村田沙耶香『コンビニ人間』を読みました。

 

 

 コンビニ化する◯◯、コンビニ的な◯◯という言い方を、時々耳にします。日本に5,6万件もあるといわれるコンビニは、どの店舗もよく似ていて、そこには機械で作られた清潔な製品で溢れ、それも食品から日用品まで多種多様な製品を扱い、その名の通り生活上「便利」な存在です。ここでは、そうした画一的で、無機的で、とても便利な性質を「コンビニ」として表現しているのだと思います。いやそれはむしろ「便利」というよりも、不可欠なものでもあるかもしれません。コンビニは、社会の「歯車」として働く人々の生活を身近で支える店として、なくてはならない存在かもしれません。だからこそ、コンビニは機能的であるべきで、社会の歯車たる人々を支えるコンビニの店員は、もっと細かい歯車の一部で、取り替え可能なものと想起されがちだと思います。だから、コンビニとか、コンビニ店員という言葉には、どちらかというと、どこか負の意味をイメージしやすいのですが、この小説では、その負の意味を180度ひっくり返し、そうしたコンビニ店員として、社会の歯車として働くことでしか、「正常に」生きて行くことができない主人公が設定されます。そして、コンビニという存在を中心に物語を書くことで、社会が認める「普通」に揺さぶりをかけ、「社会の歯車として普通に生きていく」ことの意味を問うている作品であると読みました。

 

 コンビニ店員である主人公の小倉恵子(36歳の独身)は、小さい頃からアブノーマルな言動を繰り返し、周りから「異常」というレッテルを貼られてきました。死んだ鳥を、せっかく死んでいるのだから食べようと言って母親の度肝を抜かせたり、喧嘩を止めるためにスコップで相手を殴ってしまったり、ヒステリックな先生がパニックになった際に、スカートを降ろさせることで静まらせたり…と、周りが普通はしないようなことを、平然をやってしまい、しかも本人は、なぜそれがダメなのかという自覚が全くないのです。こうした主人公が18歳のとき、新しくできたコンビニのアルバイト募集を発見し、コンビニ店員に採用されるということろから、物語は始まります。

 

 僕が、本書に慧眼さを強烈に感じたのは、まず、著者の人間に対する認識です。「人間は環境に左右される生き物だ」という言ってしまえば少し大雑把ですが、著者は、人間は、はじめから確たる輪郭を持った不変の存在ではなく、周りにいる人の仕草や口調、食べているものなどによって絶えず入れ替わり続けている可変的な存在だという見方をしています。とりわけこの小説で強調されるのが、人間が話す口調です。コンビニで働く他の店員の口調が、主人公にも伝染し、本人もそのことを自覚するという記述が何箇所かありました。テクストからは、もちろん直接音は聞こえてきませんが、コンビニ店員の話し方が伝染した、ある意味では理路整然とした、無機的な話し方が、主人公の発話の特徴の一つであることは確かにわかると思います。話し方だけではなく、コンビニの売れ残りを主食にしている主人公は、それこそコンビニの成分でできあがった、まさに「コンビニ人間」というべき存在なのです。

 コンビニ人間である主人公は、どこにどんな商品を陳列すれば良いのかを把握し、ペットボトルがローラーをカラカラと流れる音で、反射的にレジへ向かい、爪を綺麗に切り、髪を整え、明日の仕事のためにしっかりと休息をとるようになります。主人公は、このように、「コンビニの声」を理解し、まさにコンビニのために生きることによって、ある種規則正しい、まともな生活を送るようになるのです。

 さらに、小倉は、彼女より一つ年上の泉という女性のバッグを真似るなどして、ファッションについて学び、次第に社会的に「正常な」人間に近づいていきます。社会的に「正常」に生きるということは、まず社会の中で多くの人が行っていることを真似することから始まるのだと思い、なるほどと思いました。

 

 さらに著者が慧眼あるのは、「正常」であるとは何かということを、性愛の問題にまで踏み込んで模索している点だと感じました。物語の後半は、新しくアルバイト店員に加わった、婚活中の白羽という独身男性との関係が描かれることになります。確かに、恋愛が円滑に進むためには、社会に中でできあがった通念に則り、適切な方法でアプローチし、デートをし、愛することが必要だと思います。それは、自己流ではあり得ず、僕らが聴いたり読んだりしたものの中で次第にできあがった恋愛のルールの中で、それを忠実に行わなければ、恋愛は成功しづらいとさえ言えるのではないでしょうか。(それらを無視した、自己流の究極的なケースが、性犯罪だと思います。) そして、さらに36歳女性で、独身で、処女であることは「問題」であり、結婚し、子供をつくるべきであることを、周りの人間から執拗に説かれます。さて、この白羽という男性も、主人公と同じく社会から逸脱し、社会を敵に回し、義妹からお金を借りてのらくら暮らす、まさに「底辺」にいる人物です。そんな2人にとって同棲するということは、お互いに「正常になれる」メリットがあるという認識から、小倉のアパートに白羽が住み着くようになります。二人の同棲が始まると、妹を始めとする周りの人々が主人公を「正常」な人間として認め始め、無性に喜ぶようになるのですが、そのあたりの描写がとても面白いです。特に、妹が勝手に空想を広げ、嬉々として盛り上がっている描写などはアイロニカルで、吹き出しそうになります。

 

 ところで、本書で一番感動した箇所が、店長と泉さんが、2人が同棲し始めたことを知り、嬉しそうになっている状況で、(主人公から見て)コンビニの空気が「異変」になり、新人のトゥアン君に、からあげ棒の売り上げを達成すべく、

 

「「皆で一丸となって、からあげ棒を売るんだよ。それが今、このお店で一番大切なことなんだよ」

 言いながらなぜか涙ぐみそうになっていまい、」(119頁)

 

というところです。コンビニで働くことでしか「正常」を保てない主人公と、同棲したことで「正常」に近づいたと確信して、業務どころではなく喜んでいる二人との関係の中で、自分の正常を訴えようとする姿は、皮肉たっぷりでもあり、またどこかかわいそうでもあり、なんとも言えない味わい深さがあると思いました。ここが一番好きな箇所かもしれません。

 

 文体はとても平易で、明快で、それゆえ、この小説の大きなテーマが誰にも伝わるようになっていると思います。また、どこかコメディー的でもあり、結構笑えます。そして、僕は技術的なことはあまりわかりませんが、中村文則が、解説の中で「感覚の濃淡」とかについて述べていて、そちらも面白いと思います。

 

 

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)