥のごとく』を読みました。

 

 作曲家吉松隆の自伝である。

 

 どうしようもないことに、僕は芸術家という人種への憧れを絶えず抱いてきた。特に、小学生のころから親しんできた「純音楽」(クラシック音楽や現代音楽)の作曲家への憧れが強い。 吉松隆は、大河ドラマ平清盛』の音楽や、クラシック番組のラジオパーソナリティーなどで知られ、今でこそ日本を代表する作曲家の一人であるが、相当長い下積みの時期があったようである。この本を読んで、自分の好きなことをやって生きて行くということがどれほどの勇気と覚悟と根気が必要であるかを痛感させられた。

 14歳で交響曲を作曲することを夢見て、21歳で慶大を中退、作曲コンクールへの落選連続の放浪期間を経て、27歳で初めてオーケストラ作品が演奏され、漸く一筋の光が見える。この6年間という長い年月の記憶はほとんどないというのだが、果たしてどんな心境だったのだろうか?大学を辞めて、職にも就かず、毎日家にこもりひたすら作曲をするという日々。相当の覚悟と、集中力、そして根気を要することは想像し難くない。

 その後、デビュー曲の一つで、初期の代表作でもある『朱鷺によせる哀歌』が3回演奏されることになって、銀行講座に十何万くらいは振り込まれることを期待していたところ、わずか7800円の対価しかもらえなかったときのエピソードは、読んでなかなか辛くなる。

 僕は、どんな分野であっても、成功する人間は、その一つのことに自分のほぼすべてのリソースを割くことができる人なのではないかと思うことがある。別の言い方をすると、「凡人」はいろんなことにまんべんなく手をつけ、中途半端の状態にあることが普通なのだが、一つのことに力を集中させることができるかが、凡人と天才の境界にあるのではないかと思う。そして、それはものすごく難しい。

 僕の好きな映画にディミアン・チャゼル監督の『セッション』という作品があるのだが、この主人公を想起させる部分もある。この作品が僕にとって大事なのは、この作品の主題が人生の一つのめどになっているからで、それが、まさに、一つのことに全力を注ぎ込む天才=狂人か、いろんなことにバランス良くとりくむ凡人か、という構図をはっきりと浮かび上がらせたことだった。そして、同時に自分は一生凡人で終わるのではないかという事実を突きつけられたからでもあった。

 また、吉松のこだわりは、あくまで独学というところにあった。実際、彼の唯一の師(師といっても作曲を教わるわけではなく、吉松が能動的に盗むべきものを盗むというスタンスだったらしい)村松祥三、それから同時代に生きた武満徹富田勲や宇野誠一も独学で作曲家になっているという事実は、作曲家は独学でなければならないという信念を確信されることにもなった。しかし、より根本的な理由としては、吉松があくまで音楽史的には絶滅した「調性」を取り入れた純音楽を志向していたということが大きいだろう。現代音楽が「自由」であるならば、調性を取り入れる自由もあるという見解は、確かに一理ある。吉松がもし音大などのアカデミズムの中で作曲を学んでいたとしたら、彼の作風は確立されなかったことはほぼ間違いない。

 1990年5月に、人生初の『カムイチカ交響曲』が初演されることになった。その曲目解説を読んで、僕は、吉松の音楽への情熱というか、それまでの時間と労力の堆積が手にとるようにはっきりとわかった。

 

「現代において、交響曲などというものを書く正当な理由があるのかというと、そんなものはどこにもない。いや、現代だろうが過去だろうが、交響曲を書く正当な理由があった時代などなかったし、これからも決してくることはないだろう。

 しかし、それでも交響曲は生まれる。(ちょっと油断すると、ほら、このように。) それは、何の正当な理由もなく、誰にも祝福されず、何の未来もないのに、それでも人間が生まれるのによく似ている。(だからこそ交響曲は人間にふさわしい。)

 最後に、この交響曲を書く唯一の「正当な理由」を与えてくださった方々、独りよがりの訳のわからない楽譜をちゃんと音にしてくださる(筈の)演奏者の方々、40分近く逃げることも出来ず(?)にその音の羅列を聴いてくださる(筈の)聴衆の方々に心から感謝いたします。

 そして、すべての音の記憶そのものの発端である父と母、あんまりいませんが知人・友人たち、私の家で生まれそして死んでいった猫たち、私を育ててくれたり足を引っ張ったりしてくれた多くの人たち、すべての素晴らしい音楽の作曲家たち、そして、こんな曲を書く(こんな曲しか書けない)私を生かしておいてくださっている世界、に心から(本当に心から)感謝いたします。」

 

友人がまるで遺書のようだと揶揄したようだが、僕は率直に感動した。

 

 

 さて、読書の楽しみの一つに、今までバラバラだと思っていた要素には、実はつながりがあるかもしれないということを発見することがある。僕は本書を読んで、「通信」と「音楽」が意外にも関係があるのではないかということを感じた。吉松の父は、国際電信電話株式会社の理工系のエンジニアであり、母も逓信省の電話交換手であったということはなかなか興味深いのだが、より直接的には、通信も作曲も、音という現象を扱うことには違いはなく、とくにシンセサイザーなどを用いる電子音楽においては、機器そのものも類似している。

 それから、吉松は小説にも造詣が深く(学生のころは小説を何本も書いていたそうで、新人賞にも応募したほどだというが)、福永武彦室生犀星安部公房を好んでいたという。福永武彦が筆頭に挙げられているのは、いうまでもなく、シベリウスを私淑していたからであろう。シベリウスと福永、そして吉松という三者が僕の中で完全に結びついてしまった。

 

音楽が好きな方、アーティストという職業に興味がある方、そして、狂人的な熱意をもって自分の夢を叶えていった一人のドラマに惹かれる方にぜひ読んでもらいたい一冊である。

 

 

作曲は鳥のごとく

作曲は鳥のごとく

 

 

せっかくの機会なので、吉松隆の音楽も紹介したい。

僕は、イギリスのレーベルChandosから出ているCDはすべて持っているのだが、その中でもお気に入りの楽曲は、交響曲2番「地球にて」と、ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」だ。

 

www.youtube.com

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Symphony 2 / Guitar Concerto / Pegasus Effect

Symphony 2 / Guitar Concerto / Pegasus Effect

 

 

 

Yoshimatsu: Piano Concerto

Yoshimatsu: Piano Concerto