科学者の軍事研究をどう考えるか?:池内了『科学者と軍事研究』

 

 池内了氏の新刊『科学者と軍事研究』が出ました!本書は2016年6月に書かれた前著『科学者と戦争』から現在(2017年12月)に至るまで、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」の応募・採択状況をレポートし、さらに長期的な視野を含んで現在そして将来日本で進行していく軍事研究について警鐘を鳴らすという内容です。早速内容をまとめていきたいと思います。

 

 そもそも「安全保障技術研究推進制度」というのは防衛省が2015年から始めた、設定されたテーマに基づいて大学や企業から研究を募集し採択されれば研究費を提供するというファウンディング制度です。まず前著では公募段階までしか取り上げられていなかった2016年度の応募・採択状況についてまとめます。
 2015年度と比べて最大の違いは応募数が109件から44件に激減したことです。初年度に比べて制度の存在はより知れ渡っていただろうし、前年大学からの応募もあったことから研究者の心理的ハードルは低くなったにも関わらずです。なぜでしょうか。
 本書では著者らの反対運動「軍学共同反対連絡会」がそれなりに功を奏した可能性があることを筆頭に挙げています。また節目ごとに声明を発表して記者会見という形で公表することでいくつかのメディアによって広く伝えられたということも挙げられています。またそれらの運動以外にも150を超える大学で「有志の会」などの反対運動が盛り上がったことも指摘しています。いずれにせよ多くの反対運動が激減の背景にあるというわけです。
 採択された研究課題を眺めてみると、水中での無線による情報伝達や電力送電を行う技術開発が前年度と共通するテーマとしてあることがわかります。他には有毒ガスを吸着・分解する物質開発が採択されており、対テロ対策の準備をしているのではと分析します。
 さて初年度の概算要求は3億円、2016年度は6億円(前年の継続分が累積するので倍増する)でしたが、2017年度はなんと110億円まで約16倍以上も増額しました。この背景には2016年5月17日に自民党国防部会が「防衛装備・技術政策に関する提言」をまとめ6月2日に安倍首相に提出したことを受けて、7月の参議委員選挙で大勝した首相が国防部会長の大塚拓を財務副大臣に任命し、財務省に満額を措置させることに成功したという「単純な茶番劇」があったと論じています。
 応募件数はどうだったのでしょうか。結論を先に言うと、トータルでは104件と初年度と同じレベルに戻りました。(採択件数は14件と過去最大です。) しかし大学からは22件と前年の23件と比べてほとんど変わらず、さらに採択件数5件からゼロになりました。これは一体何を意味しているのでしょうか。
 実は、2017年度は各採択課題において分担研究機関の内訳を発表し始めていることに気がつきます。そして大学は総計5件について分担機関になっているのです。よって実質前年の採択数並みであるということになります。分担機関としての参加は代表研究機関から委託されるもので科学研究費の「分担者承諾書」や「委託研究契約」と同じ形式によって加われるので大学にとっては機関の承認が形式的で低いハードルで参加できるという点に着目されている可能性があります。以上より、防衛装備庁と企業との結びつきを強め、企業と大学または公的研究機関との間で産学協同を通じて防衛省資金が「学」の現場に入って、軍産学複合体を形成するという新しいタイプの連携が生じていくと分析しています。
 
 次に2016年11月に日本学術会議の検討委員会で著者が参考意見として提出された意見書に主張が凝縮されていると感じたので、そちらをまとめていきたいと思います。
 まず科学者の学術研究の原点は「普遍的な真実を探求する営みを通じて世界の平和と人類の福利に貢献すること」であることを確認した上で、研究の自主性と公開性が保証され、科学に携わるものは自らの研究や開発した技術が平和や人間を破壊する方向に用いられていないか常に問いかけ身を戒めつづける必要があると説きます。防衛省の本制度は軍事技術利用を明言しており、かつ「公開の完全な自由」は保証されておらず、POの進捗管理があるゆえ自主性も損なわれるものであるから学術の原点と齟齬していることは明らかであるといいます。
 また防衛省からの資金提供を受ける際の研究者の言い訳を3つに分類しています。(1)研究費が枯渇しており軍からの資金であっても欲しい(2)防衛のための軍事研究は許容される(3)全ての科学技術はデュアルユースで研究現場では軍事/民生の区別がつかないからあらかじめ軍事研究だとして禁止できない、この三つです。(1)については科学技術基本計画で打ち出された「選択と集中」政策で今や競争的資金を獲得しなければ研究を続行することができなくなっている中、軍からの資金であっても背に腹は変えられないと受け取ってしまう(著者はこれを研究者版経済的徴兵制と呼ぶ)のが現状であり、真に科学を育てる方向とは正反対の施策を推進する政府・財務省文科省に主たる原因があると述べます。
 また著者自身は憲法上非武装が原則であり、防衛だろうと一切の軍事力を持つべきでないこと、全ての戦争は防衛の名の下で正当化されてきた歴史があること、防衛技術の開発は常に攻撃のための技術とセットで進められることから(2)の言い訳も許容すべきではないと主張します。
 最後にデュアルユース問題に絡む(3)については、科学技術の軍事/民生利用は区別できないことはなく、資金源と資金提供の目的や公開の自由はあるかどうかで明確に区別できるといいます。また民生から軍事へ転用する「スピンオン」は利用範囲が狭まる現象であること、そして軍事から民生への転用である「スピンオフ」はしばしば「戦争は発明の母」と言われるゆえんだが、それはあくまで戦争が発明を生んだのでなく、戦争下での潤沢な軍事費があったことが発明を生んだということを強調しています。


 まだまだ内容は盛りだくさんなのですが、ここで著者の主張を批判的に吟味していきたいと思います。

 
 まず学術会議の中での批判は大学での軍事研究に反対するという趣旨のものですが、ここからはいわゆる「大学の神聖化」問題が生じます。現在進行中の軍事研究は軍産学複合体によって進められます。そのため大学が軍事研究を拒否しても大学の外で依然として軍事研究は進行していくはずです。そのことについて大学の研究者は無責任であってよいのかという問題です。実際に著者が分析しているように今後は軍産ー産学の連携がそれぞれ強固になり、間接的に軍学共同が進行する新しいタイプの協力が進行していくのであれば「大学の神聖化」問題は根深い問題になるはずです。学術会議の中での批判は軍事研究に反対するために必要ですが、十分ではないと言えそうです。
 またデュアルユース問題に関して著者は資金の拠出先で判断する方法を提案しています。しかし今回の制度のように拠出先が防衛省だと判断できる場合が全てとは限りません。本書第3章で紹介されているように防衛装備庁が有する研究所は例えば先進技術推進センターなどあまり軍事との連携が想起されにくい研究所もありますし、今後新たな研究機関ができる可能性もあります。拠出先といった外形的な指標で判断することはある程度は有効かもしれませんが完全ではないと思います。
 従って結局は研究者個々人の倫理観や意識の問題になってくるわけですが、勿論それも非常に危うい考えであると思います。なぜなら研究者の中には著者のように憲法を解釈せずに、自衛のための武力の保持は認めると考える人は一定数いるだろうからです。というよりこの自衛論を巡って集団的自衛権、個別的自衛権などどこまで認めるべきか国民的な合意は存在しない状況です。しかし軍事研究の是非を問うとき、自衛権の問題を抜きにしては議論できないのではないでしょうか。

 以上一通り通読してみての議論ですが、なかなか根深い問題であると感じています。少し時間をおいてもう一度読んで、別の角度から考えてみたりしてもう少し考えを深めてみたいと思っています。

 

 文献:池内了『科学者と軍事研究』(岩波新書、2017年)

 

科学者と軍事研究 (岩波新書)

科学者と軍事研究 (岩波新書)