yokoken001’s diary

書評を中心に記しています。

佐藤靖『科学技術の現代史』を読みました。

 

 

科学技術が、我々の生きる社会の根本的な様々な「条件」を作り出し、それは資本主義と手をたずさえながら一種の自律的な仕組みを作り上げ、その仕組みが抜き差しならない力をもって、いたるところに歪みを生んでいる。そんな予感を感じている人々は多いと思う。

 

 科学技術はどこからきてどこへ向かうのか?

 

 その問いに答えるときに求められるのは、まさに「科学技術の現代史」に他ならない。

 

それは、先行研究の空白を埋めるような研究(それはしばしば、衒学趣味を満たすだけの重箱の隅をつつくようなもので、「研究の重要性」などは後からでっち上げたような、ほとんどに人にはまるで関係のない、取るに足りない研究)ではなく、大きな歴史像を提示する果敢な挑戦になる。

 

本書はそうしたことに正面から挑んだ稀有な作品だと思う。

 

 

 以下では、全体を要約した上で、感想を記したい。

 

 

 現代科学技術(戦後〜現代までの科学技術)の全体像を示すことはいくつかの点で困難だという。第一に、カバーすべき分野が多岐にわたり、第二に、科学技術を政治・経済・軍事・社会・文化といった広範な文脈の中で捉える必要があり、第三に、この様は国によって異なるからだ。それにもかかわらず、本書では、マクロな視点から見た現代科学技術の歴史像を提示すべく、米国という現代科学史における中心地を対象に絞り、連邦政府の課題の変遷に伴う科学技術の構造の変化を捉えるという果敢な挑戦が試みられる。

 

 「科学技術」という言葉は、日本においては、戦時中の総動員体制の中で、官僚によって生み出された。「科学技術」という言葉が公式の場で初めて用いられたのは、1940年8月8日に、134の学協会を集めて「全日本科学技術団体連合会(全科技連)」が誕生したときであったとされる[i]アメリカでは、「科学技術」という科学と技術が劃然とした境界なく混在する様を指す言葉は生まれなかったものの、マンハッタン計画をはじめとする科学動員を通じて、国家と科学技術との関係は切っても切れないものになった。

 本書では、戦後米国における国家と科学技術の関係の中での構造的な変動を把握しようとするが、その際、3つの視角が設定される。それは、システム、リスク、イノベーションである。また、戦後の政治的環境変化に連動した変化をとらえるために、6つの局面に(時間的に)区切られる。それは、(1)「スプートニク・ショック」後の予算拡大期(1950s-1960s前半)、(2)ベトナム戦争の長期化、アポロ計画のピークアウト、デタントが重なる時期(1960s後半-1970s前半)、(3)レーガン政権下での軍事技術開発の拡張期(1980s)、(4)クリントン政権下での財政再建期(1990s)、(5)同時多発テロ以後の軍事予算の拡大期(2000s)、(6)リーマンショック後のオバマ政権で軍事費が大幅に削減された時期(2010s)である。また、この区分は、連邦政府の研究開発予算の拡大と停滞の波に正確に対応している。この時期区分をいわば横軸としたとき、縦軸には先ほど言及した3つの視点、つまりシステム、リスク、イノベーションが相当する。主に軍事外交面に伴うシステムは、(1)と(4)の時期に関係し、社会内政に関わるリスクは、(2)と(5)の時期に関係し、経済産業面に関するイノベーションは、(3)と(6)の時期に問題になる。これほど綺麗に図式化できることに違和感を覚えるかもしれないが、本書では多少大雑把な図式化をすることを厭わず、あくまでマクロな構造を浮き彫りにすることに関心があるのだ。それでは、(1)から(6)まで順に見ていくことにしよう。(以下はあくまで僕が理解できた箇所を中心に記すので、網羅性はあまりない。)

 

  第1章で議論されるのは、1950s-1960sの時期。キーワードは、「冷戦型科学技術」とそのもとで形成された「軍産学複合体」であろうか。「冷戦型科学技術」というのは、ソ連をはじめとする社会主義陣営を敵として想定し、軍事力や国家威信に直結する、原子力や宇宙開発、コンピュータといった科学技術を表す著者の造語だ。ポイントは、ここではシステムの大型化が志向されるという点だろう。また、興味深いのは、これを支えているのは、戦時中に形成された制度的基盤や企業や人材にあったということだ。バニバー・ブッシュの有名な報告書「科学-果てしなきフィロンティア」をきっかけに、戦後においても連邦政府の科学への投資が訴えられ、1950年にNSFが設立される。また、原子力やコンピュータやミサイルは、戦後にスピンオフされたデュアルユース技術でもある。秘匿性の高い軍事技術の民生転用を可能にしたのが、戦時中に動員された科学者や企業による働きだった。

 

  第二章では、1960s-1970s前半にかけての時期を扱う。この時代は、「崩れる権威」というタイトルからも伺えるように、科学技術への負の側面へ着目された時期であった。カーソン『沈黙の春』は1962年、1960年代後半にはベトナム戦争が泥沼化する中、反戦運動が盛り上がった。ここに、ニクソン大統領のデタント政策が加わり、連邦政府が、原子力・宇宙開発を強力に後押しする必要性がなくなった。

 その一方で、新たな科学技術の模索も行われた。PCの台頭は、集中型の巨大システムから分散型の小型システムへの方向づけを促した。また、TCP/IPは、ユーザーの意見を取り入れながら柔軟に進化した通信プロトコルであり、フォーマルで統制された形態からインフォーマルでオープンな形態へと、科学技術の基本的性格が変わりつつあった。

 さらに、ニクソンの演説「がんとの戦争」に象徴されるように、社会課題を志向する生命科学への重視も注目される。遺伝子組み替え技術の確立もこの時期(1973年)に重なる。課題対応型の研究費や委託研究の割合が増加し、科学技術の成果の社会への還元が要求されるようになる。

 従来の軍産学複合体は、垂直統合型で、中央集権的な性格を持っていたのに対し、この時期は科学の権威が多元化し、議会内部でも中立的な立場から科学技術を評価するポジションが求められるようになる。(OTAなど) これに並行して、1970年代前後、米国で科学技術への信頼が揺らぎ始め、社会へ利益だけでなくリスクをもたらすという認識が広がると、リスクコントロールという課題が浮上した。

 

 第3章では、1980sの時期を検討する。この時期には、産業イノベーション構想(1979年)に象徴されるように、科学技術の経済的側面が重要性を増す。大学の「商業化」も加速し、大学の財政難を背景に、民間企業から研究資金の受け入れの拡大傾向を見せる。1980年代にはバイ・ドール法が成立し、「スペシャル301条」(1988年)では、知的財産権保護の国際的な仕組みが作られた。

 

 第4章では、1990sを再度、システムという観点から検討する。この時代の最大のイベントは、冷戦終結とその後のグローバル化の流れだ。しかし、それ以前にすでに巨大技術システムは行き詰まりを見せていた。1986年には、チェレンジャー号事件、チェルノブイリ原発事故という大きな出来事があった。90年代の新たな動きを、著者は以下の4つに要約する。それは、(1)軍産学複合体の縮小、(2)デュアルユース政策の推進、(3)研究者の国際分業体制、(4)科学技術自体のネットワーク化である。デュアルユースという語は、第1章でも登場したが、ここでは軍民転換というよりは、むしろ軍事・民生の両用を始めから意識した技術開発を指す。それは、とりもなおさず、冷戦終結後の軍事予算の縮小を背景とした政策であった。

 

第5章は、1990年代をリスクという視点から分析される。冷戦終結後、民生部門の科学技術の比重が高まり、科学技術と社会の距離は一段と近づいた。その結果、科学技術の社会での活用やリスクへの対応のあり方がますます問われるようになった。興味深いのは、政策全般を、専門的な理論ではなく、実証的な数値で評価しようとする動きが出始めたことだ。ここには、連邦政府の財政危機が背景にあり、限られた財政資源で最大限有効な政策を立案することが要求されるようになったことが関係していたという。また、エビデンス重視の政策立案は、決定の根拠を客観的に示せるので、政府が説明責任を果たす上でも有利だった。しかしその一方、エビデンスを提供する科学者と政策を立案する政策担当者との関わりが難しい。殊に、科学的不確実性が大きい場合、問題になりやすい。リスクについても、定量的に評価し、その結果を踏まえて政策立案を行うことで、費用対効果の高いリスク対応が行われるようになってきた。大きな問題は、リスク評価(リスクの性格や大きさを科学的に評価すること)と、リスク管理(それをもとに実行可能な対策案を講じる)の間をどう繋ぐか?という課題である。1990年代からは、リスク評価の過程に利害関係者や市民も参加するべきという考えも現れた。

 

 第6章では、いよいよ21世紀、2000年代が扱われる。21世紀に入ると多極化の流れが強まる。米国は自国の繁栄維持のためには、絶え間のないイノベーションが必要であるという考え方をとった。2000年代の最大のイノベーションは情報通信だった。クラウドコンピューティングなどの仕組みは軍事のみならず企業にも大きな影響を与え、ネットワーク化された業務形態へのシフトを促進した。大学での資金獲得競争は激化し、多くの大学研究者は研究資金獲得のため、積極的に民間企業との共同研究や受託研究に従事するようになる。その結果、研究費獲得の自己目的化が起こり、科学研究が商業的活動の様相を強め、経済の論理で機能するようになる。研究不正や、短期的視点に基づく研究の拡大もこうした動向の中で理解される。

 

 終章で、2010年代、つまり、今という時点に到達する。近年の科学技術の方向性を、著者は(1)システムのネットワーク化・ボーダレス化、(2)リスク対応の成熟、(3)イノベーションの信奉の三点にまとめる。2010年代に最も注目を集めた科学技術は、人工知能だったが、これは三つの方向性を決定づけた。

 著者は本章の最後で、「科学技術の進歩を人間が止めたり早めたり自在にコントロールしたりすることはできるのだろうか。それとも科学技術は自律的に進歩していくものなのか。」という問いを投げかける。これには、伝統的に、技術決定論と技術の社会構成主義という立場から議論されてきた。前者は科学技術が人間社会のあり方を自律的に規定すると考え、後者は、科学技術はあくまで組織や個人の関わりの中で生み出されると考える。近年では、ミクロなレベルでは技術決定論は否定されるが、マクロなレベルでは一定の妥当性をもつとも考えられるようになった。大きな時間スケールで見ると、技術は自律的に進化し社会を駆動しているというのである。この理由を説明する定説は今の所存在しない。一つの説として、恒常的な軍事・経済面の競争が、科学技術を一定の方向へと導いているという説明がある。しかし、著者は、科学技術は国家による先導と統制よりも、「不確実性と変化と多様性を前提とした経済の論理」によって形成される時代になっているのだと診断する。第二次大戦後これまで国家が継続的にコントロールしてきた科学技術は、予測困難な進化の可能性を孕み、不確実性を増している。今や国家の側の意識と体制の変化を要請しているようにも見えるとし、本書は締めくくられる。

 

 以上、本書全体を俯瞰したので、感想を記したい。

 東日本大震災福島原発事故、一連の研究不正の問題、大学の文系不要論、2015年の防衛省資金制度発足とそれに伴う「研究者版経済的徴兵制」問題、LGBTと生産性をめぐる議論、、、など、もちろん全然別の問題でありながら、実はこれらの近年の出来事は深いところでつながっていて、それが何なのかが、本書によっておぼろげながら見えてきたような気がする。

(もちろん答えはわからない。)

 

 1990年代。ここに、大きな変化があったように思う。冷戦崩壊後、軍事というモーメントは一旦大きく変化を遂げた。軍事技術と民生技術はそれぞれシングルユースの面を残しながら、それでも開発過程のレベルで軍事と民生の境目はほとんどなくなっていき、デュアルユース化が進行した。これは軍事の話。そして、グローバル化が進む。グローバル化は、国際分業というあり方もさることながら、科学技術のモジュール化を進めた。これは科学技術の形態の話。さらに、経済的には、多極化ゆえのアメリカの没落があり、イノベーション信奉の潮流が生まれ、大学と産業の関わりはより一層深くなっていった。

 ところで、個人的に興味があるのは、「数値重視」と「効率」という考え方だ。数値による実証への偏重は、やはり1990年代に費用対効果重視という考えが出てきている。著者が最後に指摘した(1)システムのネットワーク化・ボーダレス化、(2)リスク対応の成熟、(3)イノベーションの信奉という3つの方向性も、ほぼこの時期に決まったといえるのではないだろうか。90年代という時代を理解することが、科学技術と社会の未来を考える上でも、重要な課題かもしれない。

 

 本書の限界点は、何と言っても、日本を対象外にしてしまった点だと思う。連邦政府との関わりが描けるのであれば、日本政府も合わせて考えることもできたはずだった。むしる、軍事に関しては、米軍と自衛隊はセットで考えなければならないので、日本と米国の両方を視野に入れながら科学技術の現代史を論じることができたら、もっとすばらしい本になっていただろうと予測する。

 

[i]鈴木淳『科学技術政策』山川出版社、2010年、8頁。

 

 

 

 

綿矢りさ『大地のゲーム』を読みました。

綿矢りさ『大地のゲーム』を読んだ。

 

 一応最後まで読み終えたものの、この小説世界にあまりコミットできなかった。そのため、内容を十分に理解したとは言い難い。レビューもそのような薄い理解に基づく程度のものであることを、あらかじめ申し上げたい。

 

  読みやすい文体といい、卓抜な比喩といい、文章のレベルが高いことは疑いない。ストーリー展開も入念に構想されており、学園祭当日というクライマックスへ向けて、読者をぐいぐい引き込む力がある。特に、二度目の大地震が起きるまでの、主人公とマリ/リーダーと主人公の彼氏との二つの視点からによる物語の語りは、映画のクライマックスシーンでよく見るような、複数視点からの物語進行を彷彿とさせる。まさに、プロの腕前だ。

 

 しかし、僕は、この小説のテーマを十分に読み取ることができなかった。

 

 物語上の設定は、近未来の日本。

 未曾有の大震災や原子力発電は過去のものとなり、なぜか銃社会が到来している。

ある年の夏、巨大な首都直下型地震が起き、それと同程度の震災がまもなく起こることが予測され、避難勧告が出されている。

 一度目の大震災の後、大学の構内が一種の解放区のようになり、学館などで学生が寝泊まりしている。(ちなみに、本作におけるキャンパスは、あきらかに早稲田キャンパスをモデルにしていると思われる。(例えば75ページをみよ。))

 この「解放区」であるところの、大学内での人間関係(友情や恋愛)が主に描かれながら、自然災害であり同時に人災でもある震災という問題を扱っている。そんな小説だ。

 

 まず、この小説では、近未来を描いているにも関わらず、「未来」の社会のイメージが、全く伝わってこない。

 

 暴力への抵抗感はまるでなく(発砲シーンもある)、リンチにより、一人の学生が殺害される。こういった暴力が横行する学生像は、70年代(?)の学生運動を想起させるためか、僕の未来の学生や社会のイメージと全く齟齬をきたしている。むしろ、アナクロとさえ思えてしまう。(また、SNSなどのメディアを通じてのコミュニケーションも描かれない。)

 

 さらに、リーダーたちが参画する「反宇宙」運動というのも、正直いって、意味がわからない。

「我々は、宇宙を疑うべきである!青空の果てに広がる漆黒の世界、はたしてそんなものが、本当にあるのだろうか?じっさいに見たこともないのに、教育されたといって信じるのは、洗脳の始まりだ。まずは宇宙を疑うことから始めよう!」(p.11)

 

 これは、学生運動の演説の一部だが、正直ほとんど内容を持たない主張である。むしろ、意図的に主張内容には意味を持たせないようにしているとさえ思えてしまう。

 著者は、おそらく、本作品では政治的な問題に介入することは避け、それ以外のテーマについて描こうとしているのかもしれない。しかし、学生運動をモチーフとして選んだからには、主張の内容まで要素として組み込まなければ、全体として空疎な印象を呈することは避けられないと思う。

 

 また、学生一人一人の家族などの背景が、ほとんど描かれない。主人公の兄とのやりとりがわずかに登場するが、それも果たして必然性があったのかどうか疑問という形での描かれ方だった。そのため、どうしても、登場人物の人間的な厚みに欠けるという感があった。

 

 「大地のゲーム」というタイトルの意味も、よくわからなかった。

 

「地球全体に広大な敷地を持ちながらも、大地はあの土地にばかり執拗にコインを積み重ね、掛け金の倍率をつり上げる。ディーラーのよく手入れのされた細くなめらかな指先、からからと回るルーレットを凝視する賭博者たち、視線の先には今後活発に動くと予想される、大注目の活断層。」(p.185)

 

 これは、タイトルに直接関わる文章だと思われるが、震災という巨大な現象を、賭博というゲームの比喩で理解する発想が、どうもしっくりこない。

 

 この小説が書かれた経緯などは全く知らないが、ひょとすると、東日本大震災を受けての、著者なりの「小説家」としての身振りだったのかもしれない。

 

 傷ついた技術は、技術者らの働きで復活させられる。一方、傷ついた倫理・規範は、誰が復興させるのか?

  新しい言葉と、新しい倫理や規範を連結させ、そこに生き生きとした物語を立ち上がらせなくてはならない。そこには、言葉を専門とする職業的作家が関われる部分がある。

震災後、このように語ったのは、村上春樹だった。

 

 しかしながら、個々人のドラマをはるかに超えるレベルで大きな問題を提起した震災が持つ社会政治的な側面に、本作はどれほど肉薄できているか?

 

ここに、本作を書いた「小説家」の限界があったようにも思える。

 

 

大地のゲーム (新潮文庫)

大地のゲーム (新潮文庫)

 

 

 

 

野家啓一『歴史を哲学する』を読みました。

 

 本書は、「歴史の物語り論(ナラトロジー)」の立場に立脚した著者の歴史哲学講義である。講義と補講から成るが、以下では講義の部分を簡単に要約しておく。

 

  20世紀の哲学シーンで生じた「言語論的転回」は、哲学上の土俵を自己の意識から公共的な言語へと転換し、言語の論理的分析を通じて哲学上の問題を解決・解消しようとした。歴史の物語り論は、こうした言語論的転回を積極的に受け入れ、歴史的事実は言語的制作の行為と不可分であると考える立場である。注意すべきことは、 歴史の物語り論における「物語り」とは、ストーリのことではなく、ナラティブだということである。ストーリーとしての「物語」は、完結した構造体を指す名詞的概念である。一方ナラティブとしての「物語り」は物語るという言語行為の遂行による動詞的概念である。その意味でフィクションと同一視することはできない。むしろ、フィクションは物語り行為という概念装置によってその構造や機能が分析されるべき対象である。(1−2講)

 

 さて、「歴史」という語は、「history」の訳語として明治以降に定着したものだが、その「history」という言葉は、ギリシャ語の「historia」を語源とする。この語は、元来は「探求」を意味し、そこから「探求によって獲得された知識」という意味が派生してくる。すなわち、「historia」はもともと「歴史」といいう限定された意味はなく、むしろ「誌」に近い意味を持っていた。その「historia」は、古代ギリシャになると、次第に「過去の出来事について探求された知識」という今日的な意味で使用されるようになった。(『詩学』には、「歴史家ははすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語る」という記述がある。)

 ところで、ドイツ語には、このギリシャ語起源の「hisorie」という語に加えて、「geschichte」という言葉もある。前者は「生起した出来事」を意味し、後者は「出来事の記述」を意味する。(これは、客観的出来事と主観的記述というように理解することもできる。) この「なされたこと」と「なされたことの物語」の間には、どのような関係性があるだろうか?後半では、この論点について、認識論的観点から議論される。

 第一に、「歴史的出来事」は「歴史記述」に先行するということができる。歴史的出来事が生起した故に、それを事後的に記述できるからである。これを存在論的先行性ということにする。だがこのことは、別の見方をすると、歴史的出来事がすでに現実には「存在しない」ということも意味している。よって、歴史記述においては、原物が存在しないので、「オリジナルなき復元」という性格を持つことになる。しかし、その原物であるところの歴史的出来事は、探求という歴史記述を通じてのみ知ることができるのである。(いかなる歴史記述もし得ない歴史的出来事は、フィクションと変わることがなく、「存在」の資格を与えることはできない。)その意味で、歴史記述は歴史的出来事に認識論的に先行する。

 この歴史的出来事の存在論的先行性と、歴史記述の認識論的先行性の間の錯綜した関係は、ある種の循環構造をもっている。我々は、歴史的出来事の全体像についてあらかじめ知っていないと、歴史記述を始めることができない。しかしその一方で、その全体像は、歴史記述を通じて、徐々に明らかにされていくものでもある。歴史的出来事は歴史記述の出発点であると同時に到達点でもある。歴史像は、存在と認識との間の絶えざるフィードバックを通じて確定されていくのだ。したがって、歴史的出来事は、素朴に「あった」ということを叫ぶだけでは「あった」ことにはならない。それは、存在と認識との間に伏在する循環関係を無視した哲学以前の主張にすぎない。歴史的出来事は、それが「いかにあったか」を記述しなければ、その存在を裏書きすることはできないのだ。その意味で、歴史記述から独立した存在を主張する素朴実在論の立場はありえず、よって、構成主義の立場を取らざるをえないということになる。(3講)

 

 通常の学問分類に従えば、歴史学はhumanities(人文(科)学)に属するが、歴史学が科学なのか否かという問題は、19世紀後半あたりから「方法論的二元論」(新カント派など)と「方法論的一元論」(論理実証主義など)の論争として繰り広げられた。19世紀というのは、理工系の高等教育機関や学会、企業内研究所などが設立されたり、「科学者」という呼称が造語されるなど、科学研究や科学教育のシステムが社会組織の不可欠の一部として組み込まれていく「科学の制度化」(第二次科学革命)の時期に相当し、またダーウィニズムの勃興、科学主義や実証主義の風潮が西欧社会を席巻した時期でもあった。そうした中、人文学系の学問は、その「科学性」が疑われ、「未発達の科学」として貶められることになる。それに対して、実証主義的な時代思潮に反旗を翻し、歴史学の正当性を擁護したのが、ヴィンデルバントだった。彼は、自然科学が「法則定立的(nomotherisch)」な科学であるのに対し、歴史科学が「個性記述的(idiographisch)」な科学であると特徴付けた。個性の探求が普遍の探求に劣らない学問的意義を持つことを明らかにし、自然科学と歴史科学は異なるパラダイムである、すなわち両者は通訳不可能であると主張した。また、方法論的二元論を擁護したもう一人の人物は、「解釈学」を精神科学の方法論として位置付けたディルタイであった。彼によれば、自然科学の方法は「説明」であるのに対し、精神科学に固有の方法は「理解」である。理解とは、自己の体験を出発点に「感情移入」や「追体験」を介して、他者の体験を再構築することに他ならない。それは過去の行為や出来事にも適用される。

 20世紀に入ると、実証主義は、ウィーン学団による「論理実証主義」という新たな装いのもとで、再登場する。彼らの掲げた「統一科学」運動は、すべての経験科学を唯一の理論言語によって統一しようとするもので、当時最も先進的だと考えられた物理学の理論言語をモデルとしていた。ヘンペルは、歴史学のような人文科学の学問であっても、自然科学と極めて類似した機能を果たしていると主張した。彼は、「それゆえ」、「したがって」といった接続詞を用いながら説明を進める歴史学においても、暗黙のうちに一般法則が前提とされており、因果的説明を行っていると主張する。つまり、歴史学は「被覆法則モデル」を満たす科学であるという。自然科学との違いは、自然科学が初期条件から結果を予測するのに対し、歴史学は出来事から初期条件へ遡求するという相違に帰着する。もちろん、歴史学における一般法則というのはあまりにも自明であることもあるし、反対に、その法則を厳密に導くことは難しいということもある。それゆえ、ヘンペルは、歴史記述は厳密な意味での「説明」ではなく、「説明のスケッチ」にとどまるとも述べる。しかし、スケッチとはいえ、その最終目標は完全なる説明であることは変わりなく、ディルタイのいうような「感情移入的理解の方法」といったものでもなければ、「擬似的説明」でもない。(4講)

 

 

 被覆法則モデルは、ポパー・ヘンペルモデルともいわれるが、そのポパーは、自然科学と人文社会科学を包括する「方法の単一論」の立場を堅持した。ただし、ポパーは演繹モデルの適応範囲を社会科学までにとどめ、歴史学を別扱いした。というのも、歴史学はある観点に基づいて膨大な史料の中から選択を行う。しかし、その観点やアプローチの妥当性は、経験的なテストにかけることができない、つまり反証不可能である。したがって、歴史理論は科学的な意味でのテスト可能な理論ではなく、歴史解釈である。しかし、彼はこれをネガティブなものとしてではなく、むしろ積極的な契機として捉えた。ポパーによれば、歴史解釈とは、むしろ我々が正当化をする、現実的な困難に対する応答であるというのである。歴史学は、事実の探求のみならず、意味の探求でもある。

 以上のようなポパーの見解から、ダントー物語論までの距離はそれほど遠くない。ダントーによれば、物語の機能とは、複数の出来事を関連づけ、統一的な意味を与えるコンテクストを設定することである。物語は、起承転結の構造を具備することで、記述だけでなく説明の役割をも果たしうる。もう少し細かく見みると、物語行為とは、はじめとおわりを相関させるコンテクストを中間項として挿入することで、出来事の変化を時間的に組織化する手続きだということができる。そして、この時間という視点こそが、ポパー・ヘンペルのモデルにかけていた要素でもあった。ダントーは、語用論の次元に光をあてるべく、「物語文」という概念を提唱した。これと区別される概念は、「理想的年代記」である。「理想的年代記」とは、本来それがそうであったかを完全にしめる示すだけの、いわば神の視点から見た歴史記述である。興味深いのは、この年代記作者は、物語文を語ることができないということだ。例をあげよう。「坊ちゃんの作者である夏目漱石は1867年に生まれた」という物語文は、年代記作者は書くことができない。というのも、1867年時点では、『坊ちゃん』は書かれていないため、この時点でこの記述をすることはできず、また漱石という名前すらも、この時点で記述することは不可能である。(彼の名は夏目金之助である。) このように考えると、年代記というものはおよそ歴史記述に値しないものである。年代記に欠落しているのは、複数の出来事を時間的に組織化するコンテクスト、つまり物語に他ならない。

 ダントーのいまひとつの論点は、ある出来事は単独で歴史的意味を持つことができないということだ。アリスタルコスの地動説がもつ歴史上の意味は、コペルニクスの地動説によって変化した。物語を語るというのは、先行する出来事を、後続する出来事と関連づけて意味不可を行う作業である。こう考えると、物語行為による過去の出来事の構成には、終わりがない。それは、絶えず修正や改訂を要求している。 (5講)

 

 

 物語の構成というと、過去の出来事は、それとは独立に実在するのではないか、構成という手続きは、客観的な事実を恣意的に捻じ曲げることになるのではないかという疑問が生じるかもしれない。しかし、構成というのは、「無からの創造」を意味するものではない。過去の事実は知覚することができない以上、物語のネットワークの中でのみ、意味を与えられる。過去は知覚できないがゆえに、その実在を確証するためには、想起や物語行為を基にした探求の手続きが不可欠である。

 しかし、物語というのは、なんでもありというわけでない。そこには論理が存在する。著者は、歴史記述における物語は、過去と現在とを時間的連続性の中で矛盾なく接続する「通時的整合性」と、過去の出来事が同時代の人々の証言や物的証拠と矛盾しない「共時的整合性」という2本の座標軸によって規制されると述べる。この境界条件こそが、歴史記述とフィクションとを区別する最低限の論理だということができる。

 歴史記述には、論理の他に倫理も存在する。著者は、その倫理的次元を言語行為に求める。サールによれば、言語行為は「命題表示部分」と、「発語内的力表示部分」とに分かれる。まず後者について考える。これは、発語によって行われる別の行為を指すが、史記述において歴史家は事実確認の他に、「記憶せよ」という発語内行為を同時に遂行している。これを「記憶の定言命法」と筆者は呼ぶ。それは、歴史家によって遂行される限り、誰が誰に向かって命令するのかという問題が絶えずつきまとう。歴史記述の倫理を語りうる場所は、まずこの記憶の定言命法がもつ政治性にある。歴史家が向ける過去へのまなざしは、未来への期待の地平が潜在的に働く。「過去に照らし出されつつ、ありうべき未来の生活様式を構想する力」こそが、歴史的記憶のもつポテンシャルである。次に、前者について考える。これは、事実確認的な命題内容に関わる倫理である。歴史家は「記憶に値する」事実を選択するが、その際に依拠する史料は、圧倒的に政治権力を握った側に偏っている。文字をもたない民衆は記録を残せないし、女性について語る史料は、男が記したものが多い。歴史家はそうした死者の声聞き手であると同時に、語り手でなければならない。 (6,7講)

 

 『パラダイムとは何か』を読んだときにも感じたが、野家氏の議論は、立場を異にする主張も的確に理解しながら慎重に精緻に主張が述べられ、バランスがよくとれていると思う。にも関わらず、著者の哲学的スタンスは一貫しているので、誠実だ。

 個人的には、歴史の物語論に共感をしめすことができる一方、歴史を物語による「構成」と言い切ってしまうところに、やはり若干の違和感が残らない気もないわけではない。もちろん構成というのは、無からの創造ではないのであるが。

 この議論は構成主義本質主義の論争にも関わる部分がありそうなので、もっと勉強しなければならない。

 

 ※補講2には、遅塚忠躬『史学概論』における物語論批判への反論が展開されている。

 

 

 

 

澤地久枝・半藤一利・戸高一成『日本海軍はなぜ過ったか―海軍反省会四〇〇時間の証言より』を読みました。

 

 戦後35年を経て密かに始められた「海軍反省会」を記録したテープを元に作られたNHKの番組を書籍化した『日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦』の副読本ともいうべき本。ノンフィクション作家の澤地久枝半藤一利呉市海事歴史科学館艦長で、海軍反省会のテープ(の一部)を保存していた戸高一成の三人による対談が収められている。

 

 海軍についてはほとんど知らないことばかりなので、本書で初めて知ったことだらけだった。興味深いのはやはり、海軍という組織に内在する問題に関する反省と教訓だった。

陸軍においては 2・26事件を契機に、皇道派から統制派にイニシアチブが移ったように、海軍においてはワシントン海軍軍縮条約の締結後、軍令部を中心とした「艦隊派」と、海軍省を中心とした「条約派」に分裂した。1933年には海軍軍令部条例と海軍省軍令部業務互渉規定というものが定められ、両者は対等という位置付けになった。しかし、その後、艦隊派条約派の良識のある人々を排斥していき、艦隊派の総帥に伏見宮博恭王を置かれたことで、軍令部の地位と権威が一気に高められたらしい。海軍については、まだ知らないことだらけだ。これから海軍史関係の本は、どんどん読んでいこう。

 

 戦争経験のある、戦争について皮膚感覚を持つ世代が消え、史料だけで戦争の歴史を語る時代に入りつつあるとき、反省会の録音テープという肉声の史料は、とても意義のあるものだと思った。もちろん、記憶違いも多いし、嘘も多く含まれていることも想像される。しかし、それが史実と違うかどうかということ自体を検証することも、歴史学の面白さだと思う。「なぜ事実と異なる発言をしたのか」ということも、興味深い問いになりうるかもしれない。

 

 また、巻末にある半藤一利の戦争体験の語りは、それだけでも読む価値のあるものだと思った。

 

 

 

山下範久『教養としての世界史の学び方』を読みました。

 

 本書は三部構成となっている。第一部 わたしたちにとっての「世界史」はいかに書かれてきたかでは、19世紀に成立した学問としての歴史学が本来有している枠組みを吟味し、そのバイアスを解除する方法論が議論される。そして第二部 世界史と空間的想像力の問題 では、世界史が前提としている空間的想像力(ヨーロッパ/非ヨーロッパ、西/東など)の問題が議論される。そして第三部 社会科学の基本概念を歴史化するでは、「市場」、「市民社会」「国家」、「戦争」、「家族」、「文学」、「宗教」といった社会科学上の基本概念を取り上げ、それらが近代を基準とした歴史記述にどのように埋め込まれているかを考え直し、そうした概念をより広い文脈で用いる際に課題について議論される。大雑把な見方をすると、本書は第1部を理論編とし、第2・3部を実践編として第1部の応用例が展開されると言うこともできるだろう。後半の各論では、それぞれの専門家の分筆という体裁がとられており、一般読者を想定しつつも、かなり専門性が高い章も見受けられる。そのため、消化不足の箇所も多い。以下では、第一部に焦点を当て、要約しておくに留めておく。(第一部だけでも、歴史学がいかに分厚い学問であるかを知るには十分であるし、知的な刺激に満ちた充実した論考だったということは、是非とも申し上げておきたい。)

 

 

 私たち現生人類、ホモ・サピエンスの特徴の一つは大規模な社会的協調行動である。そして、それは「自分たちは共通の起源から生まれた仲間」という物語の共有によって可能になる(という考え方ができる)。そうした協調行動を根拠づける物語として、古来、神話や歴史というものが語られてきた。神話はしばしば人間の経験的次元を超えた根拠に基づくものに対し、歴史は客観的な事実に基づいてできた物語である点で異なるが、両者ともに特定の社会の形を正当化するという共通項を備えている。また、歴史が「客観的」ということも、厳密に考えると議論の余地がある。そもそも、経験的な事実の全てを書くことは原理的に不可能である。そこで、何を事実としてみなすか、その事実の取捨選択には恣意性が伴う。さらには、どういった配列に説得力を感じるのかも、歴史の書き手や読み手の社会の価値観に左右される。こうした点で、「客観的な」歴史というものはどこにもないということもできる。

 さて、学問としての歴史学が成立するのは、大学の制度化を背景とした19世紀のヨーロッパだった。歴史学は、一回しか起き得ない歴史的事実を、客観的な事実にのみ基づいて再現しようとする「個別記述的科学」として、自らを科学的な歴史学として正当化した。レオポルト・フォン・ランケが提唱した「歴史主義」では、「ただそれがいかにあったか」、「各時代は神に直結する」という二つのフレーズによって特徴付けられる。前者は、史料批判を通じて、客観的事実に基づく過去の再現を志向すること、後者はそれぞれの時代に完結した世界としての全体性を構成しているという認識を持つことを示している。こうした近代的な歴史意識の中から生まれたのが、時代の三区分法であった。それは、(1)新しい時代としての近代、(2)近代にとって乗り越えられるべき暗黒の時代=中世、(3)再発見されて復活させられるべき古代という三つの時代区分である。(3)は、ギリシャ・ローマ文明から西ローマ帝国の滅亡(476年)までをさし、「世界」とは地中海を言い、政治体制はポリスで、奴隷制による経済などによって特徴付けられる時代である。(2)は西ローマ帝国から東ローマ帝国の滅亡(1453年)までを指し、封建制カトリック世界によって特徴付けられる。そして、近代とは、「近代」人が自分たちが生きる時代を過去から区別し、「新しい時代」として切り出してきた自己言及的な概念である。よって、「自分たちは近代に生きている」という遅れてやってきた時代認識が定着することで、近代社会自体の正確が強化され、ダイナミズムを生み出す。そうした近代がいつ始まったのかということは、大いに議論の余地があるが、大まかに言うと15世紀後半からという立場と、18世紀末からという2つの立場がある。前者は、ルネサンス宗教改革大航海時代などによる神や宗教の権威からの離脱を強調する。一方の後者は、市民革命、産業革命国民国家の成立などを強調する。また、前者をearly modern(初期近代)として後者と区別する言い方もある。(これは日本の「近世」に対応する。)こうして、近代に成立した歴史学においては、社会がいつ古代から中世になったのか、いつ中世から近代になったのかを、歴史を記述する際の基本的な問いになった。

 このように近代を基準とする歴史観には、3つのバイアスがあるという。一つ目は、近代の目的視、つまり近代=ゴール(目標)とする考えである。二つ目は、nationを歴史の主体としていたことである。歴史は、自分たちの社会が近代国家であるという存在主張に直結するため、nationの歴史を書くことは政治的な意味を持っていた。三つ目はヨーロッパ中心主義である。これは歴史学がそもそもヨーロッパで成立したことを考えれば自明である。

 

 これまで見てきたように、歴史学というのは本来、近代的な営みであった。そうした近代的歴史記述をいかに開くべきかという問題が、第二章で議論される内容である。特に、1990年代半ばから盛んに言われるようになった「グローバル化」は、歴史記述にも大きな影響を与えた。それは、世界史を「複数の世界が趨勢的に一体化していく」見方になってきたということだ。ここでいう「世界」とは、その中に生きる存在にとって全体として経験される範囲を意味する。その意味で、ローマ帝国漢帝国は二つの異なる世界だった。そうした複数の世界が一体化していくという世界史の捉えかたが出てきたということだ。

 近代的歴史記述に対する最初の批判は、エマニュエル・ウォーラーステインによる「世界システム論」である。従来の近代的歴史記述の特徴の一つに、ヨーロッパの目的視、つまり、古代、中世、近代へと段階を登っていくというタテの連続性を強調するということがあった。一方の世界システム論では、世界規模の経済システムである「世界=経済」の歴史を描く。ここでは、地域間の同時代性が強調される。別の言い方をすると、世界システムという単位で特定の時代を輪切りにするヨコの連続性を重視する歴史のスタイルである。そうしたヒストリオグラフィーで重要になる概念が、ヘゲモニーである。これは、システムの秩序や規範を決めるイニシアチブを取るほどの大きなパワーを意味する。ヘゲモニーに注目したとき、おおよそ世界史は、初期近代(1500-1800年ごろ)、長い19世紀(1801-1945年ごろ)、短い20世紀(1946-1999)という三つの時代に区分されることになる。

 近代的歴史記述への批判として唱えられた世界システム論は、その一方で、世界システムを1500年ごろにヨーロッパに誕生した自律的なシステムとし、その延長上にグローバルな世界システムがあるとする点で、ヨーロッパ中心主義のバイアスをより広い文脈で最強化しているという面がある。したがって、本来の意味で近代的歴史記述を乗り越えるためには、ヨーロッパ的な視座から「近代」として抽出されたものを、よりグローバルな文脈において、再(脱)概念化する必要があるという。それ、近代と概念化されてきた時代にも、潜在的に、複数の同じくらい合理的な社会に向かう歴史の経路が伏在していたのではないか、「近代」という時代区分が、人間社会の変化を見るタイムスパンを狭めてしまっていたのではないかといったことを問うことだ。そして、具体的な方向性として、2つの道筋が示される。それは、近代を複数性に開く方法と、近代を時代区分の基準から外す方法である。

 

 「世界の一体化」というのは、実態として物理的に閉じた複数の世界が次第に統合されていく過程ではなく、むしろ複数の世界の関係のあり方の変化のひとつの局面として捉えられるべきである、と著者は主張する。近代を複数性に開くというのは、「グローバル化は世界の均質化に向かう近代化の延長としてではなく、むしろ「世界」の複数性を抑圧するような「近代」概念によって後景化された時代をグローバルな文脈に置きなおし、そこでの複数の「世界」の間の関係のあり方から現代の世界に至る変化の線を引きなおすことで近代を目的視する歴史観を解除しようということ(p.80)」である。そして、「近代」というのは、近代人たちが過去の時代から区別してそう呼ぶことに始まった概念であり、人間の意志によって構築されたものである。近代化という過程は、人間が意志と理性によって作り出す歴史的変化として捉えられていたが、人間と周りの自然環境との関係は、容易に二分することはできない。したがって、自然環境から存在論的に切り離された人間という近代の自己規定の論理を出て、従来は歴史学と切断されてきた領域(宇宙物理学、地球物理学、進化生物学、考古学)と接続をし、一貫したパースペクティブの中に収める枠組みを考えるというのが、第二の方向である。そうしたビッグ・ヒストリーにおいては、近代はもはや時代区分の基礎ではなく、進化論的なスケールの中で人類史を捉えようとする。この見方に立ったとき、これまで近代の問題とされてきたものが、実は人間の問題であることが明らかになる。こうした意味で、自然主義的なアプローチが、近代を時代区分の基準から外す上で最も直接的な方向を示していると述べられる。

 

 

教養としての 世界史の学び方

教養としての 世界史の学び方

 

 

 

 

上田岳弘『塔と重力』を読みました。

 

 小説と音楽は全く違う芸術だけれど、ある種の小説を読むことは、音楽を聴くことに似ているところもある。

 音楽は聴き終えた瞬間に−−つまり音楽が完成した瞬間に−−全てが消えてなくなってしまう。しかし小説であっても、読み終えたときに残るのは、作品全体に対する漠とした印象や、感動、イメージや余韻といったものだけで、読後において小説という実態は、読者の中で雲散霧消してしまうのではないか。

 

 『塔と重力』を読み終えた今、僕の中に残っているのは、何かSF的なパーツからなる、不思議な世界についての印象だけだ。結局のところ、何か明確なメッセージやストーリーといった、本来小説にあるはずの「実態」のようなものは何も残っておらず、ただ、漠然とした世界観だけが、余韻を残している。それは、ほとんど音楽といってもいいかもしれない。

 

 だけど、そうした読み方をする限り、ブログにレビューを書くことの意味はない。いや、そもそもブログを書こうとしたきっかけは、読後に残る印象を言葉にして、少しでも有形の何かを手元に残そうと考えたことにあった。だから、(よくわからないままに)つらつらと小説についての印象を言葉にしてみたい。

 

 

 まずはざっと、ストーリー(的な何か)を完結にまとめよう。

 主人公の田辺は、予備校浪人時代に友人達と行った合宿の最中に、阪神淡路大震災に遭遇し、倒壊した宿舎の中で丸2日間生き埋めになるという体験をした。そして、合宿仲間の一人であり、田辺が好意を寄せていた(それは愛ではなく、「寂しさと性欲がないまぜになった身勝手な感情」だったというが)美希子も同じく倒壊した瓦礫の下に埋もれたが、彼女の方は、まもなく亡くなってしまう。田辺は、このとき亡くなった美希子への思いをずっとひきずって今日まで生きている。

 大学進学のために上京した主人公は、同じ大学の水上という人物に出会う。水上はあるとき、主人公の前で「いまから自殺をする」といい、大量の薬をのみ自殺を図る。田辺は救急車を呼んで、水上は一命をとりとめたものの、それ以来、彼は田辺を命の恩人と認めることになった。

 35歳になった田辺が、久しぶりに水上に再開する。そこで、多様な人脈を持つ水上は、「美希子」アサインという、美希子と名乗る女性との合コンを、田辺のために企画し始める。そこで、19人(?)くらいの「美希子」と名乗る/名乗らされた女性との面会を通うじて、さまざまな会話のやり取りが、水上も含めて、展開される。そして、この話の筋に、彼が「受精を目的としないsex」を繰り返す(つまり、セフレか?)桃香と、子どもが欲しいという葵との付き合いが織り交ざりながら、物語が進むのだ。

 

 特に起承転結的な、明確なストーリーはあまり存在しないが、文章は非常に明瞭で読みやすく、『ニムロッド』と同様に、読者をぐいぐい引き込む力がある。

 

 

 さて、以下で少し内容について考察してみよう。

 

  科学技術と資本制の論理が、私たちの生活の隅々にまで浸透し、社会を覆い尽くした結果、世の中が一つのシステムとして、合理的に振る舞うことを要求される世界。

 僕らが生きる世界は、そういう方向に進みつつあるという予感がしなくもない。

 そして、上田文学は、そうした傾向に疑問を呈し、それに抗うかのようにして、このような「得体の知れない」芸術としての文学を創造しているように思う。

 

 合理性を過度に求められる社会において、人間一人一人もそれに合わせて、システムを最適化するように働かなくてはならない。そして、まるで座標上の点のようになる。

 座標平面であれば、xとyの数値が決まれば点は一つに定まる。逆に言えば、その二つの数値でしかない。そうして、点は関数/機能(function)を成り立たせる一つの要素でしかなくなる。

 「我々は巨大なシステムの一部であり、それと同時にどうしようもなく個人だ(pp.42-43)」

 これは、小説家志望の水上のセリフだ。

 「すべてを削いでいき、これ以上削ぎ取ることができなくなって、最後に残るもの」「それが座標だ(p.63)」

 これは水上の書いた小説の中のセリフ。(『ニムロッド』と同様に、本作でも、登場人物が書いた小説が挿入されながら物語が進行する。)

 

 システムを最適化することを強いられた僕らは、失敗することを過度に忌避する。社会も失敗した人間を冷淡に扱う。キャリアに「穴が開く」ことを恐れる。受験という競争、就職という戦い。それらに負けることは、直ちに人生の汚点となり、敗者に貶められる。

 僕自身も、こうした考えに、隅々にまで犯されていることを正直に言おう。

 「ううん、そうじゃないの、私が怖いのは試験のことじゃない。大学受験が表すなんやかや。私たちはこれから何度も他の人と比べられて、選ばれたり捨てられたりしなければならないのよね、そういうのってぞっとしない?これが終わっても、次は就職、結婚、出産、それから……。いやだ、ぞっとする(pp.34-35)」

 これは、震災で亡くなる前の美希子が、予備校時代主人公に語ったセリフだ。

 

 こういう社会に、SNSというツールが加わることで、(それともこういう社会ゆえにSNSが誕生したのか、その順序は不明で、まさに「鶏が先か卵が先か」問題だ)、人間を「座標化」する傾向に拍車をかける。

 

 誰かのFacebookにアップされた家族や恋人との写真を見て、いつかの自分の経験のように感じる。別にあれが自分であってもおかしくない、他人の切り取られた人生をみてそう思う。僕というパッケージの中には様々な要素があって、それぞれのパーツはきっと他の誰かと取り換え可能なのだと思う。一応は僕としてパッケージされている包み自体が、いつかほどかれてしまうような気がする。(pp.106) 

 その包みが解かれてしまいば、僕という存在は消えてなくなってしまうかもしれない。

  

 こうしたSNSや計算機、情報通信技術が高度に発展したことで、水上によれば、「惑星全体の思考密度」が上がったのだという。(つまり、ある時空間における思考の絶対量が増えたということか?) そして、「それと建築可能な塔の高さは比例する。(p.122)」

 

 塔というのは、ニムロッドにも通じるモチーフなのだが(ニムロッドというのは旧約聖書バベルの塔を建造する人物の名前だ)、僕は、これは「全知全能の視点」を有する場所の隠喩だと思う。そこには、一つには、AIのような存在、もうひとつには、世界中の人間を見渡すことができる視点という意味が込められているように思う。(もちろん完全な憶測だ。)

 そして、「重力」というのは、それに抗う力のことなのだろうか?? (ともあれ、「重力」は震災の瓦礫の下に埋もれるという震災体験と堅く結びついている概念であることは間違いない。)

 

 僕が一番好きだったのは、最後のいくつかの文だ。主人公田辺と葵は子どもを授かることになったのだが、その子どもの未来へ馳せる思いが、爽快で気持ちがいい。

「どんな風に生まれてくるかもわからない。健康でも病気がちでも、美しくても醜くても、頭が良くても鈍くても、生まれてくることが決まった以上、多くのことは望まない。初期値としてまずは全てを受け入れるしかない。それでも最後には本人が、一生のうちに起きることの幾らかに愛着を感じ、またこの世に生まれなおしてもいいかなと思えるような一生を過ごせればいい、少しでもその助けになるような、そんな名前が付けられればいい。(p149)」

 

 小説は、ここで終わる。

 大江健三郎の『個人的な体験』を彷彿とさせるようなラストなような気もする。

 

時間があってもなくても、上田岳弘作品は全部読む予定だ。

 

塔と重力

塔と重力

 

 

 

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小野正嗣『九年前の祈り』を読みました。

 

 本書には表題作のほか、3つの短編、芥川賞受賞スピーチが収録されているが、ここでは「九年前の祈り」に絞って、感想を記したいと思う。

 

 小野正嗣「九年前の祈り」は、第152回芥川賞受賞作だ。

 なんとも不思議な小説だった。

 しかしその不思議さということと同時に、読み手としての未成熟さを痛感させられ、「文学」というものの中には、まだまだ知らないことが多いことを強く感じさせられた作品だった。

 

 タイトルに「九年前」という言葉があることからも容易に推測できるが、本作では「時間」の扱いに細心の注意が払われ、様々な工夫が施されている。

 

具体的には、物語の語りの順序が時系列順にはなっておらず、一本の基準となる出来事の連続の中で、さまざまな過去の時点の物語が回想される形で進んで行く(と思われる)。

 

 amazonのレビューの中で誰かが用いていた言葉を借りると、それはまさに「折り紙」のようで、いろいろな時間が織り込まれ、重なれらながら一つの小説という作品を創っているということもできそうだ。

さらにいえば、折り紙は、前の折り目が、新しい折り目と同時に重ねられていくことで形をつくっていく。

この小説でも、単に時間順に回想が進むというわけでもなく、過去の時間が再び回想され直されたりしながら、非常に複雑な時間構造を備えているということもできるだろう。

 

 エンタメにしばしば見られるような明瞭な「起承転結」のストーリー展開にはなっていない本作の語りでは、突如場面が飛び、さらには現実なのか、それとも夢なのかさえもがわからないようなシーンが現れたりと、読者を混乱させるし、実際、僕もなんども自分の読んでいる位置を見失いそうになった。

 

しかし、小説の中には、「起承転結」といった定型的な構造によって語ることのできない物語というのも存在するのも事実だろう。

特に、本作のテーマになっている病気や離婚、死、そして祈りといった重く、厳しい内容を、リーダブルな形にまとめてしまうというのも、少し違うという気もするのだ。

 

だから、必ずしも読みやすいわけではないが、この形には必然性があると、僕は思った。

 

舞台は大分県

35歳のシングルマザーのさなえが、みっちゃん姉の息子が重篤であるとの情報を母親から伝達されたところから、この物語は始まる。

 

そのことを知らされたとき、さなえは、9年前(つまり、さなえが29歳のときに)、元夫のフレデリックと彼の親友のジャック、そしてさなえたちが、カナダに小旅行に行った際に、みっちゃん姉が教会の中で祈りを捧げるというその様子が思い出されたのだった。

 

そして、「みっちゃん姉の息子のところへお見舞にいく」という半日の出来事の中に、この9年間のさまざまな出来事が折重なりながら、語られていくのである。

 

登場する人間は、不思議な人が多い。

そして、(これは一つの特徴と言えると思うが、) 老人がたくさん出てくるのだ。

大分の独特の九州なまりで話す彼/彼女らは、全然僕らと違った考え方をするし、馴染めにくいという感じもなくはないが、同時にコミカルな愛らしさもある。

 

文章も、かなり自由度が高いと思われるものも多い。

例えば、

「大きな陰のなかに深く沈み込んで眠りこける山の草木や家々が見る夢のなかを、それらの夢を縫い合わせる糸となって漁師が進んでいるように見えた。」

といった文など、なかなかチャレンジングな文ではないだろうか。

夢を縫い合わせる糸というのが、何を意味しているのかは、一読したところわからないし、議論の余地があるだろう。

 

受賞会見での話を聞くと、この重篤の息子と作者の兄が重ね合わせられており、(残念ながら、兄は受賞前に亡くなったという) 全体に独特の重みが漂っている。

 

救いようのない不条理に苛まれたとき、絶望のふちに追いやられたとき、僕らに最後に残されるのは、結局「祈り」なのかもしれない。

それは、誰かに言うことができない祈りなのかもしれない。

けれど、祈っているあいだは、そこか真摯で尊い気持ちになれる気がする。

そして、自分の背中を押してくれるものも、祈りなのかもしれない。

 

 

九年前の祈り (講談社文庫)

九年前の祈り (講談社文庫)