松原仁『AIに心は宿るのか』を読みました。

 

 

タイトル通り、「AIが心を宿す」とはどういうことかを、小説や囲碁などにおける創造性という観点から考察した本です。

 「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」では、AIにSF小説を執筆させ、星新一賞に応募するという試み。その作品は第三回に応募され、一次審査を通過したことで話題になった。(著者は同プロジェクトを主催者でもある。)

 

 第1章には、「コンピュータが小説を書く日」という本作品が収録されている。文章生成器「GhostWriter」で執筆されたこの作品は、確かに途中に言葉のチョイスに違和感を感じる箇所がいくつかあるが、全体としてストーリ構成も示唆的で、一次審査を通過したことにも納得できた。特に「エーアイ」が書くストーリとされる数字の羅列には、何か隠された意味があるのかなどと考えてしまい、さらに最後の「オチ」もAIが書いたとは思えず、人間の書き手を想定したほうが「心地がよい」と思うふしもあった。

 「GhostWriter」は単語単位で小説の構造を規定され、かつ日本語的辞書を取り込んでいることで、破綻なく小説を組み立てることができるようにプログラムされているという。よって、著者は人間が8割、AIが2割の小説であると評価する。

 

 興味深いのは、AIに心があるかどうかは、それを認知する人間側の問題であると考えている点だ。それは「そこに心の存在を仮定したほうが心地よいと感じるかどうか」によって規定されるという。そもそも私たちは、他人が「私と同じ心をあなたも持っている」ということを証明することさえできない。結局は、他人にも心があると思い込むしかないのだ。

 

 もう一点興味深かったのは、著者のAIの「身体」に関する洞察だ。現在囲碁や将棋では、AIは人間の知能のレベルを超えている。しかし、それはあくまで将棋や囲碁といった個別タスクに限定しての話だ。そして、総合的、汎用的な知能の実現には「フレーム問題」という難関を超える必要があるという。フレーム問題とは、「ある行為をコンピュータにプログラムしようとしたときに、「その行為によって変化しないこと」を全て記述しようとすると計算量が爆発的に増えてしまい、その行為を行うことができなくなること」である。人間は「なんとなく」の意思決定があるゆえに、このフレーム問題を、(完全にではないが)解消することができる。私たちはミスを犯しうるという代償を払って、知能の柔軟性を獲得している。そこで重要な働きをしているのが、身体の物理的限界であるという。人間は手の届く範囲、音の聞こえる範囲が決まっているから取り組むべくタスクが明確になるが、身体のないAIは全ての情報が等価になってしまう。そこで、人間そっくりの「赤ちゃんロボット」にディープラーニングを搭載させ、現実世界で生活させると、人間と同じ方法で問題を解決することを学習でき、フレーム問題を解けるようになるのではないかと主張する。そんなロボットが実現すると著者が確信するのが、池上高志と石黒浩によって意味出された「機械人間オルタ」だという。

 

文献:松原仁『AIに心は宿るのか』(インターナショナル新書、2018年)