ウィリアム・バイナム『医学の歴史』を読みました。

 本書は、『The History of Medicine: A Very Short Introduction』の邦訳です。

きっかけ:医学史が知りたい。

良い点:構成が工夫されている。具体的には、臨床、書物、病院、共同体、実験室という5つ類型に分けて、それらが歴史的に重層していく様を記し、最後の章で現代における重要性とつなげるという構成になっている。ゆえに、ただの学説史ではなく、患者というもう一人の主人公や、患者と医者の間の倫理、同時代の社会や文との関係も含めた歴史の記述に成功している。

悪い点:中国や日本の事例は皆無。

評価:A-

その他メモ:4章までは鈴木晃仁氏、5,6章は鈴木実佳氏が担当(?)(予想)

 

【概要】

臨床の医学

 紀元前460年から370年に生きたヒポクラテスに代表される古代ギリシアの医学の構造の特徴は、まず患者の全てを知るという全体感的な医学で、これは現代のプライマリ・ケアの原型であると言える。社会的、経済的状況や家庭環境なども考慮されて、医療が施された。また、神聖病の源泉を、自然主義的な用語で説明できる枠組みで表現したことも大きな特徴である。例えば、てんかんは脳の内部の閉塞によっておき、粘液の排出が停止し、脳の機能不全が生じるなどと説明された。ここでは、意識の座を脳であると考えていること、また黄胆汁、黒胆汁、血液、粘液の4つの体液で生説明する医学である四体液説をベースにしていることが特徴である。またそれぞれの体液は、肝臓、膵臓、心臓、脳の臓器でつくられ、火、土、空気、水の四つの元素と結びついていると考えられた。ここから、体液のバランスを保つことが健康であること、自然治癒力を用いた治療を行う必要があることが言える。ヒポクラテス派の医学は、のちにガレノスのよって西洋に伝わり、1000年以上にわたって医学思想を支配した。ガレノス医学の特徴は、肝臓、心臓、脳の三つの臓器に三種のプネウマ=(自然、生命、霊魂)が分配されるという精気論だった。

 

書物の医学

 455年のローマ滅亡から、ルネサンスの15世紀までの、ギリシア医学の保持と追加、そして、病院、医療従事者の階層の出現、大学という3つの遺産を残した時代を「書物の医学」と分類している。多くのギリシア医学は、ギリシャ語からアラビア語ペルシャ語、シリア語へと翻訳され、中世イスラム医学へと繋がった。そしてイスラム世界では、病院の規模が大きくなり、重要性を獲得した。特にペストやハンセン病の隔離機能を果たした。また11世紀にサレルノの医学校がつくられ、その後12-13世紀にかけて、ボローニャで医学教育が始まり、パリ、サラマンカへと続いた。そして15世紀までにヨーロッパに50の大学がつくられ、医学部は創設当初から組み込まれていた。ここで書物の医学の完成形を見ることができる。大学教育を受けたものは内科医という階層を作った。その内科医はラテン語が読め、ガレノスやアビケンナの細かい差異を論じることができる「紳士的」地位にあった。一方で外科医や薬種商は単純な手仕事を行う身分だと考えられ、主にそれらは徒弟制後によって伝達され、年長の職人から技量を非公式に習っていた。当初キリスト教は人体解剖を禁止していたが、14世紀になると大学が公開解剖を始めた。そこでは教授はガレノスなどの医学書を読み上げ、身分の低いものがその該当箇所を解剖するといったやり方で行われた。そうした中、ヴェサリウスは自らも解剖を行い、ガレノスが描いた通りではないことに気づき始めた。そして、1543年『人体の構造について』で、ガレノスへの批判を図版で表現した。例えば心臓に骨がないこと、肝臓に4−5枚の葉は実際には存在しないことなどを示した。しかし、心臓の左右の心室の間に小孔はないと観察しておきながら、「目に見えない小孔がある」と述べている点は、ガレノス医学から完全には抜けきれなかったことを示している。1439年にグーテンベルク活版印刷術が発明されていたこともあって、医学書が大量に印刷されるようになり、さらに木版と版画で図版を載せることもできるようになり、医者でも数冊を所有するといった状況がみられるようになった。次第に内科医自身も解剖を行うようになり、そうした人物の一人として、血液循環論の発見者であるウィリアム・ハーヴィもいた。また15-16世紀にかけて「科学革命」といわれる時期に、化学と物理が医学に影響した。医化学派を代表するパラケルススは、医学を近代人によって基礎から作り直そうとした。また、サントリオらの医物理学派は、人間の生理を数学的に捉えようとし、筋肉の動きを分析し、収縮による力を計算した。しかし、この時代でも患者への治療という点では、瀉血や体液説関連の治療法が主たる医療であり続けていた。

 

病院の医学

 パリで1789年と1848年の二つの革命にはさまれた時代に医療界で盛んになった価値観を端的に表すのが「病院医学」である。フランス病院医学の3つの柱として、身体の診断、病理的臨床的相関作用、症例の利用が挙げられる。医者は患者の症状の説明に頼るのではなく、視診、触診、打診、聴診を用いて病気の客観的兆候を探すことを求められた。打診はアウエンブルッガーが1761年に発表しており、胸部の叩打によって、内部に隠れた病気の特徴を見つける診断方法である。聴診はラエネックの「聴診器」の発明がきっかけになって始まり、音のパターンの違いで肺結核などの病気を診断した。病理と臨床の相互作用とは、モルガーニの病理解剖学を念頭に置いた言い方で、彼は、病気は臓器に特徴的な変化が起きることで生じることを明らかにし、病気現象を客体化し、見て触れることができるモノとして捉えた。診断の対象は、体液から臓器へと移行した。また、組織学の父といわれるクサビエ・ビシャは、身体の部分は違っていても、病理的過程は同種の組織で起こっていることを認識していた。パリ学派の臨床医たちは、病理解剖を生前の身体の検査と同じ精神で行った。

 

共同体の医学

 公衆衛生とは、国家と個人の間にあり、健康を維持し病気を予防したり、封じ込めたする。14世紀半ばから17世紀半ばにかけて、ペストが流行した。それは共同体の健康問題についての意識を高め、病気を予防するための方法が数多く生んだ。それには例えば、隔離、国境管理、強制入院、人や物の移動の管理、医学的検査などがあげられる。また17世紀末からドイツで「医事行政」という概念が発達した。重要な著作は、ペーター・フランクの『完全な医事行政のための組織』である。またその時期は、天然痘予防が牛痘法に変わった時期でもあった。1796年乳搾り女セアラ・ネムルズの牛痘病変部からとったものを、天然痘未罹患の男子フィリップスに腕に注射すると、天然痘の免疫が形成されることを発見し、ワクチン接種が確立した。しかしそれは高価で、政治家と医師との意思疎通の問題、教育不足などで、直ちに浸透することはなかった。

 

実験室の医学

 仮に、ガレノス医学やヒポクラテス派を「科学的」であるというとき、それらが「経験」に基づくものだったということが一つの要素としてあげられるが、近代初期から、その「経験」には、実験室で行われる実験を組み入れるようになった。その際重要な役割を果たしたのは顕微鏡であり、顕微鏡の使用で、19世紀半ばには細胞が生物を理解するための基本単位であるという「細胞説」が確立していた。1838年にシュライデンは植物が、シュヴァンは動物がそれぞれ細胞から成り立っていることを明らかにした。そしてその後、ウィルヒョーは、生物は細胞分裂の結果、「すべての細胞は、母細胞から生まれる」という説を唱え、自然発生説を否定した。また彼は『細胞病理学』の中で、細胞説を医学に応用し、急性/慢性の炎症、がんの増殖や転移、外的刺激に対する体の反応などの事項を細胞で概念化するとうまく説明できることを示した。一方細菌学という領域がルイ・パスツールによって開拓され始めていた。彼は始め高等師範学校での結晶の実験を通じて、微生物に興味を抱くようになった。彼は有名な白鳥首フラスコを用いた「自然発生説の否定」の実験のほか、発酵は生物が進める過程であることや、炭疽病のワクチンの公開実験、さらに狂牛病の治療など様々な業績を残した。またロベルト・コッホは、顕微鏡写真法を導入し、客観的データを用い、結核菌やコレラ菌などの病原菌を次々と発見していった。コッホは、(1)その疾病で病原体が見出されること(2)病原菌を培養できること(3)培養した病原菌を摂取すれば、その疾病が起こることという「コッホの三原則」を唱えた。細菌学は、まず理論面では、病気の原因と患者の身体とを切り離すことで、診断のための客観的基準を発展しやすくしたこと、および、疾病の特異性が強調されるという正当性がある。さらに実践面の正当性は、まず、殺菌手術を結びついた点があげられる。1840年代にはすでに化学研究の産物として、クロロホルムエーテルといった麻酔剤が使用できるようになっており、その結果、長時間の手術が可能になり傷ついた組織を長時間保存できるようになった一方、それが空気に触れる時間も長くなり、細菌感染の危険性が増した。パスツールの実験に刺激を受けたジャセフ・リスターは、彼の洞察と、石炭酸を使って汚水を消毒できるという知識を組み合わせて、殺菌法を確立し、複雑骨折の手術でそれが有効であることを示した。実践面でももう一つの有効性は、感染症や流行病の発生源とパターンを理解し、適切に対処する能力を養い、公衆衛生に基礎を与えたことである。さらに身体の機能を明らかにする生理学の発展もみられた。19世紀の突出した生理学者グロード・ベルナールは、『実験医学序説』を記し、実験室でのみ変数を一定に保ち、変化を明確にすることができ、その生のデータから病気のメカニズムと原因を明らかにした。また彼は生理的機構がともに機能して全体としての動物を作り出しているという「内部環境」という概念を考え、これはのちにウォルター・キャノンにより「homeostasis」と命名された。

 

 

文献:ウィリアム・バイナム『医学の歴史』鈴木晃仁・鈴木実佳訳(丸善出版、2015年)

 

医学の歴史 (サイエンス・パレット)

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The History of Medicine: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

The History of Medicine: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

 

 

医学史の入門書は、茨城保『まんが医学の歴史』がベストだと思われるので、そちらである程度人物を抑えてから本書を読むと、より理解し易い。

 

まんが医学の歴史

まんが医学の歴史