古川安『科学の社会史−ルネサンスから20世紀まで』(前半)

 16ー17世紀の西欧近代の幕開けに成立した近代科学と今日の科学は、その内的側面以上に、社会的側面において、大きな変化を経験した。当時大学では科学の専門教育は行われていなかった。科学は私財を投じるか、裕福なパトロンに財政援助を受けることで初めて営むことができた個人的な余技といったほうが適切だった。しかし今日、科学は社会的に大きな意味をもつ営為になっている。社会に定着した仕組みを「制度」というならば、科学はそれ自体一つの制度になっている。当時の「自然哲学」とは違って、世俗化され、伝達可能なものとしてマニュアル化されるという変化も、この制度化と切り離して考えることはできない。そして、本書はまさにそうした科学と社会の相互作用、社会的文化的側面の歴史=社会史(external history)の入門書だ。扱っている範囲はルネサンスから20世紀までの欧米と日本で、入門書とはいえかなり詳しく、特に政治史を中心とした世界史全体の文脈の中で捉えようとする視角があるのも特徴だと思う。また著者が化学史の専門ということもあり、その方面の記述は洗練されている。図版も豊富で、カイザー・ヴィルヘルム協会の美しい建物とか、実験中のカローザースの写真、防毒マスクをつけるイギリス軍兵士の写真などが特に印象に残った。
  というわけで、早速、19世紀の制度化から、専門職業化を経て、ナショナリズムと結びつく過程を、6ー11章のまとめを通じて、二回に分けて自分なりに整理したいと思う。(一読した今も、このあたりがまだぼんやりして、上手く整理できていないので、書きながらまとまったら良いと思う。)

 

 


 19世紀は科学教育・研究組織の専門化、職業化などの制度的な基盤が確立される時期だ。まずはフランスを例にとる。フランス革命直後に政権を取ったジャコバン派は、王立科学アカデミーの閉鎖など、アンシャン・レジームの科学組織を破壊したが、1794年ロベスピエールが処刑され、恐怖政治が終わると、新たな体制の建設が始まった。最大のイベントは1795年にécole・Polytechniqueが創設されたことだ。その背景には、革命の波及を恐れた反仏同盟が干渉戦争を起こすようになったことで、輸入不可能となった軍事物資の自給体制を確立すべく科学技術者を結集させたということがある。ここでは技術教育の前段階として基礎科学教育を徹底させたところに特色があった。また1799年からナポレオン政権に入ると、科学の制度化はさらに進められる。彼は中等学校リセやバカロレアの試験制度を設けた。また、4年後の学制改革で、フランスをアカデミーといわれる40ほどの教育区に分け、各地区には1つのリセと一つ以上のファキュルテを配備し、帝国の秩序を強化し、国力を増大させようとした。また1808年、高等師範学校が再開せれ、école・Polytechniqueと勝るとも劣らない評価をうけた。école・Polytechniqueが上流階層出身者が多いのに対し、高等師範学校は中産下層階級の子弟が多く、パストゥールもここから出ている。(以上6章)。

 次にドイツの例に入る。ドイツ帝国誕生の1871年、パストゥールが『フランス科学についての省察』を書き、衰退論を唱えたのが印象的だが、この時期のドイツ科学の振興の背景には、やはり制度化に成功していたことがあった。ドイツはフランスのような中央集権的な性格とは異なり、地方分権な特徴があった。例えばドイツ自然科学者、医学者協会は閉鎖的な既成アカデミーではなく、自由参加型の科学者共同体だった。そこでは「学問としての科学」が強調されたが、それはドイツの大学改革における科学の理念と一致していた。1810年ベルリン大学が示した新しい方向は、大学は国や社会から独立して、教師と若い学生が手を携えて人間形成としての純粋学問=Wissenschaftの探求を行う機関であるというものだった。Wissenschaftという概念にはドイツ観念論ロマン主義などの学問観が反映しているという。また、ギーセン大学のリービッヒの実験教育は、当時興隆期にあった有機化学の化合物の同定を行い、教育と研究が統合された例である。学問としての科学が大学でおこなわれたのに対し、学問としての技術は高等技術学校= THで行われた。それは諸領邦の都市に設けられた。ドイツの地方分権的な教育制度は競争状態を生み出し、研究の活性化に繋がった。(以上7章)。
 19世紀、科学は内的にも成長を遂げた。物理学、化学、生物学、地質学は自立性持った学問分野として形を整えていった。化学を例にとると、定量的手法が重視されるようになり、「化学革命」を経たのち、物質の構成要素や化学反応に関わるいくつかの指導原理を持ったがくもんとして確立されていった。有機物は無機物とは異なる原理からなるという生気論は支持を失い、有機化学は生命体物質の化学ではなく、炭素元素を主体に構成された化合物の総称となる。このように実験的方法や数学的記述は19世紀において、専門分野を開く主導的アプローチになった。研究の分業体制を深化させていく、「専門分化(specialization)」も19世紀の科学の進展だった。19世紀には20以上の全国規模の学会が誕生したことは、このことの反映である。ここでは科学は宗教や哲学、文芸といった領域からますます隔離された知的活動になっていく。またウィリアム・ヒューエルが1834年に「サイエンティスト」という造語で新しい呼称を与えたことも、専門分化により研究者自身の専門分化が高じてきたためだった。こうした専門分化は、科学の内的な発展の帰結と決めつけてはならず、やはり19世紀の外的条件があったことは見逃せない。そこには科学教育の出現による専門的科学者の量産、科学の職業化、科学者の地位向上運動などがあった。「職業化professionalization」とは、「専門的な科学教育を受けた人々が、フルタイムでその専門領域の仕事に従事することによって生計を立てること、その仕事が社会的に確立された職業となっていることへ至る相対的な過程」だと定義される。これも19世紀に起きた重要な出来事であった。18世紀までの科学の担い手は聖職者や医師、貴族などで、君主や貴族、産業資本家がパトロン役を務めていた。大学教授であっても別の本職があり、それだけで生計を立てていくことはできなかった。しかし19世紀の専門教育の出現により、庶民の子弟であっても訓練を受ければ科学者になれる道が開かれ、社会階層として科学者が出現したのだった。(また技術の方にも少し触れると、18世紀に職業としての技術者=工学者(エンジニア)が誕生した。フランスで誕生したingenious civilは、従来のギルド的な枠組みからはみだした集団で、その多くは技術官僚だった。)さて科学に戻ると、職業的な科学者のニーズはまず企業ではなく、教育界から生まれてた。産業革命を経た19世紀後半に入ると、漸く研究者は産業界で有効活用されるようになる。(以上8章)。

 

文献:古川安『科学の社会史−ルネサンスから20世紀まで(増訂版)』(南窓社、2000年)

 

科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで

科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで