上田岳弘『私の恋人』を読みました。

 『私の恋人』は上田岳弘による発表順としては3番目の小説である。本作品は又吉直樹『火花』との決選投票の末、第28回三島由紀夫賞を受賞した。今年の2月に文庫化され、単行本と共に、カバー装画には、Paul Kleeの"Angelus Novus"が採用されている。

 きっかけとしては、著者に漠然と興味を抱いていたところ、文庫化されたので、一度どんなものかと読んでみようといった些細なものだった。

 SF的な饒舌でメカニックな語り口に最初は慣れなかったが、読み進めていくうちに気にならなくなり、次第にページをめくる手が止まらなくなった。僕の「理想的な」小説とは全く異なる作風だったが、総じてとても面白い内容だった。同じく三島由紀夫賞を受賞した宮内悠介の『カプールの園』と比べても、こちらのほうが個人的には好きだった。

 

 本書は何を描いた小説なのかについて、コンパクトにうまくまとめることは難しいので、とりあえず、巻頭のエピグラフを紹介することから始めたい。

 

 「タスマニアは、彼らの人間の肖像にもかかわらず、完全に50年の間に、ヨーロッパからの移民によって繰り広げ絶滅の戦争で消滅するので流された。」

 

 このいびつな日本語の文は、実はH・G・ウェルズ宇宙戦争』第1章をgoogle翻訳にかけて、アウトプットされたものである。

 原文は、"The Tasmanians, in spite of their human likeness, were entirely swept out of existence in a war of extermination waged by European immigrants, in the space of fifty years."である。

 ちなみにgoogle翻訳は改良され、現在(2018年3月時点)同じように翻訳させると、

タスマニア人は、人間の姿にもかかわらず、50年の間、ヨーロッパの移民によって撲滅された戦争で完全になくなりました。」となる。

 「あとがき」によると、この"a war of extermination waged" すなわち、「繰り広げ絶滅の戦争」という言葉から、この作品の着想を得たのだと言う。「厄災の成果として世界に生み出され、さらなる厄災の種を蒔く、人の子たちの歴史。悲観的に眺めてみれば、世界史をそんな風にとらえることもできる。」と著者は述べる。

 

 そう、これは「繰り広げ絶滅の戦争」を繰り返してきたという人類史に基づいた、巨大なスケールの小説である。

 

 語り手であり、主人公でもある人物は、天才的な頭脳を持つクロマニョン人から、ドイツ系ユダヤ人として、ヒトラーダッハウ強制収容所で殺害されたハインリヒ・ケプラーを経て、現在生きる井上由祐へと、いずれも理想の女性を求めつつ、生まれ変わりを続けている。興味深いのは、この一連の輪廻転生を繰り返す人物は、地の文で人類のことを「あなた方人類」と呼んでいることだ。ひょっとするとこの小説では、人類史全体を、その中で生きつつ俯瞰する人物として設定されているのかもしれない。そして、三人目の生まれ変わりを経た井上は、ようやく「私の恋人」でありキャロライン・ポプキンスと出会う。

 この女性もシドニー大学環境学の学位を取得した優れた頭脳の持ち主であるが、NPO団体で人道支援活動に身を投じる「純少女」から「苛烈すぎる女」になり、性とドラッグに溺れる「堕ちた女」へと変節するという波瀾万丈な人生を生きて来た32歳である。

 キャロライン・ポプキンスが「堕ちた女」から抜け出したのは、彼女が空腹に耐えられず、オーストラリアのとあるブーランジェリーで万引きをするタイミングをはかっていた際に、一人のアボリジニの変装をした日本人にパンを恵まれ、助けられたことが契機となった。そしてその日本人こそが内科医の高橋陽平であり、彼は病気で余命半年の宣告を受けたことで、「行き止まりの人類の旅」に出ていた最中だった。

 

 高橋陽平によると、人類は今、3週目の旅をしていると言う。1周目は人類が惑星全体を覆う旅であり、2周目はこの世界を成功効率で回す運用ルールを模索する旅であり、それは1945年の広島・長崎への原爆投下で終わりを告げた。そして3周目は、そこからちょうど半世紀後の1995年に、windows95の誕生と同時に始まり、そこでは国境も消え失せ、世界と直接に繋がる人々の内的世界の取り合いが起きていると言う。「行き止まりの人類の旅」とは、世界中を回りながらこの人類史をトレースする旅のことである。そして、物語は高橋陽平がキャロライン・ポプキンスと共に最後の半年を使って命のある限り続けられる旅と、現在の井上と彼女との会話がオーバーラップしながら進んで行く。

 「行き止まりの人類の旅」は、二人が、ハインリヒ・ケプラーが殺害された同じ場所でついに高橋陽平が息をひきとることで終わるが、その死を間近にして彼は、人類の3周目の旅は、彼らの出現でフィナーレを迎えると言い残す。彼らとはどんな形で出現するのだろうか。やはり高度に発達した人工知能なのか、そうでないのか分からないが、しかし高橋は、人類は夢も希望も、正しいことも悪いことも、経済も芸術の全てを彼らに明け渡すことになると、吐息のような声で予言して、息をひきとる。

 

 物語の終盤、ハインリヒ・ケプラーだった私が独房室へと連行され、まだ見ぬ恋人に思いを寄せ、絶命の直前に彼女に呼びかける。

 「いいかい、今から餓死させられる僕のことを忘れないで欲しい。でもね、いいかい?でもそれは目くらましなんだよ。そんな風に苦しませることで、君たち人類を従わせようとしている。罠なんだ、これは。生まれついた枠組みで囲って、そこから出られないように君たちを飼っている。こんな風に苦しんだ人がいるから、虐げられたひとがいるから、それに荷担してきたら、よりよきことを目指さなければならない気がする。その気持ちはわかる。そしてそれは一時的には正しい。でもね、物事はいつか反転するんだ。正しかったことが誤りとなり、目指していたものから逃げなければならなくなる。(中略) だがそれでも、抗うべきときには抗わなければならない。(p138-139)」

 

 この呼びかけが、物語全体の中でどのような意味を表しているかは定かではないが、読んでいてここが物語のクライマックスではないか、という気がしていた。

抗うべきときには抗わなければならないという言葉は、どこかベンヤミンナチスの迫害から逃げて、自殺する直前に書いた『歴史哲学テーゼ』を想起させた。ベンヤミンは、クレーの天使の眼は歴史から瓦礫として消される過去の人々の方を向いていると書いていたはずだった。

 天使の装画も、もしかするとそうした連想からなのかもしれない。

 

文献: 上田岳弘『私の恋人』(新潮文庫、2018年)

 

私の恋人 (新潮文庫)

私の恋人 (新潮文庫)