リチャードR.ネルソン『月とゲットー:科学技術と公共政策』

 

 本書の問いは、我々は人を月に送ることができる科学技術を持っているにもかかわらず、都市の貧困、犯罪といった問題を解決できないのは何故か、という大胆でかつ深刻な問題である。この本は、この問題に対する解決策を提供するものではなく、これらをめぐる政策の議論をより高度なものにすることを目的としている。著者であるリチャード・ネルソンは、アメリカのランド研究所に在籍し、その後イェール大学、コロンビア大学教授を経て、現在同大学名誉教授である。また進化的経済学の提唱者でもあり、本書でもその考え方の一端が見られる。(原著は1977年である。)

 第1章では全体の構成が述べられる。第2章では経済学などの論理的分析に焦点があてられ、第3章では組織論、続く第4章では研究開発(R&D)による解決という三つの考え方がそれぞれ取り上げられ、それらのアプローチの特徴や問題点が考察される。そして、第6章では、子供のデイケアへの連邦政府補助金、第7章では超音速輸送機、高速増殖炉への補助金政策論争ケーススタディーとして取り上げる。最後に第8章では、「経済環境の変化のために既存の組織構造の能力では解決が難しくなり組織改革の必要がでてきている幅広い政策課題への個別の分析を、比較的統一されたアプローチへとまとめる」ことが試みられる。

 本書は、原文の難解さに加え、和訳が直訳調であるため、非常に読みにくいと感じた。しかし、特に第4章などは、基礎研究への資金援助をどう考えるか、応用研究と基礎研究のバランスをどう考えるかといった今日的なテーマにも通じるトピックが扱われており、多くの示唆に満ちていたことは事実だった。しかし評者の理解力の不足により、全体を十分に理解することはできなかったので、第4章と第7章を中心に概要をまとめて、ひとまず決着をつけることにする。

 

【概要】

第4章 知識と技術の役割

 政策分析の視点は執行責任者が意思決定をするという観点からとらえ、組織論の視点は制度構造がそこで何が起きるかを決めると見る。それに対して科学技術政策の場合は、人間の知的営み、人間の創造性、自然を学び、支配することに焦点が当てられる。そこで鍵となるコミットメントは、基礎および応用科学の高度な教育を受けた人材が、技術的能力を達成することを狙った組織化された研究開発のために雇用されることに焦点を当てることである。すると「月とゲットー」の問題を解決するためには、研究開発努力の再配分の基準を確立し、再配分を効果的なものとする諸政策を探求していくということになる。しかし多くの場合、その規範的基準を設定することは難しい。R&Dの分野の曖昧さは、その極めて少数の人しか社会的問題の本格的な分析をしていないということに起因する。このように科学政策は危うい知的な基盤の上にたっているにもかかわらず、政府のR&Dの予算は大きく増加し、政策の複雑な機構や組織が設立されていった。(1960sの終わりまでにはソ連の脅威、宇宙、原子力、バイオ医療の可能性の広がり、高等教育への需要の増大、などによって科学への予算配分は増大した。)

 R&Dの収益率の問題はそこへ投下された資源の量によって決まるのではない。R&Dに広く求められていることがどう解釈され、どのような戦略が採られるか、詳細な意思決定はいかになされるか、実際の仕事がいかに進められるかなどに依存している。かくしてR&D政策の問題は組織とガバナンスの問題になる。ここでは二つの広く共有されている前提がある。第一に、R&Dの成果は公共財として取り扱うべきだということ。第二にどの分野と戦略がもっとも有効かは科学者コミュニティー自体が、公共の利益に関する実際的なガイドラインに基づいて決定すべきだというものである。しかし、自立的な「科学の共和国」の重要性を強調する人らと、非科学者によって判断された社会的、経済的価値の考慮が基礎研究へ資源配分の決定において主要な役割を果たすべきだということを強調する人らの間では緊張関係がある。この対立は、相対的に基礎研究と応用研究のどちらに比重を置くべきかという問題にも影を落としている。ここで鍵となるのは、研究資源の配分において、社会的経済的基準がどの程度考慮にいれられるべきかという問題と、研究プログラムはどのように管理され組織されるか、である。そして後者のガバナンスに問題の方がはるかに重要である。基準はガバナンスを通じて適応され、執行されるからである。自然科学者は応用科学についても独立性があることが望ましいと考えるが、経済学者は産業におけるR&Dに焦点を当て、それが当該の企業セクターによって実行され、企業に組み込まれた活動とみなす。自然科学者はこのような見方を受け入れがたいものとしてみている。

 R&Dコミュニティーでの議論は二つの異なる方向へ向かっている。第一は様々なセクターのイノベーションへの障害を明らかにしていくこと、および、イノベーションを促進するのに利用することができる政府の政策の広いリストを見ていくことである。第二の方向は、多くの場合、セクターのガバナンス構造の問題はそれが硬直すぎるからというものではなく、望ましいイノベーションと望ましくないイノベーションとを区別していないということだ、というものである。

 

 第7章 新技術創出への支援とコントロール

  1960sの超音速輸送機(SST)プログラムと、同時期の原子力エネルギー委員会の液体金属高速増殖炉(LMEBR)プログラムを取り上げるのは、その政策的議論の性質が二つの理由で重要だからである。第一に私企業によって生産され競争的市場で販売される特定の製品の開発を加速させるために公的補助金を投入する、というこれらの政策でとられたアプローチは、R&Dと生産を効果的に統治するガバナンスの問題にいくつかの深刻な問題を提起するが、問題を投資の決定の問題として分析する方向へ進んでおり、多くの問題が明確に提起されないままになっているということである。第二に、この二つのケースの悩ましい側面は、SSTとLMFBR以前のプログラムが補助金のタイプと組織的独立性という面でわれわれの政治経済のより広い分野で採用されるべき適切なモデルとなりえた、という点である。

 R&Dにおける公的な資金供給の役割は大きなものがある。1972年には280億ドルの総R&D支出のうち、約160億ドルは連邦政府の資金である。公的なR&Dの支援の目的は大きく二つのカテゴリーに含まれる。第一は、国防や公衆衛生などに関する公的機関の能力を強化するための新技術の開発である。しかし、それが全てではない。中には公的セクターの要求に応えるべくおこなわれているわけではなく、かなりの部分が基礎的知識、特定の市場で販売される製品とは直接に結びつかない応用的知識を前進されることに向けられている。(国立科学財団は前者の例、国立衛生研究所は後者の例になる。) これらの例が示すように、政府のR&D支援は、私的な開発が行われるための基盤をつくることを目的としており、私的な開発にとってかわることを目的とはしてこなかった。しかし、1950s後半から1960sを通じて、AEC(現在はエネルギー開発局)は徐々に補助金と詳細な計画の両面で民生用の原子炉(=LMFBR)を実用レベルに引き上げるスケジュールにコミットしていった。同じく政府の航空技術への支援も、特的の航空機の設計と開発の計画に供給されるように変わった。このような動きを推進したのはAECの内部と原子力合同委員会であった。同様にSSTプログラムも外部からの圧力よりはむしろ政府内部による推進の結果だった。

 連邦政府のR&Dの支援範囲を明確に画する理論的根拠はない。なぜ私的なR&Dへの適切なインセンティブをもたらさないかを考えるには精緻な議論が必要になる。(例えば政府は世界最大のタイプライターの購入者だが、タイプライターのR&Dは行っていない。)ある場合には産業の製品、産業自体が「国益」に関わるという議論がなされた。が、なぜ特的のR&Dを助成し、それ以外の産業は助成しないのかという疑問は消えない。

 推進論は基本的に良いことは後でなく後に実現したほうが社会のためになるというものだった。例えば増殖炉プログラムの費用–便益分析において、電力市場が大きく成長しているという前提のもとで、既存の技術より経済的に優れた増殖炉を利用できる日が早まれば便益のフローを早く開始することができ、その結果総便益を大きくすることができると主張された。しかし、こうした外部性の議論は説得的でない。むしろ技術を急いで開発することに伴う高い費用と固有の非効率性がある。LMFBRとSSTのプログラムの組織モデルとなったのは、マンハッタン計画アポロ計画であり、また多くの軍事R&D計画だった。これらは特定の技術を選択し、それに早い段階から大きく賭け強引に推し進めるか、非常に高いコストで並行開発を行う、というものである。それは急速な技術進歩を可能にしうるが、巨額のコストと無駄の上になりたって初めて可能になっている。米国の産業成長の初期の特徴は、源泉の多様性だった。製品、方法、投入要素はさまざまなところからもたらされ、計画的ではなかった。化学やエレクロトニクスの領域では間違った計画に取り組んでいても多くは早い段階で放棄されていた。良い技術についてはそれが広がり人々がそれを気がつくことになる多様なチャネルが存在していた。一方1950sの軍事R&Dでは、初期の成功確率は少なく望ましくないという証拠が積み上がっても、最初の計画に固執する傾向にある。

 

文献:リチャードR.ネルソン『月とゲットー:科学技術と公共政策』(慶應義塾大学出版会、2012年)

 

 なお、本書は東工大の中島秀人先生の研究室を訪問した際に紹介された本である。私が防衛省の資金制度のもと、デュアルユース時代の科学者の社会的責任を考える必要性があることや、科研費選択と集中の問題を話すと、ホワイトボードに書名を書いてくださった。先生曰く本書はネルソンの原点であり、原著にサインを求めたとのことだった。繰り返し読み返すに価する、難解なテクストだった。

 

月とゲットー:科学技術と公共政策

月とゲットー:科学技術と公共政策

 

 

 

The Moon and the Ghetto: An Essay on Public Policy Analysis (Norton Essays in American History)

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