yokoken001’s diary

書評を中心に記しています。

川上未映子『ヘヴン』を読みました。

 

 他人をいじめてはならない。暴力を振るってはいけない。

 自分がやられてしたくないことを、相手にしてはならない。

 

本作品は、いじめという主題を通じて、こういった当たり前に「正しい」と信じていることを根本的に問い直し、善悪の根源をもう一度考え直そうとする小説だ。

 

 (以下ネタバレを含みます。)

主人公の「僕」は、クラスメイトからいじめられており、罵詈雑言を浴びせられ、日常的に暴力を受けている。

なぜ彼はいじめられているのか。この点に関して僕は断言はできないけれども、強いて言えば、彼が斜視であることと関係しているのかもしれない。(この問いについては、読者には是非とも考えていただきたいと思う。)

 

主人公はある日、一通の手紙が、自分の筆箱の中に折りたたまれて入っていることに気づく。そして、そこに書かれている通り、夕暮れ時にクジラ公園へ向かうというところから、この物語は始まる。

 

手紙の差出人は、同級生のコジマという女子だった。彼女は、これまで彼がいじめられているのを知っていて、ずっと話がしたかったという。

コジマは、しかし、「普通」のクラスメイトではなかった。

彼女もまた、いじめられている生徒の一人だった。

 

二人はそれ以降、膨大な数の手紙のやりとりをする。(こうした文通文化が今や死んでしまったという事実を思うと、少し寂しい気もする。)  主人公は、コジマからの手紙を辞書のケースにしまって、保管する。

文通においては、自分が送った手紙は、相手にお願いするなどしないかぎり、二度と見ることができない。送りっぱなしだ。そしてそれはまた、相手も同じである。

 

二人は手紙のやり取りをする中で、直接会う約束もし、顔を合わせて話しをする機会も重ねていく。

 

仲良くなるにつれ、話はコジマの家族についての話題に及び、主人公はその暗い過去についてを知る。

なぜ、コジマはいつも汚い格好をしているのか、そしてそれがいじめの原因であるにも関わらず、やめようとしないのか。そうした彼女のある種の意思を、直接聞かされるのだ。

 

一方の主人公は、じぶんはなぜいじめられているのかということについても、コジマからヒントを与えられる。

 

コジマ曰く、僕が斜視であることが、彼らにとっては得体のしれないもの、つまり、本質的に理解できないものであるということがその原因であるというのだ。

彼らはその理解不可能なものを恐れている。だから、それを排除しようといじめを続けることしかできないのだ。

それに対して私たちは、屈服して不登校になってしまうのではなく、学校に通い続けている。いじめには負けてはならない。主人公の目は、コジマの汚れと同じく、自分にとっての大事な「しるし」だ。その目は、自分そのものであると。

そして、僕はコジマに、その目のことが好きだと打ち明けられた。

(※コジマ曰く、目=主人公そのものである。そしてコジマは彼の目が好きだ。故に、彼女は主人公のこと自体が好きだという三段論法が成立し、ここではとりもなおさず、告白が成立していたことになる。)

 

しかし、主人公への暴力は相変わらずやまないどころか、さらにエスカレートしていく。

ある日職員会議で先生たちがいない放課後、主人公は体育館に呼ばれ、そこで「人間サッカー」という、完全な凶悪犯罪に匹敵するおぞましい暴力を受け、大量出血を引き起こす。(コジマは影でその様子を見ており、手当や後始末を手伝う。)

鼻の骨折は奇跡的に免れたものの、主人公は病院に通院することになった。

 

さて、ここから物語の後半が始まる。

 

病院の待合席で、主人公は百瀬という、いじめる側のグループの一人の人物に会う。

彼は勇気を絞って、自分は君たちの日常的ないじめのせいで、眠れないということを言打ち明ける。

 

この百瀬と主人公の長い対話が、この小説で一番重要な箇所であると思う。

 

「君たちは、どうして・・・あんな無意味なことができるんだ。・・・誰であれ、誰かにたいしてこんな暴力をふるう権利はない。」と主人公は主張する。そして、自分がこうした目を選んで生まれてきたわけではない、だから僕の目について何も思わないとは言わないが、放っておいてほしいとも述べる。

 

 

それに対して百瀬は、斜視か斜視じゃないか生まれつき選べないという点で同じだというが、見ての通り、君は斜視で僕は斜視じゃない、全然違うじゃないかと反論する。

さらに、「権利があるから、人って何かをするわけじゃない」のだとも主張する。

また、無意味なことをするなという主張に対しては、「無意味だからいいんじゃないか」と反論し、加えて「君の目が斜視だからとか、そんなのさ、べつに関係ないんだよ。」と言い放つ。

 

百瀬の言葉は続く。

彼は、いじめの対象は別に主人公じゃなくてもいいのだと言う。「たまたまそこに君がいて、たまたま僕たちのムードみたいなもがあって、たまたまそれが一致しただけのことでしかない」と。

百瀬曰く、「たまたま」というのは、この世界の仕組みである。たまたまじゃないことなんてこの世界にはない。全ては偶然だ。君と僕とが居合わせたのも偶然で、その中で生じた欲求という名の「傾向みたいなの」が出てきて、その結果暴力を振るうのだという。

 

主人公は、しかし、「行きたいところへでかけたい」といった欲求と、殴りたいからといって暴力を振るうことは違うのではと問いかける。

 

それに対し、百瀬は、形は違うは原理は同じだと言い返す。

 

さらに、この百瀬の考えに、主人公に納得を求めることさえ、無意味だという。

 

世の中はひとつじゃない。みんなそれぞれ全く異なった世界に生きており、それ故、気に入らないなら、自分でなんとかするしかない。

 

『自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません』というのも嘘だ。みんな自分の都合で物事を考え、自分に都合よく振舞っているだけだ。

 

例えば、自分の娘からだを売る商売をやることに、多くの父親は反対するだろう。しかしそういう父でさえ、そういうビデオを見たり、店に行ったりしている。相手の立場になって考えるのが道理であれば、その女の父親の気持ちがわかるはずだという。だけど、結局は「それとこれとは別」などといって、都合よく解釈しているにすぎない。そういうことを理解できない人間は、自分で世界を切り開くことができない能力が低いやつだ。

 

百瀬の主張をかいつまんで言うと、こんな感じだ。

 

 

 さて、もう一つ、後半には大事なポイントが含まれている。それは、斜視の治療をめぐるやりとりである。

 

整形外科の医師に、その斜視の治療が比較的容易に可能であることを告げられ、主人公は、母親に治療を施すべきかどうかの是非を問いかける。

そして、コジマにも。

 

だが、コジマは、その斜視こそが本人の印であり、それを治しては主人公のアイデンティティが失われると考える。

 

ところが、母親と医者は手術を勧めるのだ。読んでいて「これは?!」と思った言葉を、ここに記しておこう。

 

「目なんて、ただの目だよ。そんなことで大事なものが失われたり損なわれたりなんてしないわよ。残るものはなにしたって残るし、残らないものはなにしたって残らないんだから。(p.303)」これは母親。

 

「斜視であれば、斜視でない目になってみたいと思うのは、べつに悪いことじゃないと思うよ。(…) 人間はふつうにしてたって変わるものだし、その証拠に君の鼻もあんなに腫れていたけれど、いまじゃすっかり治っている。目の手術もそのなかのひとつだって思えばいいんじゃないか。」と医師。

 

最後、彼は手術を行うことを決める。

そして、眼帯を外した瞬間、何もかもが美しく映った。

木の方へ目を向けると、これまで知らなかった葉の重さが、冷たさが、輪郭が、そこには映っており、

泣きながらその美しさの中に立ち尽くすというシーンで、物語は終わる。

 

 

 

いじめに関しては、結局のところ、百瀬の反論が優位になったまま終わっていたが、このラストを見る限り、手術という選択は、かなり肯定されているようにも読める。

 

はたして、この作品は、僕らに何を伝えたかったのだろうか。

 

 

僕は、いじめの問題と、斜視の問題は、別々のものとして考えるべきだと思った。

 

なぜなら、たぶん、いじめられている要因の一つに斜視があるのかもしれないが、それが全てではないと思うからだ。斜視であるからだけでいじめられるというのは想像しづらい。

作品中にはとくに情報はないが、第三者の視点に立ったとき、きっと、主人公がいじめられているのは他にもいくつかの可能性が考えられると思う。例えば、主人公に協調性がないとか、KYだとか、意固地であるとか、、(まあ、それでも本文の会話からは穏やかで優しい人柄がうかがえるのだが、実際にどうなのかは正直なんとも言えないところだ。)

 

だから、考えなければならないのは、百瀬のいじめと斜視との関係を否定する発言以外の反論についてだ。

 

だがその前に、斜視の問題について考えてみたい。

 

これは、斜視に限らず、美容整形だとか、あるいは染髪とか歯の矯正など、何か自分にコンプレックスがあって、そのために外界とうまく交渉できていないと感じている場合、その原因を治療・矯正するといったもう少し広い話まで拡張させられると思う。

 

僕は、もし仮に自分がそれをコンプレックスに思っているのならば、それを自分の印だからといって、その維持にこだわる必要は全くないと思う。

 

それを失ったからといって、自分が自分でなくなるわけではないし、本文でもあるように、人は変わりたいと思うのが普通だ。それはコンプレックスであるかどうかとは別の話だ。

そして、もし外見が劇的に変化して、イケメンになったり可愛くなったのならば、それは元がよかったからだ、ということではないだろうか。

 

人為的なものより、自然なものが良いというのは、そう簡単に結論づけられるものではない。自然的なものと人為的なものは相互作用しながらある形をつくっていくのではないだろうか。

 

 

さて、百瀬の主張の吟味に入ろう。

実は、まだ明確に答えが定まっているわけではないのだが、人は、自分の都合で物事を考え、自分に都合よく振舞っているだけだというのは、確かに真理を言い当てている気がした。

 

売春の例はちょっと極端だと思うが、例えば、「フラれたたら死ぬほど辛い」ということを理解しているのであれば、『自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません』の原理に従えば、死ぬほど辛い思いをさせてはいけない、つまりフってはいけないということになる。しかし、実際の恋愛はそのようには動かない。(だからこそ、つらいことばかりなのだが。)

 

それから、百瀬の発言と直接関係するわけではないが、自分がされたら嫌なことが必ずしも、他人にも同じように嫌なことになるかどうかはわからない。この点についても、原理の正しさは、危うくなってくる。

 

確かに、人は、自分の都合を最優先して、『自分のされたらいやなことは、他人にはしてはいけません』の原理は、普遍的に妥当するルールではないことは事実かもしれない。

 

しかし、だからといって、この原理が無意味になるとは思えないし、なんでも欲求の赴くままに、自由に行動して良いという話にもならないだろう。

 

たぶん百瀬は、性善説性悪説かのどちらに分類できるかというと、おそらく後者になるだろう。

 

人権という概念や、『自分のされたらいやなことは、他人にはしてはいけません』の原理などは全部虚構で、リアルなのは、人間としての欲求だけだ。

そして、それこそが最も恐ろしいものであり、我々は恐ろしい他者から自分で身を守らなければならない。

すこし荒いかもしれないが、百瀬の意見は、このようにパラフレーズすることもできるかもしれない。

 

仮にこのようにまとめることができるならば、僕は百瀬に、「君の考えは確かに正しいかもしれないが、ものすごく疲れるし、エネルギーも、コストもかかるよ。人間は自分が動物であることも俯瞰的に捉えれるわけだし、自然に湧き上がる欲求や、そこから生じる傾向みたいなものついても、ある程度知識を持つことができる。だから、もっとスマートに生きれるような、信頼に満ちた社会を作るように努力することが得策なんじゃないかな。そのためには、権利といった、君には難しいかもしれない概念についても理解しようと努めることが必要だし、みんなが共通に大事だと思えるような価値観を見出して、それについて議論して、認めあうべきだと思う。」と言いたい。

 

単に言葉遊びをしているだけの狭い文学世界ではなく、こうした倫理の根源を問おうとして長編であり、描写に対しては好みが分かれるだろうが、意欲的な作品として評価できると思った。

 

他の作品も読んでみたい。

 

 

ヘヴン (講談社文庫)

ヘヴン (講談社文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter 9(Theodore Arabatzis) “Hidden Entities and Experimrntal Practice: Renewing the Dialogue Between History and Philosophy of Science”,

Chapter 9(Theodore Arabatzis) “Hidden Entities and Experimrntal Practice: Renewing the Dialogue Between History and Philosophy of Science”, Integrating History and Philisolhy of Science, Boston Studies in the Philosophy of Science 263,pp.125-139.

 

第9章では、科学的実在論の議論を通じて、HPSの相互関係の有効性について検討されます。

だいたい、以下のようなことが書かれているはずです。

 

9.1 Introduction(pp.125-126)

  • 科学史・科学哲学の両者の関係における文献の多数は、後者のための前者の重要性を説くといった偏りのあるものだった。

:歴史志向の科学哲学は、歴史を哲学の理論をテストするための経験的材料の倉庫とみなす。

科学史家は、科学哲学の「実用的な価値(pragmatic value)」をしばしば疑ってきた。

:クーンのような哲学志向の歴史家でさえ、科学史における科学哲学の関連性を否定した。

→哲学者が歴史に介入することで、歴史的アクターのカテゴリーに対する鈍感さを引き起こし、実用的価値への疑いはますます深まった。

→哲学的な歴史記述を支持すること≠既存の哲学的立場を歴史記述に持ち込むこと

⇄ある哲学的問題・議論に関わることで、歴史的分析を深めること

→既存のどの哲学的立場においても、歴史資料の複雑性を正当化できない場合、歴史家は新しい哲学的洞察を提案するべき。

  • 著者がこれまで取り組んできた問題
  • 科学的発見に関する問題

:「XがYを発見した」という記述的言明

→「Xによって得られた証拠は、Yの存在を確証(establish)させるのに十分である」という認識的判断を含む。

→「あるものが発見されたときそれは確かに実在する」という実在論的趣がある。

→「発見」を歴史記述のカテゴリーとしても用いる際、歴史家は科学的実在論の問題に足を踏み入れることになる。それゆえ、発見されたものや発見者を同定するには、概念的な分析が要求される。(実在論/反実在論の両方に受け入れられる中立的な立場からなされるべき)

  • 概念の変化と、それを歴史の語りの対象として選択することに関する哲学的問題

:ある科学的概念が流動的であるということは、それらについて一貫した歴史の語りを枠づけることを妨げるように思われる。(cf Skinner)

←歴史記述にとっての哲学の議論の重要性

→本稿では、実験的な実践に関わる哲学的問題や科学的実在論が、「隠れた実在」の来歴の歴史的研究をどのようにして実りあるものにできるかを調べることで、HPSのさらなる統合の可能性を考える。

9.2 Why Use the Term “Hidden Entities”? (pp.127-128)

  • 「観察不可能な実在」や「理論的実在」といったよく知られた語ではなく、「隠れた実在」という語を用いる理由

∵(1)観察可能/観察不可能なものの区別にまつわる問題を回避するため。

マックスウェル:観察可能なものと観察不可能なものとの間にはっきりとした境界線を引くことはできず、それゆえにその区別は、認識論的・存在論的な重要性を持たない。

⇄ファン・フラーセン:その区別を復帰させ、構成的な認識論の中心に据えた。

→この論争を未解決のままにしておく。

  • (2)「理論的実在」という言葉の使用を避ける

∵①それが埋め込まれている理論的枠組みを超越することがないという誤った印象を与えるから

⇄「隠れた実在」=異なった理論(あるいは分野でさえも)の間を行き来するもの

Cf カートライト、ハッキング:隠れた実在の超理論的特性の共時的な次元を強調してきた。

シェーファー、パトナム:超理論的特性の通時的な次元を指摘。(隠れた実在は、たいてい連続した科学理論の対象だった。)

②「理論的実在」:そうした実在の多くは、実験室において調査される実験的な対象であるという事実を軽視する。

実験室=実在の特性についての体系的な理論から導かれる手引きがしばしば存在しない。

  • (3)(本稿が対象とする時期である)19世紀から20世紀において、「隠れた実在」や「目に見えない実在」という言葉は、原子論者/反原子論者といった歴史的アクターのカテゴリーを示すといった利点がある。

原子論者

・ヘルツ:『機械論原理』(1894年);原子の形状、繋がり、動きは、完全に我々から隠されている。

・ジャン・ペラン:技術的発展によって、目に見える/目に見えないの間の境界線は変化する。

反原子論者

デュエム:現象の背後にある隠れた領域には、認識的にはアクセスできない。

ポアンカレ:科学理論≒heap of ruins piled upon ruins”

科学理論の目的≠物理的現象を引き起こす隠された事物を明らかにすること

→自然は永遠に我々の目から隠れているのであり、それゆえ科学理論の目的は、現実の事物の間の真の関係性を発見することである。

←このように、「隠れた」という語がよく用いられているにも関わらず、その言葉は発見されることを待っている前から存在する(pre-existing)現実を示唆するため、構成主義の時代においては反対にあいそうな口調の言葉である。

⇄”hidden”:形而上学的な論争において中立的な立場を維持しつつ、隠された領域と明らかな領域との間の区別を設けることができる。

 

9.3 A Glance at the Role of Hidden Entities in the History of the Physical Sciences:The Historical Roots of a Philosophical Problem (pp.129-130)

  • 17世紀以来、隠れた実在を仮定することによる現象の説明は、科学の重要な側面であり続けてきた。

Ex 機械論哲学:自然界の構成物は、目に見えないほど微細な粒子による絶え間ない運動である。

デカルト:ネジの形をした粒子を仮定し、磁力を説明

  • 18世紀に入ると、機械論的説明を容易には認めないような現象を機械論的枠組みの中に順応させようとしたことで、隠れた実在は増大した。

Ex 電気力や磁気力を説明するために、遠隔作用する流体(不可秤量流体=imponderable)が仮定された。

→18世紀の終わりまでに、その豊かさが証明され、電気力、磁気力、光、熱、燃焼を調べるための数量的な統一された枠組みを提供することを約束した。

→光を機械論の枠組みに取り込むべく、“発光性”のエーテルが仮定

場の理論:電磁気の過程に光を統合し、光学、電磁気エーテルを特定

  • 19世紀の最後の四半世紀:
  • 機械論の伝統は、もう一つの隠れた実在である原子を過程することで強化された。

原子:気象学や化学の問いに答えるべくドルトンによって提唱

→定比例の法則や倍数比例の法則といった経験的規則を単純化、体系化、説明することを主な目的にした

→熱現象をうまく説明するために、物理学者らによっても支持された

⇄19世紀の間、多くの科学者は原子を必ずしも必要ではない虚構と考えており、その存在論的な地位に関する問いは、留保されていた

→20世紀の初め、ペリンによるブラウン運動の実験により、原子の実在の証拠が示された

→電子、クオークなどの素粒子物理学

  • 隠れた実在はしばしば(いつも?)説明的な目的のために導入されてきた。

→隠れた実在の周辺に、理論的・実験的な実践の全体領域が構築されてきた。

⇄実験的に成功してきたにも関わらず、のちに誤りであることが分かったものがいくつかある。(フロギストン、カロリック、エーテルなど) (悲観的帰納法)

→隠れた実在に関する哲学的文献の多くが、科学的実在論に焦点を当ててきた。

←この問題の起源の中には決定不全性がある。(=観察データによっては対立する理論の中から一つの理論を選ぶことはできない)

→隠れた実在を導入し確証させるとなると、さらに混みいった議論になる。

帰納からの一般化→水平方向の決定不全性に直面

現象の下に(underneath)実在を仮定する仮説→垂直方向の決定不全性に直面

 

9.4 Bypassing Underdetermination: Cartwright and Hacking on Entity Realism (pp.130-131)

  • 決定不全性を回避する議論

ハッキング→カートライト :実験的な実践に焦点を当て、その実践において遂行される因果的推論のモードを特定することで、この問いを回避しようとした。

→機器の操作や実験が、ある状況下で、理論の影響を受けない(theory-free)隠れた実在へのアクセスを与えることができる。

Ex ハッキング:隠れた実在は、操作することに成功したとき、仮説的な実在であることをやめる。

”電子を照射することができれば、それは実在する。”

カートライト :そのようによくテストされることで正当化されてきた理論的実在は、科学史においてもめったに棄却されていない。

 

9.5 Problem of Entity Realism: A Role for History of Science (pp.131-133)

→”manipulation of what? problem”「何が操作されているのか」問題

:実証的(?)な原理として、操作可能性を持ち出す前に、操作する対象を特定しなければならない。

⇄対象がどんな類のものか分からない状態で、何かを操作するということはありうる。

Ex 19世紀の最後の四半世紀の陰極線の実験

:19世紀末になって、最初に操作していたものが陰極線ではなく電子であるということがわかった。

→操作可能性それ自体によっては、(例えば)(陰極線ではなくて)電子の存在を確証させることはできない。

=実験の対象(material)を理解することは、実験でなされていることの記述(理論的解釈)の多元性と両立する。

→実験の対象を理解することが理論的解釈を決定することに足りないのだから、「実験において何が操作されているのか」という問いには、実験者によって遂行される実験操作をベースにすることだけでは、答えられない。

→「明白な」実在を操作することと、隠れた実在の存在との間の認識的ギャップは、隠れた世界(hidden world)の表現によってつなぐことができる。

  • 決定不全性の問題に再び帰着

:理論的説明も、実在をベースにした現象の説明も同様に決定不全性に直面する。

⇄カートライト :2つの説明は非対称である。実在をベースにした説明だけは、決定不全性を免れると主張。

=(厳密に制御された実験における)因果的関係が電子の存在を根拠づける。

→同様に満足いく方法で現象を説明できるような代替物が存在しないときにのみ、説明が真であることを推測できる。

ここでの問題=現時点での代替物が存在しないことは代替期間が存在しないということを含意していると思い込んでいる点。

⇄全くことなった実在の存在に基づく、同じ現象の2つ以上の因果的説明を想像することができる。

Ex フロギストン説と酸素をベースにした燃焼の説明

→科学の発展のある段階において、ある現象の因果的説明を一つ以上持たない場合であってさえ、知識の将来の発展は、「思いもよらない代替案」に光を当てるかもしれないのだ。

ハッキング:私の対象実在論のための実験的な議論は、対象の実在を支持する十分条件であるかもしれないが、必要条件ではない。

  • さらなる困難:科学的実践において、操作可能性はときどき(しばしば?)実在を支持する「最善の証拠」でも、「最も有力な証拠」であるとも考えられていない。

→ハッキングは、科学者共同体による決定という側面を見落としている。ハッキングの基準は、実在の存在への支持を明確に決定しない場合でさえも、存在論的なコミットメントを推奨してしまっている。

  • カートライトの因果的推論へを強調も同じ問題に直面する。

:「ラジオメーター内部の気体分子の存在も、接線方向の力も、マックスウェルの羽の回転についての因果的説明を受け入れるからこそ、信じることができる。」

⇄科学者共同体の判断を事前に読んで対処(anticipate)している。

  →実際には、20世紀初頭まで、分子は議論の分かれる存在であり、多くの科学者はマックスウェルによる因果的説明によって、分子を信じるようにはならなかった。

    →問題を過度に単純化することによって、科学者共同体の判断を先取りしてはならない。むしろ、科学哲学者らは多数の理論的・実践的実践へと注意を向けるべきである。←科学史の役割

 

9.6 Towards a Historiographically Adequate Philosophical Attitude (pp.133-134)

  • 科学者が後で誤りであるとわかった実在を熱烈に信じ込んでいた歴史的事実に正当な取り扱いをすることが必要。(ex トムソンのエーテルケルビンの発光性エーテル)

→過去の科学者の理論的、器械的、実験的実践の中に、そしてその仮想的存在の中にどっぷり浸かる(immersing)ことで、彼らの信念の説得性、一貫性、成功を理解することができる。

⇄それらの中に棄却されたものがあるという事実は、我々をその歴史的アクターの存在論的コミットメントから退くきっかけになる。

→世界観(一連の実践)の中への没入と、それに関連した隠れた実在への信念との間を分ける態度を推奨する。=「存在論的に括弧でくくる態度」(attitude of ontological bracketing)

 

9.7 Sidestepping the Problem of Realism (pp.134-136)

実在論は現代の科学に対する認識的態度に関わるのに対し、ここでの態度は過去の科学に向ける態度であるから。

実在論の規範的側面を避け、記述的・解釈的性格が支配的な問題に焦点を当てることを目的。

  • (1)規範的な哲学の問題に記述的な問題に相当するものがある。

科学者はいかにして隠れた実在が本物であると確信するようになるのか?

:①理論に関する要素=経験的十全さ、説明力、理論の豊かさ

②実験に関わる要素=異なった実験設備において、隠れた実在の特性が決定される。

  • (2)彼らの表現を構築することにおける実験の役割に関わる問題

デュエムとハンソンの議論

デュエム:隠れた実在は、「効果の配置(constellation of effects)」に関係している.

:異なった複数の効果(電気ならば、化学、熱、光といった様々な効果をもつ

)が、いかにして一つの効果の明示としてまとめられるか。

→さらに、特定の特徴が、いかにしてその実在に帰属させられるのかということを理解することである。

→実験的に生じた現象を隠れた実在に帰属させるとき、科学者にとって関心のある現象の特徴は、問題となっている実在の推定上の特徴や振る舞いに結びつけなければならない。

Ex 19世紀の終わり、実験室で観察された分光学の現象は、頻度、強度、スペクトル線の分裂という3つの顕著な特徴を有していた。

→一度スペクトル線が隠れた実在(=電子)に帰属させられると、それらの特徴は、その実在の特徴や振る舞いとリンクさせられなければならなくなる。

=頻度、強度、線の分裂は、周波数、振幅、電子の振動の方向と相関づけられる。

→電子の表現の表明を導く

Cf 測定の問題

  • 理論は隠れた実在の実験的な調査において決定的なものであるが、実験対象としての実在は、理論的な表現から独立するのかどうかを問う必要がある。

→知識の重要な部分は実験から引き出され、理論から独立する。

∵①自然に関する理論的説明がない状態で、隠れた実在の実験に従事するということがありうるから。(ex 陰極線の実験)

②実験的に決定された隠れた実在の特性は、しばしばとても異なるそれらの理論的表現の中へと統合されるから。(ex トムソン、カウフマン、VIllaarは、各々陰極線の究極的な性質について異なった見解を抱いていたが、質量電荷比の価値については最終的に合意した。)

③隠れた実在の理論的表現が衝突しているからといって、実験的な文脈におけるその同一性に疑問を投げかけるというわけではないから。(ex  20世紀の初め、電子の形状や構造について、いくつかの相反する説明が議論の俎上に上がっていたが、カウフマンのB線の実験は電子の理論的表現の共通の指示物と捉えられ、この問題を決着に導いた。)

 

9.8 Concluding Remarks (pp.136-137)

  • 対象実在論の問題についての哲学的省察は、隠れた実在がいかにして導入され、調査されたのかという歴史的な調査によって多くのものを得た。
  • 隠れた実在の来歴についての歴史的分析は、その存在や、科学的実践における役割についての哲学的省察から利益を得た。

 

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Chapter 8 (Hasok Chang) “Beyond Case-Studies: History as Philosophy”

Chapter 8 (Hasok Chang) “Beyond Case-Studies: History as Philosophy” Intergrating History and Philosophy of Science,Boston Studies in the Philosophy of Science 263, pp109-124.

 

今年の3月に開いた読書会で扱った論文が、秋学期の授業で偶然にも取り上げられた。

このような形で読書会が役に立つとは、思いもしなかった。

この機会に、内容をざっとまとめて、改めてコメントを絞ってみようと思う。

(※英語の読解には不正確な点がある可能性がある。また、要約に網羅性はない。十分に組み尽くせなかった箇所は、省略している箇所もある。)

 

 

8.1事例研究にまつわる問題と、歴史における能動的な哲学の機能

単なるひと握りのケーススタディー(個別研究)から、我々はどういった結論を導くことができるのか? 科学史科学哲学の領域では、便宜的に選択された少数の個別事例に基づいて、性急に哲学的な一般化を行うということがよく行われてきた。しかし、それは、哲学と科学の両方にとって、有害なものであり続けてきた。

哲学サイド;ケーススタディーは、哲学者の中にあらかじめ存在している科学の性質や方法についての偏向を、確かなものにすべく証拠を列挙するという空虚な身振りに結局は終止することになる

歴史サイド;哲学者がケーススタディーのアプローチを通じて、複雑な歴史的事例を過度に単純化してしまうことに失望していた。

ケーススタディーにおける歴史-哲学の関係の性質を明らかにすることを放棄することは、科学史・科学哲学全体の企てにとって、広範な幻滅を導くことになるだろう。

Kuhn:「哲学の理論をテストする土台としての歴史」というLakatos見解に疑義

ラカトシュのいう歴史は、哲学的に捏造された事例だ。

⇄Kuhn:歴史と哲学は別々のゴールを持っており、同時に行うことは不可能。

(歴史は史実のsoftな声を聞くべく、沈黙しなければならないが、哲学はそうではない。)

⇄しかし、哲学と歴史のあいだを自由に往来するような仕事をしたのは、Kuhn自身だったのでは??

→しかし、Kuhnは歴史と哲学の相互作用の方法を明確に示さなかった。

⇄我々はそれなしでは、一方では歴史の事例から不注意な一般化を行うことと、他方で、科学的な過程を理解することなしに完全に「ローカル」な歴史を書くことの間のジレンマを言い渡される。

・この間のジレンマを乗り越えるべく、歴史/哲学の間の「帰納的な」関係といった見方を変える必要がある。

:歴史=個別/哲学=一般

→歴史=具体/哲学=抽象 という見方に変える。

歴史は事例の一般化ではなく、エピソードの表現(articulation)である。

エピソード:一般的なアイデアの例でも個別事例でもなく、それは一般的な概念の具体的な例示(instantiation)である。個々のエピソードは、一般的な概念を強調することに寄与する。

・歴史を語る際に抽象的な概念が必要であるということを聞いて、多くの哲学者は驚かないだろう。

⇄ここでいう新規性は、それとは逆の、「歴史をすることは、哲学をすることを手助けする」という逆の依存関係。

歴史的なエピソードが適切に理解されうるような既存の哲学的概念を持ち合わせていないとき、歴史家は新しい哲学概念を作り出さなければならない。そして、こうした必要性は避けられるべきではなく、むしろ積極的に知的機会に抱擁されるべきである。

 

 

 

8.2 温度測定と、認識的反復Epistemic Iteration

8.2.1 測定の循環性Circularityと信頼性Reliability

・最初に取り上げられるエピソードは、温度測定である。著者は、観察の理論負荷性について考えており、循環論に陥ることなしに、いかにして観察が正当化されるかという問いについて取り組んでいた。

:水銀温度計は、「水銀は、温度上昇に従って斉一にuniformly(あるいは直線的にlinearly)膨張する」ということが推定された理論に依存している。

(ex:水銀満たされたガラス管を氷水に入れ、水銀が達した地点を0とし、続いて沸騰したお湯に入れ、水銀が達した地点を100とする。そして0と100の間の地点を50とする尺度を作る。このとき、温度が正確に50度であるとき、水銀はこの真ん中の50の地点に達するという推定がある。)

⇄それは本当だろうか?

←良識のある物理学者であれば、温度計の中の液体の振る舞いについて、実験によって確かめようとするかもしれない。

:データをとって温度によって水銀の体積の変化をプロットしていき、それが直線になるかどうかを確かめればよいと。

⇄我々はまだ信頼できる温度計を手にしていないのに、どうして温度の正確な値を手にすることができるのか?

この問題は、以下のように定式化される。

(1)Xという量が知りたい。

(2)そのXが直接観察できない場合、もう一つの直接観察可能なYという量から推論する。

(3)この推論のためには、XはYの関数として表現されるという法則を必要とする。

(4)しかし、この関数の形は、経験的には観察されないし、確かめることもできない。なぜなら、それはYとXの両方の価値について知ることに関わるが、Xはまさに我々が測定しようとしている未知の変数だからである。

→著者は、これはthe problem of nomic measurementと呼ぶ(Chang 2004)。

(1)測定という方法を正当化する試みのほぼ全てに関わる問題であり、

(2)明らかな解決策が見当たらない

という問題がある。

⇄にも関わらず、今日の科学者らは、水銀が温度変化にしたがって膨張すること(しかもそれは直線的ではない)を知っている。

→誰かが、いつか、この問題をとかなければならなかった。

→それがどのようになされたかを観察することが歴史である。

←既存の哲学的見解を確かなものにすべく、歴史研究に取り組むのではなく、むしろ未解決の哲学的問いの答えを探すべく、歴史を辿った。

 

 

8.2.2 認識的反復と前進的整合説Progressive Coherentism

・著者は、この袋小路から「認識的反復epistemic iteration」というアイデアによって出ることを試みる。認識的反復という概念によって、問いの中の循環は螺旋のようなものであり、科学者はその中で、まだテストされていない測定方法の妥当性を仮定することで始め、探求のプロセスを始めるのであるが、結局は、最初の仮定自体を、精製し正したところへ再び戻るのである。確かな事実や修正不可能な公理から始めるのではなく、それ自身の改良のために用いられる、不完全な(間違ってすらいるような)知識体系から始める。

 

・認識的反復の概念を発明したことで、温度の歴史をよりsensiblyに捉えられるようになる。最初、人々は、熱い/冷たいという感覚は、高い/低い温度に対応しているという感覚から始まる。そして、物がより熱く/冷たくなるのにつれて膨張したり縮小したりする物質を発見することで、温度計を作った。温度計は、観察可能な温度の範囲を拡張し、ついには人間の感覚よりも精密になる。温度計がより洗練されると、人間の温度に対する認識の権威を温度計に譲ることで、「適切」な感覚を伴うようになる。この種の改良は、数値化された温度計を作ったときに再び起こる。

 

・数値の温度計を作ることで、さらなる反復の改良が導かれる。温度計に使われるあらゆる物質は斉一に膨張するということを信じる疑いのない理由はないが、斉一性を想定した上で、様々な数値温度計が作成され、結局は筋の通った温度計は拒否された。

 

前進的な整合説progressive coherentismについて、著者はそれを図の8.1で比喩的に示される。そこでは基礎づけ主義への幻滅が言及されている。硬い地盤の上に知識を積み重ねていくという伝統的な基礎付け主義者の図像は機能しない。

∵その硬い地盤に相当する物は、経験的な科学には存在しないからである。

我々が記憶にとどめておかなければならないことは、地球は平らではないということだけだ。現実の建築では、我々は平らな地球の上方に建てるのではなく、丸い地球の外側に建てるのである。宇宙には、固定された場所や起伏のある場所などは存在しない。我々が地球の上に建てるのは、それがどこよりも強固であるからではなく、それが広く、他のものを惹きつける密度の高いものであるからであり、我々はたまたまそこに住んでいるのである。

 

8.3 化学革命-多元性Pluralismと実践の体系Systems of Practice

8.3.1 パズルとしての化学革命

・二つ目に取り上げるエピソードは、化学革命である。これは、著者が、講義のため、化学革命についてより詳しく調べるほど、ラヴォワジェの燃焼理論に大多数の化学者らが移行したことの十分な理由は存在しないことを確信するようになったことがきっかけだったという。かつての人々が同意したのは、以下の反応の観察であった。

「活性化した空気+可燃性の空気=水」

一方、ラヴォワジェは、

「酸素+水素=水」

という水の組成の証拠として、これを解釈した。

しかし、これは、水を単一の元素とみなすフロギストン説を反駁するだけの十分なものだろうか?それは違う。

∵(キャベンディッシュやプリーストリーによって進められた)フロギストンに基づいた一貫した別の解釈が存在していたからである。

=「脱フロギストン化された水+フロギストン化された水=水」というもの。

そしてその他にも、2つの理論の間には、経験的に類似した事例がたくさんあった。

→18世紀の後半に化学者らがラヴォワジェへの教義に移行したことをどのように説明すれば良いのか?

著者は、イデオロギーやファッションといった観点から説明することを避ける。なぜなら、当時のcontexual pictureはとても複雑だったからである。哲学者として、維持しなければならない問いは、過去の科学者がした決定は科学的に正当化されたかどうかというものである。

 

・Changは、フロギストン説が、酸素理論に明らかに劣っていることを示す哲学的な基準はないことを詳しく論じた。

:ラヴォワジェ理論がなかった間、フロギストン説が経験的な証拠によって反駁されることはなかった。そして、フロギストン説の支持者がフロギストンに消極的な重きをおかなければならなかったということも真実ではない。また、ラヴォワジェ理論はフロギストン説よりシンプルであったというのも間違いだ。

Ex Andrew Pyle(2000)の研究では、フロギストン説は観察できない余分な物質=フロギストンを想定していたことで、物事を無駄に複雑化していたと主張する。しかし、これは、ラヴォワジェの方も「熱素」という物質を想定していたという事実を見逃している。

 

・Hasok が、HPSでこのテーマについて最良の研究を行ったとみなすAlan Musgrave(1976)

:彼のラカトシュ派の答えは、ふたつの競合するリサーチプログラムの相対的な前進性が決定的であった。化学者が、フロギストン説があたらしい予測に失敗し始めたり、その場しのぎの仮説に依存するようになってきたために、その説を放棄することは合理的である。彼は、1770-1785年の間に、酸素理論は整合的に展開し、それらのあたらしいバージョンは理論的にも経験的にも前進した。一方、1779年以降、フロギストン説はそうはいかなかった。しかし、Musgrave自身が述べているように、ラヴォワジェは失敗したが、プリーストリーは1766年のフロギストン説のバージョンで、偉大な成功を収め、すべての中で最も印象的な実験が1783年の初期に現れた。それは、可燃性の空気の中で熱すると、金属灰は減少するというフロギストン説の支持者の予測を確信させるものだった。

ラカトシュ派の議論を擁護するためには、ラヴォワジェが1783年かそれ以降に真新しい予測に成功したことを見出す必要があるが、Musgraveはそれについて論じていない。ラヴォワジェは、可燃性の空気(水素)が酸化して酸が生じると考えたのだろうか?あるいは、塩化水素が酸素と”muriatic radical”に分解しと予測したのだろうか?

8.3.2 認識的多元性Epistemic Pluralism

・これらの哲学的な失敗に直面したので、私は化学革命を理解するために異なった枠組み、すなわち、認識論的価値観epistemic valuesに基づく理論選択を考えた。

競合する化学者集団は、異なった認識論的価値観を支持していたというものである。

(ex:プリーストリーは、実験室で起こる各々の小さな出来事を説明し、記録する際の完全性を理想ししたのに対し、ラヴォワジェは、cleanでelegantな理論的斉一性を追求した。)クーンが言うように、2つの価値観の間には明らかにトレードオフの関係がある。

→斉一性を追求する際には多くの人がラヴォワジェを支持する一方で、現象のすべての特性や、特異性により強い敬意を払う場合にはプリーストリーに帰する人々がいるということは、理にかなっているのである。そしてどちらの価値観が重要かを決める客観的な基準はない。

 

・ここで止まっていたら、クーンの見解への擁護で終わっていた。しかし、著者の中にはまだ仕事が終わってないという強い感覚が残っていた。Hasokは、プリーストリーのような反対者が、彼らが異なっているがしかしきちんとした価値観を持っていたために反対されたならば、その反対者は許容されるべきだったし、もっといえば、育てられるべきだったと感じるようになったという。もしフロギストン説が固有のメリットを持っていたならば、それが保持されるべきであった。ラヴォワジェの理論が、発展され、採用されるべきだったということではなく、それらはともに生き残るべきであったと主張する。

=化学革命のケーススタディが最終的に導いた多元主義だった。

:それは、複数の理論が保持されるべきだったことを主張し、どんな理論でも良いところと悪いところがあることを主張するだけの相対主義ではない。

 

・そうして、化学革命におけるクーン支持者の結論の含意が、クーンの科学哲学の中心的な想定=単一主義に反していることを見出した。実際、クーンは「通常科学」の状態では、あらゆる所与の学問領域に支配的な一つのパラダイムが存在すると主張した。そして、通常科学が危機の段階に入ると、その支配は変わり、支配的なパラダイムは新パラダイムにとってかわる革命が起こる。そして、新パラダイムは新しい独占支配の時代を享受することになる。ここでは、たとえ勝者が勝つべき疑いの余地がないほどちゃんとした理由が存在しなくても、革命的な闘争においてはあるパラダイム(あるいは他のパラダイム)は、勝たなければならない。

 

8.3.3実践の体系 System of Practice

・もう一つの主要な哲学的なイノベーション=「実践の体系」を採用すること。

「実践の体系」=認められる規則に調和する形で、ある特定の仕方で知識の生産や改善に寄与することを意図された、一貫した一連の身体的・精神的な活動である。

ここでは、科学者が各々の状況で達成しようとしている目標を、我々の視点にとどめておくことが重要である。

自己確認できる目標の存在や操作は、たとえアクター自身に明確に強調されていなくとも、単なる身体的な出来事から区別される行動や活動である。こうした認識的活動のよくある種類は、測定、検知detection、予測、仮説設定などである。

→科学的活動を、こうした活動の集積と考え始めるとき、科学者らが関わっている認識的活動は、本当に多様であることが明らかになる。

・認識的活動は、通常、独立して起こるものではないし、起こるべきでもない。

各々はシステム全体を構築するように、お互いに関係しあいながら実践される傾向にある。科学的な「実践の体系」は、ある目的を達成するための見解に関して示される、一貫した統合された一連の認識的な活動によって形成される。システムが一貫しているということを決めるのは、システムの実践の全体の目的である。

 

 

・ 認識的活動と、実践の体系との間に明確な線引きをすることは困難であり、それは恣意的である。記述の高いレベルと低いレベルとを区別しても、それは単に相対的で、文脈依存型になってしまう。

ex 燃焼による化学物質の組成分析は、バーナーで燃やすことや、他の化学物質を用いた燃焼物質の吸収や、重さを測ることや、パーセンテージの計算といった、より単純な実践を構成している。

→これらの構成している実践自体が、さらに他の実践を構成している。各々の状況の中に、研究しようとする科学の実践の総体があるのだが、私はその物全体を「体系」と呼ぶことを提案する。その体系のより細かいことなった側面について研究することが望まれるときには、その体系を異なった「下位の実践」に分けて分析することができる。

 

・少なくとのアングロフォンの伝統では、科学の哲学的分析は、科学を命題の集積体として捉えるという共通の習慣によって、過度に限定されてきた。そしてそこでは、命題がどれだけ真であるかということや、論理的な整合性などに焦点が置かれる。これは、哲学の分析において、科学の実験や、非言語的、非命題的な側面を見逃してきた。多くの歴史家や社会学者や哲学者がこうした問題を指摘したが、しかし未だに、それにかわる、科学の実践を分析するためのより完全な言語を与えるような明確な枠組みは合意されていない。こうした状況を変えることを試みるべく、まず最初の段階は、科学の理論的次元を無視することなく、科学の理論や理論選択について語ることを超えることである。

 

8.4 結論

・哲学と歴史の相互作用のある特定のモードは以下のように要約される。

既存の哲学的な枠組み

→歴史記述の難題:理解しがたいエピソード

→新しい哲学的枠組みを探す

→その新しい哲学的枠組みの中で、そのエピソードをより理解できるようになる

→その新しい哲学的枠組みが、さらに発展する。

→新しい枠組みをほかのエピソードに適用する。

(そして、これらの仕事において、歴史家と哲学家が同時にそれらを成すような同一人物である場合、このプロセスは最もうまくいく。)

 

・哲学が歴史を手助けするプロセス。

既存の歴史記述historiography

→哲学的難題:推定上の行動putative actionsや、意味をなさない過去の科学者の決定の連続。

→よりより歴史記述を探す。

→哲学的難題が改善される。

→新しい歴史の説明を完全にするための経験的な仕事Empirical work(?)

→その他の関連した歴史に反映される。

 

哲学と歴史との緊張関係があるとき、とがめられるべきは哲学の方だとは限らないということは、気にとめておく必要がある。むしろ歴史と哲学の相互関係が化学革命を理解する上で必要になる。

 

コメント

相対主義は、”anything gose”すなわち「なんでもあり」とする立場に対し、多元主義は、”many things do”つまり「ありなものがたくさん」とする立場である。別の言い方をすれば、相対主義は何が良いのかの判断を留保するのに対し、多元論は何かを良いと認めた上で、その良いとするものが複数あるとする立場である。しかし、Hasokは本稿で、その良いと認める基準を明確には示していないように思われる。少し踏み込んだ読解をすると、Hasokが示した概念である「実践の体系」を用いることで、その基準を設定することができるかもしれない。つまり、科学者がある目標に向かって整合的に認識的活動を営んでいれば、それは良い理論だったと認めることができ、逆に、ある目標に向かって認識的活動が瓦解するような形で、首尾一貫していない場合、それは良い科学理論だったとはいえないと認めるといった具合に、その基準を設けるのである。

・こうした多元主義プラグマティズムはどこが似ていて、どこが違うのだろうか。あるいは、多元主義プラグマティズムの一部なのだろうか。

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ミシェル・ウェルベック『セロトニン』を読みました。

 

 待ちに待った(いや、ものすごく待望していたわけではないのだが、)ウェルベックの最新長編小説『セロトニン』を読み終えた。原著も2019年に出版されているので、パリ在住の関口氏によりかなりスピーディーに翻訳され、日本に輸入されたということになる。

 

 これはディストピア小説ではない。あくまで現実の「この世界」を描いた作品だ。

 

 僕は本書を読んで、主人公と同じく絶望的な気分にならなかったといえば嘘になる。けれど、日本の近代文学私小説などを読んだ後の、孤独で鬱っぽくなる感じはなくて、むしろ「この世界」でさえも、なんとか生きていかなければならないということを痛感させられ、少し元気が出た。

 

 僕は本書を読んで強く感じたことは、彼のデビュー作である『闘争領域の拡大』(1994年)と、作風もテーマも、それほど変わっていないということだ。

 「この世界」に絶望しきった主人公が、何かスキャンダラスな事件を引き起こす。しかし、事は何も解決しないまま、静かに死を迎えるといったディスパレートなシナリオは、本書でも一貫している。

 

 では、その『闘争領域の拡大』から印象的な文章を引用しよう。

「完全に自由な経済システムになると、何割かの人間は大きな富を蓄積し、何割かの人間は失業と貧困から抜け出せない。完全に自由なセックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの毎日を送る。経済の自由化とは、すなわち闘争領域が拡大することである。それはあらゆる世代、あらゆる社会へと拡大していく。同様に、セックスの自由化とは、すなわちその闘争領域が拡大することである。(p126-127)」

 

 グローバル化は、大企業も中小企業も、あらゆるプレイヤーが横一線に並んで、「よーいドン」で一斉に競争させられるゲームを、世界中で繰り広げている。

 けれど、プレイヤーとはつまるところ、人間だ。個々人の格差は看過できないほど大きくなり、「階級」を作り出す。そしてそれは、ライフスタイルを強烈に規定する。

 著者のいう「経済システムの自由化」と並んで、現代社会を条件づけているもう一つの柱は、個人主義とそこから生じる「セックスの自由化」だ。昔に比べて、僕たちは、本当に愛する人と幸せな結婚をすることがはるかに容易になった。しかし、それはロマンチックなことなのだろうか?我々は幸福になったのだろうか? 必ずしもそうではない、というのがここでいう問題だ。

 そして、僕はこれに加えてもう一つ、インターネットやSNSといったネットワーク技術の浸透ということが、現代社会を特徴付ける要素として見逃せない思う。

 そこで、(1)グローバル化と経済の自由化、(2)個人主義と性愛の自由化、(3)SNSなどのネットワークメディア、という3つの観点から、本書を紹介してみたい。

 

1 グローバル化と経済の自由化

 主人公のフロラン・クロードは、フランスの農業食糧省で、主に「ヨーロッパの行政機関に属する交渉担当の議員のためにレポートを作成する」という仕事に従事していた。ちなみに、前職は、グローバル企業の権化ともいうべき悪名高いモンサント社であり、クロード曰く、「遺伝子組み換え作物がなければ、増加する一方の地球上の人口に食料を提供する手段がなくなる。言ってみれば、モンサントか飢饉か、」といった「乱暴で単純な論証」を振りかざしていた。彼はモンサントにうんざりしきって、転職を決めたのだった。また、彼は環境科学生命工学学院というところを出ており、おそらくかなりエリートなキャリアを積んできたと言えるだろう。

 さて、環境科学生命工学学院の同期の唯一の友人であるエムリックとクロードの立場は対照的だ。彼は、何千ヘクタールもの土地を所有する名家の息子であり、そこで農業を営んでいるが、多くのグローバル企業に対抗することができず、絶望している。農業は、毎年何百人もが閉めたり仕事をやめたりしてるが、一人ずつひっそりと姿を消していくため、テレビなどで取り上げられることはない。そこで、彼はマンシュ県の組合長であるフランクらと手を結んで、大規模なストライキを実行することになる。そして、エムリックはストの最中に銃で自殺をする。

 農業食糧省やモンサント社といった「体制」側の人間であるクロードと、反体制側のエムリックやフランクとのやりとりの際に生じる気まずさの描写は興味深い。クロードは、自分の立場を明らかにすることはまずいと承知しているものの、実際には彼自身にもどうすることもできないのだ。

 

2 個人主義と性愛の自由化

 クロードは過去に複数の女性と関係を持っているが、結局、幸せな結婚生活を手にすることはできなかった。

 最初に登場するのは、日本人であるユズという女性だ。彼女とはどうもうまく行っていないという予感が、最初の数ページを読んだだけでも伝わってくる。あるとき、ユズが「乱行パーティー」を通じて、複数の男性と過激な性交渉を行なっていたことを、コンピューターに保存されていた動画を通じて知る。さらに、クロードとはかなり年が離れていたため、彼の死後の人生プランを密かに練っていたということを知ってしまう。これらのことが決定打となって、彼は「蒸発者」となって家出することを決意する。

 女優のクレール、出会った中でもっとも知的な人間であったケイトとのやりとりも描かれるが、やはりクロードにとってもっとも忘れられない女性が、獣医科に所属する学生で、農業地方森林局での研修中に出会ったカミーユだっただろう。

 僕も、カミーユとの生活のシーンではなんども胸がつまるような思いがした。これこそが理想的な青春だと思う節もあった。しかし、結局クロードの浮気によって、二人は引き裂かれてしまった。カミーユはなんの怒りもなく、非難もなく、ただ何時間も泣いていた。クロードは何一つ適切な言葉を思いつくことができなかった。

 彼の同期であるエムリックの場合も、事情は変わらない。ただし、彼の場合、妻のピアニストとの不倫によって破局を迎えることになった。

 

3 ネットワークメディア

 翻訳者の関口氏による解説の中で、ユズの奔放な性生活をコンピュータを通じてしかみることができなかったこと、さらには、カミーユの現在の生活も双眼鏡越しにしかみることができていないという事実に着目し、「クロードは自分を取り巻く社会とのリアルな接触の機会を失っている」のだと指摘する。ちなみに、カミーユの現在の住所や連絡先も、インターネット上の卒業生の名簿にアクセスすることで、間接的に得ている点も注意すべき事実かもしれない。

 またエムリックが農業とは別に経営するバンガローの中は、wifiが繋がらない環境として描かれている点も印象的だ。オンラインの世界に対してオフラインの世界は、世間から外れた場所のように扱われているのだ。

 

 クロードは最終的に、キャプトリクスという抗うつ剤を服用することでしか、自分の精神を安定させることができなくなってしまった。(性欲の喪失という副作用と引き換えに、、、)

 セロトニンは、精神安定をもたらす神経伝達物質のようだが、このタイトルには、感情の機能さえをも物質のレベルに還元し、自由に操作できるようにする一種の科学主義へのアイロニーも含意されているように思われ、なかなか妙なチョイスだとも感じた。

 

 

セロトニン

セロトニン

 

 

 

 

 

 

Chapter10 (Jutta Schickore) ”Scientists’ Methods Accounts: S.Weir Mitchell’s Research on the Venom of Poisonous Snake”

 Chapter10 (Jutta Schickore) ”Scientists’ Methods Accounts: S.Weir Mitchell’s Research on the Venom of Poisonous Snake” Integrating History and Philosophy of science (2012),Boston Studies in the Philosophy of Science 263,pp.141-161.

 

 前回に引き続き、Schickoreの論文レビューを行う。前回では、HPSについての大きな枠組みといったやや概念的なテーマを扱った。それに対して今回は、そういったフレームについての議論を背景にしたケーススタディーが展開される。Schickoreのお手並み拝見といったところだ。(しかし、時期的には、本論文の方が先に発表されている。)

(なお、読解は危ういという自覚はある。その点は加味していただきたい。)

 

 

1 Introduction

・本稿は、科学の実験について扱う論文で必ずしも十分に着目されてこなかった「方法言説(もしくは「方法論議」)(methods accounts)」に注意を向ける。

「方法言説」:

(1)実験を遂行する際に適応すべきルール

(2)それを行うときに遭遇する問題

(3)どのくらい実験者がこれらのルールにしたがっていたかという程度

についての科学者の説明を意味する。

→一見すると、科学者らにとって良い実験の方法とは何かに関する観念や、それがいかに発展してきたかということが、科学史・科学哲学(HPS)の統合にとって重要な問いのように思える。

⇄しかし、従来のHPSの統合は、誤った哲学の分析をベースにしており、不適切であった。

:メタサイエンス(科学の分析)は、暫定的な歴史資料の解釈が、予備的な概念の枠組みを修正し、こうして出てきた成果が、さらに適切な解釈に調停したと思われるまで取り組まれなおすといったダイナミックなプロセスであるべき。

→メタサイエンスは、解釈学的である。

・本論文は、S.Weir Mitchellの蛇毒に関する一連の論文を対象に、その論文の構造、特に実験の方法にまつわる問題をいかにして扱っているかに関心を向ける。

→Peter Galisonのいうところの「論証の技術(Technologies of argumentation)」つまり、受け入れることのできる科学的な議論を構築すべく必要とされる、概念や知的道具立て、手続きなどに関心を向ける。

・Mitchellは、19世紀の生理学以前の従来の方法論を引き継ぎながらも、新しい方法にも着手しており、その意味で転換点にいたということができる。→ケースとして興味深い。

さらに、アメリカにおける実験的な方法をめぐる議論にも関わっている。

 

2 メタサイエンス的分析の多角的視角:科学者による「方法言説」

科学史と科学哲学を、前者がデータを提供するもの、後者がフレームワークを提供するものと捉え、両者を対決させる「対決モデル」は、メタサイエンス的分析に際してミスリーディンングなモデルである。

→解釈学:分析概念は暫定的なものであり、歴史的な反省(吟味、熟考 reflection)によって修正されていくべき。科学の概念や実践、ルールは、それらが歴史的に今日まで発展(変遷)し続けてきたものであるということを注意深く意識するときに初めて、包括的に理解することができる。

→そういった「歴史主義」は、2つのレベルで分析に寄与する。

(1)方法論的、認識論的レベル

(2)科学の概念や実践のレベル

・本論文で議論する「方法言説」

→先行研究でこれが対象になることは稀有。しかし、それらを分析する現存の概念は多様。それゆえ(and)(?)、科学者の見解は理解しづらい。

→方法論的な枠組み、方法の説明に影響する制度的な文脈といったデータ、実験についての伝統、専門分野間での議論なども考慮する必要がある。

まず、(1) Mitchellの仕事の輪郭を描く、次に(2)実験の方法論に関する近年の議論を再確認するという段階から始める。

 

3 出発点1: Mitchellの実験の報告書(report)

・研究対象:ガラガラヘビ→コブラマムシ

・『ガラガラヘビの毒についての研究』(1860年)

:17世紀以来の蛇の毒についての研究と連続的なものだと位置付けている。

←Felice Fontana ( Rediの弟子?)

Mitchellは、theriacという医薬品用に保存されている蛇を用いるのではなく、実験それ自体のために蛇を確保していたため、とらわれの身(in captivity)の蛇たちを仔細に観察することができた。

・分析:(1)毒の物理的・化学的性質について;構成成分の全てが有毒ではないことを明らかに。

(2)毒の特定の器官、生命システム、体液に与える影響;数分以内に呼吸困難に陥らせる急性的効果および、数時間後に血液の変化によって死に至らしめる慢性的な効果があることを明らかに。

1861年の短い論文:Bibron’s Antidoteという解毒剤の機能についての研究

・” Reserch Upon the  Venom of poisons Serpents”(『蛇(たち)の毒についての研究』)(1886)

:多種多様の毒を扱っており、広範囲で複雑な論文。

→二つの毒の成分(1)peptones、(2)三種のglobutin

→それぞれが特定の有毒効果を示すことを明らかに

→さらに、各々の蛇から抽出させる毒が異なった化学組成を示すこと(と人体への影響)も明らかに

→複層的な構造になる。

・Mitchellの父は化学者であり、Mitchell自身の幼い頃から化学に関心があった。

→パリのClaude Bernal(ベルナール)(1813-1878):化学の生理学への応用

→蛇の毒の組成(化学)と、その身体への影響(生理学)の分析は、新規的なものではない。

・Mitchellの実験は、17Cの動植物化学(?)と、テーマもアプローチも似ている。

:テーマ:1830sのアルカロイドの発見を背景に、アルカロイドの有無についての関心

アプローチ:PelletierとFrancoisによって確立されたactive principle(生理学的効果を示す植物性物質)の分離という手法

→その物理/化学的性質とその生理学的効果、さらに原型(抽出前)との効果の比較検討などが可能。

=active principleの分離とその化学的分析、動物への影響ということが、共通の土俵となる構造だった。

・Mitchellの方法

(1)毒の物理/化学的性質の調査

(2)化学組成の調査

(3)体液への効果の調査

→(2):12種類の化学物質と、それらが沈殿物を作るかどうかの視覚的な違いを表にまとめる。

→中心的関心は、それらが構成物なのかどうか?構成物だとしたら、生理学的に効果のある物質を抽出できるかどうかということ。

→抽出成分を、沸騰・フィルター・冷却の過程を通じてどのように得られたかを記述

→鳩の胸に注射→液体部分は致死、固体部分は無害

(さらに液体をアルコール処理すると有毒物質ができることも明らかに)

1886年の論文は、より広範で複雑だけれど、全体の構造は同じ。

→液体部分も構成的であることを明らかに

:peptone (液体部分)/globlin(固体部分=球体)→water-venom,copper-venom,dialysis-venomの三種類

(生理学的分析の部分も基本は同じ。)

 

4 出発点2 方法の説明のための分析概念

・H・Collins ”Changing Order”(1985)

:実験を確証的なものにする中心的な条件は「再現性」であるという従来の見解に批判的

→最も強い「再現性」は、最初の実験と(時間を除いて)全ての側面で同一を示す実験を再び遂行することと、最初の実験と内容だけを共有しているという再現との間の連続性の上に位置していると主張。

⇄もっとも強い「再現性」を引き出すアルゴリズムは存在しない、それはつまるところ社会的に達成されたものである。

←正式な科学哲学への批判、社会構成主義の擁護

・Allan Franklin の批判

“認識論的戦略”=実験を確かなものするための手続きのリストを列挙し、Collinsを批判

 ←これらのリストは、排他的でも徹底的なものでもない。

→再現性とは、実験的確証の必要条件である。(=再現性が担保されないと確証的ではないが、担保されても確証的でない場合がありうる)

→Franklinの眼目は、科学者が科学的な実践を合理的なものであることを実証しようとするときに限って、こうした実験結果を妥当なものにする戦略が用いられるのはなぜかという問いにあって、「個々の科学者がどの戦略を適応するのか」ということ問題にならなかった。

・James Bogen:個々人がどのように戦略を適応するかに注目。

 Collis同様、再現性を担保するフォーマルな基準が存在しないということは認める。

⇄しかしだからといって、再現性の概念を明らかにすることや、その他の方法論的な分析が表面的で無意味だということを意味するわけではない。

異なった形式や目的を持った「再現性」分析的に区別することこそが、科学の方法論に関する哲学的研究にとって重要なのだと主張。

→実験の再現性の三つの種類

(1)手続き上の再現性:目盛りを読み取ること(calibration)、システムエラーを特定すること、ランダムに発生するエラーの範囲を見積もることを目的に行われる。

→完全に同じ結果が出ることを期待していない。

(2)データの再現性:実験的な効果は単なる偶然ではないということを確認することを目的に行われる。

→こちらも完全に同じ結果がでなくても構わない。

(3)効果の再現性:異なった種類のデータから導かれる推論に関わる。そしてそれは、異なった種類の実験から得られる。

→近年では、これこそが認識論的にもっとも妥当性の高い再現性であり、最もつよい確証力を持っているとみなされている。

Bogenは、19世紀の神経科学者Jacksonについての事例研究を、一つの謎でしめくくった。

:テクストに現れている議論は、たった一つの実証的な証拠のみを参照として支持されてきたということができる。それでもない、19世紀の神経科学者にとって、2,3の例のほうが、たった一つの証拠よりかはましだというように思えていたのだ、と述べている。

→さしあたってBogenの議論は本稿に役立つし、重要だ。

∵(1)異なった形式に由来する再現性についての洞察、(2)少ない数の再現性が最も強い確証力を持つように思われるということに関する洞察、(3)再現性は重要だが確証にとってもっとも大事な条件ではないといった洞察があるから。

→さらにいえば、Jacksonは、神経科学者であり(Mitchellはときどき神経科学に首を突っ込んでいた)、Mitchellと同時代に生きた科学者である点も、重要である。

 

5 Mitchellの議論の方法

・Larry Holmesは、1700年前後のパリのアカデミーで出版された化学の論文を分析するさいに、実験報告書の2つの構成要素を区別することを提案

:(1)議論:知識を確実にするために証拠を配列している部分

(2)語り:どういった実験がなされたか、(手続き、事例、結果)についての説明の部分

→この分類に従えば、Mitchelの論文の様式は、語りの方に重心があるということができるかもしれない

⇄Mitchelの論文は、今日の学術論文のように、実験・方法・データ・議論という風に分類されてはいない。梗概が語られるようになっており、推論や結論部分はむしろ撒き散らされている。

→Mitchelの論文で明らかなこと

(1)方法に関する言及は、とても簡潔、手短であること

(2)方法に関連した問題を、異なったやりかたで扱っていること

→蛇の毒についての実験の詳細について言及していることもあれば、実験一般について言及しているところもある。

Ex 1860年の論文では、先入観や事実の偏向を排して、実験結果のみに依存するということを宣言。また、対象の複雑性から、エラーが起こることも予期しなければならないとも。

・こうした宣言は、17世紀の広範にはよく見られることだった。

Ex Redi:肉眼で見えなかったものや、実験の繰り返しによって確定できなければ、その現象を確信しないということを意識した。

=知識についての経験的なテストへのコミットメント(=実験をし尽くす)

・こうした経験主義者の信条は、19世紀中頃の医科学者らにはいわれのないもので、Mitchelの設けた基準は、経験主義のプログラムとの連続性を強調していると思うかもしれない。

→Mitchelは、1850年に医学の勉強を終えると、パリのベルナールのもとにいき、実験ベースの生理学への賛美を共有していた。

→彼は実験主義者であることを強調したかった。

  • ⇄1825年ごろまでのアメリカの医学会ろ、アメリカの生理学の状況を想起すると、別の解釈が可能。

:USでは実験室ベースの生理学は確立されていなかった。

→Mitchelは実験の長い伝統に自分の研究をリンクさせたかった。=医学界に新しい洞察をもたらしたかった。

・「実験的批判」という、良い実験の条件、ガイドラインを作成

(1)解毒剤を用いる際に生じる誤謬:毒の抽出の知識の欠如から生じる

(2)解毒剤についての誤謬:毒による病気の歴史の情報の欠如から

(3)解毒剤についての一般的な考え:誤謬を犯さないための研究の進め方

・→このガイドラインから、いくつかの方法論的基準を引き出す

:たとえ2匹の蛇の形質が似ていても、牙に含まれる毒の量が同じであっても、蛇の噛みつきが同じであることを意味しない。

・統計的な推測もしている。

・方法に関する言明間の違いを分析するために、言明を三種類に分類:

(1)方法論的規則

(2)方法論的反省

(3)方法の言明 (なにこれ、意味わからん!???)

・さらに、Collinsらの分析概念を援用

∵検索のアイテムを示唆してくれ、かつ近年とMitchelの時代の方法論のコントラストを浮き彫りにできる点で有益。

←近年の哲学的な文献においては、効果の再現性が実験から確証を引き出す上で重要だと考えられてきた。しかし、Mitchelは再現性ではなく、反復に重きをおいている。

・近年の議論を踏まえて、Mitchelの論文を捉えるときに大事な視点

(1)効果の再現性は、Mitchelが実験上考えている方法論的な観念の倉庫(repository)ではない。

(2) Mitchelは明らかに「反復」に言及している。

(※コメント:replicationとrepetitionの違いがここでは重要になっている。前者(再現性)は、あくまで他人による再現実験、後者(反復)は、個人で行う反復実験のこと。しかし、反復実験でも、全てのパラメーターが同じであるわけではなく、その程度は再現性と同様に、議論されるべきだろう。)

・17世紀後半:同じ実験から同じ結果がでることが理想的だとされていた。

→偶然性が実験に影響し、結果の不一致が生じても、その中から「正しい」結果を選ぶことが望まれていた。

⇄Mitchelは、結果の不一致に対して、異なったアプローチをする。

:Mitchelは、最初から不一致を予期しており、不一致は避けることのできないものであると考えていた。

→彼は不一致を、

(1)全てのパラメーターをコントロールすることができないことに由来する複雑性

(2)実験物の特性に由来する変動性

とに区別

→許容できる不一致と、できない不一致とを区別し、許容可能なものもののみに由来する結果を抽出した。

・蛇に噛まれると血液に変化がおき、死に至る

→Mitchelは、急性と慢性とを区別し、急性の方では血液の変換が起きず慢性の方はそれが起こるということを明らかにした。

→血液の変換が、急性/慢性の基準になる。

・Mitchelは

(1)凝結が起きるかどうか、(時間がたつと自然に固まってしまうことに注意)

(2)どの成分がどんな効果を持つかについて調査。

→ガラガラ蛇、(何種かの)カエル、(何種かの)小鳥、犬、人間の血液による7つの実験結果を表で示す。

→凝結は一応に起きていない。

・赤血球が変化するかどうかの実験

→赤血球ではなく、血漿(blood plasma)が影響しているのでは。

・繊維素(fibrin)が、血液から消えるのにどれだけの時間がかかるかも調べた。

1886年の論文:毒を与え、心拍数の変化をみる。

→心拍数は、非常に異なる。

→純粋な毒の影響は非常に複雑であることを示唆している。

→心拍数の変化を予測することは不可能であるが、蛇毒が心拍数をあげるという「傾向」は認められる。

→彼らは測定から傾向を少しずつ集めようと(glean)するが、統計的な計算の根拠はない。

・「傾向性」のようなものが推測できるとしても、他の攪乱要因が結果に影響している可能性はある。

Ex 熱

←Mitchelは最初、熱が毒の効果に影響すると推測したが、のちにそれは熱する時に試験管に付着し、量が少なくなったことが要因であり、十分な量の蛇毒を用いて反復実験を行ったところ、通常と同様に死を引き起こすということがわかった。

・こうしたエピソードは、「方法言説」と「妥当性を示す戦略」とを区別する重要性を示している。(Franklinは両者を明確に区別していなかった。)

←Franklinは、確証された理論に基づいた実験器具を用いることを、認知的戦略の一つとしてあげている。

⇄Mitchelの場合、実験器具はブラックボックス化されている。

⇄もちろん実験器具に問題があり、それゆえ、議論の一部となり、蛇毒の効果へ影響したということはありうる。

→このような文脈で、Mitchelは、一連の実験のセッティングの変数を組織化することの重要性を強調している。(=パラメーター・バリエーションを組織化する)

ベンチマークの重要性:例えば化学的に変化した蛇毒の効果を推定するときに、オリジナルの純粋な蛇毒の効果が、変化した蛇毒に対するベンチマークとして機能する。

・以上のように、実験結果の不一致は、最初から予期されるべきものだった。:

(1)偶然的な障害

(2)実験物に由来する変数

(3)実験的パラメータの複雑性

(2),(3)は避けようがないが、(1)は原理的には避けることができる。

・近年の科学哲学者らは再現性に注目し、反復は大部分無視されてきた。

→再現性が重要であるとすれば、それはいつから、なぜそうなったのか?

 

6.Conclusion

・方法言説の研究は、HPSの統合の良い例だろうか?

→方法言説の研究は、多数の分析視角を要求するということが明らかになった。

⇄対決モデは、HPSの性質を十分に捕らえられていない。

→歴史資料の解釈や概念は、あくまで本分析の「結果」である。

←出発点は暫定的であるという点で、この試みは解釈学的である。

・Mitchelは、彼の先人らと同様に、反復実験を重視していた。しかしその一方で彼らと異なり、結果の不一致を避けるべきものとてとらえるのではなく、むしろ最初から期待していた。さらに彼らと異なり、Mitchelは実験結果の多重実現(再現実験のときに示されるようなものか?)を重視していなかった。

 

コメント

・対決モデルではなく解釈学的なHPSは、哲学サイドから見れば確かに歴史的な趣があるだろう。しかし、歴史サイドから見ればこれは哲学的な研究だと思わざるをえない。確かに、本論文が投稿されたのが哲学系の雑誌であることを考慮すれば当然なのかもしれないが、少なくとも体裁上、これを歴史論文とみなすことは難しい。第一に、依拠している一次資料といえば、実質的にMitchelの三つの論文だけであり、伝記的記述については二次文献からの引用にとどめている。したがって、本稿は歴史的事実を多角的な資料に基づき正確に検証するといった配慮に欠けているところがある。第二に、先行研究レビューは、あくまでCollinsらの科学哲学・科学論の議論に触れることはあっても、Mitchelの歴史研究のレビューはなされていない。その点、歴史家は本稿をどのような研究潮流に位置づけることができるか、判断することが難しいと思われる。

・replication再現とrepetition反復は確かに別の概念である。そしてまた、従来の科学論では、前者のみに注意に払ってきたことも事実なのかもしれない。しかし、両者の関係は、別々の独立した概念であるというものではなく、「replication」に 「repetition」が含まれるといった関係なのではないかという気もした。反復をしたからといって、再現性が保証されることはないかもしれない。しかし、再現性の中にはある種の反復実験が含まれるのではないだろうか。

・著者は、対決モデルに対して本稿の方法を解釈学的として、HPSの新しいアプローチを提唱している。その意味するところは、歴史解釈でも科学概念でも、あくまで暫定的なものであり、両者が修正し合うダイナミックな過程こそが、HPSなのだということだろう。しかしよく考えると、果たして対決モデルは、初めから歴史解釈や概念が定まっていると考えているモデルだと断言できるのだろうか?歴史資料の解釈はたえず更新されるというのは歴史学にとっては当たり前のことだし、科学概念も一枚岩ではなく、歴史的に形成されたものだということは、常識的なことではないだろうか。それゆえ、対決モデル/解釈学という図式は、やや恣意的な気もする。

 

 

 

f:id:yokoken001:20191018202841j:plain

https://www.amazon.co.jp/Integrating-History-Philosophy-Science-Prospects/dp/9400738072/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=Integrating+History+and+Philosophy+of+science&qid=1571398166&sr=8-1

 

参考

(1)Mitchellの論文は、コロンビア大学図書館のデジタルアーカイブで閲覧することができます。↓

https://www.biodiversitylibrary.org/item/98606#page/46/mode/1up

 

(2)Ngram Viewerで、"replication"と入力すると、「再現性」という言葉が、1960年代から盛んに用いられるようになっていることがわかります。

books.google.com

 

Jutta Schickore “More Thoughts on HPS: Another 20 Years Later”

Jutta Schickore “More Thoughts on HPS: Another 20 Years Later”Perspective on Science (2011),vol.19,no.4,pp.453-482

 

私の乏しい英語で読んだ限り、以下のことが書かれていると思われます。

(解釈学に関する背景知識を持ち合わせていなかったこともあり、あまり理解することができなかった。残念だ。)

 

 本論文は、 科学史・科学哲学(HPS)の間の議論の歴史を振りかえり、知的探求の上でのその利点や見込みについて議論する。

 

Introduction

・近年HPSの議論が活性化している二つの背景

:(1)1990年代に始まる好ましくない経済状況のため、大学の人文学系の研究予算がカットされ、その存在意義を正当化する必要に迫られるなか、科学史と科学哲学が同盟を組んだという背景

(2)文化史の強調傾向

・1960s-1970sにおけるHPSの状況:規範的な哲学の分析に際して、歴史的な情報が持つ地位について議論

→哲学的分析≒解釈学≠科学理論の構築

・Thoughts on HPS:20 Years Later (1989)

:共通の一貫したアイデア=Confrontation model;HPSを進めるということは、歴史的なデータを哲学的な枠組みと対決させることである。

 

Marriage Counselling (結婚相談)

・20C初頭の論理実証主義は、HPSの統合よりかは、むしろ別離を生み出した。

→1970sに再びHPSが統合したと(普通)理解される。

→しかし事態はより複雑である。

→この時期の議論の的は、科学哲学における「科学の公理的な概念は何か」、というもので、HPSが議論の場の一つになっていた。(CF.科学の線引き問題に近いものか?)

しかし、HPSを具体的にどのようにからみ合わせるべきかということについては、意見がバラバラだった。

・1969年のイリノイ大学におけるシンポジウム

:I.B.Cohen:「歴史の原則(Cannon of History)」を忘却した哲学者を嘆く

⇄Peter Achinsteinの応答

:HPSの統合には、Cohenが主張していること以上のものが含まれている。

→哲学的な分析を遂行するには、哲学者は歴史的調査に訴えなければならない。

∵哲学の概念分析の価値は、その科学の概念が実際に用いられている場所で実証されなければならない。

=過去の概念の理解は、単に歴史の記録を読みとることではない。

→哲学の分析は、解釈学的な探求である。

・同年のミネソタ大学におけるシンポジウム

:Ronald Giereは、多くの論文は、単純化された歴史/素朴な哲学といった調子だと見て、HPSの統合に悲観的であった。

→哲学的思考における歴史の情報の重要性:

(1)理論構築

(2)研究戦略

(3)知識の妥当性

→歴史はこの3つの役割があるが、役割を果たすべきというわけではない。

=”is –ought question”→規範は事実に帰することができない。

→HPSの統合は、便宜的な関係(=政略結婚)にならざるをえない。

⇄Mcmulin:理論の査定に際して、哲学者は歴史的な調査に訴えざるを得ない。

∵論理主義者や非歴史的な哲学者は、哲学的に誤った意識からのみ生じるのであり、よって哲学分析を実践的な文脈で、(歴史的に)反省することは、哲学の自己理解を改善するから

→哲学の役割≠理論構築→解釈学:一時的な(仮の)歴史資料の読み取りと、仮の哲学的概念を徐々に和解させていく。

・Richard Burian :

科学哲学には、すでに歴史的な状況が埋め込まれている。

→科学理論の哲学的な説明は、実際の理論や、哲学の調査の目的のために設計されたものに由来する。

=解釈学的側面の強調

・Dudley Shapere

:科学哲学者の役割は、十分な科学的問いや良き解法のための基準をどのように発展させるべきかを調べること。

・Lorenz Kruger

:(1)哲学は司法権を持たない、哲学はむしろ、現在の科学の批判的な同僚である。

(2)現在の合理性の基準は、歴史的に時間をかけて生成させたものであるから、科学哲学はそういった基準がどういった形で過去に根ざしているかを把握すべく、歴史分析に関与しなければならない。

→これまでの議論で重要な点

1970s年代には、いくつかの問いが危機に瀕した。

:哲学分析の性質=本性、歴史の最善の方法、is-ouhgt problem

→1970sの科学の公理的な基準の未来についての議論の文脈で、際立ったことは、科学哲学はしばしば解釈学の立場を計画したということ。

ラカトシュ:HPSの関係は、科学研究のリサーチ・プログラムという言葉に明確に表れているように、解釈学とは非常に異なっていた。

→1970sの議論では、(HPSの統合というよりは)哲学分析の本性に焦点が当たっていた。

つまり、哲学者は、過去と現在の実際の科学の調査を通じて進められざるを得ないという主張である。

→(1)解釈学、(2)歴史主義版に分類可能

(1)Achinstein、 McMullin 、Burianら

:科学哲学は、他の人文学と似ていて、科学の科学ではない、つまり、科学的な営みではない。

(2)Shaper, Kruger,(再び)Burianら

:何かを理解するということは、それがどのように存在するようになったかを理解するということである。知識を完全に理解するためには、それを歴史化しなければならない。

→HPSの間の関係という言葉で言い表される枠組みを与えられた科学における哲学的反省ん概念は、ミスリードである。

→Confrontation modelへ

 

Laudan’s 1989 Article

・ Thoughts on HPS: 20 Years Later(1989)

VPIの”scientific change”計画の一環

:科学哲学のゴールは、科学進歩の理論の基礎を作ること

⇄解釈学

→検証可能な形で科学の変革をモデル化する

→中立的な語彙、-すべき/—するを区別

LandanにとってのHPS

:科学理論の変革の胴体についての一般的な主張を検証すべく、それらを歴史的データに対決(confront)させる。=照らし合わせる。

科学史の役割は、科学哲学にデータを提供すること。→よくテストさせた理論をつくる

≒科学における理論/実験とよく似た分業

→HPSの分裂

 

The trouble with the Confrontation Model oh HPS

・Laudan論文以降、いくつかの場面で議論の設定がなされるも、単一の議論の継続はなされていない。

→本節では、「データを生産する歴史と、理論を生産する哲学」という「対決モデル」の考えから生じる様々な問題を扱う。

(1)科学史は哲学理論を精査するための正しい種類のデータを提供するものではないのではないか?

:科学史研究は1970s-80s以降、認識的問題よりも、社会史的問題に焦点を当てるようになってきている。=観念の歴史から遠ざかっている。

→こうした傾向は、哲学者にとって有意義なテスト事例を提供するのかは怪しい。

(2)方法論的にも、1980s以降の科学史研究は、個別具体的な事例を深掘りするような作業に没頭するようになってきている。

→哲学と科学史を接合することは難しい。

→「正しい」種類のデータを求めるためには、哲学者自身も、必要なケーススタディーを生み出すべく歴史的な探求に従事すべき。

(3)歴史的データの「理論負荷性

:歴史的なデータは歴史家により再考されるものであるゆえ、知識の純粋な記述は不可能であり、したがって哲学的な主張は歴史的な記録によってテストされ得ない。

∵歴史の記録は、(哲学)理論から独立して存在しないから。

・その後、理論負荷の問題は決着しなかったが、科学の哲学的省察における歴史の事例研究の機能についての議論が交わされた。

:対決モデルでは、歴史は「事例の倉庫」とみなされる

→しかし、事例研究から何を学ぶことができるのか?歴史的事例は、哲学的洞察を示唆はするが、哲学的研究そのものをなすことはできない。

←is-ought problemにも関わる。

:事実から規範を導き出すことはできない。

・Burianは、歴史と哲学の結合は、「トップダウン」か「ボトムアップ」として解釈されると主張。=経験的なデータからの一般化/経験的なデータに対する一般的な主張のテスト

⇄Pitの反論:科学の実践と同様にして、一つの事例から(一つではなく、科学全体についての二、三のエピソードであっても)一般化することは正当化されないのでは?

⇄(1)個別研究は、「特別な科学」の多様性を強調するものである。

(2)ケーススタディーの群は、科学的実践のための探求的な実験法について重要な本性を明らかにすることに役立つ。

HPAからメタサイエンス的分析へ

・科学哲学者は、科学哲学を科学に関する理論であると考えている。

⇄しかしそのモデル自体が間違っている。

∵理論負荷、歴史的データの特権性(認知科学、心理学のデータのほうがよほど役立つのでは)

メタサイエンスが実際の科学を扱うのであれば、解釈学にならざるを得ない。

→事例判断と、分析概念は各々初めは暫定的なものであり、それらをダイナミックに行ったり来たりすることで、両者は調和され、平衡に達する。

トップダウン/ボトムアップモデルも適切ではない

→解釈学は、最初の観念・観点・事例判断がともに扱われ修正されていく手続きである。

 

歴史的視角におけるメタサイエンス的分析

・歴史主義的反省は、二つのレベルで入ることになる

(1)方法論的、認知論的、科学概念・実践の歴史において

(2)メタサイエンス的分析に使用する概念の歴史への反省において

:科学概念、実践、ルールは、それらが歴史的にどのように現在の形に至ったのかに注意を払うことによって初めて包括的に理解することができる。

ex 多重独立検証

:なぜ、いつ、どのような文脈で成功的な実験の必要条件とみなされるようになってきたのかを調査することは、この概念の意味や重要性を理解することを前進させるだろう。

→さらに、科学哲学それ自体に歴史主義的反省を行えば、そこでなぜ歴史が特権的な地位を占めてきたのかもわかる。

 

 

 

コメント

・対決モデルと解釈学を対置して論じているが、そのように綺麗に二分できるものなのか。

対決モデルでは、解釈の余地は全くないのだろうか。

・哲学者が歴史的データを扱う場合の理論負荷性の問題が議論されていたが、歴史にはそうした理論負荷の問題の他に、歴史資料の取捨選択といったバイアスの問題が存在する。それは、(科学哲学者ではない)歴史プロパーにも内在する「理論負荷的」問題なのではないだろうか?

 

https://www.mitpressjournals.org/doi/10.1162/POSC_a_00049

トマス・クーン(中山茂訳)『科学革命の構造』を読みました。

 

Thomas S. Kuhn “The Structure of Scientific Revolutions”(1962,1970)の邦訳。

 

  1ヶ月くらい(少し盛りました、3週間くらい?)かけて漸く読了した。大変難解で、無限の情報を持ったテクストだ。この類の本は、再読するたびに新たな発見をする書物である。難しい箇所も多々あるが、面白いところも、それに負けずに存在する。

 

 クーンのパラダイム論の導入としては、野家啓一パラダイムとか何か』(講談社学術文庫)※(1)などがあり、クーンの『構造』がHPSに与えた影響については、前回のレビューで取り上げたGolinski論文※(2)に詳しいので、そちらに譲ることにする。しかし、原文を読むと、クーンの科学革命論として理解されている内容とは少し異なる部分も見えてくる。(例えば「ルール」という用語については普通解説されないように思われる。) 無限の情報をもったテクストというのは、必ずしも簡単に要約できるものではないと思うのだ。とはいえ以下では、具体例をそぎ落とし、なるべく論理展開を追うように、要約する。ただし、理解力の問題もあり、網羅性や信憑性はないことには注意してほしい。あくまで、自分の理解を補強することを目的に書いたものである。 

 

 

 

  第1章は、「歴史には寓話や年代記以上のものが含まれていると観れば、歴史は現在われわれが持っている科学についての像に決定的な変革を生み出しうるだろう。」という有名な文で始まる。普通、科学というのは、教科書に書いてあるような事実、理論、方法の群であると考えられる。そして、科学者はその特定の群に、ある要素を付加しようとする人間だと思われる。もしそうであるならば、科学史家の仕事は、誰がいつ事実、法則、理論を発明し、それらの障壁となった迷信を記し説明する、ということになる。こうした見方は、いわば「累積による発展」という科学観に立脚している。しかし、科学史家は研究を深めれば深めるほど、実際にはそうではないことがわかってきた。というのも、誰がいつ「酸素」を発見したか、「エネルギー保存則」を発見したかといった問いに答えるのは、ますます困難になり、過去の「科学的」要素と、「迷信」としって片付けられてしまったこととの区別が難しくなってくるからである。過去に捨てられた理論も原則として非科学的でないとなれば、「累積による発展」という科学観には、懐疑が呈されなければならない。ここで、科学論の新しい歴史方法が求められる。それは、「現在の水準に対する昔の科学の永久不変の貢献度を求めるかわりに、その時代における科学の歴史的な実態を示す」というものだ。本書は、こうした方法で、科学の像を描くことを試みる。

 すると、第一に個人的・歴史的偶然に彩られた恣意的な要素が、ある一時期における科学者集団の所信の形成要素になっているということがわかる。つまり、科学の問題に対する唯一不変の結論を押し付けることができる方法論的決め手はない。

 

  第2章では、「通常科学」という概念について述べられる。「通常科学」は「特定の科学者集団が一定期間、一件の過去の科学的業績を受け入れ、それを基礎として進行させる研究」を意味する。通常科学では、ある教科書があり、それは競合する科学研究を棄て、新しく構成された研究グループに解決すべき問題を提示する。このように認識された科学的業績のことを「パラダイム」という。学生はこのパラダイムを学ぶことで、特定の科学者集団のメンバーになる準備をする。

 パラダイムができ、さらにそのパラダイムが革命を通じて他のパラダイムに移行していくことは、その分野が成熟してきた印である。実際、パラダイムができる以前では、採るべき方法や説明しなければならない現象について、一定の基準がなかった。したがって、ある専門の発展に寄与しそうな事実は、すべて大切であるかのように認知され、それらを無茶苦茶に集めるといった活動が行われる。例えば「自然誌」の中にある情報は、理論にまとめあげるのはあまりにも複雑すぎた。科学の初期の段階で、様々な学派が生じるのは、このためである。

 パラダイムができると、どんな実験が有意義であるか、あるいは二次的であるかの基準ができる。それゆえ、基礎に立ち返って実験を繰り返す必要がなくなる代わりに、さらに正確で突っ込んだ、骨の折れる種類の仕事に取り組むことを可能にする。

 パラダイムが生じると、現場の研究者グループにおいては、古い見解を持ち続ける人々は孤立し、他のグループに移らなければならなくなる。また、パラダイムが受容されることで、専門雑誌の発刊や学会、カリキュラムが形成される。専門雑誌は、ただその研究者の仲間に向けてのみ書かれるのが普通である。それを読むことができるのは、共通のパラダイムを前提とした専門家集団なのである。

 このようなパラダイムがあるということは、科学にユニークな点である。したがって、ある分野を科学と呼ぶためには、それがパラダイムを獲得しているかどうかを基準にすることができる。

 

 第3章では、パラダイムとして受容されたものの上に立った研究の本質や、そのパラダイムを中心に形成された科学者集団に残された問題の特徴について説かれる。

 パラダイムの成功は、初めから特定の未完成の分野に発見されるべき成果を約束することに大いにかかっている。そして、通常科学はこのような約束が実現される過程のことでもある。通常科学の目的には、新しい現象を引き起こすことを含まない。むしろ鋳型に嵌らないものは見落とされる。しかしこうした視野の限定は、科学の発展に本質的なものでもある。というのも、特定の分野に研究を集中させることで、かつてないほど詳細に探求がなされるからである。

 そして、そうしたパラダイムに根ざす研究の焦点は3つあるという。すなわち、事実の測定、事実と理論の調和、理論の整備である。シンクロトロンや電波望遠鏡などの巨大観測装置は、それによって重要な事実を発見することができるとパラダイムが保証しているからである。また理論の整備にとって重要な目標としては、普遍常数の決定や、定量的法則の確立などがある。

 

 続く第4章では、こうした通常科学の営みを「パズル解き」という類比によって説明される。この「パズル解き」という比喩には、2つの意味が込められている。一つ目は、答えが存在することが明白であるという意味である。ガンの治療や、恒久平和の実現といった問題は、答えが見つからないという意味でパズルとはいえない。通常科学では、その結果自体に興味や意味があるわけではない。「よいパズル」の基準は、答えそれ自体に価値があるということではなく、そのパズルにおいて確かに解が存在するということである。二つ目は、正解の性質にもそれを得る道にも一定のルールがあるという意味である。はめ絵をつくるということは、絵をつくることとは違う。各々のピースを使って新しい絵を作ることは確かに独創的であろう。しかし、はめ絵(パズル)には、全部のピースを用い、隙間なく埋めなければならないというルールが存在する。このルールという言葉を、「既成の立場」とか「既成概念」のようなものとして広い意味にとれば、概念や理論、装置、方法論で織り成された強い立場選択が存在するということができ、それゆえ、通常科学はパズル解きになぞらえて説明することができるのである。

 

  第5章では、こうしたルールを体得する上で、パラダイムがそれに先行するということが説かれる。パラダイムの存在には一連のルールの存在を含ませる必要はない。パラダイムあは、それから明確に取り出せる一連の研究のルールに優先して、拘束力を発揮する。

 

 第6章では、事実の発見と理論の発明との間の過程についてのメカニズムが考察される。酸素の発見を例に取ろう。1774年にプリーストリーは亜酸化窒素の同定に成功し、翌年にはそれをフロギストンが少ない空気(Dephlogisticated air)であるとみなした。また、ラヴォワジェは、1777年に酸化原理を発明し、プリーストリーが受け入れることができなかった酸素燃焼理論を唱えた。この3年間において、酸素は誰によっていつ発見されたということができるだろうか。発見するというのは素朴には「見る」とか「触れる」という意を表すと思われるが、発見とは、存在することの認識=観測的認識と、それが何であるかの認識=概念的認識の両方の認識が現れる過程である。

 この過程をまとめると、まず前もって変則性に気がつくこと、そして観測的認識と概念的認識とが共に起こってくること、最後にその結果、パラダイムとなっているカテゴリーや研究の仕方が変更され、周りから抵抗を受けるようになる、という具合になる。

 

 続いて第7章では、危機から新しい科学理論が出現するためには、変則性を深く認識することがその前提になるということが述べられる。コペルニクスの『天体の回転について』の序文で、彼が受け継いだ天文学の伝統は、今や「化け物を作り上げた」と書いたが、これは、危機状態を表したものである。もちろん通常のテクニカルな謎解きがうまくいかなくなったということが、天文学上の唯一の要素ではなかった。改暦に対する社会的要請、特に年差の問題が解かなければならない逼迫した問題であった。しかし、そうした外的要因は、本書では触れられない。化学革命についても、変則性を深く認識するための素地があった。従来、重さは物質の量の尺度とは必ずしも考えられていなかったが、18世紀には、燃焼によって金属の質量が増加することにうまく答えることができないと認識されるようになった。熱素説はまだ役に立つ道具だと信じられていたが、18世紀の化学のパラダイムは、徐々にそのユニークさを失いつつあった。19世紀の後半の物理学についても言える。「マクスウェル理論にエーテルの抗力を導入する仕事は、ローレンツフィッツジェラルドの仕事をはじめ、輝かしい将来を約束しているかに見えたが、他に難点が出てきて、ついにはある体系の危機的状態の際に現れる、多数の理論の並立という結果になった。」そして、1905年に特殊相対論が出現した。

 

 第8章では、科学者が危機にいかに対処するかについて議論される。科学者は自然が理論に合わないからといってパラダイムを容易に放棄はしない。決定を導く判断は、パラダイムと自然を比較することのほかに、複数のパラダイム同士を比較することも含む。まず、科学者らが反証例を発見した場合、理論を場当たり的にいじくることで対処しようとする。ここでいう反証例というのは、通常科学の内部のパズル解きの問題でもある。つまり、危機というのは、色々なパラダイムの変種を誘発することによって、通常科学のパズルのルールを緩め、最後に新しいパラダイムの出現の道を拓くということができる。危機が共有されることで、通常科学から異常科学への移行が始まるが、そうすることで変則性が多くの科学者らに認知されるようになる。そして、部分的な解決策が多数出現し、分裂状態になる。このように、危機は、パラダイムが色褪せることから始まり、その結果、通常科学のルールが怪しくなっていくのである。

 そして、あらゆる危機は以下の三つの道筋をたどるともいう。第一は、それまでの通常科学がその問題を究極的には扱いうることを示す場合、第二は、自分たちの現状では新しい解答が出てこないと認める場合、そして最後に、新パラダイムが現れ、その受容をめぐって闘いが起こることによって危機が終わる場合である。

 新パラダイムへの移行は、パラダイムの整備の過程における累積的な営みとは大きく異なる。また、異常科学の段階では、非創造的な通常科学とは異なり、思考実験といった哲学的な分析に立ち向かうこともある。さらに、新パラダイムの基本的発明を遂げた人は、非常に若いか、新人かのどちらかであるということも、注目すべき事実である。

 

 

   以上までは、通常科学と変則事項の出現による「危機」について説かれてきたが、以降の第9章からはいよいよ科学革命についての内容に入る。まず9章では、革命という用語を採用する際の、政治革命との類似性について言及される。政治革命でも科学革命でも、既存の機能が悪くなって危機に至るという感覚が前提となっている。さらに、革命は政治制度上の発展に寄与する役割は、革命が部分的に政治外の、制度外の事象であることによっている。

 対立する政治制度の間の選択と同様に、異なるパラダイム間には、両立しない集団生活の流儀の間の選択の問題がある。各集団は、自分のパラダイムを、そのパラダイムの擁護を論じる際に使用するため、循環的になる。よって、パラダイムの選択においては、その関係者の同意ということ以上に高い基準はない。だとすれば、考察すべきことは、科学者社会を構成するグループの中でのみ有効な説得議論の技術ということになる。

 ところで、新パラダイムを受容するために、かならず古いパラダイムを放棄しなければならないだろうか。クーンは、革新を累積的に獲得することはありえないと述べる。なぜなら、累積的な知識の蓄積は、科学者が既存の概念な道具立て解ける問題を選ぶことができるからであって、既存のパラダイムで扱うことのできない問題に遭遇したときには、自然についての既存の所信を破壊しなければならないからである。

 しかし一方で、相対論はニュートンの特殊なケースであると論じるものもいる。つまり、後者は物体の速度が光速より十分に小さい場合の特殊ケースであるという見方である。だが、ここでいうアインシュタインの概念の物理的意味は、同じ名前で示すニュートンの概念の物理的意味と決して一致しない。ニュートンの質量は保存され、アインシュタインの質量はエネルギーに変換できる。この意味で、相対論がニュートン力学から「派生」したと述べることは正確ではない。アインシュタイン力学への以降は、科学者が世界をみる概念体系そものを置き換えているのである。

 ここで注意すべきことは、新しいパラダイムに移行した際に実際に起こったことは、基準の盛衰とは関係なく、ただ新しいパラダイムを採用したから変化が生じただけであるということである。その意味で、科学史とは、科学の本質に対する人間の考え方が成熟していき、洗練されてきいく歴史ではない。

 

   第10章では、そのパラダイムが科学の構成要素であるばかりではなく、自然の構成要素でもあるということが述べられる。(この章は特に難解であったので、理解した箇所をまとめるにとどめておく。)

 パラダイムが変わるということは、全く異なったものの見方に変わるということを意味する。例えば、恒星・彗星といった知覚カテゴリーで天王星を見ていた時代から、1781年以来は惑星としてみるようになったことや、脱フロギストン化された空気を、「酸素」とみるようになったことや、自然落下運動するところの石ころが、繋がれた糸によって矯正された運動をする状態から、等時的に運動する「振り子」とみなすようになったことなどが、そうしたものの見方の変革である。

 ところで、著者は、これは単に解釈が変わったということだけではないのだろうかと問う。クーンは、データは再解釈をし直すほど安定しているわけではないとして、解釈の変化よりももっと広い変化が起きているのだと説く。解釈の変化というのは、むしろ通常科学のパラダイム整備の過程で生じることである。そこでは解釈をし直すことができるほど、データが安定しているからである。

 さらに、前もってよく知られた言語でも、中立的で客観的な言語はない。「惑星」という言葉は、コペルニクスによってその意味を変えられ、天体が以前と違ったようにみなされる世界で役立たせようとした。

 また、一つの同じ操作が異なったパラダイムに当てはめられると、自然の規則性の違った面に対する指標となりうる。

 

 続く第11章では、科学の教科書と啓蒙書、そして哲学的著作の三つを素材に、しばしば科学革命が目立たないことの理由について考察される。これら三つの著作には、既存の問題、データ、理論、書かれた時点で採用されているパラダイムを扱っているという共通点がある。これらは、過去の安定した産物を記録し、現在の通常科学の伝統の基礎を示している。科学の教科書では、パラダイムになっている問題や、その回答に役立つと思われる事にしか触れられず、そうした恣意的な選択の結果、定まった一連の問題に対して、一連の基準に合うように研究が勤しまれてきたかのような描写がなされることになる。しかし、こうした科学の発展を直線的に描こうとする教科書の傾向は、科学の発展の核心部分を隠蔽する

 例えば化学の教科書では、通常、元素概念の起源はロバート・ボイルの仕事に帰せられる。しかし、元素概念は、他の科学概念、研究操作の方法、オアラダイムの応用に結び付けられたときのみ、意味を持ちうる。したがって、彼は元素概念を発明したというよりも、元素の科学操作や科学理論に対する関係を変えることによって、その観念を今までと異なった道具へと変換し、そうすることで化学と化学者の世界を転換させたのである。

 

  第12章 革命の決着では、漸く有名な「共役不可能性」という言葉が登場する。古いパラダイムに決定されるルールや世界観に埋没していない若い研究者は、しばしば、それとは異なる見方で世界をみることを始め、ついには専門家グループ全体を一つの通常科学の伝統を捨てさせるに至る。この要因は一体何だろうか。

 パラダイムの選択に際して、問題・世界・解答に対する基準が一組みしか存在しないならば、決まり切ったやり方でパラダイムが変革する。が、実際にはこうした条件はない。競合するパラダイムの主張者らは、常に少しはお互いに目的がことなっている。革命前と革命後の通常科学の伝統の間に同一の基準で測れないものがある(共役不可能=incommensurability)のだ。第一に、異なるパラダイムの主張者らは、解決しなければならない問題のリストにおいて、一致を見ないことが多い。さらに、新パラダイムが、旧パラダイムから借りてきた要素を全く同じように使うことは稀である。彼らは、異なった世界で仕事をしているのだ。

 ここで重要なのは、ある科学者があるパラダイムから別のパラダイムへと移行するのは、外から強制されることではなく、あくまで改宗の問題であるということだ。こういった改宗が受け入れられる過程を考えるには、科学者間の説得の問題に関わる。例えば、新しいパラダイムは古いパラダイムに比べて定量的に良い精度で問題を解くことができることが示されれば、議論において説得力を持つだろう。あるいは、(これよりかは表に出づらいが、)新理論は旧理論よりも綺麗で、要領がよく、簡潔であるといった個人の良識や美的感覚に訴えることも、説得の一つである。

 こうした主観的な美的配慮が重要になる理由を考えるために、パラダイム論争の性格をもう一度考えてみる。パラダイム候補が示されるとき、解答は未完成のままであることが多い。なぜなら、解答を決める決定的な証拠は、普通、通常科学の中で生まれるからだ。だとすれば、旧パラダイムから新パラダイムへの移行において、そのパズル解きの能力だけが決定的な要因になることはない。すなわち、そこには、今まで解けなかった問題に解こうという研究方向を与えるかといった信念や美的配慮に訴えることが必要になるのだ。これは、必ずしも合理的である必要はなく、もっといえば、正しいものである必要もない。ただし、こうした美的配慮に訴えるからといって、全ての科学者が新パラダイムに移行するわけではない。むしろ神秘的なものに憧れてパラダイムを捨てる人はいない。しかし、単一の論証だけで彼らの全てを改宗させることは不可能で、専門家の大部分の信用を勝ち得るようになるためには、やはりこういった美的配慮が必要なのである。

 

  最後の13章では、科学の進歩について考察される。科学は、芸術や政治理論や哲学と異なって、なぜ着実に前に進んでいるのか。科学以外の分野で進歩を生み出さないと言われるのは、それが対立する学派を多数内包し、お互いが他方の基礎を倒そうとしているからである。それに対して科学の場合は、通常科学の時期に限っていえば、そのような対立は存在しない。そしてそれは、科学者集団の性質と関係している。というのも、個人の創造的な仕事が同業者の内部にだけ向けられ、仲間内のみで評価されるという職業集団は、他に見当たらない。科学者集団は、社会から孤立することで、自分で解けると思う問題に集中できるのである。一方社会科学者は、人種差別の効果や、景気循環の原因といった、その解決が社会的に重要なテーマであるからといってそれらを研究対象にする。しかし、自然科学者にはそうした圧力はかからない。さらにこのことは、科学教育機関の性質によって一層強化される。自然科学を学ぶ学生は、ニュートンやファラデー、アインシュタインシュレーディンガーらの著作を読む必要はない。これらの著作について学生が知りたいことは、もっと簡潔に、厳密に、系統的に、多数の教科書の中で要約されている。パラダイムがあるがゆえに、こうした教科書による教育法が可能になるのであり、パズル解きのための道具立てをより効果的に科学者に提供することが可能なのである。こうして、通常科学の営みは、常に進歩していくことになる。

 ところで、進歩は、異常科学を通じても可能なのであろうか。確かに、新パラダイムへ移行する革命の結果、その勝利が進歩ではなかったということは稀であるかもしれない。しかし、ここでいう進歩というのは、より真理に近づくという意味ではない。それは、科学者集団が、科学のよって解ける問題のリストや、ここの問題解答の精度がますます増進する傾向を保証するとみなすという意味である。つまり、「パラダイムの変化は科学者たちや彼らから学ぶ人たちをしてますます真理に接近せしめる、という観念を表明することも、内に抱くこともわれわれは放棄しなければならない」のだ。 

 

 (以上、本編。)

 

 補章では、初版が出版されてからの7年間に提出された批判に応答することを目的にして書かれている。議論の中心は、「パラダイム」をめぐる問いである。著者はそれが(語法も含めて)異なった様々な意味で用いられていたことを認めた上で、それを、(1)ある集団の成員によって共通して持たれる信念、価値、テクニックなどの全体的構成を示す意味(=社会学的意味)、(2)モデルや例題として使われる具体的なパズル解きを示す意味(=哲学的意味)の2つに分類している。そして、「専門母体(disciplinary matrix)」という概念も新たに提出される。

 第1節では、パラダイムの概念が、科学者集団から切り離されることが望ましいということが述べられる。科学者集団とは、同じテクニカルな文献を消化することで、共通した教育と専門的出発点をもった母体である。彼らは一連の共通した目標に向かい、後継者もその目標に向かって訓練する。その内部では、コンミュニケーションは完全である。こうした集団は、いろいろなレベルで存在する。最もちいさなレベルでは、科学知識やその妥当性を承認する100人くらいの集団がある。そして、パラダイムは、そのようなメンバーが共通に持つところのものである。ところで、集団の構造に関して、(1)新しい通常科学が可能になるのは、単一のパラダイム獲得の結果ではなく「ある種の」それの獲得の結果であること、(2)科学者集団と研究課題の間には必ずしも一対一対応しているわけではないこと、(3)「危機」が革命の絶対的な前提条件ではないことが指摘される。

 次の第二節では、パラダイムに立ち返って、その社会学的意味を再考察する。専門家間のコミュニケーションが容易に可能で、専門家的判断を一致させるように、その集団のメンバーが共通してもっているものは何か。それを本編ではパラダイムと呼んだのだが、その意味の内実は、彼らが共通の一連の理論を共有しているということである。しかし、普通科学哲学でいう理論という言葉は、この意味よりももっと限定的である。そこで、別の言葉として、「専門母体」という概念でこの意味を表す。専門母体の重要な要素としては、(1)「記号的一般化」 、(2)「形而上学パラダイム」、(3)価値、(4)見本例の4つがあると述べられる。

 続く第3,4節では、最後の「見本例」という要素について考察される。見本例があるからこそ、科学者らが事前に学んだ法則や理論に実質的な内容が伴うのである。ところで、彼らは、ある実験的状態に直面して、いかにして力とか、質量とか、加速度といった要素を取る出すのだろうか。それは、その問題をすでに出会った問題と同じようにみなす、つまり、類似関係を掴む方法を身につけているからである。しかし、しばしば全く異なった刺激は全く同じ感覚を生じさせ、逆に同じ刺激が全く異なった感覚を生じさせるということがある。こうした刺激の感覚へ変換は、教育によって条件付けられるものである。これは、マイケル・ポラニーのいう「暗黙の知識」である。またこれは個人の知識ではなく、集団的なものである。

 第5節では、異なるパラダイム間のコミュニケーションの途絶の中である人ができることは、互いに異なった言語集団のメンバーであることを認めた上で、その翻訳者になることであると述べられる。

 第6節では、クーンの立場が相対主義であるという批判に対する応答が展開される。クーンの主張は、新しい理論は、それに先行する理論よりも、自然の様相をよりよく表している、つまり真理にますます接近するから採用されるわけではないというものだった。なぜなら、「真にそこにある」という言葉が何を意味するかわからないからであり、かつ、理論と実体論とその自然における「真の」対応物との適合という観念自体が幻想に思われるからだ。むしろ、彼らは、パズル解きにおける解決能力の上で、新理論を選択するにすぎない。仮にそれを相対主義だとみなしたところで、科学の本質や発展を説明するのに必要なものは何も損なわれない。

 最後の7節では、著者はまず叙述的態度と規範的態度の混合という批判に応答する。彼は、叙述的命題は、当為に対する妥当な根拠を提示するという意味で用いているとする。次に、本書の内容を他分野にも応用できると読み取り、好意的に反応した読者に対しても、批判的コメントが述べられる。というのも、本書ではむしろ科学において際立った特徴があることを論じたからである。科学は他の分野と極めてことなった発展をする。例えば極めて発展した科学においては、対立する学派がない。この点は、他分野とは違う性質である。

 

 

 コメント

パラダイムの形成と専門分化とが密接に関わっているという論点は、言われてみれば確かにそうなのだが、言葉で書かれたものには初めて出会ったので、目から鱗だった。

・確かにパラダイムという言葉が多義的でややこしい。模範的業績なのか、見方や世界観なのか?ただし、ポライニーの『暗黙知の次元』読んだときにも感じたが、こういった意味の広がりが、この言葉が浸透する要因にもなっていたと思われる。(ポライニーの著作中でも、暗黙知ということばははっきりと定義されないまま使用される。)

・科学という言葉で具体的に示されていうのは、物理学と化学のような気がする。生物学や、あるいは経済学のような社会科学の具体例がほとんど皆無なのはどうしてか。

 

文献:トマス・クーン(中山茂訳)『科学革命の構造』(みすず書房、1971年)

 

科学革命の構造

科学革命の構造

 

 

※(1)

 

パラダイムとは何か  クーンの科学史革命  (講談社学術文庫 1879)

パラダイムとは何か クーンの科学史革命 (講談社学術文庫 1879)

 

 ※(2)

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