今週読んだ雑誌論文や論考の概要など

(1)水沢光「日本学術振興会研究費と科学研究費交付金の分野別割合にみる戦時と戦後の連続性」『科学史研究』第53号(2015年)、379-396頁。

 

  1933年に創設された日本学術振興会研究費は、工学分野の応用研究に重点を置いたものだった。それに対して、現在の科学研究費補助金の前身である科学研究費交付金は、基礎的研究の振興を目的として、1939年に創設された。基礎研究を志向する後者が設立された背景には、大学の研究環境が貧弱であることが研究を進める上での障害になっているとの認識が広がったことがある。広重、河村、青木らの先行研究より、科学研究費交付金は、1943年の8月ごろを境に、戦局の悪化を受けて、科学振興から科学の戦力化へと政策転換が試みられたことが強調される。また1945年の終戦を経て、戦時の科学動員体制は解体されたが、広重、青木、沢井らの研究は、戦時の共同研究活動が戦後に引き継がれたことを示している。本論文では1930年代前半から1950年代後半の25年間の科学研究費の分分野別の割合を分析する。2ー1では、日本学術振興会研究費を取り上げ、その分野別割合が戦時色が強まることに応じて、工学分野への配分が増加したことを確認し、その背景を考察する。2ー2では、科学研究費交付金の創設当初の分野別割合について検討し、自然科学の各分野に満遍なく配分されたこと、研究費の目的が基礎科学の振興にあり、応用重視の日本学術振興会研究費と相互補完関係にあったことが示される。2ー3では、戦時末期の科学研究費交付金について検討し、戦争末期においても、満遍なく配分する体制が基本的に変化しなかったことが示される
2ー4では、終戦により戦時動員が解除された後も、そうした体制が継続したことが示される。 2ー5では、日本学術振興会研究費と科学研究費交付金の分野別割合を比較検討し、研究費配分における戦時と戦後の連続性について分析がなされる。

 

 【結論】
1933年に創設された日本学術会議研究費は工学分野を重視しており、配分にかたよりがあった。特に1930年代から 40年代半ばまでに産業的、軍事的要請に基づく特別委員会や工学への配分が大きく増加した。背景は、産業界からの用途指定寄付金や、軍部や官庁からの委託研究費の拡大があった。一方、1939年に創設された科学研究費交付金
自然科学の各領域に満遍なく配分するものだった。こうした制度のあり方は、1943年の科学の戦力化を求める閣議決定や、1945年の終戦による戦時体制の解体を経ても、基本的には変わらなかった。自然科学の幅広い分野を振興する体制は、戦局の悪化する中でも継続したが、その背景には、配分を研究者に任せていたこと、及び、文科省が、応用研究を重視する日本学術会議研究費と、基礎的研究を重視する科学研究費交付金を相互補完的なものだと捉えていたことがある。
 尚、本項では科学研究費の分野別割合という数値データを用いて研究を進めたが、研究費の審査方法や審査方針の変遷、制度設計に携わった人物の理念といった質的な側面についてや、技術院や陸海軍などの他のセクターとの施策や研究開発体制との関係について、十分に検討できなかったと述べられる。

 

(2)森脇江介「科学研究交付金制度と基礎研究振興論ー科学振興調査会と帝国議会の議論を通じてー」『科学史研究』第55巻(2016年)、22-34頁。

 

  日本では1939年に設立された科学研究費交付金において、初めて基礎研究を他分野にわたり支援する制度が確立した。この制度の成立に関する先行研究として、水沢、河村は、「大物」科学者らが国力増進を大義名分に掲げて、基礎研究を主たる研究対象とする科学振興運動を展開したことを示している。水沢は、その進言の背景には、日中戦争勃発に伴う深刻な資源問題を受けて、日本学術振興会の研究支援が応用研究に傾いていたことの反動として、「基礎研究シフト」がおこったと分析される。しかし、こうした先行研究では、科学研究費交付金=基礎研究、日本学術振興会=応用研究という構図が前提にあり、成立過程で研究者や官僚が基礎研究をどう定義していたか、あるいは、基礎研究振興は何を目指していたのかについては、十分に議論されてこなかったといい、本稿では1930年代後半の科学者や議員が「基礎研究」の定義、目的をどう捉えていたかを明らかにする。第1節では、1938年に設置された科学振興調査会の議論に注目し、主に科学者らの基礎研究観を明らかにする。第2節では、1938年から1939年までの帝国議会における議論に注目することで、議員が基礎研究の目的をどのように捉えていたかを検討される。

 

 【結論】
科学振興調査会と帝国議会の議論を通じて、科学者や議員による「基礎研究」の定義、目的は様々であり、定義に関する合意が形成されることはなかった。「応用研究を目的としない純粋研究としての基礎研究」と、「応用につながる基礎研究」という相反する基礎研究観がそれぞれの論者によって支持されていたことから、特に後者の支持者の存在は、学振=応用研究志向、科学研究費交付金制度=基礎研究志向という構図は再検討される必要があると述べる。また、科学振興調査会において基礎研究が曖昧にしか定義されなかったが故に「文部省が所轄しているものが基礎研究である」という暗黙の前提のもと、帝国議会における議論においては基礎研究振興の目的について、理念的な要素が先行した述べる。つまり、基礎研究という言葉が指し示すものが具体的に定義されなかったが故に、資源問題の解決はもとより、応用研究への接続、東亜建設、国威発揚といった様々な目的が付与されていったのであると考察している。また帝国議会では、貴族院議員は東亜に威容を示すたえに日本独自の科学を樹立する必要性を説いており、戦時下の科学振興は、「対西洋の国威発揚の手段としての科学振興」という上向きのナショナリズム、そして、「東亜新秩序建設のための東亜を指導し威容を示すための科学振興」という下向きのナショナリズムの二つによってこうせいされていたと指摘する。
尚本稿では、科学研究の内実を考察することはなかったとし、1939年から42年までの個別の研究を取り上げ、「基礎研究」と呼べるものであったかどうかを検討するひつようがあると述べられる。

 

(3)田中浩朗「科学技術動員体制史から見たデュアルユース研究の推奨」『科学史研究』第56巻(2017年)、129 −138頁。

 

 防衛省は2015年に「装備品への適用面から着目される大学、独立法人の研究機関や企業等における独創的な研究を発掘し、将来有望な研究を育成する」ための競争的資金制度である「安全保障技術研究推進制度」を創設した。しかし、軍事と学術の接近という現象は、決して近年になって見られ始めたわけではなく、1950年、1967年にも存在していた。もし近年変化があったとすれば、日本の防衛政策の中にデュアル・ユース技術の活用が明確に位置付けられ、そのために競争的資金制度が新設されたことであると述べられる。本稿では、日本におけるデュアル・ユース技術の活用が第一次世界大戦にまで遡れることを示し、その後の国家総動員体制構築過程において、科学技術の研究もデュアル・ユース化されていったことを示し、今日問題になっている「デュアル・ユース研究の推奨」の意味を考える。
 第2節では、1918年に陸軍の主導で制定された「軍用自動車補助法」により、自動車という民生用途のものを軍の管轄下に起き、必要に応じていつでも動員可能な資源にする(=「デュアル・ユース化」)ことができるようになったことが述べられる。
 第3節では、同じ頃制定された「軍需工業動員法」によって、自動車だけでなく、軍需工業に転用可能な工業がデュアル・ユース化されうるようになったと指摘する。実際にこの規定を実施するための勅令は制定されなかったが、軍需工業の保護奨励のために、1921年、軍需工業研究奨励交付規定に基づいてた「軍需工業研究奨励金」を交付し始めた。重要な点は、この奨励金に関する担当官庁は国政院だが、研究指揮監督は研究に関係のある官庁職員つまり陸軍省職員などにも参与してもらい、十分な協議の上、適当な方法を講ずるような仕組みであったことだという。ここに、奨励金と引き換えに、政府・軍が民間の研究者を指揮監督して研究される「研究のデュアル・ユース化」の始まりを見ることができる。また資金の出所が軍でなくても、研究の指揮監督に軍が参与することがあり得るということは、今日的観点からみて注目すべきだとも指摘される。
 第4節では、企画院において立案され、1938年に交付された「国家総動員法」施行時に、陸軍が科学動員をどう考えていたかが分析される。1938年陸軍省新聞班の文書「国家総動員法の制定と国家総動員とに就て」によると、科学動員とは、毒ガス研究などの軍事研究に限られず、むしろ空中窒素固定のような不足資源対策に力点が置かれていたことが読み取れるという。
 第5節では、国家総動員体制において、研究助成とはどういう意味を持っていたのか考察される。「資源局十年回顧」で分類される資源局の5つの業務のうち、研究助成に関するのは「資源の保育に関する事項」である。そして資源保育のために実施された施策の一つが「国家重要研究事項」公表であったという。しかし、ここで取り上げられた約の40項目を見ると、必ずしも兵器研究ではなく、材料研究や通信、潤滑油の開発といった汎用性の高いデュアル・ユース研究であったことがわかる。
 第6節では、こうした歴史を踏まえた上で、近年防衛省が力を入れ始めたデュアル・ユース技術活用の意味が考察される。筆者によれば、現在、国内の需要がそれほど多くない高性能の軍需品の研究開発コストが上昇しているが、国家財政によりそれを負担することは困難であるため、軍事産業が経済的に成り立たなくなっている。そこで、企業・大学等が持つ軍事転用可能な民生技術を取り込むことで、日本の軍需産業を維持すべく、軍事転用可能な民生技術が国内のどの分野・企業・大学にあるかを調査し、投資しているのだという。そして、第一次世界大戦以降資源のデュアル・ユース化が進んだのは、軍需品を平時から維持することが経済的に困難だったからであると指摘する。科学技術のデュアル・ユース化は、総動員体制構築の一環として進んだ。現在構築されつつある体制は、国家の限られた資源をデュアル・ユース化することで、効率的に利用するという点で、かつての国家総動員体制と共通していると指摘する。

 

 

 

科学史研究2015年1月号(No.272)

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科学史研究 2016年4月号 No.277

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科学史研究2017年7月号 No.282

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