ソポクレス『オイディプス王』を読みました。

 

 森岡正博先生の『生命の哲学と倫理』という講義で、「反出生主義」(自分はもしくは人は生まれてこなければよかったと考える立場)はギリシャ悲劇においていわば通奏低音のように響いているという話があり、この『オイディプス王』が取り上げられていてました。この作品はその後ゲーテの『ファウスト』、森鴎外の『舞姫』まで連綿と文学の系譜が連なっているのだそうです。興味を持ったので早速読んでみました。

 

 今まで小説はわりと読んできましたが、戯曲というジャンルで最後まで読んだのはこの作品が初めてです。僕が読んだのは光文社古典新訳文庫河合祥一郎氏の訳で、その名の通り、今年の9月に出たばかりの新訳です。そのため2500年前に書かれたこの戯曲も、現代の読み易い日本語で理解することができます。またこの翻訳はギリシャ語の原文そのままを訳したわけでなく、ギリシャ語と英訳の対訳になっている本を底本としている点も読みやすい日本語につながっていると思います。

 

 まずそもそもギリシャ悲劇の最高傑作といわれる『オイディプス王』は非常に短く、1日で読み切れる120ページほどのテクストの中に内容が凝縮されています。(もちろん戯曲なので、実際に劇として上演されればそれなりの長さになるのかもしれませんが。) NHKの100分de名著で紹介された際に作家の島田雅彦さんは、この作品にフィクション、文学のすべての要素が入っていると言っています。さらに文学の原型はすでにこの作品によって書かれていて、その後の古今東西の文学は模倣するだけだとまで言ってます。↓

https://www.youtube.com/watch?v=7L7cgdG_0EI&t=367s

  

 驚くべきことにこのサイズにもかかわらず物語が緻密に構成されていて、読者は読み進めるごとに徐々に事の真相がわかっていく仕掛けになっており、一種のサスペンスの要素を含んでいます。伏線も張り巡らされており、例えば預言者テイレシアスが盲目であるという設定は単に預言者の属性として以外に、物語の伏線として解釈することもできます。ストーリを知らない方はあらかじめ予備知識なしで読んでいく方が楽しめるはずです。結局文学でストーリーの面白さは不可欠の要素だと改めて思います。

 (以下ストーリに関する記述があるので注意してください。) 

 

 訳者も解説で述べているようにこの作品のテーマの一つはテュケーだと言います。テュケー日本語で「運」「偶然」「なりゆき」を意味する語です。ポイントはオイディプス王は自らの実の両親を知らなかったため、誰かのせいで悲劇になるのではなく自分のせいで父親を殺し、母親を孕ませ自殺まで追い込むという悲劇に陥るという点です。因果によって悲劇になるのではなく、運命によって悲劇になる故一層恐ろしい物語になっているというのです。

 

 主人公オイディプス王が明確に反出生主義を語っているセリフがエクソドス(最終場)の1350行目に認めることができます。そこで「あの男を呪ってやる。/あの山奥でわが足から酷い足枷を外して私を助け、/新たな命を与えたあの男に。/要らぬ親切だ。/そのとき死んでいれば、苦しまずにすんだのに。」とすでに盲目になった主人公は嘆きます。こうした自らの悲惨な運命に対する吐露にきっと共感できると思います。自分は生まれてこない方がよかったという考えをそのまま納得できる。ただ僕はこの反出生主義をめぐってこの作品に二つの論点があると思います。

 

 一つ目はオイディプス王はことの真相を全て知ったのち、確かに針で自分の目を突き刺し盲目になるのですが、自殺はしないという点です。この『オイディプス王』には続編があって、『コロノスのオイディプス』では国を追放されたのちの姿が描かれることになります。つまり『オイディプス王』は自殺によって完結しないことは一つ重要なポイントではないか。それは必ずしも反出生主義から自殺に結びつかないということの証左である気がするからです。反出生主義と自殺は何が違うのか。そのあたりは考えどころです。

 

 反出生主義を初めて知って僕が真っ先に連想したのは重い障害を持った赤児を生んだ親の心境です。たとえ様々な医療を施してもわずかしか生きられない子に対して、それでも生まれてきてありがとうと思う人がいるのは事実です。

 この物語ではオイディプス王の両親は、この子が父を殺し母親と交わるという恐ろしいお告げを知って捨てることになっています。もちろんフィクションなので現実世界に置き換えてそのまま考えることはできません。ただ仮に父のライオスの立場に立って、自分の子が自分を殺すことになって、母親と交わり自殺に追い込むことがわかってもなおかつその子を捨てないという選択を考えることはできないか、これが二つ目の論点です。オイディプス王は恥辱に満ちた、考えうる限り最悪の悲劇を迎えることになりますが、生涯ずっと悲劇に満ちているというわけではありません。実際テーバイの住民を苦しめていた怪物スフィンクスの謎を解いてテーバイを解放し、英雄視されたという過去があります。単純に功利主義的な発想で命の「数」に着目すれば、二人の両親の命を守り一人の子どもの命を切り捨てるという結論に至るのかもしれませんが、果たしてそれが正しい選択なのか。いったんは英雄になった主人公の過去も丸ごと否定することはなんとなく腑に落ちないような気もします。このあたりが反出生主義を考える上で問題になってくるのではないでしょうか。

 

 『オイディプス王』は『コロノスのオイディプス』と、『アンティゴネー』と並んでソポクレスの三部作の一つです。この後も物語は続いていきます。是非読んでみたいと思います。

 

 

文献:ソポクレス『オイディプス王河合祥一郎訳 (光文社古典新訳文庫、2017)

 

オイディプス王 (光文社古典新訳文庫)

オイディプス王 (光文社古典新訳文庫)