小島寛之『数学的決断の技術』を読みました。

 この本は、私たちが日々遭遇する選択行動の癖を知り、適切な決断の方法を場面によって使い分けるようにできる技術を伝達するいわゆる「ハウツー本」のように見せかけつつ、実は意思決定理論(数学と統計学と経済学と心理学にまたがる学際領域)の標準から最先端までの知見を学びながらアカデミックな教養を手軽に楽しむ、みたいな本です。結論を先に申し上げると、かなり面白いです。高校や予備校の数学の授業で「痺れた」経験を思い出しました。
 
 あなたは商売をするとして、商品A-Dまでを選択しなければならないとします。商品A-Dと天気によってそれぞれ利益がどれだけ出るかは異なり、それぞれ(晴れ、曇り、雨、雪)で表すと、A(2万円、2万円、1万円、1万円)、B(3万円、3万円、0万円、1万円)、C(2万円、4万円、0万円、0万円) 、D(1万円、5万円、0万円、0万円)です。この情報以外には何も与えられていないときに(つまり商売をする国や地域はわからないとしたときに)、4つの商売からどの商売を選ぶのが良いでしょうか?
 僕はAを選びます。Aはどの天気でも最低でも1万円の売り上げが保証されているからです。Aを選択する意思決定の方法は「マックスミン基準」(最低=minを最大=maxにしようとする)と呼ばれ、筆者のアンケートによると、これを選択する人は全体の7割程度だそうです。人は案外慎重に判断を下すのです。ちなみにBを選択する意思決定の方法は、「期待値」が最大になるものを選ぶというスタイルで「期待値基準」と呼ばれます。Dの選択は、可能な中で最大の利益に注目するという発想で、「マックスマックス基準」と呼ばれ、そして、Cの選択は「最も後悔を少なくすることができる」意思決定で、「最大機会損失・最小化基準(サベージ基準)」と言われる選択方法です。Cについて詳しく言うと、他の選択肢を選んでいれば得られていたであろう利益を損失として計上した「機会損失」が最小になる選択です。(例えばAを選んだ場合、曇りだったらDを選んでいた場合と比べて3万円の損失を被りますが、Cはどの天気でもつねに後悔は1万円であるから、最大の機会損失は1万円となり最小になります。)もちろん「正解」はなく、それぞれの選択基準にメリットとデメリットがあります。例えばマックスミン基準が妥当性を持つのは、「確率がわからない状況」、つまり統計的な頻度も全くわからない状況下で選択しなければならないとき、といった具合です。(私たちにとって深刻だった例は原発事故です。)僕が一番面白かったのが、マックスマックス基準を説明した5章です。そこでは「セント・ペテルスブルクのパラドクス」という例が紹介されます。次のようなクジを考えます。コインを投げ、表が出たら2円を得て終了し、裏が出たらもう一回投げることができるとします。そこで表が出たら4円をもらって終了、再び裏ならさらにもう一回投げることができます。そこで表が出たら8万円をもらって終了、以下同様に表が出るまでコインを投げ続けることができるとします。このとき、参加料がいくらだったらこの賭けに乗るか、という問題です。興味深いことに、実は期待値基準で考えると、参加料が1000万円であっても1億円でも参加すべきという結論になります。なぜなら、期待値は確率×賞金だから、1回目で表が出る確率は1/2で、賞金2円なので、期待値は1円、2回目で表が出る確率は1/4で賞金は4円だから期待値は1円、3回で初めて表が出る確率は1/8で賞金が8円だから期待値は1円…と、どの回でも1円になり、全てを合計すれば無限大になる、つまりこのギャンブルの期待値は無限大になるからです。しかしこの賭けに1000万円の参加料を払うことは馬鹿げているはずです。さて、このパラドックスをどう解くか?ベルヌイは「人は賞金額ではなく、それがもたらす『嬉しさ』を基準に判断する」と考えました。ざっくり言えば「人は賞金額が倍になっても、倍ほどには嬉しさが増すわけではない」というような「感覚の歪み」を取り入れた「効用の期待値」を計算した値(期待効用)を基準に判断すべきだと考えました。しかし、筆者はこれとは異なる考え方をしていて、それがすごく面白いのです。期待値にせよ、期待効用にせよ、それが「平均化計算」であることには変わりません。平均というのは「多数回の行動」を前提をしますが、私たちは一般に賭けに「多数回参加するわけではない」です。つまり射幸心からギャンブルに興じる人は、自分に一回だけものすごい幸運が訪れ、それが人生を抜本的に転換することを望んで行動しているのです。さらに、こうした射幸心やマックスマックス基準は「社会の成り立ち」と切り離せないのではないか、とも言います。社会ではたいての人は平凡な所得や資産のうちに暮らし、それが未来の豊かさも決定付けていますが、宝くじを当てることはその見通しを根本的に変えるかもしれないのです。この「劇的さ」は確率や期待値とは異なった次元であり、脳裏によぎるのは、自分というたった一回の存在の一回生の人生なのだと言います。こう考えると、マックスマックス基準といったひどく楽観的で無思慮な行動基準でも、じつは合理的な選択肢かもしれないのです。
 非常に面白い本なのですが、一方でこの本にも何度も出てくる「主観的確率」というのが、いまいちしっくりきませんでした。それもそのはず、今まで高校で習った確率は、サイコロとか球とか非区別的な性質がある「モノの対称性」を基本に据えた「数学的確率」だったからです。ただ、それは確率論全体のうちのごく一部にすぎないのですね。主観確率については科学哲学でも議論されるトピックだと聞いたことがあるので、もう少し詳しく知りたいと思いました。

 

文献:小島寛之『やさしい確率で「たったひとつ」の正解を導く方法』(朝日新書、2013年)