原発に潜む本質的な問題を考えさせられる本:山本義隆『福島原発事故をめぐって−いくつか学び考えたこと』


 『東電原発裁判』では、津波予測の誤り、非常用電源装置の設置ミスなどの東電側の責任が問われていく過程が描かれていた。しかし、裁判という土俵では明らかにされない問題点も当然たくさんある。その一つが利益優先の企業体質や組織レベルでの意思決定過程の解明は困難だということで、これについては前著でも指摘されていた。しかしそれ以外にも明らかにされないより本質的な問題があり、それが本書のテーマでもあると思う。

 著者は元東大全共闘の議長であり、駿台講師である山本義隆氏だ。科学史の研究家としても知られ、『磁力と重力の発見』ではパピルス賞、毎日出版文化賞大佛次郎賞を受賞されている。
  
 さて本書は3章からなる。第一章「日本における原発開発の深層底流」では、中曽根康弘をはじめとする国家主義的政治家が、産業政策の観点以上にパワー・ポリティックスの観点から原発を進めていった過程を明らかにされている。 
 ことは1953年アイゼンアワー大統領の国連演説「原子力の平和利用」から始まる。この演説の背景には、マンハッタン計画で得た核技術を秘匿し核兵器の独占的支配を目論んだ米国が、ソ連の予想よりも早い核兵器開発の成功を受けて、むしろある程度の技術を公開して原子力発電を民生用に開放することで、技術の維持、技術者の養成などを民間のメーカーに担わせる方が、ソ連との核開発競争において得策だと判断した事情があったと指摘している。この演説後、米英ソの核の独占支配体制が生まれると同時に、核兵器保有が大国の条件になるというかつてない国際政治の情況が生まれる。54年に初めて原子力予算を提出し翌年に原子力基本法を成立させた中曽根康弘をはじめとする国家主義的政治家は大国化への夢を抱いて原発を進めていったのだ。
 58年に原発に向けてアクセルを踏んだ岸信介の回顧録に興味深い記述がある。

「日本は核兵器を持たないが、潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場でおける発言権を高めることが出来る。」

この時点で原子炉建設の真の狙いはエネルギー需要に対処するというよりはむしろ日本を核兵器潜在的保有国にすることにあった。
 1982年に始まる中曽根内閣のもとでレーガンと交わされた新日米原子協定によりプルトニウム規制は大幅に緩和され、核燃料サイクルの形成に向けて核燃料再処理施設、高速増殖炉ウラン濃縮施設の建設のゴーサインが与えられたが、これらは核分分裂性物質(核兵器の材料)の生産に直結しており、同時に潜在的核武装化につながる道を開けることでもあった。
著者はこの章で、原発開発はエネルギー政策を超えた、外交戦略、安全保障政策の一環であり、それが経済的合理性もなければ技術的展望(安全性)が見えないにも関わらず日本が核燃料サイクル固執している原因だと結論付ける。

 

  続く第二章「技術と労働の面から見て」では、「平和利用」として民生化された原子力の技術がそもそも未熟で欠陥が多いということを指摘することから始まる。なぜ未熟なのかといえば、そもそも核物理学理論の技術的応用として原爆の開発を行ったマンハッタン計画は、最短時間で製造することを唯一最大の目標としていただけに、多くの未解決問題を放置することで成し遂げられたからだという。
 未熟な点を一言で言えば、それが無害化不可能な有毒物質を稼動に伴って生み出し続けるということだ。核分裂生成物(死の灰)やウラン、またそれが変化した猛毒のプルトニウムを含む使用済み核燃料は隔離状態で数ヶ月冷却され(それにも多くの電力を要する)、その上で再処理され、「高レベル放射性廃棄物」として生活圏から離れた地下数百Mに埋められ貯蔵される。そして例えばそこに含まれているプルトニウム239は半減期が約二万四千年で、無害化に五十万年かかるという。そもそもホモ・サピエンスが誕生したのが今から3,4万年前と言われている。数万年といえば日本列島の形すら変わっているかもしれない。そんな途方もない期間安全管理できる場所が地震大国であり、有数の火山地帯で、豊富な地下水系を有する日本のどこにあるのだろう。
 なお、放射性物質を無害化することは化学処理変化ではできない。それは原子力の出力の大きさに関係する。化石燃料の燃焼熱より格段に大きいことが原発の出力の大きさをもたらしているが、そのことは同時に核力による結合が化学結合に比べて同様に桁違いに強く、人為的にその結合を変化させることが困難であることを意味しているのだ。
 原発の労働者の存在も無視してはいけない。彼らは採掘、原子炉の清掃、メンテナンスや補修の過程において放射線あびる危険な労働を行い、労働環境としても決して「クリーン」などとは言えない。

 

 最後の第三章「科学技術幻想とその破綻」では、科学史のアングルから技術と科学の関係が論じられる。
 科学技術とは科学理論に基礎付けられ、科学に領導された技術であるとすると、16-17世紀の「科学革命」の時点で本当の意味で近代の科学技術が生まれたわけではない。産業革命ですらその初期には科学の寄与に殆ど頼らなかった。18世紀後半のワットによる蒸気機関の改良と実用化の頃までは、技術が先行し、理論はその後を追っていたのである。そして19世紀中期になってようやく先行する技術的発展に熱力学理論が追いつく。
 完全に科学理論に領導された初めての純粋な科学技術、それがまさに原子力であった。その際、理想状態における核物理学の法則から現実の核工場までの懸隔を架橋する過程は巨大な権力に支えられて初めて可能となった。その結果、それまで優れた職人や技術者が経験主義的に身についてきた人間のキャパシティーを踏み越えたと論じている。第一に原子力エネルギーはひとたび暴走し始めたら人間によるコントロールを回復させることが絶望的にまでに大きいことにおいて。第二に原子力発電は建設から稼働のすべてにわたって、肥大化した官僚機構と複数の巨大企業からなる“怪物”的プロジェクトであり、その中で個々の技術者や科学者は主体性を喪失していかざるをえなくなる点において。
 本書最後は、日本は福島の事故をもってアメリカ、イギリス、フランスについで、太平洋を放射性物質で汚染した4番目の国になり、大気圏で原爆実験を行ったアメリカ、ソ連と並んで大気中に放射線物質を放出した国の仲間入りをしてしまったという強烈な言葉で締めくくられる。

 

 デュアルユースに関連付けると、「原子力の平和利用」というのはまさに「原子力のスピンオフ宣言」とでもいうべきものだといえると思う。しかしその背景には核開発競争を有利にする上で得策だとの判断があったわけだ。また逆に言えば日本が原発の技術を保有しているということはいつでも原爆に「スピンオン」できるということが潜在的保有能力ということになるだろう。
 

 
 経済的合理性もなければ技術的展望が見えないにも関わらず日本が核燃料サイクル固執しているのは、政治外交上のパワーポリティックスの観点から原発を推進していたからだという点は抑えるべきポイントだと思った。それは裁判という土俵では明らかにされることはないだろう。ここで考えざるをえないのは、政治の論理と科学の論理の対立は避けられないものなのかどうかということだ。というよりそもそも科学/政治の対立軸という設定自体正しいのだろうか。この図式によれば科学者の自治権を大きくすれば科学が悪用されないように歯止めをかけられることになりそうだが、そんな単純なことなのだろうか。そもそも前回取り上げた著書でも触れたが、科学者は基本的には国家資金を使わないと研究ができないという前提があり、それはどう乗り越えていけばよいのか。

 

 また高レベル放射性廃棄物を数万年にわたって安全管理しなければならないということの困難さを改めて実感した部分もある。現生人類が誕生したのが3-4万年前ということを補助線にすると、それが途方もない時間であることがよく分かる。そんな長い時間本当に安全管理ができるのだろうか。私たちは人間のキャパを超えた本当に「怪物」を相手にしているんだということを率直に感じる。

  

 労働者の問題にも関心を持った。原発は今でも稼働しているし、推進側の論理も抑える必要がある。まだまだ原発について知らなければならないことがたくさんある。継続して関連文献を読んでいく必要があると思っている。

 

 文献:山本義隆福島原発事故をめぐって−いくつか学び考えたこと』(みすず書房、2011年)

 

福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと

福島の原発事故をめぐって―― いくつか学び考えたこと