サツキとメイの父親は堀辰雄をモデルにしている説:『ジブリの教科書3ーとなりのトトロ』

 久しぶりに『となりのトトロ』を観て、やっぱりこれはとんでもない傑作だと改めて感じました。人間に対する洞察の深さと、現実と子どもにしか見えない神話的世界の間を彷徨うといったフィクションの構成の凄さ、それを「こんなのアリ!?」と言いたくなるような自由な想像力でもって明るいユーモラスな世界に仕立てている監督の力量は神そのものです。それでもっとこの作品の秘密を知りたいと思い本書を手に取りました。
 
 ジブリの教科書シリーズの3巻にあたる本書では『となりのトトロ』を深く読み込むために欠かせない本です。監督へのインタビューもさることながら、火垂るの墓との二本立ての公開に至るまでの過程やその先の衝突、関東ローム層の土の赤色までこだわった美術や、ドンドコ踊りで木が伸びるシーンは生命力を表現するために葉を落とす描写を省いてデフォルメしたという原画、ストーリーではない魅力を最大限に生かすように作曲されたという音楽の久石譲らが語る舞台裏エピソードなどが盛りだくさんで、大変興味深い内容でした。それと同時に感じたことは、それぞれの才能が一つの作品に集まって初めてこの作品は生まれたということです。それをまとめるチームワーク力も凄いなと思います。
 他にも多種多様な読解も紹介されており、冒頭のあさのあつこが語ったサツキの解放の物語として捉える読み方も素敵だし、鎌田東二の神学からのアプローチ、歴史家の半蔵一利の戦後史に当てはめた読み方などもとても面白かったです。最後の大塚英志の「解題」はヤバイです。読んでいて震えます。
 ちなみにこの本によると「トトロ」という名前は”所沢にいるとなりのおばけ”がつまってできた言葉らしいです。とこキャン(早稲田所沢キャンパス)がある狭山丘陵は「トトロの森」といわれたりしますが、宮崎さんによると必ずしも舞台は狭山丘陵だけでをイメージしたのではなく、聖蹟桜ヶ丘とか神田川の流域とか所沢の風景などがみんなまざった場所なのだそうです。

 トトロを一年ぶりくらいに観直したことと、この本を読んで僕はある事実をどうしても見過ごすわけにはいきませんでした。それはサツキとメイの父親(草壁タツオ)は堀辰雄をモデルにしているのではないかということです。今日はレビューはこのあたりにして、少し「草壁タツオは堀辰雄をモデルにしている説」というのを書いてみようと思います。別に指摘したからどうこうというわけではありません。ジブリファンの一人としてのささやかな楽しみです。web上にはいろいろ都市伝説があるみたいですが、作品を自由に読み解くのは楽しいことです。

 

 まず鎌田東二の論考にも書いてありますが、一応この草壁タツオは博物学者・民俗学者で鎮守の森を保護すべく神社合祀反対運動をラディカルに展開した南方熊楠をモデルといしているというのが「定説」だと思います。実際に映画の中でも歴史書が積み重ねられている書斎で原稿を書いたり、大学へ出勤していることを考えると社会的プロフィールは一致するように思われます。僕もその点は納得しています。ただ南方熊楠だけをモデルにしているのではなく宮崎さんの中でおそらく半分(ひょっとしたら半分以上)は堀辰雄のイメージが混ざっているのではと思います。

 理由は三つほどあります。
 まず学者の南方熊楠だとしたらちょっとおかしいシーンが一つあります。それはメイが子トトロたちに会う前に広い庭で遊んでいる場面です。父親は自室で原稿を書いています。そこへメイが「お父さんお花屋さんね」といって一輪の花を持ってきます。父親は筆を止めそれを受け取るのですが、それを少しの間見つめると何かを思いついたように再び筆を走らせるというシーンです。これはちょっと学者が原稿を書いている様子とは思えなくて、花を観て即興的に触発された内容を原稿に書き込むというのは学者よりもむしろ作家の行動様式だと思うのです。僕がこのシーンが目に留まったのはじつは堀辰雄の『フローラとフォーナ』(新潮文庫『大和路・信濃路』に収録)というエッセイを前に読んだことがあったからです。それはこんなふうに始まります。

 

「プルウストは花を描くことが好きらしい。
彼の小説の中心地であるとさへ言はれてゐるコンブレエといふ田舍などは、まるで花で埋まつてゐるやうに描かれてゐる。山査子だとか、リラだとか、睡蓮だとか……」
                              (青空文庫より)
 

 これは堀辰雄が花に関して自由に書き連ねた短いエッセイです。ひょっとしたら宮崎さんもこのエッセイを読んだことがあってそれを念頭においたシーンなのではないでしょうか。

 二つ目は2013年の映画『風立ちぬ』とよく似ている箇所が複数あるということです。よく知られたようにこの映画は堀越二郎堀辰雄に敬意を表し、二人を監督の頭の中で融合させた人物が主人公となっています。類似点の一つ目は物語の設定です。あまりにも似通っていて吹き出しそうなったのですが、カンタからの電報を受け取ってサツキがその内容を読み上げ、母親が重篤かもしれないという不安からかき乱されるというシーンは『風立ちぬ』の中で同じく菜穂子の危篤をしって二郎が狼狽するシーンとよく似ています。つまり草壁タツオ(=堀辰雄)の妻が病気だという設定です。しかも病名はどちらも肺結核ということになっています。本書の監督のインタビューにこう書かれています。

 「僕は、基本的にあの家は、病人を療養させるために立ちた離れのある別荘だと思っているんです。結核患者の人のために建てた離れなんですね。で、その人が死んでしまったんで、そのまま用なしになって空いていた家なんです。これは裏設定ですけどね。」(本書p75)

 要するに入院しているお母さんが退院してきたときに空気のいい場所に住むために引っ越してきたというのが設定になっています。とりもなおさず堀辰雄の妻の矢野綾子は肺を病んでいました。彼女が亡くなるまでの富士見高原のサナトリウムでのわずかな愛の生活を描いたのが『風立ちぬ』です。このように堀辰雄ー矢野綾子とサツキとメイの父ー母は宮崎さんの頭の中で混在していると思われます。

 もうひとつ類似している点があります。それは声の出演についてです。『風立ちぬ』では二郎の声をエヴァンゲリオンで知られる庵野秀明が担当していますが、これはプロの声優では宮崎さんのイメージに合わないということで「正直に生きている」庵野さんの素人声がいいという判断があったといいます。実は、草壁タツオの声の出演をめぐってもほぼ同じ過程がありました。当初は普通にプロの声を使うつもりでオーディションが行われたが、候補者の声を聞いてもどうも適任者が見つからず「子供と友達でいられるお父さん」の役の声にプロの声優ではなく、ライターの糸井重里を起用したと言います。もちろん庵野さんの声と糸井さんの声は全然違います。しかしよくトレーニングされたプロの声ではなくもっと素朴な声をイメージしていたという点では共通していると思います。ちなみに堀辰雄はどんな声をしていたか、もちろん録音テープは残っていません。しかし遠藤周作のエッセイで堀辰雄の話し方を「ポツリポツリ」という言葉で形容しています。

「歯の欠けた口に人懐こそうな笑いをうかべ、「大和路・信濃路」の話しやリルケの話しなどをポツリポツリされた。」
「堀さんは私にナターシャの運命や、運命のなかで結ばれる者と結ばれないものとについてポツリポツリ、しゃべってくださるのだった。」  (遠藤周作『冬の優しさ』(新潮文庫))

 きっと、言葉すくなでぼそっと話すイメージには声優よりもアマチュアの方があっていたのだと思います。もちろんこれだけは十分に説明がつきませんが、もし宮崎さんが堀辰雄をイメージしていたなら辻褄が合います。

 最後になぜ堀辰雄なのかということについても考えたいと思います。
 まず『となりのトトロ』のストーリー展開では母親が病気であることが主な推進力になっています。というよりそれ以外に特に物語を推し進めている要因はほとんどありません。そのため病気の妻をもった夫という父親はストーリー的にも重要になっています。
 それからこの物語ではトトロが見える子ども/見えない大人という対立軸がはっきりしています。しかしトトロとは何なのか、いつ会えるのか、なんで会えるのかをサツキとメイに説明する役割を父親は担っています。そのため、いわば子どもと大人をブリッジする存在として、「見ることはできないけれど神話的世界にも理解を示しているナレーター」として(堀辰雄という)小説家のイメージが合っていたのだと思います。
 最後に堀辰雄をという作家についてですが、やはり彼の文章で特筆すべきなのは自然描写の卓抜さです。最後追分で亡くなるまで軽井沢大自然を舞台に美しい小説を書きました。三島由紀夫も『文章読本』の自然描写という項目で名手の一人として堀辰雄の『美しい村』を引用して、自然描写が音楽的主題をなしていることを指摘しています。自然や「風」を描こうとした宮崎さんは小説家として堀辰雄の世界感の影響を大きく受けていると思います。そして三島由紀夫が言うように「自分の気に入ったものだけを取り上げて、自分で美しいと思ったものだけに筆を集中しながら、自分の気に入った言葉だけでもって」作り上げた堀辰雄の世界感に通じる空気が『となりのトトロ』の底にも流れていて、このなんともいえない美しい自然世界を支えていると思います。
 宮崎さんは一番影響の受けた作家は堀田善衛だといっていますが、堀辰雄の影響も大いに受けており、それが比較的深刻なテーマを扱った宮崎作品においても暗くならずどこまでも美しい魅力的な世界を支えているのではないでしょうか。

 ジブリの教科書シリーズの「風立ちぬ」はまだ出版されていないですが、楽しみです。

 以上、ジブリファンの一人として自由に考えてみたことでした。

 

文献:『ジブリの教科書3ーとなりのトトロ』(文春文庫、2013年)

遠藤周作『冬の優しさ』(新潮文庫、1987年)

三島由紀夫文章読本』(中公文庫、1995年)

 

冬の優しさ (新潮文庫)

冬の優しさ (新潮文庫)

 
文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)