落合陽一・堀江貴文『10年後の仕事図鑑』を読みました。

 

 人工知能によって、いつ、どんな職業が、どのように、(なぜ)代替されるようになるのか、 また、どんな仕事が新たに生まれるのか?みたいなことの興味があって、本書をよんでみた。

 インターネットやAIといった科学技術の進展によって社会は急速に変化し、21世紀はこれまでの「普通」が、これからの「普通」ではなくなるような激動の時代になっていくという。当然、これまでの働き方の「普通」も、これからの「普通」ではなくなるかもしれない。第2章では、そのような未来においてなくなったり、変わったりするであろう34の仕事が紹介され、続く第3章では、逆に新たに生まれたり、伸びていくであろう12の仕事が紹介される。しかし、読んでみて思ったのは、両者ともにAIを厳密には定義しておらず、コンピュータやロボットと意味が混交している箇所もみられる。だから、僕が最初に気になっていた「AIによって」未来の仕事がどう変わっていくのかという問いには十分答えるものではない。一方見方を変えれば、そもそも特徴量の獲得を自ら行う深層学習を搭載したAIの台頭それ自体には、仕事へのそれほど大きなインパクトはなく、何もAIに限定して議論を進める必要はない、と読み取ることもできると考えることもできる。読み終えた後、今はむしろこの考えに近いスタンスをとるようになったと思う。

 

 さて、タイトルが「仕事図鑑」とあることからもわかるように、本書のメインは2,3章立だろう。そこで、第2章で紹介される職種から、個人的に興味深いと思ったものを紹介して、「それは単純すぎでは」等の突っ込みをしてみたい。

 

 その前に、まず第2章で落合氏が、AI(≒機械)に代替される仕事の判断基準としている基本的な考えを抑えておきたい。落合氏の現代の時代認識は、「あらゆるものに市場原理が働き、働き方が最適化される時代」というもので、別の言い方をすれば、「一人ひとり異なる特性に合わせて、役割が分離し、「専門化」する時代」だという。そして、ここ40-50年間では、「人間対人間」の関係での最適化から、「人間対機械」の関係での最適化へと変化してきたという。そして、その検討材料は「コスト」である。つまり、現在その仕事をしている人に払う給料より、その仕事ができるAIを作るコストの方が大きければ、その仕事は人がすべきということになる。こうした経済的な発想は、僕には馴染みがないものだったが、シンプルで面白いと思った。

 例えば、AIに代替される代表格として、弁護士を挙げているが、それは過去のデータに基づいて判断する仕事が多い弁護士の職務はAIも得意とするということもさることながら、タスクの単純さの割に給料が高いので、AIの代替による最適化がおきやすいといった具合だ。

 他の具体例を紹介すると、機械は嘘をつかないため、営業ロボットは信頼される仕事を行うことができるという診断のもと、これからは「この人なら買ってもいい」と思われるようなお客さんがついている営業職だけが生き残れるようになると予測する。結局必要なのはお金ではなく、信用だというのは本書でもたびたび出てくる言葉だが、そうすると、「この人なら買ってもいい」といった人間に対する信頼関係と、決して嘘をつかない機械に対する信頼関係とは何が違うのだろうといった問いが出てくる。嘘をつかない人はもちろん信頼されるが、それが全てではないだろう。

 それから気になった仕事が、教員だ。本書では、AIを利用すると、個々の生徒に合った個別教育の設計ができるようになり、記述を含んだテストの採点もコンピュータができるようになるが、導入直後は人とのダブルチェックを行うことが予測されるので、コスト上、現段階での導入は難しいとの予測がなされる。これはやや素朴な見方ではないだろうか。教員というのも一枚岩でなく、小学校、中学校、高校、大学に分けて、それぞれの教員の役割を別個に考えるべきだろう。また、学習塾の教員になると変わってくる。個々の生徒に合った個別教育のカリキュラム作成は、学習塾の教員の主な仕事としてならば納得できる。あるいは、進学高の高校教員は全仕事のうち生徒の成績を上げる任務の占める割合は大きいと思うが、小学、中学の教員の仕事は、集団生活における倫理観や規範意識の教育など、もっと重要な仕事があるはずだ。

 また手書き解答の採点業務の機械化も少した止まって考えたい。大学の教員まで含めて、手書きの記述解答の採点が煩雑で「無駄な」仕事かどうかは、その教員の教育スタイルによるところが大きいのではと思う。僕は個別指導塾でアルバイトをしていたことがあるが、生徒が解いてきた手書きの解答を見れば、集中して解いてきたかどうか、あるいは答えを写しているだけかどうか、ある程度の察しがつくし、そこには生徒についての多くの情報が含まれていると思う。それらのチェック作業は機械に代替されるべき無駄なものとは言えないだろう。

 では、研究者はどうだろうか?本書では、研究チームをマネジメントするようなAIができる可能性があると指摘される。アメリカのように研究者の賃金がとても高い国では、研究者の代わりに、研究するAIの開発に賃金を回すという選択肢も考えられるという。したがって、また、ただ研究するだけでなく、いかに社会還元していくかを考え、自ら資金調達できる研究者が望まれるようになるという。自らの研究成果をどう社会に還元できるかを考えることは、AIの議論とは関係なく、とても重要だと思う。しかしそうだとしても、AIが研究職を代替するというのは、個人的には、到底考えられない。生物学専攻の知り合いの方が、確か研究のほとんどは機械的な単純作業で、頭を使って論文に仕立てるのは、ほんの一部だみたいなことを言っていたような気がするが、ひょっとすると、それらの作業の一部は機械に代替される可能性はあるかもしれない。しかし、人間が世界に対してもつ持つ好奇心や、特に人文学系の学問が目指す「価値観」の探求などは、AIなどとは本質的に相容れないような営みだと思う。

 それから、気になったのは翻訳だ。翻訳業も先細っていくに違いなく、「リアルタイムカメラ翻訳」の精度が上がっていくのは、時間の問題だというのが本書の見方。翻訳者として生きていくには、卓越した技術や付加価値、コミュニケーション能力が要求されるようになるという。僕は翻訳という営みを、言語に対する2種類の捉え方から、二つに分けて考えている。(これ自体も特に洗練された考えではなく、簡単なスケッチ程度なものだが、)言語には、コミュニケーション手段と、思考手段の二つの側面があると思う。そして前者として捉えた場合の翻訳業であれば、例えば「リアルタイムカメラ翻訳」みたいなアプリで代替可能だと思う。必要な情報が伝われば、一応コミュニケーションは成立するからだ。しかし、後者としての翻訳は、人間にしかできないと思う。例えば小説の翻訳。小説の中で登場人物がどのように考え、どう行動し、どういった心情に包まれるかを丹念に言語化していく作業は、統計的な言語処理ではなく、やはり作者の思考プロセスをトレースできるような共感力がないと厳しいだろうと思う。思想書の翻訳などはもっと厳しいだろう。

 

 やや抽象的な話になってしまったが、最後に、「あらゆるものに市場原理が働き、働き方が最適化される時代」が本当に良いのか?というラディカルな疑問も投げかける必要もあるだろうと思う。それぞれの能力に応じて適材適所に仕事が最適化され、好きなことをやればそれが仕事になり、社会もうまく回るというのは、仮にそうなるとしても、若干の違和感が残らないとは言えない。

 

 

文献:落合陽一・堀江貴文『10年後の仕事図鑑』(SBクリエイティブ、2018年)

 

10年後の仕事図鑑

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