落合陽一・堀江貴文『10年後の仕事図鑑』を読みました。

 

 人工知能によって、いつ、どんな職業が、どのように、(なぜ)代替されるようになるのか、 また、どんな仕事が新たに生まれるのか?みたいなことの興味があって、本書をよんでみた。

 インターネットやAIといった科学技術の進展によって社会は急速に変化し、21世紀はこれまでの「普通」が、これからの「普通」ではなくなるような激動の時代になっていくという。当然、これまでの働き方の「普通」も、これからの「普通」ではなくなるかもしれない。第2章では、そのような未来においてなくなったり、変わったりするであろう34の仕事が紹介され、続く第3章では、逆に新たに生まれたり、伸びていくであろう12の仕事が紹介される。しかし、読んでみて思ったのは、両者ともにAIを厳密には定義しておらず、コンピュータやロボットと意味が混交している箇所もみられる。だから、僕が最初に気になっていた「AIによって」未来の仕事がどう変わっていくのかという問いには十分答えるものではない。一方見方を変えれば、そもそも特徴量の獲得を自ら行う深層学習を搭載したAIの台頭それ自体には、仕事へのそれほど大きなインパクトはなく、何もAIに限定して議論を進める必要はない、と読み取ることもできると考えることもできる。読み終えた後、今はむしろこの考えに近いスタンスをとるようになったと思う。

 

 さて、タイトルが「仕事図鑑」とあることからもわかるように、本書のメインは2,3章立だろう。そこで、第2章で紹介される職種から、個人的に興味深いと思ったものを紹介して、「それは単純すぎでは」等の突っ込みをしてみたい。

 

 その前に、まず第2章で落合氏が、AI(≒機械)に代替される仕事の判断基準としている基本的な考えを抑えておきたい。落合氏の現代の時代認識は、「あらゆるものに市場原理が働き、働き方が最適化される時代」というもので、別の言い方をすれば、「一人ひとり異なる特性に合わせて、役割が分離し、「専門化」する時代」だという。そして、ここ40-50年間では、「人間対人間」の関係での最適化から、「人間対機械」の関係での最適化へと変化してきたという。そして、その検討材料は「コスト」である。つまり、現在その仕事をしている人に払う給料より、その仕事ができるAIを作るコストの方が大きければ、その仕事は人がすべきということになる。こうした経済的な発想は、僕には馴染みがないものだったが、シンプルで面白いと思った。

 例えば、AIに代替される代表格として、弁護士を挙げているが、それは過去のデータに基づいて判断する仕事が多い弁護士の職務はAIも得意とするということもさることながら、タスクの単純さの割に給料が高いので、AIの代替による最適化がおきやすいといった具合だ。

 他の具体例を紹介すると、機械は嘘をつかないため、営業ロボットは信頼される仕事を行うことができるという診断のもと、これからは「この人なら買ってもいい」と思われるようなお客さんがついている営業職だけが生き残れるようになると予測する。結局必要なのはお金ではなく、信用だというのは本書でもたびたび出てくる言葉だが、そうすると、「この人なら買ってもいい」といった人間に対する信頼関係と、決して嘘をつかない機械に対する信頼関係とは何が違うのだろうといった問いが出てくる。嘘をつかない人はもちろん信頼されるが、それが全てではないだろう。

 それから気になった仕事が、教員だ。本書では、AIを利用すると、個々の生徒に合った個別教育の設計ができるようになり、記述を含んだテストの採点もコンピュータができるようになるが、導入直後は人とのダブルチェックを行うことが予測されるので、コスト上、現段階での導入は難しいとの予測がなされる。これはやや素朴な見方ではないだろうか。教員というのも一枚岩でなく、小学校、中学校、高校、大学に分けて、それぞれの教員の役割を別個に考えるべきだろう。また、学習塾の教員になると変わってくる。個々の生徒に合った個別教育のカリキュラム作成は、学習塾の教員の主な仕事としてならば納得できる。あるいは、進学高の高校教員は全仕事のうち生徒の成績を上げる任務の占める割合は大きいと思うが、小学、中学の教員の仕事は、集団生活における倫理観や規範意識の教育など、もっと重要な仕事があるはずだ。

 また手書き解答の採点業務の機械化も少した止まって考えたい。大学の教員まで含めて、手書きの記述解答の採点が煩雑で「無駄な」仕事かどうかは、その教員の教育スタイルによるところが大きいのではと思う。僕は個別指導塾でアルバイトをしていたことがあるが、生徒が解いてきた手書きの解答を見れば、集中して解いてきたかどうか、あるいは答えを写しているだけかどうか、ある程度の察しがつくし、そこには生徒についての多くの情報が含まれていると思う。それらのチェック作業は機械に代替されるべき無駄なものとは言えないだろう。

 では、研究者はどうだろうか?本書では、研究チームをマネジメントするようなAIができる可能性があると指摘される。アメリカのように研究者の賃金がとても高い国では、研究者の代わりに、研究するAIの開発に賃金を回すという選択肢も考えられるという。したがって、また、ただ研究するだけでなく、いかに社会還元していくかを考え、自ら資金調達できる研究者が望まれるようになるという。自らの研究成果をどう社会に還元できるかを考えることは、AIの議論とは関係なく、とても重要だと思う。しかしそうだとしても、AIが研究職を代替するというのは、個人的には、到底考えられない。生物学専攻の知り合いの方が、確か研究のほとんどは機械的な単純作業で、頭を使って論文に仕立てるのは、ほんの一部だみたいなことを言っていたような気がするが、ひょっとすると、それらの作業の一部は機械に代替される可能性はあるかもしれない。しかし、人間が世界に対してもつ持つ好奇心や、特に人文学系の学問が目指す「価値観」の探求などは、AIなどとは本質的に相容れないような営みだと思う。

 それから、気になったのは翻訳だ。翻訳業も先細っていくに違いなく、「リアルタイムカメラ翻訳」の精度が上がっていくのは、時間の問題だというのが本書の見方。翻訳者として生きていくには、卓越した技術や付加価値、コミュニケーション能力が要求されるようになるという。僕は翻訳という営みを、言語に対する2種類の捉え方から、二つに分けて考えている。(これ自体も特に洗練された考えではなく、簡単なスケッチ程度なものだが、)言語には、コミュニケーション手段と、思考手段の二つの側面があると思う。そして前者として捉えた場合の翻訳業であれば、例えば「リアルタイムカメラ翻訳」みたいなアプリで代替可能だと思う。必要な情報が伝われば、一応コミュニケーションは成立するからだ。しかし、後者としての翻訳は、人間にしかできないと思う。例えば小説の翻訳。小説の中で登場人物がどのように考え、どう行動し、どういった心情に包まれるかを丹念に言語化していく作業は、統計的な言語処理ではなく、やはり作者の思考プロセスをトレースできるような共感力がないと厳しいだろうと思う。思想書の翻訳などはもっと厳しいだろう。

 

 やや抽象的な話になってしまったが、最後に、「あらゆるものに市場原理が働き、働き方が最適化される時代」が本当に良いのか?というラディカルな疑問も投げかける必要もあるだろうと思う。それぞれの能力に応じて適材適所に仕事が最適化され、好きなことをやればそれが仕事になり、社会もうまく回るというのは、仮にそうなるとしても、若干の違和感が残らないとは言えない。

 

 

文献:落合陽一・堀江貴文『10年後の仕事図鑑』(SBクリエイティブ、2018年)

 

10年後の仕事図鑑

10年後の仕事図鑑

 

 

ミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』を読みました。

 

 

『Extension du Domaine de la Lutte』 (1994)の邦訳。ウェルベックの処女作で、長らく手に入りづらい状態が続いていたが、最近文庫化された。平野啓一郎がどこかで推薦していて、ずっと興味があったので、この機会に読んでみた。

 

 主人公の「僕」はソフトウェア会社に勤務する30歳。期せずして地方出張を命じれ、同僚のティスランが、恋愛に対して「痛々しい闘争」を繰り広げる様子を、「観察者」の立場から眺める。そこにはなんらのドラマも、ロマンもない。ティスランの醜悪な奮闘ぶりや、乱れきった性の秩序が、淡々と、ときにアイロニカルに述べられる。「僕」はその社会の仕組みを分析するたびに厭世的になり、不幸を生み出す社会に絶望し、鬱になり、最終的には会社を辞めてしまう。「僕」が導いた結論の一つを引用しよう。

「完全に自由な経済システムになると、何割かの人間は大きな富を蓄積し、何割かの人間は失業と貧困から抜け出せない。完全に自由なセックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの毎日を送る。経済の自由化とは、すなわち闘争領域が拡大することである。それはあらゆる世代、あらゆる社会へと拡大していく。同様に、セックスの自由化とは、すなわちその闘争領域が拡大することである。(p126-127)」

 ティスランは完全な敗者だ。物語の終盤、「僕」はダンスパーティーで、彼にある企てを暴露する。それは、性の闘争領域で「勝利」した素晴らしいカップルをステーキナイフで殺害するという計画だった。彼らは、二人のカップルの後を追い、浜辺に行き着く。そして、ティスランに性行為中の2人に襲いかかるように催促する。しかし、彼は計画を実行することはできなかった。それどころか、美しい体に魅了され「マスをかき」、主人公と最後の会話をする。彼はその夜パリへ向かう途中自動車事故で死亡するのである。

 文学作品として、現実社会の一面を切り取り、哲学的な分析を物語にのせて語るスタイルは面白いし、なかなか日本の作家にはみられない小説だと思う。そして、激しい酩酊の中で「性の闘争」に奮闘する輩を観察することに疲弊する一種の倦怠感や、終盤のうつ病が悪化していく心情の描写などは秀逸で、作家の才能を感じることができる。

 しかし、僕はこの小説を好きにはなれないし、作家の「闘争」という視点にも全く賛同できない。そして、全体的に暗い。暗い小説は好きになれない。文学作品としての価値はともかく、一人の読者として、正直に言うと途中で読むのをやめようかとも思ったし、今このタイミングで読みたい小説では全くなかった。だけど、ウェルベック文学は何か重要な問題を提起し続けているだろうし、他の作品も(時間があれば)読んでみようとは思う。

 

 

追記( 9/18)

 恋愛は確かに戦いだ。但し他人との戦いではなく、自分との戦いだろう。

 

文献:ミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』(河出文庫、2018年)

 

吉岡斉『科学革命の政治学』を読みました。

 

 

 本書は著者の3冊目の単著で、科学社会学の分野では、前作『科学社会学の構想』に続いて書かれた2冊目の作品である。ここでは、『科学文明の暴走過程』で展開されるジャパニーズ・モデル/アメリカン・モデルといった図式の萌芽も見られ、開放系モデルに基づく分析もより詳しめになされていると感じた。本書の表題は「現代科学の社会史」としても良かったのだが、今日の科学界の運営の仕方が「政治的」になっていること、現代科学が政治権力と密接に関わっていることを強調する意図を込めて、「科学革命の政治学」としたという。

 1-3章では、20世紀の核物理と天文学の発展過程を、顕微鏡と望遠鏡という二つの道具に焦点を当てコンパクトにまとめられる。ここでは科学革命に関する具体的な多くの「データ」が提供される。その上で、4章からは、科学研究のシステム構造に関する分析がなされていく。その中ではしばしば1-3章で見てきた具体例に落とし込んで議論が展開される。そして最後の8章は「科学革命とノーベル賞」と題され、ノーベル賞の社会的インパクトの径路は、現代科学という癌細胞に栄養を注入すること、つまり科学者の大群をラットレースに駆り立て、科学研究野放図な増殖を促進することであると考察される。どれも興味深い章だったが、特に重要だと思われる4章と7章を取り上げて、内容をまとめ、さらに限界点などを考えたい。

 

 第4章 科学研究システムの構造では、専門分野を開放系(オープンシステム)、すなわち取り巻く社会との間に活発な「モノ」と「情報」のやり取りをしている「二元論的」システムとみなす視点が導かれる。すると、科学理論よりも科学活動の方が基本的な分析対象となり、また科学研究の基本的な目標が、システムを定常的に維持すること、さらにそれをスケールアップすることであることが一目瞭然となる。なぜなら、科学の世界では一番手のオリジナルな業績だけが学問的に評価され、同一の生産物を定常的に作り続けることは無意味であるからだ。つまり、科学研究システムにおいては、活発さを維持するためにはオリジナルな情報を過去と同じかそれを上回るペースで算出しなければならず、そのために必要な諸資源は時とともに増大する。さらに、過去と同じ分量のアウトプットを生産するためだけでも、実験装置や観測装置を絶えず大規模で精巧なものへと置き換えていかなければならず、単位情報生産量あたりのコストは上昇する傾向にある。開放系を導入するメリットとしては他に、科学研究においては新陳代謝が不可欠だということがわかり、科学活動と外界とがどのようなルートを介して相互作用するかに関する概念的な見取り図を与えてくれるということもある。その一方、開放系モデルは、「通常科学」を対象にしており、革命期に関しては別途の考察を要すること、および個々の科学理論のダイナミクスを十分に表現しにくいといった盲点も存在すると述べられる。後半では、科学活動の「私有化」という現象に注目される。科学の私有化(privatization)とは、具体的ミッションを担うスポンサーが大規模な研究投資をし、それに伴って専門分野の動向に対して大きな影響力を行使するようになる事態を指す。そして、現代科学の自己増殖性と私有化は、排他的にみえて、実際には持ちつ持たれつの関係にあり、両者が関わりあって数々の社会問題を発生させているという。私有化の進展により、科学のパワーのコントロールに役立つ情報の多くが非公開とされているため、野放しなポワーに対して人間社会が潜在的に行使しうる限定された制御能力でさえ、十分に発揮できなくなっている。つまり、現代科学は悪用や過失によってではなく、そのシステム論的な特性の故に、さまざまな社会問題の発生源になっていると指摘する。

 

 第7章 科学革命と国家権力では、まず科学研究の世界では、国家と革命の関係は密接だという事実が確認される。坂田昌一のいう、政治の論理/科学の論理の図式、つまり科学の健全な発展は、科学的要求にのみ従い、科学者自身によって作られた計画に基づいて可能そなるという考えからすると、科学と政治権力が敵対関係にあるような印象を受ける。確かに、ミクロな視点で見れば互いに対立関係にあるが、よりマクロな視点から見れば、一般市民を排除し二者だけをメンバーとする閉鎖的なサークルの中で、財源分配ゲームに熱中しているのだという。そして科学と国家の蜜月関係が生じたのは、WW2以降であり、それを契機にパトロネージからインベストメントへと性質が変わったのだった。また、1930sの科学者らは一致してファシズムを科学の敵とみなし、また多くの場合共産主義にも同じような脅威を感じていた。その例として、ドイツの「アーリア的物理学」キャンペーンが挙げられる。しかし、イデオロギー的理由による科学者の統制は、特に軍事分野において各国でその後も盛んに行われているという。その例として、オッペンハイマー事件が挙げられる。彼は、ロスアラモス原始兵器研究所の所長として、原爆製造に大きな役割を果たし、戦後、AECの一般諮問委員会GACの委員長の要職を務め、アメリ原子力政策に大きな影響力を行使した。しかし、1949年のソ連の原爆実験の成功を受け、トルーマン政権は1950年に水爆計画にゴーサインを出す。そしてAECは54年、オッペンハイマーに国家機密に関与する権限を剥奪する評決を下す。理由としては、(1)過去に共産主義者の知人と度々接触していたこと、

(2)水爆開発に反対の態度をとったことがあると言われる。この事件は、政治権力が国益という大義名分を振りかざし、気にそぐわない科学者らを恣意的に排除したケースとみなされた。しかし、著者によると、オッペンハイマーの実像は大きく異なっていた。第一に、水爆開発を否認した背景には、世界中の反感を招き、アメリカの国益を損なうだろうという配慮と、そうした兵器は当面アメリカの酷寒安全保障にとっては必要無いという判断があった点。第二に、 一般諮問委員会答申の中には、戦術核兵器の開発を強化すべきという項目があった点である。その後、アメリカの水爆開発計画は順調に進められ、1952年には最初の水爆実験に成功した。その後の米ソを中心とする核軍拡競争のポイントとして、以下の2点を挙げる。(1)核弾頭と運搬手段の双方の領域で展開され、それにより核戦力は不可逆的な増強を続けてきた。(2)開発競争をリードしてきたのは、アメリカ(ex ICBMや SDI戦略)であったことである。そしてその背景には、現代科学と現代技術の自己増殖性があると述べられる。

 

文献:吉岡斉『科学革命の政治学』(中公新書、1987年)

 

科学革命の政治学―科学からみた現代史 (中公新書)

科学革命の政治学―科学からみた現代史 (中公新書)

 

 

内田樹・石川康宏『若者よ、マルクスを読もう』を読みました。

 

 内田氏、石川氏との往復書簡形式で、『共産党宣言』、『ユダヤ人問題によせて』、『ヘーゲル法哲学批判序説』『経済学・哲学草稿』、『ドイツ・イデオロギー』のそれぞれの「聞かせどころ」を紹介するといった本。

 内田樹曰く、マルクスを読むというのは、何か「正しいこと」を学ぶための「勉強」ではなく、日常的な思考の枠を超えて「切迫してくるもの」に圧倒される経験で、それはちょうど天才作曲家の音楽を聴いたりするのと同じ経験だと言います。このような書いているくらいなので、内田氏はマルクスのテクストを「精読」するみたいなことにはあまり関心がないようで、石川氏の「真っ向な」解説の後で、内田流のより噛み砕いた形で解釈されるといった構成になっています。確かに、石川氏の解説がマルクス研究者らしい読解だと思いますが、結局何が言いたいのかよくわからないところはあります。それを内田流解釈で、肉感的に分かるように示されるというスタイルになっているので、面白く読めました。

 例えば、『ドイツ・イデオロギー』で解明される「史的唯物論」を、内田氏はこう説明します。根っこから邪悪な人間がいるとして、その人がたまたま老人に席を譲るなどの善行をしたとします。史的唯物論的にはその人は「いい人」ということになる、なぜなら「本当は何者であるか」という本質的な条件は極端な話どうでもよく、その人が「何を生産し、いかに生産するか」によってその人間が決定されるからだ、と。正確には善行は生産ではないというエクスキューズ付きですが、なるほどなあと思いました。(ついでに、そこからさらに話が展開し、「自分のことを善良で有徳な人間であると思い込んでいる人のほうがむしろ卑劣な行為や利己的な行為をすることをためらわない」ことに気づいたといった暴走が始まり、面白いです。) それから「類的存在」を、「公私が文字通り一つになった状態」と解釈している点も面白かったです。

 

文献:内田樹石川康宏『若者よ、マルクスを読もう』(角川ソフィア文庫、2013年)

 

 

吉岡斉『科学文明の暴走過程』を読みました。

 

 

  本書の主題は、「科学技術体制」(=研究開発活動のマクロの推進メカニズム)の構造に関する一般理論の骨子を示すことにあり、科学技術社会学の分野におけるやがて書かれるであろう『資本論』の基本的筋書きを示すものであると書かれている。(実際、その『資本論』に相当する書物がかかれたのかどうかはわからない。) 感想を一言で言うと、もっとはやい段階で読むべきだったということに尽きます。以下では、内容をやや丁寧に追っていきたい。

 

 第1章 科学技術構造学の考え方では、研究開発体制の標準である研究機関の基本モデルである「開放系」モデルが提示される。が、その前に科学技術社会学における基礎概念が整理される。まず、科学技術とは、(1)情報という形で表現される知識・テクニックの体系、(2)自然界に対する人間の認識・製作行為、(3)人間集団が営む社会活動という3つのモメントの複合体であるとした上で、科学技術社会学では(3)の社会制度としてのモメントの分析を主目的とする研究の総称であると定義される。そしてその最も基本的なコンセプトは科学技術の「制度化」である。それは、「研究開発を専門的に行う組織体(システム)が社会に中に作られ、それらは定常的に維持されるようになる状態」と定義される。吉岡の定義は、バナールの「制度化=職業専門化」とする定義よりも広い、より一般的な形で定義したものである。なぜなら、今日の科学者は、伝統的古典的プロフェッションとは大きく異なり、普通の被雇用者と同じ生活を営んでいるからである。制度化は19世紀後半から生じ、20世紀に入ると「体制化」という特有の現象が生じた。続いて、科学技術を、国営科学とコーポレート科学、そして民間科学と分類し、さらに、国営科学を(1)国策科学、(2)公共科学に分ける。国策科学とは、軍が出資する軍事科学と、それ以外の政府機関が出資する戦略科学から成る。そして、公共科学とは、経済的・社会活動のインフラ整備や公共サービスなどの行政目的とした公益科学と、科学技術活動のインフラの整備を目的とするアカデミズム科学から成る。制度化された組織単位で標準的なものは研究機関であるが、それは「開放系」モデルで表現される。それは、資源(ヒト、モノ、カネ)と情報の双方の流れが交錯する二元論的な構造をし、その観点からすると、制度化の本質とは、「研究のために必要なモノと情報を定常的に供給し変換し続ける仕組みがつくられ、その仕組みが十分に高い安定性をもつこと」となる。つまり、システム自体を定常的に維持すること、それを準定常的に拡張することが科学研究の制度的目的なのであり、「真理探究」はあくまでその機能にすぎないことが指摘される。さて、単位情報生産量あたりのコストは一般的にどんどん上昇するゆえ、科学研究システムは強い自己増殖志向をもつことになる。吉岡は、これを「癌細胞」というアナロジーで表現する。ここでは、出資額の成長率成長率もまた大きいことが不可欠であり、これは資本の動特性と類似していると述べられる。つまり、科学も資本も自己増殖を制度目標とする法人組織であり、自己増殖にとっての不可欠の必要条件として、新しい生産物を不断に作り出すか、既成の生産物の生産工程の合理化・効率化を達成しなければならず、不断のイノベーションを推進しなければならないのである。ところで、この開放系モデルには、システム内部の機構において、資源や情報が流れる仕組みである内部構造と、システムと外界とを結びつける機構において、資源および情報が流れる仕組みである連結構造とに分かれ、その2つの複合体としての性質について、体系的な見取り図を立ちえることが科学技術構造学の基本的な課題であると述べられる。つまり、科学技術構造学とは、「科学技術を一種の情報生産システムとみなし、その「開放系」としての構造と動特性とを、社会科学的な視点から体系的に究明するための学問」と定義され、(1)情報と資源のインプット過程における科学と社会の関わりの構造分析、(2)科学活動の基本的ユニット内部での情報・資源変換過程がいかに編成されるかの構造分析、(3)情報と資源のアウトプット過程における科学と社会の関わりの構造分析を行うことがその任務とされる。それは、個々の研究開発ユニットが基本的な構造分析のユニットとするミクロ構造学と、国家単位の科学技術体制を対象とするマクロ構造学に分けられる。科学研究のシステム論的健全さとは、「価値」の高い科学技術情報を大量かつ効率的に生み出すことを意味する。マクロな見地からは、研究機関の接触的な新陳代謝を円滑に行いつつ、研究活動全体の規模を順調に拡大させていくような状態が「健全」である。科学技術は研究当事者の利益のために推進されているため、公益に貢献することは、技術開発の副産物である。したがって一般人にとっては、システム論的に健全な科学は、「歓迎すべきもの」ではない可能性があると指摘する。さて、こうした科学技術構造学の視点からすると、「科学者の社会的責任」は、ここの科学者のモラルの問題ではなく、科学研究システムの制度的構造の問題であることが導かれると言う。「高いモラルは科学者として社会的に尊敬されるための十分条件ではない。」と、筆者は言う。強烈だが、非常に重要な指摘に違いない。

 

 続く第2章では、アカデミズム科学について、詳しく分析される。吉岡は、まず、科学史家に広く共有されている「基本形・変異形図式」の問題点を明らかにするところから始める。それはすなわち、教育界に創設された研究体制(アカデミズム科学)が、科学研究システムの「基本形」をなし、官界・三業界で整備されていった研究体制(国策科学とコーポレート科学)はその「変異形」に当たるとする見方である。それは3つの点で誤りであるという。第一に、アカデミズム科学からマンパワーと知識のストックが供給され、国策・コーポレート科学が生まれたのではなく、正確には、実用的業務に教育界で専門的訓練を受けたマンパワーが進出し、研究専門の組織体が作られることにより、従来のそれが「科学化」されていったという点。第二に、基本形であるアカデミズム科学の制度的目標こそが「健全」なものであるという謝りに陥りやすく、それは相対化されなければならないという点。最後に、すでにアカデミズム科学は現代科学技術全体の中での主流の地位を、国策科学やコーポレート科学に譲っており、アカデミズム科学は傍流なのであるから、それを基本形とすることは大きくバランスを欠くという点である。ここで、筆者は、なぜアカデミズム科学に対して今日の先進国が例外なくかなり巨額の研究費を出資しつづけているのか、そこにいかなる政策合理性が存在するかと問題を立てる。

 アカデミズム科学は、研究機関の運営上のオートノミーが親機関により制度的に保障されており、かつ構成員である個人の行動も自律的であるという「二重のオートノミー」が認められた科学であることが特徴であるという。オートノミーであるというのは、組織体がその内部運営に際して、「資源配分権」、「情報管理権」、「人事権」を独占的に保有し、それらを外部勢力に分与しない状態のことだ。アカデミズム科学においては、情報管理権は、レフェリーシステムを持った地球大の専門学界が掌握しており、資源配分権と人事権は、研究機関と親機関が掌握している。ところで、専門学界はインターナショナルな性格をもつのに対し、研究機関はナショナルな性格をもち、この意味において、科学技術の推進機構は一般に、専門学界と研究機関という互いにかなり性格を異にするに種類の組織単位の「複合体」であるということができる。そして、アカデミズム科学の場合、前者の方が主要な役割を果たしている。すなわち、資源配分権は、専門学界の主要メンバーからなる委員会が決定権を行使し、人事権も専門学界が研究業績の評価の主たる担い手である。しかし、研究機関側の決定権が全面的に譲渡されているわけではない。アカデミズム科学は、財源を全面的に外界に依存せざるを得ないゆえに外界からの干渉を受けやすいのである。まとめると、アカデミズム科学は二重のオートノミーが相当程度許容されてはいるが、それ以外の点ではコーポレート科学と同様の性質をもつとされる。

 さて、アカデミズム科学の性質をここまで分析した上で、いよいよなぜ主要先進国はアカデミズム科学の育成に巨額の予算を投入し続けてきたのかという問いが考察される。それは以下の4つの理由による。第一に、国策・コーポレート科学のインフラとして、相当程度の規模のアカデミズム科学を育成することが不可欠であるという信念を、政府が持ち続けてきたという理由がある。分かりやすくいえば、国策・コーポレート科学は基本的に情報の秘匿を基本とするので、その比率が大きくなっていくと、公開メディアを流れる情報はそれにともない減少することになる。すると、私有化科学は十分に強大な公開情報インフラストラクチャなくしては、発展を大きく阻害されることになる。したがって公開を原則とするアカデミズム科学が、それらを維持するために不可欠になる。第二に、アカデミズム科学者の情報媒介機能を利用して外国のアカデミック研究を無料で入手して、自国につなげるためである。そのためには、自国のアカデミズム科学を育成しておく必要が有る。第三に、人材養成機能と、御用学者集団(=ニュートラルな意味)の養成のために大学という特殊な機関を維持するためである。最後に、アカデミズム科学への出資は、それ自体が官庁の縄張りとしての意味をもつからである。言い方を変えれば、アカデミズム科学への出資の削減は、出資官庁の縄張りの縮小を意味する。以上の理由により、先進国はアカデミズム科学への出資を続けるのだと分析される。

 さて、こうしたアカデミズム科学はラベッツに代表されるように、WW2以降、科学の産業化の進展につれて、学問的に頽落していったと考えられている。こうした「アカデミズム再生論」の問題を、吉岡はこう指摘する。すなわち、(1)アカデミズム科学は科学技術体制の周辺部にあるものであり、国策・コーポレート科学に対する批判論をどう構築するかが、現代科学技術批判の根本問題であるが、それを素通りしてアカデミズム科学の創造性・革命性を唱えても周辺部に対する批判に止まるということ、(2)アカデミズム科学の創造性・革命性が、全社会的に見て好ましい結果をもたらす保障はなく、むしろ、アカデミズム科学の創造性の高揚は、政治経済体制の指導者らが強く求めていることであり、アカデミズム科学再生論はそれと唱和するという指摘である。

 

 第3章では、現代科学技術の暴走メカニズムが明らかにされる。ここで、著者は、「科学技術のフィードバック・モデル」を提示する。それは、「政治経済ユニット(下部構造)は、研究開発ユニット(上部構造)に対して、不断の資源と情報のインプットを投入する。その結果生み出されるアウトプットとしての科学技術情報はただちに政治経済ユニットに還流し、その活動状態を変化させる」というモデルである。重要なことは、研究投資の充実が研究成果の増大をもたらし、それが親機関の維持・発展に大きく貢献し、それに味をしめた親機関が研究投資のさらなる充実を図るという正のフィードバックが形成されるという点だという。したがって、資本を同様、科学技術とは自己増殖する情報の運動体であり、研究開発システムは、情報の自己増殖を主たる目的因とする制度であることが主張される。そして、それを可能にしているのは、近代科学技術に特有な実験的・数量的な方法である。

 

 第4章の前半では、まず、体制構造に関して重要な二つの理想型が提示される。一つはアメリカン・モデルで、いまひとつはジャパニーズ・モデルである。前者は、国家本位、軍事中心、官産独立を特徴とする。最後の官産独立は、政府の営利追求への援助はタブー視されてきたことをいう。一方後者は、産業本位、経済中心、官産協調を特徴とする体制である。これは、自立的なものではなく、米ソ冷戦を基調とする戦後体制の特殊地帯にできた軍事的エアポケットの中で成長してきたものである。WW2終了までの日本の科学技術体制は「軍事中心」「官産協調」だった。それが、敗戦をきっかけに「相転移」した。

 しかし、と筆者は続ける。大事なことは、基本理念は戦中・戦後は本質的に地続きであるということ、すなわち「列強主義テクノナショナリズムイデオロギー」においては、戦後も連続しているのであり、戦後、自らの「浅学無知」を「反省」した日本の科学者らは敗戦とともに軍事技術から産業技術へと「転進」をはかり、そちらで米・英に対するもうひとつの「科学戦」を展開してきたと述べられる。

 さて、政治経済体制のテクノロジー化=科学技術の体制化は、日本においては、大戦勃発を契機に輸入資源が途絶えたことを背景に、1910年代後半に姿を現し始めた。1917年理研1921年東大航空研究所などの例がある。同時に、テクノミリタリズムも出現する。1915年海軍技術本部、1919年陸軍技術本部、陸軍科学研究所、1923年海軍技術研究所設立があげられ、軍事科学技術の研究体制が整備されていった。そして、1920s以降にあらわれた新しい流れとしては、「植民地科学」であり、台湾に研究機関・調査機関が次々と設置し始められる。1930sに入ると、日本の科学技術体制の画期的強化が図られ、1938年以降、体制の充実が急ピッチで進む。38年、企画院が国家総動員法を成立させることでひとつのピークを迎える。企画院は動員のイニシアチブをとっていたと言われるが、実際には陸海軍を始めとする多くの機関がそれぞれ自主的に科学技術動員を進めたと考えられるという。著者はこれらの動きに対し、全体としてのまとまりがなく、一貫したポリシーがなく場当たり的だったゆえ、著しく非効率なものになったと、指摘する。

 

 第5章 現代科学技術批判の哲学では、まず広重理論の意義と限界が考察される。広重科学史は、(1)近代物理学の学説史・思想史と(2)近代科学技術体制史に分かれるが、体制化された科学の異様なあり方を浮き彫りにするための対象枠として、旧アカデミズム科学の学説史・思想史の解明に精魂を傾けたのであり、体制化された現代科学への批判という問題意識を背景に持っていたという意味で、二つの研究は「統一」されていたと評価する。広重理論の問題点は、以下の4つであるという。(1)本格的な構造分析の欠如、(2)科学技術の反人間性に関する理論分析の欠如ならびに、それに起因する科学技術体制変革のビジョンの欠如、(3)近代日本の科学技術に対する敗戦前と敗戦後を串刺しにする統一的な批判の視点の欠如、(4)科学技術体制のライフサイクルへの洞察の欠如である。つまり、広重の主たる関心は、科学技術の発展が軍国主義帝国主義的な政治経済体制の強化過程の不可欠の一貫として進められたことを示すことで、啓蒙主義的な科学技術観を打破することだったのだという。 

 後半では、著者の現代科学技術の変革についてのアイデアが展開される。まず、オルタナティブな科学技術体制に関する構想を、科学技術体制論の枠内で展開することはほとんど無意味であるとする。それは、政治経済体制論の次元において展開されなければならないし、科学技術体制の新しいあり方に関するビジョンは、政治経済体制のビジョンからいわば「演繹」される形をとることになるだろうという。その上で、筆者は、オルタナティブな政治経済体制について体系的な青写真をもっていないが、「社会主義」ビジョンの再構築という発想法で、この問題にアプローチできるのではないかと考える。従来のマルクス主義者が生産力主義の立場をとり、生産力発展を社会主義の主要なメリットの一つとみなしてきたのに対し、筆者は反対に生産力の抑制をオルタナティブ社会主義の主要なメリットの一つであると捉えている。大事な点は、生産力抑制は必ずしも人間的欲求を抑圧するということを意味しないことである。

 

 とここまで途中省略しつつ、ざっくりと要約してみたが、未だ充分な理解に達したとは言えない。そして何より、この論考をどう自分に引きつけるかをしっかり考えなければならない。さしあたって、戦時動員に関して言えば、「日本の科学技術動員の全体像についての鳥瞰図を作成し、また同時に科学技術動員のパフォーマンスと効率性に関して体系的な評価枠組みを作成し、この両者に基づいて日本と諸外国の科学技術動員に関する本格的な比較研究を実施することなくしては、「失敗」を説得的に論証することはできない。」と述べられるが、この大きな観点は常に持ち続けたい。そして、吉岡氏が現代の科学技術体制をどう捉えて、どう変革しようとしていったのかを考えるべく、引き続き読み続けていきたい。

 

追記(9/15)

 

 僕自身が感じた『暴走過程』の限界点についても、少しメモしておきます。まず、開放系モデルについて、「生存と成長」こそが、科学研究の制度的な目標であって、「システムを定常的に維持するだけのためにも、研究費は不断の増額する(p22)」とあります。単位情報生産量あたりのコストは一般的に時とともに上昇するというのは、研究者や親機関の出資者からすれば当然のことかもしれませんが、実際どうなんでしょうか?自己増殖傾向を持ち、癌細胞のように振る舞う研究機関の具体的な姿が、実証的には示されていないので、抽象的なモデルを提示するレベルで終わっている点が一つ限界点としてあるように思いました。そもそも本書自体がやがて書かれるはずだった『資本論』の「基本的筋書き」を示したものである以上、実証的な分析にふみこまなかったのは当然といえば当然ですが、その点はのちに分析されるべきだと思います。歴史研究もそうですが、こうしたSTSの研究においても実証的な分析は重要だと思います。(どんな形でできるかは全くわかりませんが。)

 もう一つは、本書では、研究開発機関を資本とのアナロジーで捉えていると思いますが、本当に単なるアナロジーなのか疑問です。というもの、例えば原発に見られるように、資本制の中に科学技術が取り込まれているとするならば、それはアナロジーではなく、実際に資本主義と科学技術が協働していると見るべきだと思います。この辺りはまだ整理できていないのですが、いずれにせよ、資本主義と科学技術の関係については、もう少し踏み込んだ議論が必要だと感じました。

 

文献:吉岡斉『科学文明の暴走過程』(海鳴社、1991年)

 

科学文明の暴走過程 (叢書:技術文明を考える)

科学文明の暴走過程 (叢書:技術文明を考える)

 

 

福永武彦『死の島』を読みました。

 

 国内で好きな作家を一人挙げろと言われたら、おそらく堀辰雄福永武彦かで迷い、結局福永と答えるだろうと思う。彼の工夫された小説の構築手法もそうだが、それ以上に、明快でありながら、音楽のように優しく流れていく文体がたまらなく好きだ。高校のとき、エロスとアガペーについて教えてくれたのは『愛の試み』だった。大学に入って『草の花』を読んだとき、今まで読みたかった作品にやっと出会えたという気がしたし、『忘却の河』は最も好きな小説の一つだ。その後、『風土』や『海市』といった長編小説も読んで、福永の美しい小説世界を冒険してきたが、『死の島』はまだ読んでいなかった。内容的にも分量的にも、読むのに覚悟がいる作品だった。

 今年は福永武彦の生誕100年で、いくつかの書店で福永武彦のコーナーが設けられているのを見つけた。また最近になって、それまで絶版になっていた小説も復刊されたりしている。小説を読んでいる時間はあまりないけれど、生誕100年という節目の年の夏になんとか読まなければいけないと思い、2週間以上かけてようやく読み終えることができた。

 

 まず、本作品は上下合わせて1000頁ほどの大長編で、原稿用紙換算でおそらく数千枚に達するこの量を、手書きで書き尽くしたという仕事に敬服せざるをえない。そして小説の手法としては、当時としても、そして現在でも前衛的なやり方が様々に使われていている。 

 これほどの長さの長編にも関わらず、物語の主軸は、ある1日の出来事だけを描いている。主要な登場人物も編集者で作家志望の相馬鼎、相見綾子、萌木素子という3人で、いたってシンプルである。そして「現在」の物語に、複数の他者らの「過去」の物語がモザイク状に折重なりながら長大な物語を展開している。さらに、相馬鼎がシベリウスの音楽にモチーフを得て書き進める小説「カロンの艀」、「トゥオネラの白鳥」も挿入され、実際の綾子、素子に彼が描き出す作中人物としてのA、Mが入りまじりながら進んでいく。

 テーマとしては、愛、生と死、芸術といった他の作品にも共通するものに加えて、福永作品には珍しい原爆という問題が扱われている。しかし本当に福永が生涯にわたって書きたかったのはこうした社会的な問題だったのかもしれない。そう思わせるほど、原爆と生の問題が深く探求される。広島に投下された原爆は、人類史上かつて一度もなかった悲劇を生んだ。本作品はまさにそうした原爆によって歪められた生の形式を探求しようとする文学であり、それが一番重要な主題であると思う。

 画家の萌木素子は、8月6日に家族を失い、被爆した自身も背中にケロイドの跡を残し、凄惨な光景を目にした。それは「内部」と題される断片で、一種奇妙なカタカナ語で淡々と語られ、その記憶はフラッシュバックのように突然蘇ってくる。

 8月6日素子は本来死んでいなければならなかったのに、たまたま生き残った。しかし、それはすでに死んでいることと同じだ。過去から未来へ流れる時間も失って、ただグルグルと何度も同じ円環的な時間に捉えられてしまう。「自分の存在の中心がばらばらに砕けて、精神の活動が止まってしまう。記憶喪失みたいになって、周囲にある物の名前さえ忘れる。そういう日常品の意味、例えば煙草なら煙草の意味、茶碗なら茶碗の意味というか価値というかが、分からない。何のためにそういうものが廻りにあるのか、自分とどう関係しているのか、その辺がぼんやりしてくるの」と素子は語る。彼女はそれ以来、「それ」という謎の存在に捉えられ、絵画や愛によって脱却を試みるが、結局叶わなかった。素子は芸術に造詣が深く、洞察に満ちた考えを語り、一見すると靭い女性にさえ見えるが、全場面に通じて巨大な虚無みたいなものを確かに感じる。彼女が心から満面の笑みを見せるシーンは一度もない。

 小説のラストに、「己の書くものは死者を探し求める行為としての文学なのだ、いなそれは死そのものを行為化することなのだ…。」とあるが、それはまさにこの小説自体にも言えることにちがいない。

 ひょっそしたら、福永の作品はすでに忘れられつつあるのかもしれない。確かに現在、綾子や素子といった女性を見出すのは難しいだろう。これほど熱心に芸術について若い男女が語り合うということもないかもしれない。しかし、原爆の記憶ととに、本作品も忘れてはならないだろう。一人でも多くの人に読んでいただきたい傑作である。

 

文献:福永武彦『死の島 上/下』(講談社文芸文庫、2013年)

 

 

死の島 上 (講談社文芸文庫)

死の島 上 (講談社文芸文庫)

 

 

 

死の島 下 (講談社文芸文庫)

死の島 下 (講談社文芸文庫)

 

 

論文review

1 河村豊「旧日本海軍における戦時技術対策の特徴-第二次大戦期の実用レーダーを事例に」『科学史研究』第40巻通号218(2001年)、75-86頁。

 

 本稿では、旧日本海軍のメートル波レーダーの設計、製造、配備の実態を明かにし、日本のレーダーに対するこれまでの評価を再評価することが目的とされる。また実戦配備を可能にした要因として、人材動員や製造対策、量産化向きのレーダー設計について分析される。 

 『昭和産業史』「旧陸海軍需工業」によると、海軍のレーダー製造費は、艦政本部の場合でみると、電気兵器は約6億5千万(12%)で、砲熕の40億(74%)に次いで2位である。また42年に対する44年の電気兵器額の伸び率は5.4倍で、著しく増加している。また『旧陸海軍関係生産額実績調』によると、電波探知機の1944年の生産額は42年度比で約26倍に達しており、レーダーが急テンポで増産されていたことがわかる。終戦後の連合国調査によると、合計36種類あり、実用段階に達したものは改良型を除き11種類であった。海軍のレーダーは1941年から設置が始まり、42年には艦船仮設置に進んだ。陸上設置タイプは、日本4島で167、沖縄に14、朝鮮・中国に7、台湾に24、南方に20の計252箇所に設置されていたという。運用者は、メンテナンス、電測士官、オペレータの三種類に分類できる。メンテナンス要員は、当初は海軍工廠所属の技術士官に割り当てられていたが、設置拡大に伴い逓信省などの従軍文官から増員し、その数は90名だった。電測士官も、兵科士官から兵科予備学生も利用されるようになった。オペレータ要員は、海軍下士官や飛行予科学生などに電測術講習を短期受講させるなどの対策がとられ、終戦までに12713人が要請されたと推定される。

 レーダーの配備拡大の動きは1943年以降である。とられた対策として(1)外部科学者の動員、(2)メートル波レーダーを実戦向け兵器として艦政させるべく、大学工学部・高等工業学校の卒業生を技術士官として採用する、(3)製造用の向上を新設する、(4)人材確保の観点から電測員、電測士官を短期要請する教育組織を設置する、(5)実勢配備に適した特殊レーダーの設計がある。(2)については、開戦時に比べ開戦後の採用数が8倍に増加している。彼らの業務は、基礎研究、設計、試作・設置、修理、教育などがあった。設計・試作は海軍技術研究所で行われ、電波研究部第3科が陸上及び艦船設置レーダーを、第6科が航空機設置レーダーの設計を担った。(3)の製造対策では、海軍工廠の新設と、政府機関による民間電気企業への行政査察実施が大きな役割を果たしたという。レーダー製造用の工廠は沼津海軍工廠であった。また1944年以降は政府係官による民間企業等による創造的な査察活動が始まり、計13回行われた。(4)に関して、電測士官の養成は、横須賀海軍通信学校で行われた。電測士官養成としての電測教育が本格化したのは、第4期兵科予備学生が電測学校に入学した1944年7月以降だという。最後に(5)に関して、設計の面では2つの対策がとられた。一つは対空見張に加え、射撃用・味方識別などの

新機能を拡充し、マグネトロンを利用したセンチ波レーダーの研究も拡大することで、二つ目は開発済みのマイクロ波レーダーを改良して完成度を高め、簡易化・小型化・軽量化を行うことだった。そして戦時中にレーダーの増産を可能にしたのは後者だった。『電波探信儀名称付与標準』によると、11種類のレーダーで改良が行われていたという。1943年以前は性能拡大や用途拡大という方針だったが、43年春以降、簡略化が行われるようになった。そして、仮称三式一号電波探信儀三型という機種が開発された。真空管の数の軽減は、整備上の負担を減らし、故障の発生を防いだ一方で、探知性能を犠牲にし、戦術的効果は著しく低下した。簡易設計の採用は、この時期の日本に見られる固有の特徴だった。資源が不足し、電子部品の性能も低下する中では、高性能レーダーの量産は困難で、簡易設計を行って量産を可能にしたのは当然の対策だったと著者は指摘する。しかし、性能を滴下する方向は、相手側の著しく進歩するレーダーに対抗するのは不十分であり、そこに日本のレーダーの弱点があった。

 

 

 

 

2 山崎正勝「わが国における第二次世界大戦期科学技術動員-井上匡四郎文書に基づく技術員の展開過程の分析」『東京工業大学人文論叢』第20巻(1996年)、171-182頁。

 

 本稿では、井上匡四郎文書の技術院関係の文書を手掛かりに、日本の第二次世界大戦時科学技術動員の特徴を、特に制度的な側面に注目して論じることが目的とされる。

 技術院の成立の起源は、1941年の「科学技術新体制確立要綱」にさかのぼる。科学技術を「高度国防国家完成の根幹」と位置づけ、「科学の画期的振興と技術の飛躍的発展」を提示した。その実現のための中枢機関として技術院の創設を、科学技術審議会の設置とともに掲げた。「科学技術新体制確立要綱」には、科学技術行政の本格的開始という側面と、太平洋戦争準備のための科学技術動員政策の始まりという側面が同時に存在していた。結果、一般的・総合的な科学振興と個別・特殊的な戦時動員とを同時に進行させるという特徴をもつこととなった。こうした政策提起は、科学審議会第二回総会の答申にすでに見られ、遅れていた日本の科学・技術を効果的に戦時動員するためには、底辺のレベルアップを同時に追求する必要があり、そのため振興と動員とが政策的に二重に方向づけられてたと述べられる。

 技術院は41年に発足の予定であったが、既存の館長との調整に手間取り、遅れて43年に成立した。議論の過程で、行政中枢機関として構想された技術院は、計画・連絡機関から調整機関へと格下げされる形となり、また陸軍の強い要求で技術目標としては、航空機中心になった。

 42年の「昭和17、18年度実施予定重要案件」で、実施すべき事項として(1)科学技術に関する騒動計画に関する事項、(2)航空機に関する事項、(3)各種材料、機械並びに電気機械等に関する事項、(4)科学技術並びに之が躍進に関連せる諸般の調査に関する事項が挙げられた。総合計画については、分散していた行政の総合化を図り、そのための措置を講じること、自由競争に放置されてきた重要技術を国家管理のもとにおくといった方針がとられた。前者に関連して「研究隣組」の結成がある。

 超高速飛行艇の完成といった航空技術の実現のため、既存の研究機関の拡充と研究機関の新設が計画実施された。東京帝国大学航空研究所は第1種、中央航空研究所、航空局航空試験所は第2種とされ、民間の工場附属研究所が第3種とされた。さらに45年までに名古屋航空研究所など10の財団法人の研究所が設立された。

 42年度の試験研究資金と研究補助金の配分は、技術院固有の判断で決定されたという。命令研究による試験研究については、理研のほかはすべて民間の企業であった点が特徴的であると述べられる。技術院の初期に研究助成においては、研究テーマから航空機計画に関連する研究を中心に、それらに従属・並列される形で基礎研究を含む一般の科学研究が対象だった。

 43年に入ると、科学技術審議会の管制が交付され、10月には「研究動員会議管制」が公布され、実行された。ここでは航空技術といった分野的な特徴はなくなった。研究動員会議を通じ、技術院における科学技術動員が、企業と傘下の研究所を中心とする従来の枠を超えて、大学を含むより広い領域へと、その対象を拡大した。研究動員会議では、上からの組織化ではなく、下から成長してくる研究を計画的に組織化しようとする動員思想が見られ、これは科学技術の研究振興と動員とを同時に振興せざるを得なかった日本の動員の特徴に絡んでいると分析される。実際、戦時研究の申請件数では、基礎研究が過半数を占めた。また主任研究員の大半が大学の研究者で占められている状況が注目されるという。

 技術院における科学技術動員の特徴は、(1)振興と動員の二重性、(2)陸軍の要求によって技術開発の中心は航空技術に置かれたこと、(3)研究動員が基礎研究を大きく含むものだったこと、(4)真空管の量産問題を契機に、電波技術への重点の移行が起こったと整理される。英米の動員を振り返ると、最初に航空機関係の動員が進められ(第一段階)、その実現目標を原爆などの個別の技術に限定した大規模なプロジャクト研究が進められ(第二段階)、その段階の出現がWW2の動員の特徴を端的に表しているという。それに対して日本では0段階ともいうべき科学技術振興の過程を常に底流としていた。そしてその上に航空機を中心とする動員が展開され、それに従属する形で核研究、レーダー等の電子装置などの開発がなされた。