2017年度「歴史学」期末レポート

 去年受講した余語先生の歴史学の期末レポートです。

【課題】「あなた自身が興味深い技術を分析対象としてとりあげ、調べた技術をめぐる歴史的事象と、背景となる当時の社会文化的状況を記述したうえ、上記のテーマについて自らの考えを示しなさい。」

【書き方】「テーマの説明」「資料の提示」「分析と考察」「まとめ」「引用文献参考文献一覧」のスタイル

【字数・書式等】2000-3000字で、A4横書き

でした。授業はほとんど聞いておらず、中間レポートも遅れて出しましたが、評価はA+でした。もともと評価が甘いのか、期末レポートが良かったかのどちらかです。また、授業では日本の技術史が中心だったと思いますが、レポートでは海外の事例でも問題なかったようです。文献は関連する部分しか読んでいないので、もう一度通読したいと思います。(面白い本なので。)

 

  歴史学期末レポート 「ねじ」の標準規格化を進めた歴史的・社会的状況

 —デュアルユース論の再考—

 

1 テーマの説明 

 昨今、(科学)技術の二面性を指すデュアルユースという言葉をよく聞く。技術は軍事利用と民生利用のどちらにも利用できるのであり、防衛省の進める防衛装備技術研究推進制度でも大学での研究においてもそのことを踏まえ、軍事研究へ直接つながる研究ではなくても将来的に軍事に応用できるような民生利用の技術開発を促すことで、軍事研究へのハードルを下げているように思われる節もある。しかし技術はもともとそうした二面性を持つことは自明であるということもそうだが、そもそも技術がなんらかの「製品」を前提にしていることに疑問を感じる。技術には製品以外にもその製品を成り立たせるモジュールからパーツ、さらには素材まで様々なレベルに分かれている。そして技術の二面性はそれぞれのレベルにおいても言える。私が「ねじ」という技術に興味を抱いたのは、ねじという技術そのものもなんらかの歴史的・社会的な要請に応じて開発され改良されたものであり、それ自体中立的なものでなく、軍事や民生などのネットワークの中に埋め込まれていることを示すことで、従来の製品を前提にしたデュアルユース論を再考しようと思ったからである。本レポートでは主にイギリスとアメリカで進められたねじの技術開発の事例を取り上げ、それが技術的なプロセスであると同時に、歴史的な背景を持つ社会的なプロセスであることを示すことを目的にする。。

2 資料の提示

  西欧で誕生したねじに日本人が初めて出会ったのは種子島に鉄砲が伝来した16世紀のことだった。鍛冶屋職人の八板金兵衛は火縄銃の模造を命じられ、筒などは作ることはできたが、その銃尾に用いられていたねじの作り方は見当もつかなかった。言い伝えによると、金兵衛は娘をポルトガル人に嫁がせることでねじの作り方を学ばせることでなんとか知り、藩主に献納することができたという。

 西欧においては木製の原型からそこから鋳型をとることで製造するプリミティブな方法の他、工作機械によってねじを切っていくという方法が15世紀ごろから考案され、17世紀になると工作機械はさらに発展する。18世紀になると先のとがった「木ネジ」が工作機械で大量生産されるようになり、さらに数学研究や天文観測の要請から高い制度で細かいピッチをもつねじを用いた正確な目盛りが作られるようになる。

 その精密なねじ切り旋盤を考案したのがヘンリー・モーズレー(1771-1831)である。そしてモーズレーの工場で働いたもう一人の技術者がジョセフ・ウィットワース(1803-1887)だ。モーズレーの工場をはじめとする各工場で、工場内の互換性をもつようなねじが製造されたが、各工場で作られるねじの寸法や形状はまちまちで、工場間の互換性はなかった。なんとかそれらの間に互換性をつけ、ねじの規格を全国的に統一できないかと考えたウィットワースは全国の工場からねじを取り寄せそれらを比較した。その結果は1841年の英国工業会(institution of Civil Engineers)で報告された。そこで彼はねじの溝を決める三つの要素としてピッチ(山と山の間隔)、山の高さ、山の形をあげ、それらの値を厳密に決定できるような力学的な原理はないと指摘する。そして彼は単純にそれらの平均をとるという方法をとった。彼は「何とか成功させる唯一の道は、ある種の妥協であり、すべての人々の共通の利益のために中間を採用することである。」と述べている。そうして計算した答えが55度という山の角度のねじであった。つまりそこには科学的根拠や技術的根拠はなかった。

 一方ウィットワースがねじ規格を提唱した20年後、米国ではウィリアム・セラーズ(1824-1905)が英国規格とは異なる新しい規格を提唱した。彼の規格の大きな特徴はねじの山の角度が60度という単純な角度であるという点だ。これは幾何学的にも簡単に作図でき、正確に制作・検査できるという理由で導出された。しかしこの合理的で技術的にも完全に思われるセラーズ規格に対して講演後に産業界からの批判的なコメントが集まった。蒸気機関の製造企業の技術者からは、機関車の製造にはもっと細かいピッチのねじが使われていると指摘された。またスチーム暖房の専門家ロバート・ブリックスは逆にねじ部分のピッチを細かくすると後で管を回して外すことが困難になると指摘した。このようにセラーズの提案には様々な意見があったが、全体として統一規格を作ることが望ましいということでは合意した。そして講演がなされたフランクリン協会によってねじの標準規格を策定し、その規格を関連学会や組織にも通達し国内に普及させていくことが決議された。その後まず海軍省の技術局がその規格の採用を推薦し、1868年には連邦政府の管轄下の工場でも採用され、次々と国内に普及していった。

 さらにアメリカは1917年に第一次世界大戦に参戦した際、国内の資材の利用が進められるとねじなどの基本部品の規格が統一されていた方が都合がよく、そうしたことから翌年ねじの規格化について全米ネジ協会が設置された。1933年には財政上の理由で一旦廃止されるが、第二次世界大戦を契機に再び設置され、ねじの規格化が検討されてくことになる。

3 分析と考察  

 従来、互換性や量産が目指されていなかった時代ではひとつひとつが異なる規格のねじでも問題はなく、それどころか職人にとっては修理が必要となれば購入者はその職人の店に戻ってこなくてはならず、わざと部品に互換性をもたせないといった悪弊もあったという。しかし産業革命以降、複雑な機械や多くの機械が連関し合う機械システムが作られるとともに、製造における分業化が進展し、大量生産が要求されるようになることで、部品と製品の標準化がますます求められるようになった。具体的にはガス管やガスバーナーなどのガス供給網の付属品、鉄道者両の連結器の位置やサイズなどが代表である。いずれもネットワークの構成品であり、その間の接続性を保証する標準規格が要請される。ねじの技術における標準化の過程にはこのような複雑な歴史的・社会的な状況や要請が背後にあってと言える。

3まとめ

 以上ねじの標準化のプロセスをめぐり、それが歴史的には産業革命を背景として複雑な機械や多くの機械が関連し合うシステムが作られるようになったことと同時に、製造における分業化が進展することで部品と製品の標準化がますます求められるようになるといった社会的状況が背景にあることを示した。またアメリカにおいては、ねじなどの基本部品の規格が全国的に統一された背景には、第一次世界大戦に参戦することに際し国内の多くの資材が利用されるようになり全米ネジ委員会が設置されたことがあり、さらに財政上の理由から一旦廃止されるが第二次世界大戦への参戦を通じて、全米的な標準規格の制定の必要性が再認識されるようになり、実行が進められていったことも示した。従って技術の持つ二面性(デュアルユース)は単に兵器製品について言えるだけでなく、それらの下のレベルにあるねじなどの部品に対しても言えるのであり、そうした開発もなんらかの社会的要請に応じて進展していく。技術者はそのことを意識した上で開発を行うことが必要であると考える。(2986字)

 

文献

 橋本毅彦(2013)『「ものづくり」の科学史—世界を変えた<標準革命>』講談社学術文庫 第5 刷