橋本毅彦『図説科学史入門』

 

  本書は、図像を題材に取り上げた科学史の入門書であり、天文、気象、地質、動物と植物、人体、生命科学、分子・原子・素粒子という7つの自然科学の各分野の歴史を詳細に解説している。以下では、偶数の章を、それぞれ特定の観点から再構成し、関連する内容を簡単にまとめる。

 

 

2 気象学(原子論から機械論的自然観への変化)

 アリストテレスの気象学は、土、空気、火、水の四つの本性に従う生成変化が地上の現象を引き起こし、天体の現象はエーテルと呼ばれる第五元素が、始めと終わりのない円運動をし続けることで生じるという考えを基盤としていた。例えば流星は天界と月下界との境界面において、地上の土と水の元素が太陽の熱で暖められ、2種類の蒸発物が上昇し、火の元素となり、月下界の最上部で蓄積され、月の天球の運動により時々火花を上げるとこによって生じると考えられてきた。また暑い時期に雹が降るのは、熱と冷との間の相互の反作用(アンチペリスタシス)によって、暑い季節には冷が熱によって圧縮され、冷の内部の雲が急速に冷却され、氷へと凍結し、地上へ降るからだと考えられた。
 一方、近代科学に哲学的基盤を与えたといわれるデカルトは機械論的自然観といわれる考え、すなわち、物体は非常に小さい粒子からなり、それらがお互いに衝突したり、組み合わさったりすることで自然現象がおこるのだと考え、アリストテレスの哲学体系を覆した。
 アリストテレスの原子論と、デカルトの機械論的自然観は一見すると似ているが、次の2つの点で異なっている。第一に、アリストテレスは、月下界と天界とを区別し、それぞれの本性に従う元素の運動によって自然現象を説明したのに対し、デカルトは、天地両界を区別せずに、ともに粒子の運動によってあらゆる現象を説明しようとした点で異なる。第二に、アリストテレスは4元素のその本性に従う運動によって、自然現象を説明したのに対し、デカルトは、自然現象をもっぱら不活性の大小粒子の形状と運動によって説明しようとしたことである。そこでは、熱と冷も粒子の運動の強さと弱さによって定義した。さらに、光や炎も極微粒子の激しい運動だとみなされた。

 

4 動物と植物(図譜の果たした役割)
 ルネサンスの植物学者、レオンハルト・フックスは、薬草としての効用などの医学的関心を背景とし、何冊かのすぐれた植物図譜を出版した。1543年の『新薬草誌』は、同時期のブルンフェルスの図と比較すると現実からは離れ、理想化された図が描かれており、フックスとその下での画家は、単に目の前の植物を忠実に描き写すのではなく、一定の思考操作を経て、修正を施した図を作成した。
 16世紀に登場した植物図譜は17世紀にさらに普及し、18世紀になると銅版画からなる緻密で正確な図譜へと変化した。ドイツのゲオロク・エーレットは、リンネの植物学書を書くことを依頼され、王立協会の会員にも選ばれて、『フィロソフィカル・トランザクションズ』に多くの植物画を添えた論文を寄稿した。エーレットは同じ種の植物をいくつももそろえて並べ、それらを合わせた典型的な植物図を書いていった。また花や葉を顕微鏡で拡大し観察しながら、解剖するといった作業も厭わなかった。
 また、植物の構造的な特徴に注目し、人為分類法に基づき新しい植物の学名の体系を作り出したのが、リンネであった。
 ジョルジュ・キュビエは、地質学者と協力して古生物の研究に携わり、各種の動物を解剖し、その骨格や臓器、神経系統などを分析し比較検討する比較解剖学を確立させていった。


 6 生命科学(顕微鏡は生物の何をどう明らかにしていったか)
 顕微鏡は1600年頃にオランダのメガネ職人によって発明されたと言われている。イギリスのロバート・フックは、自ら顕微鏡で観察した成果を『ミクログラフィア』にとして出版した。その中でコルクの断面図を観察した際に、小さく区切られた閉じた部屋があることを発見し、それを「セル」と呼んだ。コルクがセルから構成されていることは、コルクの軽さ、弾力性、水に浮かぶ性質などをうまく説明することができた。その後19世紀になるとフックがセルと呼んだ小部屋は植物だけでなく、動物にも存在し、生物を構成する基本単位である「細胞」として理解されていく。
 17世紀にはフックと並んで、スワンメルダムが顕微鏡の昆虫の内部の組織や器官の構造を探求した。またマルピーギは小動物を解剖し、その内部の構造を顕微鏡で観察することで「毛細血管」を初めて記述した。それは、ハーヴィが血液循環論によって存在を仮定していたもので、動脈と静脈とが脈管によって実際につながっていることを明らかにし、血液循環論を支持した。
 一方レーウェンフックは、200倍以上の拡大像が得られる一枚レンズを用いて、澱んだ溝の水を観察し、微小の生物を発見した。これらは肉眼では見えないが、生き物の特性を持っているように見えることから「小動物」と名付けられ、微生物学という新たな領域を学問にもたらした。
 19世紀に入るとイタリアの科学者で、望遠鏡と顕微鏡の製作者でもあったアミチが、半球型のレンズを利用した複式顕微鏡を開発したことで、倍率、分解能、関口数といった顕微鏡の性能が飛躍的に向上した。性能の向上した複式の顕微鏡で生命の構成単位である細胞の存在を明らかにしてったのが、シュライデンとシュヴァンであった。シュライデンは、細胞同士の間に日本の線が確認できることなどを発見し、独立した生命の構成要素としての細胞は、生命の本体は受精した後に形成されるという後世説にもつながった。一方のシュヴァンは、各動物の軟骨と脊椎の構造を顕微鏡で観察し、それらが同一の構造をしていたことをつきとめた。また、各組織が細胞から徐々に構成されていくことを発生の過程を観察することで、見出した。それは細胞説が動物においても成り立つことを示すものだった。
 コッホは顕微鏡を用いた病原菌の追求を行ったが、観察だけではなく、顕微鏡で観察した姿を写真として記録しようとした。また彼はアニりん色素を用いて細胞を染色する技術も活用した。結核の患者から体液をとりだし、顕微鏡で確認し、染色技術によってくっきりと浮かび上がった結核菌の群れを観察することができたのである。
 さらに1930年頃から開発された電子顕微鏡は、それまで明らかにされてこなかった細胞の内部や分子の構造ほどの小さな対象を観察することを可能にし、細胞よりも小さいが分子よりも大きく、生体の細胞に入り混んで繁殖するウイルスという存在が発見された。ミシガン大のロブリー・ウィリアムズとラルフ・ワイコフは、試料を金属の膜でコーティングした上で、電子ビームを当てて観察するシャドーイングという技術を開発し、インフルエンザウイルスの撮影に成功した。生物の活動を分子レベルで解明しようとする分子生物学にとって、分子の構造を読み取る電子顕微鏡は欠かせないものになっている。

 

文献:橋本毅彦『図説科学史入門』(ちくま新書、2016年)

 

 

 

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